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【落武者魂】 2014年11月01日
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落武者魂

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PAP1200 第一日 ナニャップまで 360km


 初日は海岸に沿ってパースから南下し、夕暮れごろから内陸へ入ってナニャップという場所でオーバーナイトコントロールに入る。オーバーナイトコントロール、つまり仮眠所は今回は5箇所が指定されている。ただし、一晩目と三晩目は二つのうちから選択するというやり方。初日の晩の場合は約365kmのナニャップ(Nannup)か約445kmのペンバートン(Pemberton)の二択。どちらにドロップバッグを持ってきてもらうかを事前に決めておかなくてはならない。
 そしてシドニー・メルボルンと同様に、一人につきひとつのドロップバッグを次の仮眠所へ運んでくれるという方法だ。あんまり早く次の仮眠所へ到着してもドロップバッグが到着していないという可能性もある。ま、よっぽど速い人だけの問題だけど。更に言うと、今回はすべてのPCが有人なのだけど、有人化される時間がPCのオープン時間とは別に設定されている。オープン(ブルベでは制限時間より”早く”PCに到着しても認められない)時間より遅くとも、有人化されていない時間があるというわけ。もちろん、コンビニなんて施設は数百キロ四方には存在しないどころか人さえどこにいるのかわからないような場所なので、レシートや地元の人によるサインによるチェックもできないので、写真をとって証明するらしい。
 けれども、この西オーストラリアでPCでのサポート無しのロングライドをしようとすれば、受付におかれていたような5リットルやそれ以上の水を搭載し、食料もテンコ盛りしたバイクでないと生命維持が危険でアブない。だが、そんな自転車では、サポートがPCを開設する以前の到着は難しいだろう・・・。つまりそんな心配はほとんどないということだ。実際、仮眠所への到着時間はまばらでも、翌朝の再スタート時間はほとんど3時間くらいの間に収まっていた。

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※受付で見たリカ。大陸横断するものだそうだ。

 さて、ドロップバッグとオーバーナイトコントロールの話はこんなところにしておこう。パースを出た僕らはすぐにサイクリングロードに入る。自動車一車線分を上下線にわけた一般的な幅の自転車道が延々続く。これは近隣住宅地などをつなぐ自転車用通勤幹線でもあるようだ。並走する通勤列車路線の駅には「RIDE2WORK」つまり自転車で通勤しよう、というポスターも貼ってあった。これは自転車で駅へ来て、通勤列車に乗ろうという意味だと思うが。

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 初めの15㎞ほどは地元クラブのサイクリストが先導についているらしいが、よくわからない。というか速度差でグループがどんどんぶちきれていく。前のグループに追いつこうとしてもひとりでは速度が維持できないので結局後続集団に吸収されたり。いつものシアトル軍団の青いジャージが見えたので、そのあたりを走ることにする。とても良いペースで非常に助かる。

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 PC1へはあっという間についた。水辺に面した公園に設営されたPCでは、サンドウィッチやバナナなどを補給できる。だいたいどこのPCでも同じだったが、このサンドウィッチなどはスタッフの方々が早朝深夜から毎日毎日用意しているものだ。

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※TTバイクの人もいた。シンガポールからの参加者だったかな。

 さて、ここからしばらくも平坦なはず。ペースを安定化するためにも、どこかのグループにくっついて行った方がよさそうだ。とはいえ、黙ってくっつくのも感じ悪いかもしれない。そこで、シアトル軍団のマークに「ついていけるとこまで、グループに混ぜて」と一声かけておいた。彼らはほどほどのペースで走り、個々のPCではそこそこ、夜はゆっくり休むという走り方をする。だいたい制限時間の8〜9割を使って走るやり方を実践しているのでとても走りやすい・・・のだけど、そのほどほどのペースが平坦だろうと山岳だろうと一定というところが強い。最初から最後まで、コースがキツかろうがそうでなかろうが、まったくペースが変わらないのだ。

