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【落武者魂】 2012年08月
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落武者魂

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抄訳:ランドヌーリングの競技的側面

 PBPのオフィシャルサイトにある「The Competitive Side of Randonneuring」を抄訳しました。この記事はシアトルランドナーのヤン・ハイネ氏(とメリンダ・リヨン氏?)が記したもので、初出は2003年のアメリカン・ランドナー誌(RUSAの会報)。ヤン・ハイネ氏はランドヌーリングや、古い時代の自転車に関する研究者で著書も多いのですが、なにより速い。カスケイド1200をたしか60時間切りでゴールしてます。単独で。

 この記事は「ブルベはレースではない。どうして? そしてどこが?」ってところに関する説明です。率直に言えば、精神論的なものです。コンペティションってのが、いかに荒々しい世界なのか、そしてその荒々しさを持ち込まないように、という内容と感じられます。

 抄訳ですが、僕の英語力を甘く見て簡単に信じないように。よくわからんところは大胆に無視し、つうか全体的に超訳しています。しかも1時間くらいでのやっつけ仕事です。誤訳などはコメントください。気が向けば修正します。と、エクスキューズしたところで……。




抄訳:ランドヌーリングの競技的側面

 2003年の表彰式では、これまでに無い事態が発生していた。もっとも速くゴールに飛び込んだライダーたちが、そこへ呼ばれることはなかった。彼らは、様々な規則違反の結果として2時間のペナルティーを課せられていた。オフィシャルのひとりがその違反行為をリストアップしてくれた。それはコントロールでの我儘勝手な行為であり、町中での排泄行為であり、目に余る数々の交通違反であり、ルールに違反したサポートカーの利用であり、オフィシャルカーへの妨害行為、スタッフへの無礼なふるまい、などなどであるという。後に開催者たちが発行したニュースレターには次のようにある。
多くの参加者たちやPBPに声援を送る人々が、これまでにこれほどルールを無視した行為があっただろうかと感じたことはなかった」(Cyclotourisme 518号34ページ 2003年10月号)

 実のところ、ペナルティを受けた彼らは何か不正なこと、あるいはおかしなことをしていたとは思っていなかっただろう。彼らはただ、いつものレースのように振る舞っただけなのだ。一方で、主催者としては、これは単にルールが守られなかったことがペナルティにつながっただけではなく、さらにPBPの規則そのものの精神を踏みにじったのだと語る。そこには、このゴールに一番のりしたライダーたちと、主催者とに明らかなPBPのあり方にたいする理解の違いがあったのだ。

 主催者はPBPはレースではないと強く主張する。そしてランドヌーリングの精神は参加者のふるまいによって脅かされることもあるのだと言う。しかし、ランドヌーリングの精神とは何なのだろう? それについて規則が述べるところは少ない。BRMのルールは第12条において「ブルベはコンペティションではない」と記してあるだけだ。けれども、完走者のフィニッシュタイムは公表されるし、PBPにおいて、それぞれのカテゴリーにおいて最も速いライダーはトロフィーが授与されるではないか。それは、速く走ることを望むライダーにとっては、結局レースであるということを意味してはいないだろうか。これらは最も速くゴールすることを望むライダーにとって、規則を破ることを選ぶ理由になるだろう。

 こういった要因と、コンペティティブでは無いこととの間にあるモノを説明するには、PBPの歴史をひもとく必要があるだろう。PBPにランドナーたちが参加しはじめたのは1931年のこと。1891年から1950年代までは、PBPは主にプロフェッショナルなライダーたちのものだった。だが、ほかの自転車競技が広まっていくにつれ、そのような競技者たちはPBPにむけたトレーニングをすることができなくなっていった。プロフェッショナルたちの競技の場としてのPBPはこうして死んだ。そしてランドナーたちの挑戦の場となっていったのだ。

 レースによって生計を立てる職業ライダーと違い、ランドナーたちは楽しみのために自転車に乗る。彼らはアマチュアであることが誇りである、サイクリング愛好家たちだ。彼らも時にはコンペティティブではあったが、たいていはそれほどでなかった(オダックスというコンペティティブを望まない人たちのための形式もある)。そういった人たちの多くは、参加者やボランティアスタッフとして、生涯をPBPに関わってきている。

