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【落武者魂】 熱風台湾 TPT1000km フォルモサの道尽きる南海へ
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落武者魂

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熱風台湾 TPT1000km フォルモサの道尽きる南海へ

 蓮花世界をでて小さな街の路地を抜けると、やがて道は上りになる。小さな丘を越えるだけだったけど、これまでになかったことだ。まだあたりは暗い。夜明けまでは数時間もある。眠れなかったという事実が心を苛立たせて、うさばらしに妻にあたり散らす。ここからつぎのPC、チェックポイントまでは約70kmほど。その間に300メートルほどの山を2つ越える。たいした斜度の坂はないらしいけど。

 ひとつめの山へアップダウンを繰り返しながら登っていく。
 道は二車線が確保されているけど、街灯は無いに等しいので下りにはちょっと注意しないとならない。ところどころに祠や寺院があって、どれも赤い照明がされている。話は飛ぶけども、民家やその他の建物でも赤いランプを灯した部屋をちょくちょく見ることがあった。はじめは「ムードを出すための照明なのではないか」と話し合っていたが、そういういかがわしい商売をしているようには思えない。またどれもこれもそんなにムードを出していてはたまらないのではないか。そんな話をしていると、横に長い建物の二階がすべて赤い照明になっているという光景を見た。
 アパートメントかなにかわからないけど、ワンフロアまるごと「気分を盛り上げてる」ということもないだろう。
 
 ランプが赤いのではなく、窓ガラスに赤いフィルムが貼ってある説などしばらく議論していたけど、結論は出ない。そんなとき、ふと思った。これは祠や寺院の照明によく似ている。台湾の道にはあちこちに、特に南部の方にはやたらめったらと祠や寺院があるのだけど、これが赤い照明で照らされている。もしかすると、これと同じような理由ではないだろうか。建物の中に仏壇か祭壇があって、それを照らす赤い照明なのでは。
 帰国後、聞いてみるとやはりそうであった。
 祖先を祀るための祭壇のある部屋らしい。
 なんで赤い照明なのかは聞かなかった。

 それにしても中国の人は赤という色が好きなようだ。
 もし、共産主義の色が赤でなければ、大陸はまだ国民党のものだったかもしれない。



 ひとつめの山を越えた。下って平坦な場所へ。対向車線側にコンビニがあってランドナーたちが休憩しているようだ。僕らも休みたかったけど、なんとなく通り過ぎてしまった。小さな街にある交差点で左折するところにセブンイレブンを見つけたので、ここで休憩することにした。食事をし、しばらくイートインのスペースで突っ伏す。こちらのコンビニは基本的にイートインのスペースが用意されているので助かる。また、そこで寝ていても床で寝ていても、なにか言われるようなことはない。疲労困憊している人が、休んでいるのだからしょうがないよねって感じだ。こういう台湾の人の優しい目には、終盤にさらに驚かされることになる。

 しかし、台湾のコンビニはクーラーが効き過ぎていて寒い。蓮花世界の仮眠所もクーラーこそなかったけど、扇風機が起こす風が当たり続けて少々辛かった。そのせいで風邪っぽくなっていたので、イートインスペースも諦めて外へ出た。もう夜が明け始めていたのだけど、交差点の向かいのちっぽけな公園に行ってベンチで寝る。さっきまでは他の参加者が寝ていたのだけど、すでに走り出したいった。小一時間ほど目を瞑る。



 眠れたのか眠れなかったのかよくわからない感じで次の山へ向かう。こっちのほうがちょっと高い。台湾の参加者に4km登って4km下るよ、と聞く。とぼとぼと登る。この山、もっかい登るんだよな……。実にこのセクションだけで1000メートル近く登る。ここだけ100km1000m基準を越えるほど。やっぱり僕にとっては上りより平坦の方がいい。



 この日初めてのPCは山奥の観光地のようだった。観光地といっても、僕らには何が観光地なのかわからない。後日調べてみたところ、ここは甲仙という場所でタロイモの産地として有名なのだそうだ。また、数年まえには大地震や大水害などに相次いで襲われた地域とも。途中にあった自転車が壊れそうなほど路面のひどい工事区間や、穴やヒビだらけの道路は、そういうことの名残なのかもしれない。
 それにしても、タロイモの産地というだけでこんな山奥に街が栄えるかなあという感じだが。



 PCをすぎるとさらに道は下る。ここでようやく400kmくらい。はじまってから22〜23時間ほどが経過した。途中での休憩というか仮眠を考えれば、悪くないペースだ。いくつかのトンネルを抜けると、景色は熱帯を思わせるものへと変化していく。トンネルを抜けると、そこはジャングルだったという感じだ。緑の色が濃い。