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 コースは相変わらず西海岸沿いをすすんでいるのだけど、ずっと海岸べりというわけではない。街と街の間は内陸にはいる。西オーストラリアは地球上でも人口密度の低い地域のひとつとされていて、まともな街などないだろうと思っていたが、海岸にそった街は点在していて、しかも高級住宅地というか別荘地のような感じだ。過ごしやすい地中海性気候にオーシャンビューのおかげだろうか。
 内陸に入ると風景は一変する。平野というか荒野というか。かつて金鉱をもとめてやってきた人々が作った街と鉄道の痕跡があるのみ。次のPCはそんなところだった。道路の舗装さえまともではなく、しばらく非舗装がつづいてたりさえする。とはいえ、オーストラリアで続く好景気のおかげか、そういった非舗装路の先には真新しい舗装がしかれていたり。

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 お昼ご飯は海岸沿いにあるBunburyという街。サーファー、ライフセーバーのための施設に設置されたPCで。ここには厨房があって、参加者は手書きのメニューに書かれた品を選んで頼むことが出来る。各種サンドウィッチやラザニア、オムレツなどだ。こういった食事が用意されるPCはオーバーナイトコントロールを含めていくつかあって、ボランティアスタッフの方々が寝る間もなく(ほんの2〜3時間しか寝ずにやっているらしい。走るより大変!)働いている。もちろん(参加費に含まれているわけだが)無料だ。シアトル軍団のビンセントをして「オダックス・オーストラリアは最高のホスピタリティだぜハーハー!」と言わせるだけある。

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 さて、ここまでで約200km経過。そして8時間台という200kmブルベとしても好タイム。このペースは危うい。危ういが、その次のPCまでシアトル軍団に食らいついて行くことが出来た。そして西海岸最後のPCとなるBusselton Foreshoreから先の100kmは無補給でナニャップへ向かうことになる。しかも内陸へ向かうので、ほんとの無補給地帯だ。コンビニも、自販機も、助けを請う民家も、なにもない。

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 まだ結構な人数が揃って走っている。このグループはシアトル軍団を中心に15~6人はいるだろう。二列になって先頭交代をしながら走り続ける。そろそろ先頭に回るのがきつくなってきた。だけど、他のメンバーは力強い。うらやましいな、その耐久力。太陽が沈み、ウィンドブレーカーを着込む。この夜はもっとも寒くなるそうだ。予想最低気温は5度。日中とは20度を上回る温度差がある。

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 途中にシークレットコントロールが設置されていた。ジュースや果物が用意されている。しかしまあ、周りにホントなんにも無いところで、コントロールを設置するのも大変そうだ。そして参加者を待つのはとても心細いだろう。しかもトイレも無い。もはや脱帽するしかない。さっさとジュースだけ飲んで出発するも、このあたりからアップダウンが続いていて、だんだんグループから遅れをとるようになる。やがて、ついて行けなくなり、脱落した他の人たちもバラバラになり一人旅。真っ暗闇の中に数回、カンガルーの死体があるのに気づく。ハエは夜だし、気温も低いのででてきてはいないようだが、もしかすると明日から去年の死骸&腐臭&ハエ地獄にお見舞いされるんじゃないかと不安になってくる。

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 空気が冷たい。道の先に小さな集落の灯火。まだ午後10時を少し回っただけだというのに、静まり返った小さな町。日本でも田舎町はそんなものか、と思いながらナニャップ(Nannup)のPCへ向かう。このPCは僕が一晩めの仮眠所として選んだPCだ。シアトル軍団はさらに80km以上先のペンバートン(Pemberton)まで向かうといっていたな。たしかにペンバートンまで走っても午前2~3時には到着できるだろう。そしてそこのタイムアウトは午前9時。ま、ここナニャップでも、6時間くらいは余裕で休憩できる。365km地点で貯金を残しつつ6時間休める。十分じゃないかな。むしろ十分すぎる。