 PBPの主催者は、十分にレースというものを理解し、その上でPBPはレースではないとみなしている。その違いは微妙なものだが、礼儀をもって行うかどうかということだろう。レースはより戦いに近い。ただひとりが勝者となる。ランドヌーリングは文化的な自転車の楽しみかただ。それはどんな距離でも、どんな天候下でも、自己解決していけるような、より優れたサイクリストへの探求なのである。

 それは「ゆっくり走れ」と言うことではないし、コンペティティブになるなということでもない。ただ単にPBPは能力を示す場で、時間制限内でゴールすれば、誰もがメダルをもらえる。それは90時間内にゴールしたということを意味するのみだ。もちろん、あなたが自分への挑戦、あるいは前回の自分を超えるのだという行為に悪いところなど全く無い。ただひとつ、重要なことはすべてのPBP完走者は勝者であるということ。誰かがもっとも速く走り、トロフィーを得たとしても、PBPを勝ち取ることはできない。誰もが同じメダルを受け取る。そして最後にゴールする者も、最初にゴールした者と同じように喝采を受けるのである。

 レースとの違いはもはや明白だ。レースでは最も速いライダーが尊重される。そこでは、レースの勝者はほかのライダーたちより重要な人間だと見なされる。遅いライダーをラップするとき、勝者には道を譲らねばならない。ランドヌーリングでは、誰もが等価値であり、速いライダーだからといって遅い人々を押し退けることはできない。もっとも速いライダーも、ほかの参加者や関係者にたいして礼節を払い、丁寧な態度で接しなくてはならないのだ。

 ランドヌーリングは自己解決が求められる。たとえ、コントロールでサポートカーから支援を受けることができるとしても、それぞれのライダーは自分自身で成し遂げることを期待されるし、そのための準備をしておくこととされる。

 レースにおいて誰かがパンクしているときや、”ニュートラル”なトイレタイムのときにアタックを仕掛けるのが不作法とされるように、ランドヌーリングにも不文律はある。意見の違いもあろうが、それを下に記す。

1)礼節を持って人にあたれ。他人に気を払うこと。むき出しの闘争心はレースの場においては大事だが、ランドヌーリングには必要ない。あなたのクラブ、あるいはあなたの国の代表者であるという意識を持つこと。

2)もし少人数で走っているのなら、ともに協力し、そしてともにゴールしよう。パンク修理なんかも一緒に。よほどばかげた装備の参加者と共に走る必要はないが。

3)”アタック”はこのスポーツには無縁だ。集団のペースについていけないライダーが居るのは仕方がないが、誰かをふるい落とすためのアタックは礼節の無い行為だ。

4)不法行為につきあわないように! ルールに従うこと。特に交通法規は守ること。信号や一時停止は必ず守る。(ここからあとは普通のブルベには関係ないと思います:さとう)自動車がずっとつけてきているようなグループはなにかおかしいと思うべき。オフィシャルカーは、そのようなときには速いライダーの利益にならないように灯火を落とします。そういう違反サポートカーのグループに入ってしまったら、速やかに離れること。グループのメリットは捨てがたいけど、それによるペナルティのリスクを忘れずに。

5)ボランティアや審判に敬意を持つこと。彼らの指示には従うように。そして謝意を表するのもよい。それにはたいした時間はかからないし、彼らなしではこのすばらしいスポーツは運営できないのだから。

6)完走すること! どのような状態のであっても、ゴールすることが最良なのだ。勢いこんで走り、へばって走りきることができないのは、もっとも避けるべき事態。



 もちろん、これらの精神はPBPだけに当てはまるものではない。一般のランドヌーリングでも同様なのだ。楽しもう。速く走りたいのなら、ガンガン行け。自分自身、あるいは誰かに挑戦するのもいい。でも、忘れてはならない。これはレースではないってことを。

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カスケイドのあと 5

 アフターカスケイドのツアーも終盤。サンフランシスコまでマシュー君の車に同乗させてもらう。ゴールデンゲートブリッジのところで、驚きの車線閉鎖があってビビったけど、彼の話によればここは交通量に応じて上下の車線数がやたら変化してその案内も無いので超怖いのだそうだ。たしかに怖かった。ちなみにサンフランシスコ・ランドナーズのスタート&ゴール地点はこのゴールデンゲートブリッジのたもとで、最後にちょっときつめの登りが続く(橋まで登るから)のが嫌らしいそうだ。

