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【落武者魂】 ミグについてもう一度考えてみる。
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ミグについてもう一度考えてみる。

1990年ごろのルマンはWSCの崩壊などのあおりを食らって、非常に混沌としたものでした。このままではWSCの不人気のあおりを食らって共倒れしちゃうんじゃないかと思ったのかどうかは知りませんが、ルマンはもう少し自由度の高いルールとカテゴリの新設をしていきます。その中で従来のスポーツプロトタイプカーより身近な市販車のシルエットをもったGTクラスが活況を呈します。そんな中で1993年に「ミグM100」が登場します。

「ソ連戦闘機メーカーのミグがルマンに来た!」

当時のメディアでの紹介文(まあ、エントリリストのキャプション程度ですが)でもそのようになっていましたし、「ミグが参戦し、無様な結果で去った」と記憶されている方もいらっしゃるようです。たしかにソ連崩壊の直後、ソ連企業の秘められていた軍事技術を活かして民間進出というのが語られていたこともあって、何の疑問も感じることなくそう思われていました。しかも結果としては予選すらクリアできないという体たらくで、それもまたリアルです。「武士の商法」を地で行ってるようです。

ミグM100について語られているのは「戦闘機メーカーのミグが、自動車を作ってルマンへ宣伝のため参戦した。エンジンはランボルギーニV12。結果は芳しくなく、そのまま消えた」という程度です。実際のところどうなんでしょう?正直よくわかりません。よくわからないながら、断片的な話をつなげていくとこんな感じです・・・。

モナコ在住でF-2で活躍していたレーサー、フルビオ・バラビオは実業家であった兄とともにエキゾチックカーを生産する会社を立ち上げていましたが、新たな計画を1991年にぶちあげます。この複合素材で構成されたシャシに強力なV12エンジンを搭載し年間12台の生産としてプレミア価格で販売するという「なんというバブル」な事業計画は、モナコ王室からも投資の話が入るほどの話題を呼びました。

もともと彼らの会社「モンテカルロ・オートモティブ(MCA)」はモンテカルロ自動車クラブ100周年を記念して名づけられた「Centenaire」なるクルマによってそこそこ成功していたようですので、ぽっと出た胡散臭い投資話とはちょっと違っていたのでしょう。このCentenaireはバレルンガ6時間耐久においても優勝の実績を持っています。

まず、バラビオ兄弟はモトーリ・モデルニのカルロ・キティと契約し、彼らのF1向けに開発されていた12気筒エンジンを搭載することとしましたが、これはロードバージョン用ではなくロードバージョンにはメルセデスかポルシェのF1向けエンジンになるのではないかと囁かれていました。

カルロさんはモトール・モデルニとスバルとの共同開発としてF1のエンジンの設計に携わっています。スバル・コローニの有名な水平対抗12気筒ですね。

初めに出来上がったクルマは、その夢とはかけ離れていたようです。スタイルは「ガンディーニのダメコピー」(実際角をまるまるとしたふくよかなディアブロみたいな感じなので、精悍さのかけらもないのですが)。と評されているのですがこのクルマは「Centenaire」の上級グレードにしか過ぎないので、外観がそう変わっている気もしません。もともとそういわれてたんでしょうね。大事なエンジンはとりあえず間に合わせということでフルビオの所有するカウンタックから外したV12を搭載します。これはモンテカルロ・GTB(あるいはMCA GTB)として1992年にモナコのホテルで行われた発表会で公開されますが、この事業は資金的に難しい状況にあったらしくそこから続きません。

MCAはこの事業に対し王室からの支援を打ち切られますが、捨てる神あれば拾う神あり。新たな支援者を得ます。グルジア王室の後継者にして王子というアレクサンドル・ミングレリアはモナコで生まれ育っていたこともあり、フルビオらと知り合いだったんでしょうね、MCAの新たなチャレンジへ投資を行います。新たなチャレンジとはルマンへの参戦。グルジアン・ミグ・タコ M100 モトールモデルニ、というクルマでルマンはそのエントリーを受け付けます。1993年のことです。

さあ、ミグがでてきましたよ。このミグはWikipediaイタリア語版では「ソ連の軍事企業のミグ」としてミグへのリンクもはってあるのですが、もっとシンプルな回答がWikipediaとは別にありました。それはMingrelia and Georgiaの略というもの。グルジア王室のミングレア家に捧げられた、あるいは単にグルジアのミングレア家のチームという意味であったようです。なんだか夢がなくなりました。頭のグルジアンは「グルジア自動車会社」を意味し、ミグはチーム名とされています。そしてM100はモナコ自動車クラブ100周年がまだ残っているようですね。タコはよくわからない。

まあいいや。

ミグM100は例の私物と思しきのランボルギーニエンジンからモトーリモデルニの3.5リッター・ターボエンジンへ換装されてルマンへ投入されます。またエアロダイナミクスへも若干手が入ったりしていますが、MCA GTBとMIG M100の間に基本的な違いはありません。そして、結果としては予算未通過で終了します。換装したエンジンとシャシがマッチングしなかったのだと説明されています。その後バレルンガ6時間耐久へ出場し、満足とはいえないながらも結果を残したようですが、これでレース参戦は現在まで行われていません。ミグM100というクルマが1993年にルマンへ参戦しましたが、それは戦闘機のミグとは関係なく、ランボルギーニのエンジンも積んでいなかったという虚しい話なのですが、後日談もあるようです。

それはトビリシの軍需下請工場とMCAが契約を結んだというもの。これはアレクサンドル王子のミグが仲立ちとなって生まれたビジネスのようですが、この軍需工場ではソ連時代にミグ戦闘機の部品を生産していたとのことで、そのカーボン技術を民需転換したかったようです。将来的には、安価なカーボン素材を自動車用へ供給し、またF1などのレースチームへも提供していくことを考えていたようですが、その後どうなったかはわかりません。トビリシで生産されたMCAの車両も数台あるのだ、という話もありますがどうだかわかりません。


ちなみにMCAは現存し、オフィシャルサイトもあります。
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