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【落武者魂】 2012年11月
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落武者魂

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熱風台湾 TPT1000km 人情に見守られて淡き水の町へ

 台湾ルディアック、林鳳営の蓮花世界を後にする。予定より数時間早いが、ただ単に睡眠時間をとっていないだけ。眠くなったら寝る、あるいは日中の一番暑い盛りには涼むという方針で行く事にした。蓮花世界から数キロの範囲に数件のモーテルがあったようなので、シャワーを浴びて着替えたら、さっさとそっちへ移動して寝ればよかったのかもしれないと、後知恵ながら思う。さて、少し先に蓮花世界をでた参加者の自転車がすごい。JEEPのロゴの入った超重量級のMTBルック車。ママチャリ用のカゴなんかをつけてしかも、ジーンズを履いている。ペダルもストック状態のままだろう。いくら平坦ブルベとはいえ……でも、サスペンションなんかもあるし、意外といいかも。ストップ&ゴーだけはつらそうだけど、ダッシュしなければならないわけじゃないからな。


※蓮花世界の朝。温浴とか書いてある幟もあったんだけど、いったい何の施設なんだこれは。写真撮影場所左手はバイクショップです。24時間開けていてくれて、装備を購入できました。整備もしてくれたかも。


※ご飯と麺。カレーと肉スープが用意されていて、自由に組み合わせて食べます。これが意外にも超おいしい。5杯も食った。いちおうパンもあった。


※蓮の庭園。菩薩が見つめるものは何か。つうか、ここなんの施設なんだよ?


※出かけに見つけた張り紙。GRR1200の最後の方のPCで、シャワールームへ向けて「浴室」って書いてある手書きの張り紙があったのを思い出す。ちなみにそのときの日本人参加者は僕だけ。



 季節風によって強烈な向かい風になるはずが、そうでもない。危惧されていた雨もなさそうだ。どうもこの1000kmが開催されていた三日間、例年よりやたら気温は高いし、風は吹かないしで、ちょっとした異常気象だったようだ。ちなみに、このブルベが終わった日から気温はぐっと10度近く下がり、風がぶんぶん吹き始めた。



 正午が近づくにつれて気温がぐんぐん上昇していく。
 ぽたぽたと汗を落としながら、台南の都市圏へ入っていく。前方にマクドナルドが見えたので昼飯がてら少し休もうかと話していると、対向車線で参加者の一団が大きく手を振って僕等を呼ぶ。こんなところがPCじゃないだろうし、シークレットPCでも無さそうだ。暑いから少しでも先に進みたいが、あそこまで満面の笑みで呼ばれたのでは是非もない。



 行ってみれば、ここはアイスクリームの超有名店だから寄ってけ、とのこと。暑いところだったし、ちょうどいいかと入ってみれば、一個おごってくれる始末。なんというありがたさ。アイスクリームはさっぱりとしたミルク味で、その上にあずきが載っている。実においしい。他の参加者は僕らにアイスを渡すと、すぐに出発してしまったのだけど、僕らはクーラーのあるこのお店でしばらく休んでいた。



 台南の都市圏を抜ける。排ガスと混雑から脱出できてホッとするが、今度は日差しを遮るものの無い幹線道路。灼熱に耐えながら走っていると、それなりにしっかりしたモーテルを見つけたので吸い込まれるようにそこに入った。1時間ぐっすり眠って再出発。あの最悪な彰化の街区に突入だ。




※これはお葬式らしい。この道路へのはみ出しようを見よ。つうか全部公道上だし。そんなことに目くじら立て無いおおらかさ。だってお互い様だもの。


※暑い!

 手のひらの水ぶくれをつぶさぬように、内腿がすりむけないように。右足の裏からおしりまで神経がピリッピリッと刺激されるようになってきた。かなりストレスフル。彰化の町中のPCで冷やし中華を食すけど、これはハズレ。悪夢のような彰化の街路に戻り、交通の渦に巻き込まれながら少し進むと、マクドナルドがあったので再度休憩。妻はずいぶん機嫌が悪い。対抗して僕も機嫌を悪くしておく。



 このマクドナルドは、デパートの地下にあるフードコートにあったのだけど、もう少し先に行けば普通のマクドナルドの店舗があった。デパートでの自転車の置き場所でもめたので、ここでももう少し進めばよかったともめる。つうか、マクドナルドって何よ、油っぽくてそんな食えるもんじゃないでしょともめる。じゃあ回転寿司にすればよかったじゃんよ、ともめる。ちょうどマクドナルドを出たところで通過していった台湾参加者の一団に追いつきながらもめる。



 ここでこの参加者たちに混ざったことは幸いだった。行きはスクーターの流れに乗ってなんとかクリアした迷路のようなルートだが、帰路のほうが複雑。Uターンなども駆使しないと先へは進めない難しいルーティング。街を抜けたところで彼らはコンビニ休憩を取りに行ったので、ふたたびタンデム二人旅になった。さて、そろそろゴールタイムをどうするか考えないとならないな。このまま行けば、まだ暗いうちに到着してしまう。それはそれでいいし、ホテルも24時間チェックインできるように話してあるので問題ない。ただ、朝になればゴールとホテルのある淡水の間を結ぶフェリーが営業を開始するので、移動は随分と楽になる。それに明るくなってからのゴールのほうがめでたさもあるし。前に走ったオールドタウン1000kmのように、スタッフが僕一人を待っているわけでもないから、眠くなったら眠って時間調整してもよいだろう。