 サンフランシスコ空港近くのホテルで彼と別れ、僕はレンタカーを借りておいて一泊。翌日はサンフランシスコの南方、サンタクルーズのさらに郊外に一人でドライブ。自転車から取り外したGPSを頼りにカルフィーデザインの工房へ行くのだ。
 フリーウェイを走っていくと、クパチーノやパロアルトといったシリコンバレーの名所の名前が進路標識に現れる。そのまま通過して、小一時間ほど走るとサンタクルーズ、さらに田舎道を進むと・・・あれ? カルフィーデザインの工房どころか、ただのストロベリー農場しかないんだけど? キリスト教系の大学の敷地? よくわからずうろうろしつづけること30分ばかし。ついにカルフィーデザインのロゴが小さく貼られた建物を見つけた。なんというか、僕の親戚の鉄工所みたいな建物だ。



 おそるおそる入り口をくぐり、通りがかった人を捕まえてジェネラルマネージャのスティーブという人とアポイントがあると伝える。アポイントというか、この人に会いに行けと言われただけなんだけど。
 ほんの少し、事務室の前で待つと中華系のスティーブ氏がにこやかに現れた。やあ客人。はるばる遠方からよう来なすった、という感じ。ナイストゥミーチュウ、ミスタースティーブ。あなた方の自転車でカスケイドを走りきってきましたよ、と伝えると喜んでくれる。それはすばらしい、クレイグ(クレイグ・カルフィー氏のこと)もきっと喜ぶ。実は明日からクレイグはアフリカへ飛ぶので、準備に駆け回っているけど、会えると思うよ。まずは工場を見て回ろう。どこかにいるよ、と。
「あ、写真を撮ってもいいですか?」
「もちろん。何でも撮っていいよ」
「撮影してはいけないものとかあったら、言ってくださいね」
「そんなものは無いよ! さあ行こう」


※事務所前のテラス


※極初期に製作された一台。

 事務室の前は小さなテラスになっていて、カラフルな自転車が置かれている。それは初めて欧州圏外の人間でツールドフランスに勝利し、銃弾を受けるなどの事故にあいながら三度の優勝を果たしたアメリカ人、グレッグ・レモンの為に作られた一台だという。レモンはカルフィーのカーボンバイクをTDFに持ち込み、後にレモンのブランドとして販売もしていた。レモンの活躍は、カルフィー(当時はカーボンフレーム社)が一躍有名になった大きな契機だったらしい。
 ここにあるバイクをレモンが乗ったかはわからないけどね、とスティーブは言う。だけど、みてごらん。ほとんどバイクの作りは変わってないだろう? 僕らはバイクの形状デザインそのものを変えていくことには興味ないんだ。
 レモンも最近のインタビューで、今も昔もバイクそのものはそんなに変わってないんだ、とコメントしていたけど、同じような意味合いなのだろう。彼らは約三十年前から変わらず、フィン付きラグでカーボンパイプをつないだクラシカルなスタイルのバイクを作り続けている。ただ、素材は新しいものを試し続け、それは新しいカーボンパイプだったり、竹だったりする。
 竹、そう、カルフィーは最近ではバンブーバイクの方でよく知られるようになっている。


※こんなのがもう一台あった。

 工房へ降りていくと、謎のパイプ組の乗り物が二台、鎮座している。あれはいったい何ですか? と質問すると、近くで作業をしていた背の高い人がアルバムを片手にやってきた。
「それはグライダープレーンなんだ。車輪で走行もできるし、空を行くこともできる」
「二人乗り?」と聞いてみる。タンデム配置の座席がついている。
「いや、違うね」背の高い彼はバイク用のスーツケースを持ってきて、後部座席に投げ込んだ。
「こうやってどこへでも自転車を持ってくために使うんだ」
 ほんとかよ?
 しかし、どうみても素材はカーボンでは無さそうだし、エンジン付きだし、空も飛ぶし。自転車工房とはおおよそ関係の無さそうな機材。でも、ただモノを作るのが好きな人たちなんだな、ということだけは伝わってくる。そうじゃなきゃ、こんなけったいなものをでーんと置いとくことはできないだろう。



 その先にはフレームを組むためのブース。備え付けられた台にはすでにフレームが置かれている。この台に治具を配置して、ラグとパイプを接続していくんだと言う。カタログモデルであれば、できあいの治具、できあいのラグで作っていくのだけど、オーダーのフレームでは、そこも手作業で一品製作していくんだ、とスティーブがオーダーシートとあわせてそれを見せてくれる。
 そしてフレームの形になったら、上のオーブンを使って焼き上げるのだという。確かに、台の上には焼き肉屋の排気ファンのような形状のオーブンがぶら下がっている。


