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【落武者魂】 続・哲学の源流をたどる妙正寺川の旅。
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落武者魂

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続・哲学の源流をたどる妙正寺川の旅。

 こうして哲学堂の哲理門から常識門まで一巡りし、哲学の徒たちが集う広場にもどってくると大哲学ニャを見つけました。おそらくはキュニコス派ですが、犬ではなさそうなので猫儒派のようです。私はせっかくなのでこの大哲学ニャに挨拶をさせていただき、何かお困りのことはないか、と聞いてみました。大哲学ニャは「そこに立たれると日陰ににゃるからどいてくれにゃいかにゃ?」と言われました。私はすぐに辞して「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」とつぶやきましニャ。



 さて、哲学堂のある時空岡(じくうこう)は妙正寺川・・・じゃなかった・・・えーと、哲学堂的には「数理江」沿いの高台にあり「数理江」にむかって断崖になっています。その断崖の下にも細長いスペースが数理江に沿ってありそこもまた哲学堂ワールドです。しかし哲学堂について書くと漢字変換がすごくめんどくさいな。それはさておき、その細長いスペースの両端には「唯心庭」と「唯物園」があり、それを「独断峡」がつないでいます。



 区立公園の案内板とは思えない独特の雰囲気をただよわせています。もともと哲学堂には77の名所があって、それぞれにこのような説明がなされていたようです。というかその説明をそのまま記載してるんでしょう。なお、77のうち二つの名所は文献喪失のために不明となっているそうです。


独断峡

 さて、時空岡のあるスペースとこの唯心・唯物のスペースとは断崖になっていると書きました。唯心・唯物、そして数理その他の学問の上に哲理の場があるというのが哲学堂が静かに訴えかけているテーマなのでしょう。この二つの場の間にはいくつかの小径が拓かれていました。それぞれもちろん名前があって西側から「感覚巒」「経験坂」「二元衛」「直覚径」「認識路」となっています。景色はこんな感じ。



 これは直覚径。その案内板はこんな感じ。



「行けばよい」という表現が非常に心打ちます。唯心から論理域に一足飛びにショートカットするというなら、それは直感に頼るということだということでしょうか。 しかしそういう近道はのぞまない、自分はしっかりとした思考の積み重ねの上で哲理に至りたいのだという方も当然いらっしゃるでしょう。なので直覚径の隣には「認識路」が設けられています。



  その認識路の途中には思索をより深める哲学の徒のために小休止場があつらえられています。その名も「演繹観」。





 なぜパラソル型なんでしょうか。わかりません。なにかの駄洒落メタファーなのかもしれませんが浅学の身ゆえ思いつきません。他にもこういった小径として哲理に至るためには学問の経験が必要だという「経験坂」と、経験を得るためには耳目の感覚も重要なのだという「感覚巒」などもあり「なんでこんなただの石段に大仰な名前と意味づけをしなきゃならないんだ」とくらくらしてきます。

 

 くらくらしてきました。「哲学的名勝」だそうです。このときは気づきませんでしたが小さな花壇(草壇?)みたいなものがあって、それが唯物園だったようです。マップをみると上から見て古い字体の「物」の形に草が植えられてたみたい。唯物園のはしっこには神秘洞なるものが口をあけています。進化の源であり、進化について究めれば神秘に通ずとしてその名があるようです。かつては水が流れ出ていた(源)痕跡があります。でもいかんせん小さい・・・。しかし小さいなどという見かけではないのです、そこには深遠なる意味が隠されているに違いありません。



 唯物園には動物型の灯篭が置かれています。



「狸灯」というこれは人間の本性は狸のようなものであるけど、時には光放つこともあるということで腹部に行灯を仕込めるようになっています。いまでは灯火がともされることはなさそうです。人間に光あるものは失われてしまったのでしょう。



 唯心庭は池を中心としています。その池には「理性島」があり理性に至るための「概念橋」が渡されています。




 名前は立派ですが・・・いや、立派です。たぶん、昔は木の橋だったんだろうと思います。この唯心論的呼称をもつ諸部分が見られるこの庭にも灯篭がたっています。鬼灯です。



 人間の心にある鬼性にもなお、良心の輝きがあることを示しているとのこと。もはや使われなくなって久しいようです。人間に残された光はチェレンコフ光くらいなのでしょうか。この灯篭が立つ淵は倫理淵と呼ばれ池は心字池とされています。唯物園には「物」の形の花壇があり、唯心庭は「心」の形の池(水)になっているということになります。またそれぞれ東屋があって「主観亭」「客観蘆」と名づけられています。

 そろそろ哲学するのも疲れてきました。この自然豊かな小公園のあちこちに、というかあらゆる場所になんか大仰な名前がついていて落ち着けません・・・。ふと何にもない道を歩いていてもたとえば「学会津」なんて彫られた古い石碑が足元に立ってたり。説明もなかったりするので自分で考えなくてはなりません。なんという哲学さ。頭がしびれてきたので唯物園に戻り「観象梁」を渡って「数理江」の向こう岸へ渡ります。すると・・・。



 これは一体なんだ・・・!? えーと左端の人が「キリスト」、奥の人は「老子」と「釈迦」。右で臥せっている人は「アブラハム」だそうです。頭のでかい人は「エクナトン」さんだそうです。頭の奥がしびれてきました。まだ哲学堂ワールドは終わっていない様子。



 どんどん広がる哲学堂ワールド。ここは”哲学の庭”なんだそうです。新しくできた場所のよう。なんだろうこの感じ。どこからか哲学があふれ出しているとしか思えない。これは数理江・・・妙正寺川から流れ出ているのではないかと気づきました。次回は妙正寺川を辿り哲学の源流を探ります。この日記、「ロングライド」カテゴリなのにいまだほとんど自転車に乗っていません。実のところ、最後までろくな距離にはなりません。つうか三話まで読む人いるのかよ。

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コメント

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このレポートは実に面白い。対象も面白いけれども何よりも文章そのものが読ませますね。哲学堂に行きたくて仕方がありません。
2011/05/22 【BUN】 URL #- 

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ありがとうございます。励みになります。
哲学堂は好きなスポットなのですが、わざわざこれだけのために来るほどかというと・・・近くにKATOの本社兼ショールームもあるのでそれもあわせてなら・・・。いやどうなんでしょう・・・。私は好きですが。
2011/05/22 【さとう◎】 URL #- 

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