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【落武者魂】 新・哲学の源流をたどる妙正寺川の旅。
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落武者魂

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新・哲学の源流をたどる妙正寺川の旅。

 書き上げたものが回線トラブルで消えてしまった・・・。気を取り直そう・・・。

 「哲学の庭」をでて「数理江」・・・じゃない、もう哲学堂ワールドを抜けたんだ・・・妙正寺川沿いに進みます。具体的には中野通りを渡るんですが、この中野通りを中野側から走ってくるとこのあたりでT字路となって突き当たります。そのとき前方に野方配水塔がそびえているのが見えます。戦前に建築された大型の建造物でただの住宅街となっている周りの風景からちょっと浮いた感じがして面白いのですが、現在では水道設備としてではなく非常時用の水タンクとしてりようされているとのこと。ここで中野通りを振り返ってみると・・・というか見えないのですが地図上では延長線上に荒玉水道道路が延びています。荒玉水道道路は二子玉川近くの多摩川岸にある砧浄水場から一直線に続く道で上水管に付帯する設備。そのため大型車の通行ができないなどの制限がありますが、とにかく一直線に環七・青梅街道の交差点近くまでつなぎます。東京西側は南北につなぐ交通が弱いので、こんな細い大型車通行不可の道でさえ交通量が多いのですが、環七や環八を走りたくない(普通走りたくない)自転車乗りはよく使うのではないでしょうか。私もちょくちょく使います。他に選択肢ないから。

 その水道道路が途切れても上水道はまっすぐ北北東に地下を貫き、ここ哲学堂近くの配水塔につながりさらにその先の大谷口配水塔まで接続していました。もともとは荒川と多摩川をつなぐ予定だったらしいのですが、それには至らなかったようです。なお、この道路近くの住民でも「水道道路」と言った場合には荒玉水道道路なのか玉川上水路跡地の水道道路なのか混乱があるので要注意です・・・。

 さて、野方配水塔ですが説明版によればグラマンの機銃掃射の痕跡があるということで中野区の平和史跡になっているのですが、最近の研究?で「どうもこの銃撃痕は塗りなおし補修の際にそれらしく作ったもの」という説がでていて区議会でも質問があがった模様。補修前の不鮮明な写真には痕跡がなく、また「地元の人の意見を聞いて『こんな感じだったらしい』と作った」という証言もあるらしいのですが、確証を至るにはえずに終わっている様子。戦時の話、ですらなく数十年前の平時の話でさえわからなくなってしまうというのは歴史の難しさと面白さを匂わせていますが、言った言わないにならないように議事録をとらない主義はやめろと思うのです。

 

 哲学堂敷地をでたところから一歩も進んでいませんでしたが、中野通りを渡ると新しく作られた歩道が続いています。それほど長い距離ではなく、この写真の奥はもう公園になっています。戦争の歴史という話がでましたが、そこは沼袋江古田合戦場跡とされている場所です。石神井城か練馬城を発した豊島氏の軍勢がこのあたりで大田氏の軍勢に打ち破られたとのこと。江古田川と妙正寺川の合流地点であり、このあたり一帯の高台がおちこんでいるような場所でかつては湿地帯だったようです。こちらは600年ほど昔のことです。

 この公園を抜けるときれいな歩道はなくなり、コンクリ護岸された川の両側に一車線程度の車道が沿うようになります。もちろんサイクリングロードなんかではなくって、ただの住宅街。横切る道が結構多いので飛び出しなんかに注意しながら進まないとなりません。途中西武線の駅をかすめる場所があって、すこしだけ栄えていますがほんの少しだけなので気づかないかもしれません。ただ子供やママチャリが増えるので注意してください。



 沼袋をすぎたあたりには「平和の森公園」があります。戦争の次は平和です。さすが考えさせます妙正寺川。ここはもともと中野刑務所でした。思想犯が多く収められた監獄としても知られています。哲学者三木清もその一人。戦時下にここで死を迎えました。哲学の死です。平和の名の下にあるものを見つめなおせということなのでしょう。さすが考えさせます妙正寺川。



 案内板を見ると高台になっているところには野球場が。これが平和台球場です。もちろん。



 正直なところ、ただのお散歩状態なのでこうやって自らの士気を高めながら進んでいきます。すると環七にぶちあたってしまいました。途方にくれてしまうかもしれませんが、落ち着いて左右をみわたすと陸橋になっているので向こう側へわたることができるのです。そこから先はふたたび静かな住宅地です。

 のんびり陽光の下を進んでいるとやがて自分がどこにいるかわからなくなります。どこへ進んでも、どの路地を覗いても同じような風景です。だいたいこの多摩武蔵野方面というのは田山花袋に言わせれば原始の野の趣のある雑木林が果てしなく続くゆるやかな丘陵地帯でした。関東大震災前後に一気にスプロールしてしまったのでまともな道は少なく、土地区画もけっこう細切れ。閑静な住宅地が続くのですが、ときにそれは殺風景な街区のようにも感じられます。そんな思いは沼袋からずっと拝島のあたりまで続き、そのあまりの茫漠たる人工の荒野の中で立つ場所さえ見失うのです。すると・・・。