※オーダーシート


※カタログ通りのサイズなら、この治具を使用する、だったかな。特別なオーダーがあれば手作業になる。


※組み付けて、上からオーブンが降りてくるんだと思う。


※ラグ。これがドラゴンフライのラグつってたかな。


※いろんなラグ。


※工具


  
 二台ある台の向こうには、既成のラグが部位と角度別にたくさんぶら下がっている。工具の下がっている壁の一角には、小さなフレームが。工員の一人が子供用にと作ったフレームだとのこと。



 カーボンが巻かれたボビン。こうしてみると、とてもあの強靱なフレームになるとは思えないようなカーボンの紐。そして麻布も。この麻布はバンブーバイクのラグをつなぐのに使われるものだ。麻紐でしばって、樹脂で固める。カーボンバイクもあの台で作ってオーブンで焼くのだろうか? それは聞き忘れた。


※こっちは麻。



 こちらは仕上げのブース。ちょうどカーボンフレームとバンブーバイクが一台づつ作業されていた。その向かいにはカルフィー製品のひとつ、ポジションだし用機材。フレーム製作のための測定機材だ。そしてカーボン・リカンベントのフレームもあった。これはOEMでどこぞのリカンベントブランドに卸しているんだと聞いた。なんでも作るのね。


※ポジション出しの機材。


※一見、なんだかわからないけどリカンベントのフレームだそうだ。

 仕上げブースの奥にはクオリティ管理のおじさんが。とっつきにくそうな雰囲気がしてたんだけど、話し始めると言葉数は少ないながらよく笑う。いくつもぶら下げられたカーボンタンデムのフレームが、まるでロッキーの映画で大型冷蔵庫にぶら下げられていた牛(だったかな)のようだ。ちなみにカルフィーの最軽量のパイプを用いたタンデムは完成車重量で十kgほど……。お値段は普通のロードバイクの二倍強。まあ、普通ってどんなだって言われそうだけど。


※品質管理のおじさんの写真が無い。とりあえずつるされたタンデム。



 こちらはリペアルーム。カーボンバイクの修理修復は現在のカルフィーをささえる事業のひとつ。どんなブランドのバイクでも修復を受ける。現在のカルフィーのビジネスの一翼を担っている事業だと言うことだ。


※クレイグ・カルフィー氏とワタシ。

 クレイグ氏にも会えた。日本では自転車ツーリングが流行っているのか? と聞かれたが、なんとも答えがたく、言葉を濁してしまったけど、たぶん、言葉がよくわからなくて変な答えになっているように思われたに違いない。でも、実際「自転車ツーリングが流行っているのか?」って、どうなんだろう。特に流行ってないよねえ。


※スティーブ氏とワタシ。

 しかしこのクレイグ氏、工場見学をしているとあちこちで見かける。なんか箱詰めしているなと思うと、塗装前の表面処理ブースで作業していたり、フレームを組む窯のところにいたり。ぜったい通信簿に「落ち着きがない」と書かれていそうな人だ。


※表面処理ブース。カーボンの粉が舞っているので、マスクとゴーグルが必須。奥にクレイグさんがいます。


※竹で作られた運搬自転車用のキャリア。
 
 工場の奥はバンブーバイク部門。バンブーバイクは、はじめは冗談で作り、その反響から第三世界への技術支援を行っている。フレームは竹で、ラグ部分は麻紐を樹脂で固めたもの。これで作られたものを、先進国にはロードレーサーや、MTBのようなスポーツバイクとして出荷している。でも、現地ではまだまだ実用車の需要が高いので、竹フレームの実用車もちゃんと作られている。ここでも、荷台まで竹の物資運搬用のバンブーバイクの設計図やら、塩ビパイプで作られた治具やらが置かれていた。竹のフロントフォークの試作品などもあって、いろいろ試しているようだ。
 ちなみにこのフレームに使われている竹は、当初は日本のもの、後に台湾のものを使用していたのだけど、現在はアフリカ現地で栽培しているものなのだそうだ。


※バンブーバイク用の治具も現地で手に入りやすい(のだと思う)塩ビパイプで作れるようにしている。たしかそんな説明だった気がする(メモしておけばよかった)。


※竹フロントフォーク。昔の試作品。ラグやフレームの補強にカーボンを使っている。また、オーダー次第で竹を使う部位、カーボンを使う部位などは自由だそうだ。どこぞの雑誌編集者(アメリカのね)がオーダーしているという、カーボンバックの竹MTBを見せてもらった。