 街もさらに猥雑な印象を受けるようなものになってきた。交通マナーもさらに悪化して、信号無視も日常茶飯事。でも、誰もが「みんなで渡れば怖くない」的に行動するのではなく、一方で信号を守らない奴が目の前にいても、超然と信号を待ち、のたのたと表現できるほどゆっくり走る車やスクーターも一方にいる。だんだんと気温が上がってきて、交通も混雑してくると排ガスがきつく感じられるようになる。できれば500km地点のPCへ早くたどり着いて、一番暑い最中を居眠りして過ごしたい。具体的には午後1〜3時のあいだの一時間くらいは寝ていたい。



 そうは思っても、危険を感じる気温に休みをとっているうちに時間が経っていく。最悪なことに、もっとも暑い時間が近づくにつれ、休む場所も日陰も少ない道路になってしまった。路肩ではパラソルをさして何かを売っている屋台? が多数でているけど、何を売っているのかわからない。そろそろ水が心もとない。その屋台で水が売っていないものかと見ているけど、どうもおみやげの謎の産品のみのようだ。


※菱角ってなにかと思っていた。ピーナッツみたいな豆のようだ。

 本当に水がない。
 500kmまで20kmほどのところにあったおみやげセンターへ駆け込む。観光バスが何台も連なっている駐車場に割り込み、妻に水を買わせに行く。しかしよりによって午後2時とは。本当に一番暑い時間を走ることになってしまった。



 500km地点は観光センターの一部を間借りしてチェックポイントが設けられていた。どこか寝る場所は無いかと聞いてみると、そのへんの階段の踊り場で寝て、とのこと。ここは台湾ルディアックと同じようにrest stopと表現されていたので、仮眠所があると思っていた僕らは超がっかり。しかたなく踊り場で眠るが、風が吹き込んできてしっかり眠れない。ここには1時間ほど滞在して、トイレに行き歯を磨いて出発した。ちなみに、この日から雨具の代わりに携帯電動ウォッシュレットを積み込んで走っている。清潔ブルベだ。
 さらに、もともとアソスのシャーミークリームを新品まるごと積載している。クリーム使い放題でお知り守り放題。と言いたいところだけど、内股がすれてしまっていて少し危険を感じている。妻もそうだという。とにかく、皮膚が破れないようにしろと告げる。すりむき続けて、皮膚が破れてしまうともうどうしようもない。さらに僕の両手の平には水ぶくれができていた。フラットすぎて手に体重がかかり続けすぎてしまったからだろうか。それとも、タンデムを押さえ込むためにハンドルを強く握っていたからだろうか。いずれにしろ、これも破れないようにうまく付き合わないと。皮膚が保たれていれば、痛みはそれほど強くはならないはずだ。

 暗くなった頃、コースの最南端へ到着。台湾の参加者に「君たちはすごく強いね。特に奥さんはよくやっているよ」と褒められる。ありがとうございます。僕らは褒められて伸びる子です。


※なんだかわからない。子供が踊っていた。他にも道路上で葬式のテントを出していたり、道路上に結婚式らしきテントが貼られていたり。使用許可なんか出してないだろうけど「お互い様」なのだ。たぶん。

 帰宅ラッシュの交通混雑激しい幹線道路を戻る。ついに「戻る」のだ。屏東を抜けて高雄を目指すのだ。陽が落ちてしまえば気温は下がる。時刻も更ければ交通量も減り、空気も少しは澄んでくる。休憩時間のわりにはほとんど眠れていないから気持ちは盛り上がってこないけど、600kmに到達すれば時間制限もゆるくなる。まずはそこまで、そこまで引っ張ろう。でも、このころから妻は喉が痛くて声が出ないと言い出す。風邪と排ガスで喉がやられたのだろう。

 屏東の街は、これまでに輪をかけてほんとうに交通状態がひどい。そんなときにマクドナルドの看板をみつけたので入ることにする。晩飯というわけだ。ここは少しコースを行き過ぎたところにあるのだけど、さっき僕等を褒めてくれた人が来ていた。彼の奥さんとお父さんらしき人もいて、僕にこれが僕のワイフだと紹介してくれた。妻と僕が一緒にいたときにも、もう一度紹介しにきてくれたのだけど、ちょうどそのときは僕と妻がオーダーの件でもめていて、ちゃんと応対できなかった。申し訳ないことをした。