 なんとも味わいのあるビルヂングをみて自分の場所がはっきりわかりました。SAGINOMIYA(鷺ノ宮)だそうです。これはわかりやすい。そしてその向かいでは新しい団地が建築されていました。



 真新しい「団地」というほかありません。なんというか「かつてあった未来」感があふれています。新しいのですが、すでに過去というか。実に妙正寺川らしいたたずまい。さきほどの味わい深いビルヂングも、年数たっていそうな感じでしたが実は新築なのかもしれません。場所はわかっても、もはや古いも新しいもわからぬさまに。これは妙正寺川から何かが発せられてるに違いありません。

 

 古い団地の敷地内を進みます。本当に古いのだろうか。古戦場600年の歴史の前で古い新しいは意味をなすのか。そもそも数十年前のことさえ藪の中なのに・・・。この世界のあまりのあやふやさにどんどん不安になっていきます。何が真実なのか。変わらぬものはあるのか。この世界の根本原理は何なのか。どう考えても退屈な妙正寺川の旅も、あとから振り返るとすごく濃い気がしてきました。世界を知りたい。



 唐突に。あまりに唐突に啓示が示されました。頭の中に思いつくとか、声が聞こえてくるとかそういうレベルではありません。妙正寺川源流では啓示も重量感をもって現れます。宇宙も人間も素粒子なのです。哲学堂の時空岡(じくうこう)にあった宇宙館は単なる名前ではないのです。それは素粒子なのです。この石碑の上にある黒い玉子はいったいなんなのでしょうか。きっとブラックホールに違いありません。もう何を書いてもよさそうな気がしてきます。みんな一生懸命妙正寺川を歩きながら考えるべきです。そうしないとすぐ飽きちゃうから。

 

「忘れられた未来」「終わってしまった希望」といった雰囲気の建物の前に放り出されました。最寄り駅や最寄交通機関なんかまったくない本当に静かな住宅街の真ん中にいきなりこの建物が現れます。人っ子一人いません。ぐるぐる見渡してもいきと死いけるものの姿はありません。泣きそうになりながらこの建物に入ると、4階ほどの高さをぶち抜く吹き抜けの広大なホールがありました。誰もいません。その高い高い天井から吊り下げられた大きな銀色のフーコーの振り子が静かにたたずんでいます。1mmたりとも動いていません。いったいいつからこの振り子は地球の自転を示すのをやめてしまったのでしょうか。



 中をうろつきます。なんだか理科準備室のようです。この巨大な建物そのものが巨大な理科準備室なのかもしれません。そういえばラベンダーの香りがしていた気がします。大きな気象観測装置や地震計測装置がありましたが機能しているかどうかは微妙です。剥製、地質試料、珍しい貝の展示がひとまとめ。いったいなんなの?何を伝えようというの?さらに混乱を呼ぶのはなぞの奇声。ホール全体に時々子供の奇声のような音が響きます。初めは小さい子が叫んでいるのかと思いましたが、そんな子はどこにも、周囲にもいません。だいたい命あるものがここには感じられない。静かなホールにtanasinnが広がっているのを感じます。

 それでも最上階まで上がりました。プラネタリウムです。誰もいません。奇声は続いています。


 
 真理の部屋が開かれました。世界の根源は素粒子であり、根本原則は大統一理論であると示されています。そしてそれらを見出すために人類に残された光であるチェレンコフ光を用いるのだと。哲理の果てに素粒子にたどり着きました。小柴先生はこのほとりを流れる妙正寺川の下流には哲理の城砦である哲学堂があることをご存知だったでしょうか。どちらももはや目に見えず実感しがたいことを具現化してみせる施設でした。妙正寺川だけで世界のすべてを見渡せます。セカイ系リバーと呼んでももはや過言ではないとさえいえます。

 あまり長居するとナゾの奇声に心が崩壊してニュートリノ放出を起こしてしまいそうです。いそいでこの科学の神殿を立ち去ることにしました。そのときにナゾの奇声の正体らしきものを見かけましたが、あまりに不気味な光景だったので今は記しません。あれほどなごやかな癒しを感じる怖い光景はその場にいなければ私の力ではお伝えできません・・・。



 妙正寺川の源流はこの池です。ここから湧き出す真理の流れがそのみなもとなのです。最近ではパワースポットとさえ呼ばれています。妙正寺川をめぐるたびであまりの疲労感に襲われたのでしばらくベンチで休みました。それからやおら自転車を漕ぎ出し早稲田通り経由であっという間に帰宅したのでした。
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