入り口近くに置かれているのは、従業員の人たちの自転車らしい。自転車通勤もいるのだろうか? あまり近くには人家は無さそうなんだけど。中にはこんな「流木バイク」もある。流木フレーム。もうなんでもありなんだな。



 お昼休みになると、工員は自転車に乗って付近をライド……ではなくって、工房前の広場でサッカーに明け暮れる。GMのスティーブ氏に昼食に行こうと誘われて中華を食べに行った。ただの旅行者なのにここまでしてもらえるとは……。



 都合、3〜4時間ほど滞在させてもらった。なんというか、たしかにオープンで気さくな工房。天気が良ければ海も綺麗に見えるんだろうな、と思いながら工房を後にした。


※ファクトリー全景

 その後、SF近郊で活躍されているKさんに蟹ディナーをごちそうになった上、夜景観光まで案内していただくなど、望外のありがたいひとときを過ごさせていただいた。長かったカスケイドの旅もようやく終了。しばらく自転車はお預けだ。


※ツイン・ピークスからの夜景。あの映画とは関係ない。

おまけ


※カルフィー工房内のドアの飾り。チタンの板。よく見ると、エンドやらを打ちぬいた残りを使っている。


※レンタカーのトランクの内側についてたタグ。もし、トランクに閉じ込められても、これをひっぱれば内側から開くよ、というもの。子供がいたづらして閉じ込められたりしたとき、あるいは拉致されたときに。


※ショッピングカート用のエスカレーター。これがあればレジをフロアごとに設置しなくてすむね! 初めて見た。SF空港近くのTARGETにて。


※空港施設をつなぐ新交通システム。路線があったら乗ってみる。

カスケイドのあと 4

 エバーグリーン航空博物館を出てからオレゴン州中央を南下します。おっと、エバーグリーン航空博物館の建物の上にはジャンボ機が飾られているのですが、これはダイハード2で利用されたものらしいです。どうでもいいですね。

 この日の目的地のもうひとつはオレゴン州中部の都市、ユージーンの郊外にある自転車メーカーCO-MOTION CYCLESを訪問すること。コモーションはタンデムをメインとするメーカーで、僕が持っていてサイクリングやPBPでも使った自転車もそこで作られました。

 場所はかなり辺鄙なところで……一応工業団地地域なのかな。
 あたりには何もありません。



 写真向かって左側がファクトリーです。この玄関は営業オフィスってところかな。入ってみると、ちょっとしたショールームになっていました。



 コモーションは主にクロモリ、フラッグシップモデルをアルミとしています。ロードレーサーもありますが、どちらかというとツアラーやシクロクロスなイメージ。



 最近、彼らが一押しのローロフ14段内装変速機付きのカーボンベルト仕様のモデルがありました。実は、僕の例の新車もこの仕様で考えていたこともありました。なにしろ注油という作業からほぼ解放されちゃいますからね。でも、結局躊躇しちゃいましたが。実際、どんなものなのか、試乗させてもらいました。

 で、感想としてはやめといてよかったかな、と。変速の感覚が馴染めませんでした。といってもちょっとだけの試乗なんで仕方ないけど。どうも、ママチャリの内装変速のようなヌタヌタ感が……うーん、って感じで。でも、重さとか抵抗とかは気にならなかったかな。シマノのアルフィーネがドロップハンドル用のSTIレバーかつ電動ってのを作ってるみたいなので、そちらに期待です。

 さてさらに南下します。さすがアメリカでかい。カルフォルニアに戻るまでにすでに三日かかっています。行きは何も見ず、インターステートハイウェイで一気にいきましたので、なんとか二日でつきましたが、帰りくらいはゆったりと……旧街道を行きます。カルフォルニア州に入ったら海岸沿いのパシフィック・コースト・ハイウェイへ。ほとんどが細い二車線のこの道は、うねうねと曲がりくねり、アップダウンを繰り返してサンディエゴへつながります。しかし、この州の境あたりでは、車に乗っていても道が悪いのを感じます。けど、有数のサイクリングコースでもあるので、たくさんの自転車旅行者を見かけます。老若男女、荷物をたくさん積んだクロスバイクが多いですね。