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 シャワーは建物にふたつと外に移動式がいくつか。移動式に気づかず建物内のを使った。これは正解で、寒さに震えること無くシャワー&着替えができた。逆に建物内のものに気づかず、寒い外でシャワーを待つ人たちもいたようだ。仮眠所は体育館(だと思われる)で、マットだけ並べられている。そこに持参した寝袋を置くという形だ。スタッフの人に2時半に起こしてくれるよう頼む。起きないようなら蹴って、と。こういうときに緊張と疲れから眠れないということがあってそれが不安だったが、耳栓のおかげもあってかすぐにね つくことg で   k tあ
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PAP1200 はじまりのこと

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 話は5年前に戻る。2009年の夏。場所はカルフォルニア州デイビス。Gold Rush Randonnee 1200kmの終了後のランチパーティ。僕はその前年にブルベを始めて、この年には一通りのカテゴリを完走することができた。だから「これで足を洗えるな」と安堵していた。1000kmとか1200kmとか、そういうライドは一生に一度とかそういう挑戦だ。普通、そう考えるんじゃないかな? 自転車ばっかり乗ってられない。
 よく晴れた日で、テラスにいた誰もの表情もまた晴れやかだった。解放感にすっきりとした気分で座っていると、たしか姉御っぽい感じだったからオードリーだったと思うが、話しかけてきた。
「ところでJunよ、次の1200は何を走るんだい?」
 それは衝撃だった。次の1200km? 1200ってそうそう走るものなのか? 1200kmは行き着く先だと思ったら違ったらしいということに気づいてしまった。ここが入り口の扉だったのか。とんでもないところに辿り着いてしまったのかもしれない。
 特にそんなこと考えていないと告げると、彼女は話を継いだ。私はPerth-Albany-Perth(PAP)へ出るんだ、と。オーストラリアの彼方で行われるロングライド。

 それからというもの具体的なことは考えていなかったけれども、その単語だけは頭のどこかにひっかかっていた。ピー、エー、ピーせんにひゃく。そして2013年にオーストラリアのSydney-Melborne Alpine1200を失敗した後のパーティで渡されたチラシが、僕にそれを具体化させるチャンスを与えた。それはPAP1200の開催を案内するチラシで「ぜひ来てね!」とスタッフの方々が勧誘してまわっていたのだ。
 だから、カスケイドなんかも一緒にはしったアメリカ人の友人、マシュー君が「今年は何か長距離走るの?」と聞いて来たときに「PAPはどうかな?」と返信した。彼自身からもPAPの単語を聞いたことがあった気がしていたからだ。もちろん「それやってみよう」ということになった。ふたりでホテルの部屋をシェアすることにして飛行機の到着日時なんかを打ち合わせているうちに、マシュー君は暴走車にはねられてこの世を去る。

 そんなわけで、しばらく放置していたのだけど、そろそろちゃんと考えなきゃと航空券の手配などをすませたのは出発までひと月ほど前。コースデータを作ったりしながら伊勢1000kmを走る。PAPの二週間前にわざわざ1000kmブルベを走ったのは、三日以上連続して走るという感覚を取り戻すため。600kmなどの二日間に渡るライドと、それ以上のライドとの一番大きな差、というかポイントは距離の数字ではなくって、何日かかるか、だと思っている。明日で終わる、と明日でも終わらない、というのは気分的にはかなり違ってくる。僕はメンタルに左右されるので、気分のアップダウンはそのまま走力のポテンシャルに関わってくる。中だるみが酷くなるということだ。
 メンタルどころか、フィジカルなスペックでもあまり自慢できない自分だけに、伊勢1000での後遺症はいくらか不安の種となった。風邪をひいて少し寝込むわ、足首を痛めるわ、手の痺れは取れないわ、など。