 道は海岸沿いへ戻ってきた。
 ちょっと眠くなってきたので、行きでPC2となっていたコンビニへ突入して仮眠。行きでは轟々とトラックが行き交った幹線道路も、今は静まっている。目を覚ますと、Mさんが台湾の若者を引き連れて到着したところだった。やはりここで休むのだろう。僕ももう一眠り。



 このコンビニから少し先で道に迷う。高速道路の入り口なんかがあって、混乱したのだ。
 なんとか正規ルートを見つけ出して北上を開始。しばらく走ると、やっぱり眠いという話になった。けれど、まだ次のPCまでは30kmほどある。そしてこの高速道路の側道にはちっともコンビニやそういった施設はない(そういえば台湾でいわゆるファミレスってみかけなかったなあ)。どうしたものかと信号待ちをしていると、コースから外れた少し先にセブンイレブンがあるじゃないか。よし、そこの脇で寝転がろうよ。

 自転車を立てかけて、とりあえず寝ようと店の横に寝転がる。
 しばらく目を閉じていると、人の気配。目を開けると店員さんが僕らの傍らに来ていた。こんなところで眠るなということかと思ったが、起きなくていいと手で制された。そして脇に抱えていたダンボールを裂いて地面にしいてくれる。なんという親切。ありがとう、ありがとうと言うが、気にするなというゼスチャー(だと思う)。さらにそこで寝ていたら、スタッフジャケットまで持ってきてくれて、僕らにかけてくれた。こんな浮浪者の行き倒れのような僕等に、コース上にあるわけでもないコンビニの店員さんがかけてくれた情け。ありがとうという言葉しか無いのが、申し訳ない。


※マット代わりに用意してくれた段ボールと、布団代わりのジャケット。ほとんどホームレスみないなもんなのに、こんなにやさしい。どうやってこの恩に報いよう。


※このナイスガイに感謝。


 ここから次のPC、最後のPCまでは、このありがたみを何度も咀嚼して走った。どこかで休憩していたI氏とT氏と一緒に最終PC。空が白むころに出発。前半は高速道路の側道で、陸橋に登ったり登らなかったりでミスコースを繰り返したりしながら桃園、観音、それから出勤ラッシュの逆走車をかわしながら八里。最後の最後でふたたび市街地に入る。そのさきにある博物館の前に設置されたブースでゴール。受付を済ませると、シールをもらうことができた。いつも通り訪れるすばらしい解放感。もう走らなくていいという、この快感。これを味わうために走ってきたんだなあ。


※逆走車ジェットストリームアタック! 車さえ逆走してくる!

 今回の1000kmのコースは、台湾の知人さえ「コースに魅力がない」と言われちゃうようなルート設定。たしかに風光明媚で爽やかサイクリングというわけではなかったけど、市井の人々の生活や、その信仰のあり方などの真ん中を抜けていくルートであった。特に南部の方のごちゃごちゃとしたいかにもアジア的な活気のある街や、無数の祠などはどこまでが土着で、どこからが近代化されたものかよくわからない混沌としたものを感じることができた。


※コンビニのレシートが多すぎてチェックが大変そう……。

 交通状況は最悪に近かったけど、長大なホイールベースを持つタンデムを振り回して問題なく走り切ることができたのだから、その程度のものだ。時折、トラックのドライバーや、スクーターの人から「加油!」と声援も受けることがあった。すばらしい景色を楽しむことはできなかったけども、すばらしい人々の心に触れることはできたと思う。


※フェリーで淡水の町へ帰る。終わった……。もう走らなくていいんだ。

 来年3月には東海岸も利用した1200kmブルベを開催するそうだ。
 一部交通状況に難があるというが、それでも台湾の東海岸は素晴らしい景色として有名なところ。今年だけで二回も台湾のブルベを走ってしまったので、僕らはその1200kmに行く事はないと思うけど、東海岸にはいつか訪れたいと思っている。気楽なサイクリングか鉄道旅で十分だけどね。

おわり
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熱風台湾 TPT1000km フォルモサの道尽きる南海へ

 蓮花世界をでて小さな街の路地を抜けると、やがて道は上りになる。小さな丘を越えるだけだったけど、これまでになかったことだ。まだあたりは暗い。夜明けまでは数時間もある。眠れなかったという事実が心を苛立たせて、うさばらしに妻にあたり散らす。ここからつぎのPC、チェックポイントまでは約70kmほど。その間に300メートルほどの山を2つ越える。たいした斜度の坂はないらしいけど。

 ひとつめの山へアップダウンを繰り返しながら登っていく。
 道は二車線が確保されているけど、街灯は無いに等しいので下りにはちょっと注意しないとならない。ところどころに祠や寺院があって、どれも赤い照明がされている。話は飛ぶけども、民家やその他の建物でも赤いランプを灯した部屋をちょくちょく見ることがあった。はじめは「ムードを出すための照明なのではないか」と話し合っていたが、そういういかがわしい商売をしているようには思えない。またどれもこれもそんなにムードを出していてはたまらないのではないか。そんな話をしていると、横に長い建物の二階がすべて赤い照明になっているという光景を見た。
 アパートメントかなにかわからないけど、ワンフロアまるごと「気分を盛り上げてる」ということもないだろう。
 
 ランプが赤いのではなく、窓ガラスに赤いフィルムが貼ってある説などしばらく議論していたけど、結論は出ない。そんなとき、ふと思った。これは祠や寺院の照明によく似ている。台湾の道にはあちこちに、特に南部の方にはやたらめったらと祠や寺院があるのだけど、これが赤い照明で照らされている。もしかすると、これと同じような理由ではないだろうか。建物の中に仏壇か祭壇があって、それを照らす赤い照明なのでは。
 帰国後、聞いてみるとやはりそうであった。
 祖先を祀るための祭壇のある部屋らしい。
 なんで赤い照明なのかは聞かなかった。