 海へ降りていく道路を走りながら、同行(というか車をずっと運転してくれている)のマシュー君が、このあたりの説明をしてくれます。つっても、観光とか歴史とかの話じゃなくって、マフィアっぽい系の話。山の中を進んでいるのですが、ほとんど街も無いこのあたりでは警察力もあまり及んでいないので、道から離れた森の奥では各種犯罪的な方々が、犯罪的な物資の生産や栽培に励んでいるのだとのこと。時々、警察が入っていくのだけど、どちらも重武装していてなかなか大変なんだとか。もっとも、こんな山奥だけじゃなくって都市近郊のいわゆる里山っぽいようなところでも、そういう場所はあってハイキングルートから見えるところにブービートラップとかしかけてあってビビったよー、という話をしてくれました。
 まあ、治安が悪くなった、といってもやっぱりレベルが違うようです。そのレベルも場所によって全く違っていて、治安の良い所は日本の田舎なみに適当にやっていても問題ありません。でも、一方で重武装のマフィアと治安機構が対峙しているところもあったり。まあ、そういう輩がいるから一般市民にも武装が必要なのだ、というのも説得力はあるのでしょう。すでにそこにある脅威だから、あいつらの銃を降ろさせなければ、俺たちの銃もおろせねえっていうレザボアドッグス理論。



 さて、見えない海岸沿いには、ところどころ街が点在してます。
 ここはヒッピーの街、ここは超ハイソなペンションの村、と説明してくれます。やがてひとつの街につきました。その日の目的のひとつ、ユーリカの街です。



 古き良き時代の雰囲気がよく残されています。



 このあたり、写真に写っている範囲はヒストリカル・ディストリクト、つまり歴史風致地区となっていて、こういう建物が保存されているようです。おみやげ屋もありますが、あまり地域の品物はなかったですね。で、写真に写ってない範囲。ほんの一ブロック離れただけで、街の雰囲気がガラリと変わります。大きな街ではないのですが、なんというかスラム臭が漂います。ホームレスっぽいような身なりの人たちがうろうろと。かつては木材の積出港として栄えたようなのですが、現在の産業はマシュー君に言わせれば「麻薬」。山の中で栽培をしたり製造をした麻薬をこの街でさばいているとか、そんな感じらしい。このあたりは(州都)サクラメントや、(経済上の中心)サンフランシスコからも離れているから、役人たちはどうなっていても気にしないんだ、と彼は言いました。



 アメリカ的スケールで考えれば、そう遠くはないはずなんですが、比較的交通が不便な地域なのでそう言われれば、そうかなと思わされる雰囲気はある街です。まあ、ヒッピータウンに高級リゾート、麻薬の街がかわるがわる現れるのはちょっとおもしろいですが。

※ついでに言えば、ユーリカは意外と最近まで中国人排斥をしていた街です。

 ユーリカを訪れたこの日は、更になんかしてフォートブラッグという街まで行きます。
 そこはサンフランシスコランドナーズと、デイビスバイククラブ、それぞれが開催するブルベで度々折り返し地点になっている街だとのこと。なお、フォートブラッグは岩手県に大槌町と昔からの姉妹都市で、いろいろと人的交流があったとのこと。というのもマシュー君から聞きました(w

 大槌町はシーシェパードの活動拠点のひとつで、震災時に町民がシーシェパードのメンバーを救出した記事がありましたが、その後シーシェパードはフォートブラッグに対して直ちに姉妹都市をやめるよう通告しているのは、さっき知りました。すごいな、パタゴニア。

 さて、次回はこのシリーズ最終話。サンフランシスコ……の話はほとんどありません。

カスケイドのあと 3

 オレゴン州って何があるの?
 って聞かれても、正直なところ
「何もない」
 と答えてしまいます。
 ほとんどが山岳か森林ってイメージの州なんですが、世界最大のものがいくつかここにあります。
 ひとつは世界最大の木造建築物。
 そうなんです、世界最大の木造建築物は東大寺大仏殿ではないんですね。つうか、あれは日本最大ですらないらしいですよ。なんか昔の漫画とかだと、世界最大の、って冠がついていた気がするんだけど。
 世界最大の木造建築物はティムラック航空博物館という建物で、もともとはアメリカ海軍の飛行船を”いくつも”収容できるようにつくられた格納庫。飛行船なんて一隻でも十分巨大なのに、それが何隻も入るんですから剛毅なものです。でも、ここには行きませんでした。
 それで世界最大の、航空博物館つながりでポートランド近くにあるエバーグリーン航空博物館へ。
 こちらには世界最大の飛行艇、かつ世界最大の幅をもつ航空機であるH4ハーキュリーズ、あるいはスプルース・グースと呼ばれる飛行機です。まあ、まずオレゴン州なんかめったに行く事はないので、寄ってみましょう。

※今回の記事に関し、誤りの訂正や追記をささきさんにコメントとしていただきました。それもあわせてお読みください! 



