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【落武者魂】 PAP1200 はじまりのこと
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PAP1200 はじまりのこと

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 話は5年前に戻る。2009年の夏。場所はカルフォルニア州デイビス。Gold Rush Randonnee 1200kmの終了後のランチパーティ。僕はその前年にブルベを始めて、この年には一通りのカテゴリを完走することができた。だから「これで足を洗えるな」と安堵していた。1000kmとか1200kmとか、そういうライドは一生に一度とかそういう挑戦だ。普通、そう考えるんじゃないかな? 自転車ばっかり乗ってられない。
 よく晴れた日で、テラスにいた誰もの表情もまた晴れやかだった。解放感にすっきりとした気分で座っていると、たしか姉御っぽい感じだったからオードリーだったと思うが、話しかけてきた。
「ところでJunよ、次の1200は何を走るんだい?」
 それは衝撃だった。次の1200km? 1200ってそうそう走るものなのか? 1200kmは行き着く先だと思ったら違ったらしいということに気づいてしまった。ここが入り口の扉だったのか。とんでもないところに辿り着いてしまったのかもしれない。
 特にそんなこと考えていないと告げると、彼女は話を継いだ。私はPerth-Albany-Perth(PAP)へ出るんだ、と。オーストラリアの彼方で行われるロングライド。

 それからというもの具体的なことは考えていなかったけれども、その単語だけは頭のどこかにひっかかっていた。ピー、エー、ピーせんにひゃく。そして2013年にオーストラリアのSydney-Melborne Alpine1200を失敗した後のパーティで渡されたチラシが、僕にそれを具体化させるチャンスを与えた。それはPAP1200の開催を案内するチラシで「ぜひ来てね!」とスタッフの方々が勧誘してまわっていたのだ。
 だから、カスケイドなんかも一緒にはしったアメリカ人の友人、マシュー君が「今年は何か長距離走るの?」と聞いて来たときに「PAPはどうかな?」と返信した。彼自身からもPAPの単語を聞いたことがあった気がしていたからだ。もちろん「それやってみよう」ということになった。ふたりでホテルの部屋をシェアすることにして飛行機の到着日時なんかを打ち合わせているうちに、マシュー君は暴走車にはねられてこの世を去る。

 そんなわけで、しばらく放置していたのだけど、そろそろちゃんと考えなきゃと航空券の手配などをすませたのは出発までひと月ほど前。コースデータを作ったりしながら伊勢1000kmを走る。PAPの二週間前にわざわざ1000kmブルベを走ったのは、三日以上連続して走るという感覚を取り戻すため。600kmなどの二日間に渡るライドと、それ以上のライドとの一番大きな差、というかポイントは距離の数字ではなくって、何日かかるか、だと思っている。明日で終わる、と明日でも終わらない、というのは気分的にはかなり違ってくる。僕はメンタルに左右されるので、気分のアップダウンはそのまま走力のポテンシャルに関わってくる。中だるみが酷くなるということだ。
 メンタルどころか、フィジカルなスペックでもあまり自慢できない自分だけに、伊勢1000での後遺症はいくらか不安の種となった。風邪をひいて少し寝込むわ、足首を痛めるわ、手の痺れは取れないわ、など。

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 そのころになって、ようやく主催者から参加者への「PAPのしおり」がダウンロード配布される。詳細なルートの説明やコントロールごとに提供されるサービスについて、ドロップバッグや様々な注意喚起がなされているもの。野生動物にたいする警告は去年のカンガルー、ウォンバットの死体ごろごろや、無数の蠅、動物に激突して一晩救出を待っていた話などを思い出させ、トレーラートラックについての記述ではマシュー君の死を思い出させて気分が落ち込む。行きたくないとさえ。
 一方で、去年、辛かった補給についてはこのコースでは平均70~80kmほどごとにPCがあることを思えばそう不安になる必要は無さそうだ。気温も、最低10度以下(実際には5度くらいまで下がった)、最高25度くらいに収まりそう。季節的には雨は降らないわけでは無さそうだが、地中海性気候というのであがれば乾きやすいはず。もっとも乾燥した気候というのは慣れてないのでこれはこれですぐに肌寒くなったりして難しいのだけど。

 自転車の入ったスーツケースを空港へ宅配で送り、自分はバスで。飛行機はシンガポール航空なので乗り換えは当然シンガポール。成田からのパース直行便はすでに無くなってしまっていて、こんなところでも日本のプレゼンス低下を感じさせる。それはさておき、羽田の国際線ターミナルは妙に立派ね。10年くらい前は田舎の役所みたいな建物だったと思うんだけど。

 うんざりする長距離フライトに耐えてパースへ。意外と美しい都市だ。世界でもっとも美しい都市のひとつに数えられているらしい。そしてもっとも孤立した都市とも。

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 宿泊先はペニンシュラ・リバーサイド・アパートメント。ホテルというよりは、なんというんだろう、ウィークリーマンション? とホテルの間みたいな感じ。受付などは夜間は閉まってしまう。チェックインなどそしていると、この宿を紹介してくれたアメリカのブルベ団体(RUSA)の人たちと会う。たどたどしく挨拶してスーパーへ行き、食料などを購入。しかしオーストラリアの物価は高い……。スーパーの入り口に自転車ジャージをきている人たちがいたので「そのジャージ、PBPですよね? PAP走る人たちですか?」と聞いてみると、そうだ、とのこと。そしてこの後に近くのバーで参加者が集うらしいので行ってみることに。

 なんかパーティみたいなのがあるかと思ったら、ただ集まって適当に酒を飲んでくっちゃべるだけの集まり。始まりも終わりも特に無い。欧米クオリティ。ちなみにこの前前夜パーティに始まって、受付時ランチ、ゴール時パーティ、ゴール翌日朝食会、がオフィシャルから呼びかけられてたけど、受付・ゴールはテキトーに来てテキトーに解散だし、前前夜と朝食会は店の予約も無く、やっぱりテキトーに集まってテキトーに終わる。朝食会なんか、集合場所のお店が混んでるから隣の店になったし。
 さて、この立ち飲みバーでは、いろんな人から「どこから来たんだ」「がんばろうな」みたいな話をされる。特に英語ができるわけでもないので、かなり辛いw そのうち日本人の参加者そろって晩飯を食おうということに。

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 翌日はお昼前から車検。けっこう強い雨が降ったりする不安定な天気でずぶぬれになるが、空気は乾燥しているのでさっくり乾いた。車検では日本とほぼ同じチェックをされるだけなのだけど、オダックス・オーストラリアでは後方に反射板をつけること、テールライトとフロントライトは二個というルールがある。普段からそういう装備なので問題無し。届け先(今回は一晩めと三晩目の仮眠所はそれぞれ二カ所から選ぶことが出来る)を指定したドロップバッグを預けうろうろする。バーベキュースタイルでサンドウィッチが配られたりしながらしばし時間を過ごしたり、オダックス・オーストラリアの人たちとカフェに行ったりしながらその日を過ごした。

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 そして当日の朝を迎える。
 午前5時のスタートにむけてホテルを出る。気温は13度ほどだったか。肌寒い。
 すでに多くの参加者が川辺の公園に集まっていた。高揚感とも不安とも着かない感情が胸につっかえるようだ。オーストラリア国旗が掲げられている。脚立の上に主催者が立ち、ちょっとしたブリーフィング。ほんとうにちょっとしたもので「気をつけて行ってね! けがしないでね!」くらいのもの。そして闇の中、カウントダウンを待って100余名のランドヌールたちは走り始めた。
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