 それにしても中国の人は赤という色が好きなようだ。
 もし、共産主義の色が赤でなければ、大陸はまだ国民党のものだったかもしれない。



 ひとつめの山を越えた。下って平坦な場所へ。対向車線側にコンビニがあってランドナーたちが休憩しているようだ。僕らも休みたかったけど、なんとなく通り過ぎてしまった。小さな街にある交差点で左折するところにセブンイレブンを見つけたので、ここで休憩することにした。食事をし、しばらくイートインのスペースで突っ伏す。こちらのコンビニは基本的にイートインのスペースが用意されているので助かる。また、そこで寝ていても床で寝ていても、なにか言われるようなことはない。疲労困憊している人が、休んでいるのだからしょうがないよねって感じだ。こういう台湾の人の優しい目には、終盤にさらに驚かされることになる。

 しかし、台湾のコンビニはクーラーが効き過ぎていて寒い。蓮花世界の仮眠所もクーラーこそなかったけど、扇風機が起こす風が当たり続けて少々辛かった。そのせいで風邪っぽくなっていたので、イートインスペースも諦めて外へ出た。もう夜が明け始めていたのだけど、交差点の向かいのちっぽけな公園に行ってベンチで寝る。さっきまでは他の参加者が寝ていたのだけど、すでに走り出したいった。小一時間ほど目を瞑る。



 眠れたのか眠れなかったのかよくわからない感じで次の山へ向かう。こっちのほうがちょっと高い。台湾の参加者に4km登って4km下るよ、と聞く。とぼとぼと登る。この山、もっかい登るんだよな……。実にこのセクションだけで1000メートル近く登る。ここだけ100km1000m基準を越えるほど。やっぱり僕にとっては上りより平坦の方がいい。



 この日初めてのPCは山奥の観光地のようだった。観光地といっても、僕らには何が観光地なのかわからない。後日調べてみたところ、ここは甲仙という場所でタロイモの産地として有名なのだそうだ。また、数年まえには大地震や大水害などに相次いで襲われた地域とも。途中にあった自転車が壊れそうなほど路面のひどい工事区間や、穴やヒビだらけの道路は、そういうことの名残なのかもしれない。
 それにしても、タロイモの産地というだけでこんな山奥に街が栄えるかなあという感じだが。



 PCをすぎるとさらに道は下る。ここでようやく400kmくらい。はじまってから22〜23時間ほどが経過した。途中での休憩というか仮眠を考えれば、悪くないペースだ。いくつかのトンネルを抜けると、景色は熱帯を思わせるものへと変化していく。トンネルを抜けると、そこはジャングルだったという感じだ。緑の色が濃い。



 街もさらに猥雑な印象を受けるようなものになってきた。交通マナーもさらに悪化して、信号無視も日常茶飯事。でも、誰もが「みんなで渡れば怖くない」的に行動するのではなく、一方で信号を守らない奴が目の前にいても、超然と信号を待ち、のたのたと表現できるほどゆっくり走る車やスクーターも一方にいる。だんだんと気温が上がってきて、交通も混雑してくると排ガスがきつく感じられるようになる。できれば500km地点のPCへ早くたどり着いて、一番暑い最中を居眠りして過ごしたい。具体的には午後1〜3時のあいだの一時間くらいは寝ていたい。



 そうは思っても、危険を感じる気温に休みをとっているうちに時間が経っていく。最悪なことに、もっとも暑い時間が近づくにつれ、休む場所も日陰も少ない道路になってしまった。路肩ではパラソルをさして何かを売っている屋台? が多数でているけど、何を売っているのかわからない。そろそろ水が心もとない。その屋台で水が売っていないものかと見ているけど、どうもおみやげの謎の産品のみのようだ。


※菱角ってなにかと思っていた。ピーナッツみたいな豆のようだ。

 本当に水がない。
 500kmまで20kmほどのところにあったおみやげセンターへ駆け込む。観光バスが何台も連なっている駐車場に割り込み、妻に水を買わせに行く。しかしよりによって午後2時とは。本当に一番暑い時間を走ることになってしまった。



 500km地点は観光センターの一部を間借りしてチェックポイントが設けられていた。どこか寝る場所は無いかと聞いてみると、そのへんの階段の踊り場で寝て、とのこと。ここは台湾ルディアックと同じようにrest stopと表現されていたので、仮眠所があると思っていた僕らは超がっかり。しかたなく踊り場で眠るが、風が吹き込んできてしっかり眠れない。ここには1時間ほど滞在して、トイレに行き歯を磨いて出発した。ちなみに、この日から雨具の代わりに携帯電動ウォッシュレットを積み込んで走っている。清潔ブルベだ。
 さらに、もともとアソスのシャーミークリームを新品まるごと積載している。クリーム使い放題でお知り守り放題。と言いたいところだけど、内股がすれてしまっていて少し危険を感じている。妻もそうだという。とにかく、皮膚が破れないようにしろと告げる。すりむき続けて、皮膚が破れてしまうともうどうしようもない。さらに僕の両手の平には水ぶくれができていた。フラットすぎて手に体重がかかり続けすぎてしまったからだろうか。それとも、タンデムを押さえ込むためにハンドルを強く握っていたからだろうか。いずれにしろ、これも破れないようにうまく付き合わないと。皮膚が保たれていれば、痛みはそれほど強くはならないはずだ。

 暗くなった頃、コースの最南端へ到着。台湾の参加者に「君たちはすごく強いね。特に奥さんはよくやっているよ」と褒められる。ありがとうございます。僕らは褒められて伸びる子です。