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 そのころになって、ようやく主催者から参加者への「PAPのしおり」がダウンロード配布される。詳細なルートの説明やコントロールごとに提供されるサービスについて、ドロップバッグや様々な注意喚起がなされているもの。野生動物にたいする警告は去年のカンガルー、ウォンバットの死体ごろごろや、無数の蠅、動物に激突して一晩救出を待っていた話などを思い出させ、トレーラートラックについての記述ではマシュー君の死を思い出させて気分が落ち込む。行きたくないとさえ。
 一方で、去年、辛かった補給についてはこのコースでは平均70~80kmほどごとにPCがあることを思えばそう不安になる必要は無さそうだ。気温も、最低10度以下(実際には5度くらいまで下がった)、最高25度くらいに収まりそう。季節的には雨は降らないわけでは無さそうだが、地中海性気候というのであがれば乾きやすいはず。もっとも乾燥した気候というのは慣れてないのでこれはこれですぐに肌寒くなったりして難しいのだけど。

 自転車の入ったスーツケースを空港へ宅配で送り、自分はバスで。飛行機はシンガポール航空なので乗り換えは当然シンガポール。成田からのパース直行便はすでに無くなってしまっていて、こんなところでも日本のプレゼンス低下を感じさせる。それはさておき、羽田の国際線ターミナルは妙に立派ね。10年くらい前は田舎の役所みたいな建物だったと思うんだけど。

 うんざりする長距離フライトに耐えてパースへ。意外と美しい都市だ。世界でもっとも美しい都市のひとつに数えられているらしい。そしてもっとも孤立した都市とも。

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 宿泊先はペニンシュラ・リバーサイド・アパートメント。ホテルというよりは、なんというんだろう、ウィークリーマンション? とホテルの間みたいな感じ。受付などは夜間は閉まってしまう。チェックインなどそしていると、この宿を紹介してくれたアメリカのブルベ団体(RUSA)の人たちと会う。たどたどしく挨拶してスーパーへ行き、食料などを購入。しかしオーストラリアの物価は高い……。スーパーの入り口に自転車ジャージをきている人たちがいたので「そのジャージ、PBPですよね? PAP走る人たちですか?」と聞いてみると、そうだ、とのこと。そしてこの後に近くのバーで参加者が集うらしいので行ってみることに。

 なんかパーティみたいなのがあるかと思ったら、ただ集まって適当に酒を飲んでくっちゃべるだけの集まり。始まりも終わりも特に無い。欧米クオリティ。ちなみにこの前前夜パーティに始まって、受付時ランチ、ゴール時パーティ、ゴール翌日朝食会、がオフィシャルから呼びかけられてたけど、受付・ゴールはテキトーに来てテキトーに解散だし、前前夜と朝食会は店の予約も無く、やっぱりテキトーに集まってテキトーに終わる。朝食会なんか、集合場所のお店が混んでるから隣の店になったし。
 さて、この立ち飲みバーでは、いろんな人から「どこから来たんだ」「がんばろうな」みたいな話をされる。特に英語ができるわけでもないので、かなり辛いw そのうち日本人の参加者そろって晩飯を食おうということに。

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 翌日はお昼前から車検。けっこう強い雨が降ったりする不安定な天気でずぶぬれになるが、空気は乾燥しているのでさっくり乾いた。車検では日本とほぼ同じチェックをされるだけなのだけど、オダックス・オーストラリアでは後方に反射板をつけること、テールライトとフロントライトは二個というルールがある。普段からそういう装備なので問題無し。届け先(今回は一晩めと三晩目の仮眠所はそれぞれ二カ所から選ぶことが出来る)を指定したドロップバッグを預けうろうろする。バーベキュースタイルでサンドウィッチが配られたりしながらしばし時間を過ごしたり、オダックス・オーストラリアの人たちとカフェに行ったりしながらその日を過ごした。

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 そして当日の朝を迎える。
 午前5時のスタートにむけてホテルを出る。気温は13度ほどだったか。肌寒い。
 すでに多くの参加者が川辺の公園に集まっていた。高揚感とも不安とも着かない感情が胸につっかえるようだ。オーストラリア国旗が掲げられている。脚立の上に主催者が立ち、ちょっとしたブリーフィング。ほんとうにちょっとしたもので「気をつけて行ってね! けがしないでね!」くらいのもの。そして闇の中、カウントダウンを待って100余名のランドヌールたちは走り始めた。