 でかっ!
 双発の飛行機がその翼下に入っちゃってます。でかすぎ。ちなみにこれも木造。



 ちなみにこれも超でかい。後ほどそのでかさがわかります。



 でかいなあ。もう飛行機と言うより、建築物。ちなみに現在の最大の航空機と比べたって、まったくひけをとらないでかさです。でかさ感では圧勝なくらいのでかさ。もう、でかいでかいしか言うこと無いよ。



 木製のせいか、修復が丁寧なおかげかすごい平滑な表面。



 下にある飛行機がおもちゃのよう。



 内部にもちょこっと入れます。プレハブ建築物みたいです。このビーチボールはフロートに詰め込まれていたもの。後にちゃんとしたものに置き換えられて、このビーチボールは小学校などに寄贈されたそうです。
 当時の報道映像なんかも流れていました。計画中止後、移動を命じられたハワード・ヒューズが勝手に「ちょっとだけ」飛ばしちゃうシーンは迫力満点。レポーター大喜びって感じ。



 Me262。その向こうはP51かな。



 Fw190。ローカルな航空博物館にしては、建物も展示も非常に綺麗。人もたくさんいます。
 有名なプレーンオブフェイムズは、ちょっと倉庫っぽいんですよね。まあ、あれは実際に飛ばしているし、それに最近改装が続いて改善されているようでしたが。



 F6F。あんまりかっこよくない。



 F4U。超かっこいい。びょーんとのびたノーズがスポーツカーのジャグアのようです。ジャグア。ジャギュアだっけ? 車のほうは好きじゃないけど。



 スピットファイアのコクピット部分。なんか中途半端なドア。これいるのかな。



 Me109。サブタイプとかはメモしてないのでわかりません。テキトー。
 ちなみに手前のサイドカーはいかにもドイツ軍っぽいですが、ウラルです。戦後のソ連製サイドカー。現在も生産されてます(日本でも販売されてます)。



 P38。いかにもなマーキング。カプコンのゲーム「1942」で主役をはりました。あのゲームが今登場したら、カプコンは売国企業としてネット戦士たちが血祭りに上げるのでしょうか。



 我らが零戦。の一部。
「失われてしまっている部位についての情報を求む。どんなことでも」というような掲示がされていました。



 好きな人もいるでしょうから、これも。色合いは目で見たのと違う気がしましたが、どんなふうに違うかは、もうわかりません。



 7.7mm機銃が入るところですね。



 TBFアベンジャー。アベンジャーズが盛り上がっているらしいので。



 アベンジャーの爆弾倉。魚雷が入るので長い感じ。




 ディティールシリーズ。コルセアの吸気口。



 ハーキュリーズの係止綱と錨。




 P47の弾薬倉。



 なんかのエンジン。電子制御以前のものだと思います。




 外にはフランカーも。めんどくさいからガラス越しに。屋内保管すればいいのに。



 ヒューイコブラ。幅狭っ!



 F104ベースの実験機。NASAのもの。何の実験だかはしらない。



 SR71のエンジン。SR71はエンジンポッドがガバッと開いた状態で展示。超超かっこいいんだけど、細長すぎて写真におさめにくい。



 これ、なんだっけ? SR71にくっつけて使うものです。



 なぜかソ連機も充実。



 ゲームや漫画でヤラレ役のMig21。でもけっこうスタイリッシュ。案外現代的。



 ファーマー・・・だっけ? 大戦略では微妙な性能でした。




 無人戦闘機、プレデターだったかな。これ、かなりでかいです。人の死なない現代の戦争を代表する機体。おっと、死なないのは味方だけ。敵国民は普通に死んで、なおかつ対等に相手を殺すことすらできないという時代。まさに格差社会を代弁する機械。
 格差社会って、貧富の格差だけを見るとなんだか見誤る気がします。
 つまり「ずっと俺のターン!」ができる社会です。それを格差の固定化というのです。