※なんだかわからない。子供が踊っていた。他にも道路上で葬式のテントを出していたり、道路上に結婚式らしきテントが貼られていたり。使用許可なんか出してないだろうけど「お互い様」なのだ。たぶん。

 帰宅ラッシュの交通混雑激しい幹線道路を戻る。ついに「戻る」のだ。屏東を抜けて高雄を目指すのだ。陽が落ちてしまえば気温は下がる。時刻も更ければ交通量も減り、空気も少しは澄んでくる。休憩時間のわりにはほとんど眠れていないから気持ちは盛り上がってこないけど、600kmに到達すれば時間制限もゆるくなる。まずはそこまで、そこまで引っ張ろう。でも、このころから妻は喉が痛くて声が出ないと言い出す。風邪と排ガスで喉がやられたのだろう。

 屏東の街は、これまでに輪をかけてほんとうに交通状態がひどい。そんなときにマクドナルドの看板をみつけたので入ることにする。晩飯というわけだ。ここは少しコースを行き過ぎたところにあるのだけど、さっき僕等を褒めてくれた人が来ていた。彼の奥さんとお父さんらしき人もいて、僕にこれが僕のワイフだと紹介してくれた。妻と僕が一緒にいたときにも、もう一度紹介しにきてくれたのだけど、ちょうどそのときは僕と妻がオーダーの件でもめていて、ちゃんと応対できなかった。申し訳ないことをした。


※どっかの街のハズレ。本当にやばいところは写真なんかとってらんない。

 とにかくこの屏東の街はひどかった。週末の夜だからか、無軌道な若者系のスクーターも乱舞していてもう無茶苦茶。そんな喧騒も次のPCへたどり着く頃には収まっていて、すでに食事も撮っていた僕らは先を急ぐ。ここから再び内陸のルートへ戻っていくのだ。上りに弱い僕等としては、少しでも先へ進んでおきたい。眠気と疲労が本格的に顕在化する前にだ。

 ゆるやかな登りが続いていく。行きはあんなにのどかで寝転んでいるだけだった犬が、凶暴化している。半分くらいはただ吠えているだけなのだけど、追いかけてくる奴も現れた。そのほとんどは「とりあえず仕事してるよ」ていどのやる気しか見せないのだけど、数回は本気でおっかけられた。本当にやばそうなときには、思い切り転舵してぶつける勢いで車体を振ってやると、さすがに逃げていく。なにせでかさが違う。万が一ぶつかったとて全部合わせれば100kgほどにはなるだろう車両重量があればこちらは転倒すらしないだろう。そんなに大きな犬でもないし。

 パトカーもよく見かけた。とても普段そんな警備をする必要がありそうにも思えないから、これもコース上の参加者を警護するものなのだろう。手を振ってくれることすらあった。どっちかというと、市街地で僕等を守ってくれとも言いたくなるけど。


※上の甲仙の写真と同方向を向いてます。朝の喧騒がウソのよう。

 夜中の寝静まった集落をいくつも抜けていく。祠や寺院は夜でも灯りを灯している。それらは今でも地域の人たちの篤い信仰の場であり、また集いの場にもなっている。だからたいていベンチやら椅子やらがあって「仮眠しやすそう」。昼間の住民の方々の様子を見ていると、少しばかり居眠りをさせてもらってもバチは当たらなそうだが、奏している人をみかけなかったのでよくわからない。もうこのあたりになると、ずいぶん夜も更けてきているのだけど、老人の方々が道をぽたぽた歩いていたり、家の前で座っていたりするのを見かけるのも不思議。昼があまりに暑いから、夜間に行動しているのだろうか。行動というか、座ってるだけだけど。


※他人は辛そうに見えない。なんでだろう。

 甲仙まで戻った。これで600kmを越えた。ここから制限時間の算出基準が大幅に緩和される。もう歩いていたってゴールできるくらいだ(大げさ)。また300メートル級の峠を2つ越えて、台湾ルディアックへ戻る。そしたら6時間くらいはかがっつり休んでも問題ない。

 だが、疲弊した僕らにとって登りはきつい。蛇行によってすこしでも斜度を軽減したい僕に対して、そんなことをすれば距離ばかり伸びて進まないじゃないかと妻が文句を言う。喉がいたいなら黙ってればいいのに。つうか、もう脚が残ってないんだお前が漕げよ、と言い返す。すると力を入れて漕ぎやがるが、ここで力を使われて後半の登りでへたれられても厄介なので、抑えろと言わざるを得ない。ほんと面倒くさいやりとりが続く。

 犬と戦い、はやく休憩所につきたいという気持ちを抑え、疲労による苛立ちを募らせながら台湾ルディアックへ戻ってきたときはどんなにうれしかったか。今回は、前回の教訓を踏まえ、コンビニでタオルなども増量して買い込んである。もう到着する参加者は完全にばらけてしまっていて、シャワーもゆっくり浴びることができた。今度はゆっくり眠ろうと仮眠所へ入り、床につく。が、結局、うーむ。気持ちが高ぶっているのかなにかよくわからないけど、1時間ばかししか横になれなかった。妻も扇風機の風があたってよけい風邪が悪くなりそうだというので、出発することに。ふと見れば仮眠所には日本人のI氏とT氏も横になっていた。外へ出てひげを剃っていると、アキレス腱を見たこともないほど腫らしているN氏も到着してきたところ。


