まずはじめにスタート地点であり、当然ゴール地点でもある小淵沢について触れておきたい。もう少し正確に書くと、小淵沢の駅と、その周辺の事情についてである。というのも、ここはまったくの小集落であり「駅前だから栄えているだろう」というような期待はまったくできない場所だからだ。まず、駅前には取り立てて述べるようなものは何もない。コンビニなどを期待してはいけない。夜中ともなれば、スナックが一件、営業しているかどうかの静かな場所となる。もしスタート前に何か必要なものをコンビニで入手したければ、高速道路のインターチェンジに向かって進むと坂を登ったところに2件ほど存在する。なお、インターチェンジ付近にも特筆すべきものは何も無いようだった。
前泊、後泊のための宿泊施設は極めて少ない。
旅籠屋が至近にあるようだが、深夜のチェックインには対応していない。ビジネスホテルは塩尻か甲府の方へ出ないと無いと思っていい。唯一の救いは、インターチェンジの方へ登ったさらに先にある「道の駅小淵沢」である。ここには休憩部屋のある温泉施設が併設されており、10:00~24:00まで営業しているのである。
ということで、夕方くらいに到着し夕食と休憩を数時間とって風呂に入って着替え、12時のスタートへ移動するという考えで金曜日を迎えた。そして、結局眠ることはできなかった・・・。以前に健康ランドで仮眠を取ろうとしてことごとく失敗していたのを、むざむざと繰り返してしまった。睡眠導入剤まで利用したものの、ざわざわとした休憩室の雰囲気とノイズで目をつむり続けるだけで精一杯。ちょっと諦めて、先に夕ごはんを食堂でとることにした。メニューはヒレカツ定食。ヒレで勝つという縁起物。
その後、もう一度休憩室に戻るもテレビの音もうるさくどうにもならない。もう高校野球と雨災害の話題は十分だよ・・・。って、今、天気予報で何て言った? 明日も雨? 明後日も不順? おかしいな、昨日までの天気予報では週末はぎりぎり持ちそうだったのに。ああ、どうなるんだこれ。別に走らなくてもいいんじゃないか? 高原で涼んで帰ろうよ。しっかし、テレビの音うるさいなあ・・・。
結局、一睡もできないまま起き上がり、お風呂を浴びて着替えざるをえなくなってしまった。なんという失態。しかたがないので、ずっと目をつむって体を横たえていたストレスフルな経験を「寝てた」という捏造の記憶へ書き換える努力をする。
そうだ、あれはよく寝たよな。ちょっと眠りが浅いだけで、俺はよく寝たんだ・・・。
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小淵沢駅の夜は早い。駅の脇のスナックからアナ雪の歌声が聞こえてくる意外はどこまでも静かだ。少し早くついてしまったので駅舎のベンチで座り目を瞑る。うーん、こっちのほうが良く眠れそうだ。といっても深夜も通過列車があったり特別列車があるようだった。
さて、自転車を時計の下に立てかけ、シャッターを切る。うとうとしていて少し時間が過ぎてしまっていた。まあ、54時間の制限時間からすれば微々たるもの。さあ、行きますか。
小淵沢駅から甲州街道までは下り基調。その後は富士見峠までゆるゆると登るがほとんど負担は無い。ここを走ったのは、もう5年くらい前の糸魚川ファストラン以来だろうか。走行する時間帯はまったく違ってしまっているが、道の流れや雰囲気に少し懐かしい思いが蘇ってくる。そういうノスタルジックな思いで、不安な心を少しでも慰安しようとしているのに視界の左上のほうに不穏なものがチラホラしている。
チラホラというか、チカチカ。
遠雷。
山陰が浮き上がるように遠くの稲妻が夜空の雲を白く輝かせているのだ。
げんなり・・・。
諏訪湖の手前、茅野から道を左に折れて登りに入る。その直前にコンビニがあるので水とミニあんぱんを購入。水はボトルに詰めて、ミニあんぱんはハンドルに取り付けた小さな筒型バッグに収める。これから秋葉街道の行程を記していくのだけど、その前に補給食や水について記しておきたいと思う。
まず、水はロングボトル一本と、背嚢に搭載したハイドレーションバッグに入れることにしていた。この季節に背嚢は暑いだけという意見もあるけど、そこを氷を詰めたハイドレーションバッグによって強制冷却システムとなし、欠点を逆手に取っていこうという作戦である。でもまあ、この時間は暑いどころか肌寒いので予備であるはずのボトルに水を入れた。というか、結果から先に言ってしまうと、ハイドレーションバッグに水は一滴も入ることはなかった。ただのデッドウェイトで終わったのである。