※どっかの街のハズレ。本当にやばいところは写真なんかとってらんない。

 とにかくこの屏東の街はひどかった。週末の夜だからか、無軌道な若者系のスクーターも乱舞していてもう無茶苦茶。そんな喧騒も次のPCへたどり着く頃には収まっていて、すでに食事も撮っていた僕らは先を急ぐ。ここから再び内陸のルートへ戻っていくのだ。上りに弱い僕等としては、少しでも先へ進んでおきたい。眠気と疲労が本格的に顕在化する前にだ。

 ゆるやかな登りが続いていく。行きはあんなにのどかで寝転んでいるだけだった犬が、凶暴化している。半分くらいはただ吠えているだけなのだけど、追いかけてくる奴も現れた。そのほとんどは「とりあえず仕事してるよ」ていどのやる気しか見せないのだけど、数回は本気でおっかけられた。本当にやばそうなときには、思い切り転舵してぶつける勢いで車体を振ってやると、さすがに逃げていく。なにせでかさが違う。万が一ぶつかったとて全部合わせれば100kgほどにはなるだろう車両重量があればこちらは転倒すらしないだろう。そんなに大きな犬でもないし。

 パトカーもよく見かけた。とても普段そんな警備をする必要がありそうにも思えないから、これもコース上の参加者を警護するものなのだろう。手を振ってくれることすらあった。どっちかというと、市街地で僕等を守ってくれとも言いたくなるけど。


※上の甲仙の写真と同方向を向いてます。朝の喧騒がウソのよう。

 夜中の寝静まった集落をいくつも抜けていく。祠や寺院は夜でも灯りを灯している。それらは今でも地域の人たちの篤い信仰の場であり、また集いの場にもなっている。だからたいていベンチやら椅子やらがあって「仮眠しやすそう」。昼間の住民の方々の様子を見ていると、少しばかり居眠りをさせてもらってもバチは当たらなそうだが、奏している人をみかけなかったのでよくわからない。もうこのあたりになると、ずいぶん夜も更けてきているのだけど、老人の方々が道をぽたぽた歩いていたり、家の前で座っていたりするのを見かけるのも不思議。昼があまりに暑いから、夜間に行動しているのだろうか。行動というか、座ってるだけだけど。


※他人は辛そうに見えない。なんでだろう。

 甲仙まで戻った。これで600kmを越えた。ここから制限時間の算出基準が大幅に緩和される。もう歩いていたってゴールできるくらいだ(大げさ)。また300メートル級の峠を2つ越えて、台湾ルディアックへ戻る。そしたら6時間くらいはかがっつり休んでも問題ない。

 だが、疲弊した僕らにとって登りはきつい。蛇行によってすこしでも斜度を軽減したい僕に対して、そんなことをすれば距離ばかり伸びて進まないじゃないかと妻が文句を言う。喉がいたいなら黙ってればいいのに。つうか、もう脚が残ってないんだお前が漕げよ、と言い返す。すると力を入れて漕ぎやがるが、ここで力を使われて後半の登りでへたれられても厄介なので、抑えろと言わざるを得ない。ほんと面倒くさいやりとりが続く。

 犬と戦い、はやく休憩所につきたいという気持ちを抑え、疲労による苛立ちを募らせながら台湾ルディアックへ戻ってきたときはどんなにうれしかったか。今回は、前回の教訓を踏まえ、コンビニでタオルなども増量して買い込んである。もう到着する参加者は完全にばらけてしまっていて、シャワーもゆっくり浴びることができた。今度はゆっくり眠ろうと仮眠所へ入り、床につく。が、結局、うーむ。気持ちが高ぶっているのかなにかよくわからないけど、1時間ばかししか横になれなかった。妻も扇風機の風があたってよけい風邪が悪くなりそうだというので、出発することに。ふと見れば仮眠所には日本人のI氏とT氏も横になっていた。外へ出てひげを剃っていると、アキレス腱を見たこともないほど腫らしているN氏も到着してきたところ。


※元気そう。うらやましいねたましい。

 この休憩所、蓮花世界は自転車ショップがあって、そこで24時間整備もしてくれるのだけどいったいなんの施設なのだろうと思っていた。実は今もあれがなんの施設だったかわからない。夜が明けてみれば、広い蓮の池があって菩薩様の像が立っており、なるほど蓮花の世界なんだということがわかる。でもそれ以上のことはわからない。なんか温熱浴だとか書いてある幟が置かれていたり、朝になるとお饅頭だかなんだかわからないけど、そういう箱をカウンターに並べていたりしていたけど……。あれは一体何だったのだろう。わからぬまま三日目が始まった。

つづく 
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