※元気そう。うらやましいねたましい。

 この休憩所、蓮花世界は自転車ショップがあって、そこで24時間整備もしてくれるのだけどいったいなんの施設なのだろうと思っていた。実は今もあれがなんの施設だったかわからない。夜が明けてみれば、広い蓮の池があって菩薩様の像が立っており、なるほど蓮花の世界なんだということがわかる。でもそれ以上のことはわからない。なんか温熱浴だとか書いてある幟が置かれていたり、朝になるとお饅頭だかなんだかわからないけど、そういう箱をカウンターに並べていたりしていたけど……。あれは一体何だったのだろう。わからぬまま三日目が始まった。

つづく 

熱風台湾 TPT1000km 蓮の花満ちる林鳳営まで

 話は飛んで当日。
 1000kmブルベだというのに、ステージが設けられ盛大な感じ。実は数日前には行政院で記者会見まで開いていて、台湾ヤフーニュースにもあがっていたほど。ステージ後ろの看板に書かれた協力団体の中には、各地の警察まで。そして、スタートからしばらくは警察の先導車両がつくらしい。このあたりの優遇には、自転車産業に対する施策や、台湾という国の置かれた立場みたいなものも感じられるなとか偉そうに考えつつ過ごす。超マイナースポーツ種目であるACPブルベと言えど、国際的な競技。台湾に独立した組織が置かれているという意味はこの国にとっては大事なことだろう。



 そんな僕の勝手な推測とは関係なく、式次第は進む。
 参加人数は110人くらいだというが、スタートラインへ皆が集まりだした。僕らは後ろの方へ。前日までに見た淡水やその周辺の町並みを考えるに、あまり混み合った集団にいるのは避けたい。タンデムも特に普通の自転車と変わることはないのだけど、周りの人がよそ見するとかそういう不測の事態もあるからだ。



 ブブゼラの音が響き渡りつつ、台北ー屏東ー台北1000kmブルベがスタートした。たまたま通りかかった観光客とお土産屋さんに見送られつつ 、100台超がいっせいに走り出す。警察車両が先頭にいるらしいけど、僕のところからは見えない。そして警察の先導があるからといって、特に道路が封鎖されていたり信号が停止されていたりということもない。至っていつも通り。あっという間に交通ラッシュの中に投げ込まれるけど、大勢の自転車が走っているから、ついていくだけ。淡水から大きな橋を渡り対岸の八里へ。ボトルが落下して停止したので、ほぼ最後尾だ。最近こんなんばっかだな。八里の町中を抜けると、高速道路の側道のようなところへ入っていく。ここからはぐっと交通量が減っていく。走るのが楽になった。桃園空港へ出入りする飛行機が頭上を行き交う。少し先は台湾海峡の海。海岸沿いにはいくつもの風力発電機が置かれている。しかしそれは少しも動いていない。



 今回のコースは確かにフラットだ。
 けれど、それは単純にイージーであることとはイコールではない。単調な直線が続くだけの道を、足を止めたりペースを変えたりすることなく走り続けるのは、案外しんどい。それに、このブルベにエントリーするときに台湾の知人に言われたことがふたつばかし。ひとつは季節風。この季節は強烈な北風が吹くので行きは良いが帰りはきっついよと。それと無数の信号。初めの200kmで100個はあるからね……と。



 しかし残念。きっつい追い風を期待していたのだけど、全然風が吹かない。前日までの強風はどこへやら。帰りに向かい風になるんじゃないかという恐れがあるので、今ここで追い風の恩恵を受けることができないというのはなんとも恨めしい。それでもフラットはタンデムにとっては有利な環境なのでさくさくと進んでいくことができる。なんでタンデムがフラットで有利かといえば、空気抵抗と出力の比率で普通の自転車より優位だからだ。一般の自転車にとって、一番大きな抵抗になるのは空気との戦い。タンデムは前から見れば一人分の大きさでしかないので、つまり空気抵抗は一人分、そして出力は二人で漕ぐので二倍。すごく単純に考えればそういうことになる。だから比較してフラットや下りには強い。そういうことが問題にならない登坂では、乗員の能力による。僕らは上りに弱いので、そっちは非常に遅い。



 太陽は顔を出さないが、寒くはない。
 PC1ではこちらに住んでらっしゃるMさんのご夫妻に応援され、PC2ではTPT1000へのご意見をいただいた台湾のMAさんに声援をもらう。ここからは市街地だけど、しばらくは幹線道路を走っていくだけ。信号がだんだんと多くなってきた。「ガードレールのある歩道」なるものがなく、二輪車レーンがあるので交通量のわりには走りやすい。ただ信号によるストップ&ゴーは厳しい。車両そのものの重さだけではなく、ふたりの動きを合わせなくてはならないというのは、練習不足の僕らには少しずつキいてくるのかもしれない。



 妻が頭痛がするとつぶやく。
 実はこの渡航の直前から、彼女は風邪気味であった。なんとか走れる程度、ということではあったのだけど、やはり実際に走り出してぶり返したのだろうか。不安がよぎる。そういえば、僕も目の奥がズンズンとする。少し目眩がする気さえする。こっちまで風邪かな……。よくない、これはよくない。

 そういえばさっきから随分と交通量も増えた。
 整備不良のようなスクーターも多い。トラックも。
 その排ガスを吸っているせいではないかと妻と話す。
 そういう話をしている間にも、交通量はますます増えていく。もはやスクーターのプロトンの中に飲み込まれているような具合だ。