補給食については羊羹やエナジージェルなどを約1000kcal分ほど自転車と背嚢に積み込んでいた。背嚢というのはモンベルのトレラン用のもので、容量は7lとされている。自転車用でもっと大容量のものはいくつもあるが、大きなバッグは「せっかく入るのなら、もっと入れよう!」という気持ちになってしまうので良くない。このくらいがちょうどいいのだ。
杖突峠へ向かう街灯も無い道を静かに登っていく。静か・・・・・・なようでいて、静かではない。というか、ガサガサッと所々から音がする。コワイ! 稀にトラックなどが行き過ぎると「暗闇の中にいるやつらめ! ここは文明の支配領域だぞ」と心強くなるほどだ。
稀に小動物が横切る。これが熊だったらどうしようとか考える。熊に出会った時は一目散に逃げてはダメだそうだ。ゆっくりと対峙したまま後ずさり、距離を取れという。すぐ振り返って逃げようとすると熊はとんでもない速さでたちまち追い付くとらしい。でも自転車で、しかも登りだぞ? どうやって後ずさるんだ? うーん。時々気まぐれに「チンチン」とベルを鳴らしてみるが、藪の中の物音はかえって増えたりする。むしろ「ウォー!」「くんなー!」とか怒鳴ったほうが効果があるようだ。もっとも、その物音をたてていた者達の正体はわからない。小動物か、鹿か、クマか、それとも深淵から来たるものたちか。
杖突峠も十分な峠である。もう、十分な気がするほど。怖さは十二分だ。真っ暗な中、ゴルフ場の入り口で自転車を道路に倒して防寒のためにゴアジャケットを着こむことにする。灯りは無い。甲高い謎の鳴き声がする。鹿だと思いたい。黙れ黙れと怒鳴る。相変わらず、空は稲光でフラッシュしている。雨は降るのか。いつ降るのか。もうやめたい。やめればいいんだ。でも、戻って富士見峠を反対側から登り返すのは嫌だなあ。
高遠の街の入口で雨がやむ。ゴアジャケットを脱いでしまう。天候が不安定だと、このレインウェアを着る・脱ぐ、の繰り返しが時間を食う。しかもどんどん臭くなるし。濡れたまま耐える、というのも手だ。けれども長丁場にあってもし回復不能なほどに体を冷やしてしまうことになってはどうしようもない。雨中のライドは本当に嫌なものだけど、レインウェアをしっかりすればストレスはかなり軽減されるし、継続不能に陥る可能性を減らすことにつながる。
そういえば、高遠の手前の下り坂にやけにリアルな警官のカカシがあった。交通警告の一種だと思うけど。あれはカカシだったよな。たぶん、人間ではなかった。人間のように見えたが、いや、違う。あれは人形だった。
さて、この調子で書いているといつまでたっても終わらない気がしてきた。まだ始まったばかりだけど端折っていくことにする。
次の峠は分杭峠。PC1に指定されている。これもやっぱり暗い。もう真っ暗。現代生活において、真の暗さというのはなかなか触れることはない。もし、ここでダイナモかライトが壊れたら進退窮まる。一歩も踏み出すこともできない。まぶたが開いているかどうかもわからない。そういう類の闇だ。
でも、確実に何かが居る気配がある。何かがうごめく音もする。
泣きたい。
戻りたいけど、もうここまで来ちゃったしというコンコルドの誤謬状態。
その悲惨な状況は大鹿の集落へ向かう間にようやく改善を迎えようとしていた。
朝が来たのだ。

長いダウンヒルを終えて大鹿の集落に入った。朝焼けを見ながら、観光案内所らしき建物のトイレを使わせていただく。ここは綺麗で、ウォシュレットもあるのでもしものビバークにも使えそうだが、まだこの時点でそのような緊急事態になることはないだろう。あ、でも蚊がいた。
ここで空を見上げると朝焼けが美しい。けれども、美しく赤く染まった朝焼けって、天候悪化を意味していると聞いたことがある。まあいい。飯田あたりで判断すればいいことだ。
しらびそ高原への上りは、さきほどの分杭峠への道に比べればずいぶんと緩い。緩いが長い。雨は弱いが降ったりやんだり。車は滅多に通らない。そのせいか落石と落ち葉や落ち枝が散乱していてちょっと気を使う。
そして、なによりも1900m弱もある秘境の峠道なのだ。高山までの前半戦での最高箇所。これを登りきれば、この一日ではこれより高い山は無い。
もっとも、明日は二つもある。2700mの乗鞍と2000mの大河原峠。そう思えば、やっぱり高山までで終えてもいい気がする。もう無理だよ、という心の声が聞こえる。天気予報的にはこれからずっと雨だ。飯田はお昼からずっと、下呂、高山は夕方から雨。峠を繰り返すSR600で雨はきっつい。それだったら、飯田で輪行するのが一番安全楽チンだし、ずっと楽しみにしていた秋葉街道を旅することができたということでいいじゃないか。たしかに高山に着替えを送ってしまっているホテルのキャンセルなどをするのも面倒だが。
なんとかしらびそ高原に登りきり、標高1900m弱の展望所から外界を見下ろす。この労苦、艱難辛苦、それに見合う・・・

何も見えねーよ!