 プレデターの背景にも置きましたが、でかいなあ星条旗。手前のジェット戦闘機が小さく見えます。

 他にも宇宙開発のコーナーなどがありました。ソ連の金星探査車なんかがありましたが、このあたりの展示は我が国でも金沢の方に旧ソ連から持ってきた奴があるので割愛。



 なぜか博物館の裏手には旧東側の戦車が・・・。




 説明もなく野ざらし……。


 次回はもうちょっと南下します。

カスケイドのあと 2



 オレゴン州ポートランドは、川に沿って東西に広がる街。典型的な河岸段丘地形で、坂の多い街です。そして全米でも有数の自転車の街として知られています。どんなにすごいんでしょうか?



 よくわからないオブジェが我々を出迎えてくれます。



 フェンスまでこんな感じ。



 これはバイクスタンド。



 所変わってダウンタウン。中央線の手前側のレーンが自転車レーンだったかなあ。駐車車両分どかしてレーンが引かれています。事実上、自動車の車線を一本つぶしているんですね。譲り合いの精神です。



 この角度のほうがわかりやすいですね。こういうレーンの引き方はポートランドだけではなくって、市街地だと珍しくはありません。お互い様の心がなければ、こういう施策はなかなかできません。



 幼稚園の子供たち? ロープにハンドルをつけて子供たちにそれを握らせています。



 ポートランドは屋台でも有名な街です。僕はベトナム料理のフォーを食べました。むちゃくちゃ安くておいしい!

 その他リカンベント専門店にも行きました。リカンベント専門店に貼られたヒストリーが面白かったのでメモと記憶している範囲で書いてみます。

 1930年代初頭、リカンベントは急速な発展を遂げ各地のレースや記録会で好成績を残し始めた。さらに数十年破られていなかったアワーレコードの記録を更新し始めると、旧来型自転車の側から反発の声も聞こえてきた。リカンベントは危険だし、資本的な競争も招きかねないというものだったが、イギリス自転車協会は、それを問題とは思っていなかった。しかし、イタリアのUCI議員であるベルリーニはこの批判を支持。リカンベントは「人力によって駆動される乗り物」であって、自転車ではないと断言した。こうして自転車界を二分する論争が巻き起こった。

 さらなる批判は技術的なものでさえなかった。それはつまり”二線級”の自転車選手たちが勝利を得、記録を更新していることに対する文句だったのだ。過去の偉大な選手たちが打ち立てた栄誉を、二流の選手が塗り替えていいものか、という言いがかりのようなものだ。

 事態が紛糾するにあたって、(反リカンベント派である)フランスUCI議長のルソーは論点をまとめ直した。彼は自転車の形状についての規則と、空力付加物の禁止を打ち出した。これは議会に諮られ、議決がとられた。結果は58-46でルソー案の勝利。これによってBBの位置やBBからサドル先端までの距離などが決定され、つまるところリカンベントは公式競技の場から排除されることとなった。

 店内にはかつて、リカンベントがアップライト自転車(普通のロードやピスト)と一緒にトラック競技やロードレースをやっていたころの写真がいくつか貼られていました。リカンベントの何が悪かったって、じつのところ、これがイギリス人が実用化したものだということだったんじゃないかと思いますね。
 よく「日本人が勝つと、白人はルールを変えやがる」と言いますが、オブリーの件といいリカンベントの件といい、そんなのは「日本人」だからではなくって、フランス人ではないから、な気がします(w


 さて、他にポートランドの印象ですが、思ったより「自転車の街」してなくって普通の街でした。施設的には、以前僕が住んでいたアーバインの方がよっぽどよく自転車向けに整備されています。路上を走る自転車を見ても、信号を守り、車道を右側通行をするだけであとは日本のママチャリとそんな変わりません。路駐をよけてふらふらし、車も速度は出さないものの、それほど大きくは避けず……って感じ。
 でも、おじさんもおばさんも、子供たちもたくさん自転車で走ってました。
 こういうのって、設備ではなくってこころのありかたなんだと思いますね。譲りあいと、お互い様の精神です。
 京都の方でもあった、道路を整備したら、車がバンバンスピードを出すようになってしまいには居眠りで子供たちをなぎ払うようになった事件のように、設備は安全を担保してくれるもんじゃないという認識から始まる気がします。

 さて、意外や普通の街だったポートランドを後にして、航空博物館へ向かいます。