 もちろんエンジンのない僕らは、スクーターのようにグイグイ加速していくどころか、信号スタートではのそのそと動き出すばかり。それでも周りのスクーターは避けたり待ってたりで、とくに焦らせられるようなこともなかった。こっちのスクーターもなかなかスタートしなかったり、してものろのろ走ったりとフリーダム。このあたりはどこか? 彰化か台中か。いずれにしろすごい交通ラッシュだ。今僕が生きていることが不思議なくらいの流れ。スクーターの奔流の中を走ってPC3へ辿り着いた。



 このブルベのPCは基本的にすべてセブンイレブンだ。ブルベカードにお店の人からスタンプをもらい、さらにレシートも必要。どちらか一つだけでいいじゃないかと思うのだけど、そうなっている。セブンイレブンで売られているものは、お店にもよるけど日本で販売されているものとよく似ている。お弁当などはこちらの料理かつこちらの味付け。当たり外れが大きいので、僕はアンパンとバームクーヘンをメインで食べる。足りない分は走りながらジェルやウィダーで補う。こちらのコンビニにもウィダーは売られていることがあるので、みつけたら可能な限り補充していた。

 他の日本人ライダーも四苦八苦しながら走っているようだ。このセクションでは途中で暑すぎて寝たりしていたそうだ。なんでも36度もあったのだという。そりゃ、頭痛やふらふら感がでてくるわけだよ。日差しがないからよかったとか思っていたのは僕くらいか。普通に光化学スモッグ状態だったんだな。



 無数のネオン輝く中華看板の林の間を、交通ラッシュをすり抜けながら怖い夢の中を進んでいくようだ。それでもPCを過ぎた頃から、交通量が減っていく。それが夜が更けたせいなのか、街を抜けているからなのか暗くて判然としない。だんだんと街の灯りが弱まっているのは確かだ。やがて街を抜けるが、それでも路肩に煌々とネオンを輝かせているブースがある。ビンロウ売りのブースだ。ビンロウというのは、実際に見たことはないのだけど、木の実なのだそうで、ガムのように噛んで眠気覚ましにするらしい。一種の紙タバコのようなものなのだろうか。
 発がん性物質が含まれるということで、政府は規制したいらしいがあまりに販売者が多いのでそれもなかなか難しいという記事を読んだことがある。主な購入者はトラックドライバーだそうだ。

 政府が規制をかけたい理由はもうひとつある。
 それはビンロウ娘。暗い幹線道路でも目立つようにか、ビンロウ売りのブースはまばゆいばかりの照明に照らされ、売り子は肌をあらわにした若い女性とのこと。あまりにそれが過剰になっているので、指導が入っていたりするそうだが、はたしてどれほどのことか。実際に見てみねばなるまい。


※これは帰路撮影。中身はビンロウ親父だった。JAROに訴えでたい。

 うーん、うーん。当たりは5%くらいだろうか。
 かつて娘だった、売り子が半分くらい。あとおじさん。子供。
 若い女の子も、ほとんど普通の格好。なんというガッカリ感。
 でもお店の名前は「紫の誘惑」だの怪しいものが多く、看板やポスターもどこの水商売ってものばかり。
 でも期待して覗き込むと、ランニングシャツの貧相なおっさんだったり。
 時代かー。



 走りやすかった郊外の幹線道路。すこし眠くなってきていたのでしりとりと山手線ゲームで時間をつぶす。何度かのミスコースの後、道は台南の町外れへ入り、車通りも増える。時間が時間なので、それほど多くはないけど。ここまでくれば、もう少しで林鳳営にある蓮花世界という休憩所だ。通称台湾ルディアック。ルディアックとはPBPのコース上で約400kmのあたりにある街のこと。やっぱり仮眠などを取るポイントになっている。そこでこのコース上のルディアックということで台湾ルディアックと名付けたらしい。とにかく台湾ルディアックに到着すれば、シャワーを浴びて眠ることができるはず。予定していた到着時間から30分ほど早い。朝5時くらいまで寝るとすれば4時間の休憩が取れるはずだ。睡眠には3時間をとれたらいいな。ミスコースのあと合流した台湾のグループについてあっという間にルディアックへ。このグループから近くのモーテルへ向かう人もいた。事前に周辺の宿泊施設を知らなかったから予約しなかったが、ホテルがあるならそのほうがよかったな。この程度の距離なら、ドロップバッグを持って行き来できた。とはいえ、台湾のモーテルも日本の「モーテル」と同じで、ご休憩のある宿泊施設だ。海外から予約なんてできないだろう。
 韓国と同じでビジネス客にも利用されるはずなので、お一人様や同性同士もOKのはず。
 まあ、今はいい。ルディアックで休もう。



 ルディアックのシャワーは移動式のシャワールームを路上に設置したものだった。正直なところ、ちょっとがっかりしたが、ないよりはましだ。更衣室などはないので、利用にはちょっと工夫がいる。時間的に多くの人が到着するころだったから、しばらく列に並んで待たされた。
 食事はカレーライスや麺類。これは美味しかったが、寝ることを優先。
 仮眠室へ向かう。
 が、残念ながらマットはすでに無く、しかもざわついていてうるさい。まだそれほど眠くなかったせいもあって、いくら目をつむっても眠ることができない。どうやら妻も同じ様子。じゃあ、ということでまだ真夜中だけど出発することにしよう。早めに出て、暑くならないうちに距離をかせごう。ここまでに330kmほどを走った。折り返しからここへ戻ってくるまでは370kmほど。累積標高は2000くらい。このコースで山といえる山がある区間。