これじゃ標高0メートルでも同じだ。登った甲斐もなし。とぼとぼと進むと、しらびそハイランドという宿泊施設がある。日中はレストランなども開いていて、補給困難区間におけるエイドポイントになっている。しかし、まだ時間は朝早く、とても開いているとは思えない。まだ背嚢にアンドーナツが入っているはずだから、それを食べてしのごう。雨も強まってきたから、レインパンツやシューズカバーも。
次は日本三大秘境のひとつとして知られる下栗の里なのだが、そこまでの下りは全コース中でもっとも気をつけ無くてはならないレベル。落石と落ち葉が道を埋めているだけではなく、斜度がかなり急でコーナーはキツイ。これではちょっと気を抜いただけでガードレールに突っ込んでしまうというのもわかる。しかも雨だし。
だが、天は見放してはいなかった。下栗の里がチラホラ見えてくると、雨はあがり霧は晴れて、わずかながら青空も見えるではないか。これが積み重ねたカルマの力なのか。ああ、下栗の里は本当にあったんだ。

下栗の里からの件もしばらく険しい。やがて幹線道路と合流したところで、もういいだろうとレインウェアを脱いだ。万国旗を掲げてお祭りの準備をしている町を抜け、コースの進路は南下をやめる。天竜川付近のいくつかの小さなアップダウンをこなし阿南町役場前へ着。水が無くなっていたので、役場の向かいの農協にあった自販機でコーラと水を買おうとするが、大きな札と200円しかなく、コーラは断念。そろそろ昼食にしないとマズイのだが、飯田までそう遠くはないのでそこまで行くことにする。飯田の駅前には何かしら食うところがあるはずだ。
さて、杖突峠の登り口から、阿南町役場をこえてしばらく行ったところまでコンビニは一件も無い。集落の小さな商店か、観光案内所みたいな施設でしか補給はできないと思っておいた方がいい。日中なら何とかなりそうだけど、夜間だったり早朝だったりすると、まったく何も手に入らない。そして結局、その区間を無補給で走ることになってしまった。そしてふと気づく。もしかして、天候が微妙なせいで助かっているのではないかと。気温が低く抑えられていて、太陽もほとんど顔を出してこないので、水があまり減らない(コレはもっと飲むべきだった)。背嚢を背負っていても、放熱に困ることもない。飯田に近づくにつれ、天気が好転し気温も30度を超えるようになってきたものの、ここまでの200kmを12時間くらいで走ってこれているのは、想定外のペースだ。これは(高山までなら)イける?
飯田駅で座って食べようと思ったものの、ファストフードやファミレスなど気軽に入れる店がない。ラーメン屋とか焼肉屋くらいしかないようだ。ちゃんと調べておけばよかったな、とうろうろする。検索すると、飯田駅の先に「まいてい」というファミレスっぽいお店があるらしい。しかも向かいがコンビニなので、食べてから冷たい水や氷などを補充できる。さっそく電話して営業していることを確認し、お店へ向かう。
「まいてい」はいわゆるファミレスではなかったが、気軽に入れるこじゃれなレストラン。メインの一品を選ぶと、あとはなんと「バイキング方式」。なんというありがたさ。ソフトドリンクも飲み放題。ガブガブ飲んで、ガツガツ食った。うまいうまいありがたい。
結局、飯田駅では1時間ほど費やしてしまった。ちょっとペースが上がると調子に乗って無駄なことをし始めるのはよくないな。そういえば、このあたりはずっと雨だったはずなのに問題ないぞ。日頃の行いで積んだ功徳というのは、試練に直面したときに効果を発揮するものなのだな。
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次回予告「活気あふれる下呂の街とは何だったのか。暗闇の峠を登りながら思う。野生動物の襲来。深夜の山岳音楽フェス。誰からも忘れ去られた山上の宿場町。謎が謎を呼ぶSR600、前半戦が終了する」