この記事は「ブルベはレースではない。どうして? そしてどこが?」ってところに関する説明です。率直に言えば、精神論的なものです。コンペティションってのが、いかに荒々しい世界なのか、そしてその荒々しさを持ち込まないように、という内容と感じられます。
抄訳ですが、僕の英語力を甘く見て簡単に信じないように。よくわからんところは大胆に無視し、つうか全体的に超訳しています。しかも1時間くらいでのやっつけ仕事です。誤訳などはコメントください。気が向けば修正します。と、エクスキューズしたところで……。
抄訳:ランドヌーリングの競技的側面
2003年の表彰式では、これまでに無い事態が発生していた。もっとも速くゴールに飛び込んだライダーたちが、そこへ呼ばれることはなかった。彼らは、様々な規則違反の結果として2時間のペナルティーを課せられていた。オフィシャルのひとりがその違反行為をリストアップしてくれた。それはコントロールでの我儘勝手な行為であり、町中での排泄行為であり、目に余る数々の交通違反であり、ルールに違反したサポートカーの利用であり、オフィシャルカーへの妨害行為、スタッフへの無礼なふるまい、などなどであるという。後に開催者たちが発行したニュースレターには次のようにある。
「多くの参加者たちやPBPに声援を送る人々が、これまでにこれほどルールを無視した行為があっただろうかと感じたことはなかった」(Cyclotourisme 518号34ページ 2003年10月号)
実のところ、ペナルティを受けた彼らは何か不正なこと、あるいはおかしなことをしていたとは思っていなかっただろう。彼らはただ、いつものレースのように振る舞っただけなのだ。一方で、主催者としては、これは単にルールが守られなかったことがペナルティにつながっただけではなく、さらにPBPの規則そのものの精神を踏みにじったのだと語る。そこには、このゴールに一番のりしたライダーたちと、主催者とに明らかなPBPのあり方にたいする理解の違いがあったのだ。
主催者はPBPはレースではないと強く主張する。そしてランドヌーリングの精神は参加者のふるまいによって脅かされることもあるのだと言う。しかし、ランドヌーリングの精神とは何なのだろう? それについて規則が述べるところは少ない。BRMのルールは第12条において「ブルベはコンペティションではない」と記してあるだけだ。けれども、完走者のフィニッシュタイムは公表されるし、PBPにおいて、それぞれのカテゴリーにおいて最も速いライダーはトロフィーが授与されるではないか。それは、速く走ることを望むライダーにとっては、結局レースであるということを意味してはいないだろうか。これらは最も速くゴールすることを望むライダーにとって、規則を破ることを選ぶ理由になるだろう。
こういった要因と、コンペティティブでは無いこととの間にあるモノを説明するには、PBPの歴史をひもとく必要があるだろう。PBPにランドナーたちが参加しはじめたのは1931年のこと。1891年から1950年代までは、PBPは主にプロフェッショナルなライダーたちのものだった。だが、ほかの自転車競技が広まっていくにつれ、そのような競技者たちはPBPにむけたトレーニングをすることができなくなっていった。プロフェッショナルたちの競技の場としてのPBPはこうして死んだ。そしてランドナーたちの挑戦の場となっていったのだ。
レースによって生計を立てる職業ライダーと違い、ランドナーたちは楽しみのために自転車に乗る。彼らはアマチュアであることが誇りである、サイクリング愛好家たちだ。彼らも時にはコンペティティブではあったが、たいていはそれほどでなかった(オダックスというコンペティティブを望まない人たちのための形式もある)。そういった人たちの多くは、参加者やボランティアスタッフとして、生涯をPBPに関わってきている。
PBPの主催者は、十分にレースというものを理解し、その上でPBPはレースではないとみなしている。その違いは微妙なものだが、礼儀をもって行うかどうかということだろう。レースはより戦いに近い。ただひとりが勝者となる。ランドヌーリングは文化的な自転車の楽しみかただ。それはどんな距離でも、どんな天候下でも、自己解決していけるような、より優れたサイクリストへの探求なのである。
それは「ゆっくり走れ」と言うことではないし、コンペティティブになるなということでもない。ただ単にPBPは能力を示す場で、時間制限内でゴールすれば、誰もがメダルをもらえる。それは90時間内にゴールしたということを意味するのみだ。もちろん、あなたが自分への挑戦、あるいは前回の自分を超えるのだという行為に悪いところなど全く無い。ただひとつ、重要なことはすべてのPBP完走者は勝者であるということ。誰かがもっとも速く走り、トロフィーを得たとしても、PBPを勝ち取ることはできない。誰もが同じメダルを受け取る。そして最後にゴールする者も、最初にゴールした者と同じように喝采を受けるのである。
レースとの違いはもはや明白だ。レースでは最も速いライダーが尊重される。そこでは、レースの勝者はほかのライダーたちより重要な人間だと見なされる。遅いライダーをラップするとき、勝者には道を譲らねばならない。ランドヌーリングでは、誰もが等価値であり、速いライダーだからといって遅い人々を押し退けることはできない。もっとも速いライダーも、ほかの参加者や関係者にたいして礼節を払い、丁寧な態度で接しなくてはならないのだ。
ランドヌーリングは自己解決が求められる。たとえ、コントロールでサポートカーから支援を受けることができるとしても、それぞれのライダーは自分自身で成し遂げることを期待されるし、そのための準備をしておくこととされる。
レースにおいて誰かがパンクしているときや、”ニュートラル”なトイレタイムのときにアタックを仕掛けるのが不作法とされるように、ランドヌーリングにも不文律はある。意見の違いもあろうが、それを下に記す。
1)礼節を持って人にあたれ。他人に気を払うこと。むき出しの闘争心はレースの場においては大事だが、ランドヌーリングには必要ない。あなたのクラブ、あるいはあなたの国の代表者であるという意識を持つこと。
2)もし少人数で走っているのなら、ともに協力し、そしてともにゴールしよう。パンク修理なんかも一緒に。よほどばかげた装備の参加者と共に走る必要はないが。
3)”アタック”はこのスポーツには無縁だ。集団のペースについていけないライダーが居るのは仕方がないが、誰かをふるい落とすためのアタックは礼節の無い行為だ。
4)不法行為につきあわないように! ルールに従うこと。特に交通法規は守ること。信号や一時停止は必ず守る。(ここからあとは普通のブルベには関係ないと思います:さとう)自動車がずっとつけてきているようなグループはなにかおかしいと思うべき。オフィシャルカーは、そのようなときには速いライダーの利益にならないように灯火を落とします。そういう違反サポートカーのグループに入ってしまったら、速やかに離れること。グループのメリットは捨てがたいけど、それによるペナルティのリスクを忘れずに。
5)ボランティアや審判に敬意を持つこと。彼らの指示には従うように。そして謝意を表するのもよい。それにはたいした時間はかからないし、彼らなしではこのすばらしいスポーツは運営できないのだから。
6)完走すること! どのような状態のであっても、ゴールすることが最良なのだ。勢いこんで走り、へばって走りきることができないのは、もっとも避けるべき事態。
もちろん、これらの精神はPBPだけに当てはまるものではない。一般のランドヌーリングでも同様なのだ。楽しもう。速く走りたいのなら、ガンガン行け。自分自身、あるいは誰かに挑戦するのもいい。でも、忘れてはならない。これはレースではないってことを。