 つづく

熱風台湾 TPT1000km 準備編

 台湾で1000kmブルベが開催されるんだよと台湾ランドヌールのボス、ジャック氏から聞いたのは夏の頃だった。でも正直言って興味はなかった。二月に一度、台湾のブルベを走っていたし、台湾は山がちなイベメージが強く、厳しいコースになることは間違い無いと思っていたから。特に過酷な山岳コースには魅力を感じないタイプなので、台湾縦断往復の1000kmブルベをやるらしいよ、台湾なら国内の遠くへ遠征するよりコストパフォーマンスいいかもよ、と人と話すくらいにしていた。

 台湾のコースを見たのは9月の頭か。
 驚くべきフラットコース。
 累積上昇量は1000kmで3000m程度とある。
 だいたい、一般的には100kmで1000m程度が標準的だ。PBPが1200kmで12000mほどと言われ、かつて僕がよく走っていたPCHRという団体の主催するブルベでは、それにあわせて100kmで1000mを基準としたコース設定をしていた。だからまあ、1000kmで3000mというのはなかなか無い。これは僕にはただ単に「起伏がないコース」という以上の意味を持っていた。
 タンデムで1000km走るには、このチャンスを逃せない。

taiwan2.jpg



 タンデムで1000kmを走る理由があった。
 ACPというフランスの団体の主催するブルベにはR5000という表彰がある。
 これを得るために1000kmのコースを走らなくてはならない。僕が、ではない。妻がだ。

 PBPまで完走した妻なのだけど、1000kmブルベは(僕が)諦めていた(本人はさらさらその気はなかった)。普段、ほとんど自転車に乗ることも無く熱意も無い彼女に、シングルで1000kmを走らせる気も無いし、本人も考えもしない。でも、タンデムなら。
 今年は遠征しすぎで、すでに怒られているので冗談半分で聞いてみた。
 台湾で1000km、平坦コースだ。行くか?

 こうして、台湾1000kmブルベへ行く事になった。




 準備期間はあまりなかった。
 この夏の間に足首を痛めて休養していたのだけど、そんなことも言っていられない。少しずつ自転車に乗るようにする。同時に、宿や飛行機の手配。一番やっかいなのはタンデムを運ぶ行程だ。僕のタンデムは預入荷物の大きさにおさまるよう、二つのスーツケースへ収めることができる。非常に便利だ。丈夫なスチールのフレームということもあって、飛行機輪行では一番安心できる車体。
 けれども、その大きなスーツケース二個と、自分たちの荷物を持ってえっちらおっtら移動するのは大変に困難。家から空港まで、空港からホテルまで、この間がいつも面倒くさい。

タンデムの輸送に関する参考記事「しまいましょう

 家から空港までは空港宅配を使うことが多いのだけど、今回は羽田まで宅配に高い料金を支払うのもな、ということで車で行く事にした。羽田ならあっという間だ。空港からホテルまではいくつか考えられる。例えばレンタカー。アメリカだったらそうするだろう。でも、台湾の市街を運転するほど根性座っていない。ということで今回はチャータータクシーを利用した。ちなみにPBPの際はバスサービスを利用したのだけど、事前にエクストラの荷物をお願いした。

 さて、これで家からスタート地点までのロジスティクスは用意できた。次は走行中の準備だ。まず、330km地点のところの蓮花世界というPCがあって、そこが仮眠所休憩所併設だという。台湾の知人によれば、自転車ショップだとのこと。提供されるサービスの書類を見ると---中国語で書いてあるんだけど、漢字圏っていいねえ、なんとか読める---シャワーがあるようだ。サニタリーもあるようだから、石鹸なんかもあるのかな。タオルは書いていない。
 ということは、ここで着替えができるということだ。他の日本からの参加者がジャック氏と交渉してドロップバッグという手荷物運びをしてくれることになった。着替えなどを送って置けるということだ。「快適で清潔なブルベ」をモットーにしている僕としては、毎日着替えてさっぱりしたい。ウェアは三着。タオルとシャンプーなどもいれる。髭剃りもや日焼け止め、各種薬、予備チューブ、携帯の充電器一式などなど……。物量に依存できるなら、出来る範囲ギリギリまで依存する。それも僕のモットー。
 もともとの(肉体的)スペックが低いのだ。目的を達するためなら、スタイルに拘ってはいられない。ブルベは完走したか否かだけが結果として残る世界。遅くても泥のようにズタボロになっても走り切れればいいのだと、自分に言い聞かせる。遠い昔、熱中していたMMOで流行っていた言葉を思い出す。

「腕の差は金で埋めろ。金がなければ稼げ」

 テレホーダイの時代のことだ。




 さて、ドロップバッグをどうするかも考え無くてはならない。
 普段はRUSAのオフィシャルグッズのスポーツバッグを使っている事が多い。あまり大きくはないけど、ちょっとした距離なら背負っていける。でも今回はどうだろう。ホテルから、スタートまではそれほど遠くはない。けれど、コース的にゴールからホテルまでは25kmほどある。なんでスタートとゴールを分けるのだと、ちょっと憤慨するけどしようがない。しかもこの距離はかなりの市街地だ。あまり不安定な背負い方では危険。
 ということで、自転車にサイドバッグをつけていくことにした。僕のタンデムにはしっかりとしたリアキャリアがついているので、パニアバッグをつけることができる。そしてもし、ドロップバッグのサービスが何らかの手違いで受けれなかった時は、そのまま走って行く事もできるだろう。

 リアキャリア上にも、トラックバックをつけていくのだけど、ここには雨具などをしまう。こうして走るための準備も整っていった。次は、自転車をばらして箱詰めすることと、コースをGPSへ打ち込んでいくこと、天気予報の確認、現地でのネットへの接続方法の調査……意外とやることは多い。

 こんな具合で、タンデムを持って海外へ遠征するのは中々大変なのだけど、遠距離展開のための運用を考えていくのも、けっこう面白い。こうしてタンデムを装備し、タンデムを編成し、タンデムを兵站し、タンデムを運用し、タンデムを走行させる。僕らこそ遂にタンデムをもって1,000kmの完走を目指す。今度こそ「最後の長距離ブルベ」。

 ……あっという間にその日は来た。

誰が天国と名付けたか? パラダイスウィークその一

 パラダイスウィークの初日。天気予報は曇り時々雨。つうか雨。目覚ましに起こされてベッドの上から薄いレースのカーテン越しに入ってくる陽光は柔らかい。残念ながら晴れてはいない。けれども雨はあがっているようだ。少なくとも今は。
 着替えて最後の準備。
 ホテルの部屋から自転車を出してフロントでチェックアウト。週末にまた戻ってきますと伝え、外へ出た。ここからスタート地点である札幌近郊のモエレ沼公園までは十数キロ。30分ちょっとかな。でも信号がいし土地勘がないしでなかなか進まない。
 ふと手をダウンチューブの方へのばし、ボトルをとろうとすると……手がスカる。え? と思ってのぞき込むと、ボトルがない。ああ、水を入れてそのまま置いてしまったのだな……。



 さてどうしたものか。
 とりあえずコンビニに自転車を寄せて、水を購入。予備のショートサイズのボトルへ入れておく。こんな陽光ならロングボトルとのダブルボトルにしなくてもなんとかなりそうだけど、天候が変わって陽が出てきたら厳しいだろう。うーん、あとでホテルに連絡して途中の宿へ送ってもらうとするか。



 途中で数人のランドヌールたちと合流しながらスタート地点へ到着。ああ、なつかしい。北海道1200のときとそっくりだ。受付、車検をすませてスタート。
 走りははじめてしばらくしたところで、僕の名を呼ぶ声が。ふと見ると、長野のTさんが来ていた。北海道出身の彼は、帰省がてらわざわざ僕の出走を見送りに来てくれたのだった。なんといううれしいサプライズ。応援の言葉に見送られて札幌を出て行く。さて、一人になってしまったぞ。

 圧倒言う間に景色は平原を行く一本道。まだ札幌経済圏にいるから、交通量はわりあいあるけど、週末だから面倒になるほどではない。やがてポツポツと雨が降ってきた。PCとの距離や天気予報のことも考えて、レインウェアを着るかどうか一瞬迷ったけど、ログハウスのような丸太小屋があるのを見てそこに自転車を入れた。そしてバックパックからごそごそとレインウェア一式を出して装着。雨脚が強まってきていたので、ちょうどよかった。初日からずぶぬれだと、いろんなところに問題が出るかもしれない。それを抱えて五日間走るのは、今の自分には辛い。



 そこから新十勝のコンビニに設定されたPCは、それほど遠くはなかった。
 残念ながら雨脚は弱まり、というかほとんどあがっている。微妙だ。脱ぐのか着続けるのか。
 補給をして(いるうちに自転車が一回ガターン! と倒れた。ショック)、出かけるときに「着続ける」ことを選んだ。だが、結局雨はすっかりあがってしまったので、ウェアの内側が汗でびっしょりしないうちに脱ぐ。



 増毛へ向かう峠を登り、下っていった先は……海だ!
 海なんだけど……天気わりーなあ。
 コースは一旦南下。増毛の町で折り返す。ここで海の幸でも食べればよかったものを、結局PCのコンビニですました。すぐ先には古い町並みがあったので、そこへよればよかったと悔やむ。本間家住宅なる史跡があったので、酒井の本間家はこんなところにも拠点を置いていたのか、さすが日本海側の廻船問屋を抑えていただけはあるなあ、と思っていたけど、どうも関係無いようだ。



 あとはひたすら左手に海を見ながら走るのみ。
 フレッシュのメンバーだったYさんを連れてニシン御殿へ。あたりにはあまり大きな建物がなく、風が強いからか木立もないような海岸線に唐突に現れる巨大な木造の御殿。今はその目の前に幹線道路が伸びているからいいけど、かつてはほんと何もないところにドーンと建っていたのだろうか? 



 ニシン御殿から先で水がなくなる。なんとか工事現場にあった自販機でいろはすを購入するが、これがハスカップ味。北海道限定でわーい、とは思わず、しまった! という気分。ここから数日間、ボトルについたハスカップの味が楽しめたが………。



 この日はあっさりとゴール。
 ゴールのコンビニでレシートを取って、スタッフの待つ会場へ戻る。殆どの人は、ここ羽幌に宿をとっていて今日の打ち上げ会に参加するみたいなのだけど、僕はここからさらに30kmほど先にある初山別の宿に向かわなくてはならない。そして悲惨なことに……雨が降り出す。これまでにない強い雨が。



 びしょぬれになって初山別へ。
 翌日のスタート会場至近のホテルへ到着する。冷えた体を温泉で温めていると、自転車焼けをしている若人が。話しかけてみると、やはり参加者らしい。が、なんでも友人に誘われて参加したものの、完走は初めて。かつ、友人は参加しなかった、と。そしてさらに今日の晩は野宿……。CT誌の編集長のT氏と奇しくも同じ名字。個人的に彼のことをヤングT氏と呼ぶことにしたが、すでに前途の長さにおののいている様子。とにかく明日の400kmをクリアすればなんとでもなる、と励ましておいた。



 ずぶぬれのウエアは部屋の風呂で洗い、靴と一緒にヒーターの前に置いて乾かす。
 そう、8月の上旬だというのに……ヒーターを稼働させるんですよ。おかげですぐに乾いた。

 つづく