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【落武者魂】 2012年05月
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落武者魂

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AACR2012



 今年で三回目の参加。アルプスあづみのセンチュリーライドです。今回も去年と同じく、田中夫婦と一緒にタンデム自転車を持ち込みました。のびやかな景色の安曇野を夫婦家族で走るのにタンデムほどふさわしい自転車があるでしょうか? 思い起こせば去年は土砂降りでコースが半分ほどに短縮しました。一昨年もいつ雨が降るかわからないようなお空の様子だったような。で、今年は?



 バーン! 素晴らしい青空。そして残雪の美しい山々。
 ついにこの日が来ました。もう思い残すこともありません。
 天気がよくって、気分爽快。あっという間に国立アルプスあづみの公園へ。



 このトイレはまるで使う人がいないかのようなほど、むちゃくちゃに綺麗、かつ冷暖房完備(多分)、さらにウォッシュレット装備。理想的な公衆トイレです。トイレからすっきりした気分で出てくれば、目に入るのはこんな景色。



 すばらしい~。夢見るようなサイクリング。チェックポイントでは応援の方々が太鼓を打ち鳴らしておりました。



 大町の方々が握ったおにぎりに、ねぎ味噌なんかを自分でつけて食べます。実にうまい。けど、まだそんなにお腹へってないのよね。ひとつもらって先へ。



 だんだん北アルプスの山々が近づいてくる~。
 大町温泉郷まで大回りして走ります。ほとんどクルマなどは走っていないので「たのしいサイクリング」の教科書のような状況です。



 私たちはCO-MOTIONのタンデム。PBPジャージ。田中さんはProgressiveのタンデムに美ヶ原HC優勝ジャージ(ただしリカンベントの部)。田中さんの奥さんはほとんど自転車に乗っていないという話でしたが、ほとんど疲れを見せることはありませんでした。素晴らしい。



 大町温泉郷では、パリブレストが個数限定で配られていました。ちなみに、大町ではこの秋に大町グランフォンドが開催されます。そこでもこのパリブレストが振舞われるとのことです。今回、GETしそこねた方も、きっと大丈夫。大町グランフォンドも挑戦されてはいかがでしょうか。もちろんタンデムも大丈夫。



 さて、いよいよアルプスの山々が近づいて来ましたが、ここでコースは一旦東へ向かって山道を抜けていくルートになります。山々といっても……。パンフレットにはスタート直後と折り返し直後に5%前後の坂がある旨記載があるだけ。ということは、他にろくな坂は無いはず。



 はい、騙された。また騙された。ルートラボ計測で10%前後の表示が出たりするアップダウンが続きます。なぜここに注意表示がないのか。初心者をビビらせないためなのか。こういうのはタンデムは苦手なのでゆっくり……と思ったら、田中夫婦タンデム、ガンガン行きます。つうか、田中さん(夫)がガンガン。奥さん、ペダルから脚外してるし(フラペなの)。それなのに目に見えて速い。おかしい。同じ人間とは思えない。連邦のタンデムは化け物か。

 脚力の差を歴然と感じてしまいました……。淡路島ロングライドのときは、お二方の総合力と僕らの総合力とで大きな差を感じましたが、今回はたった一人のエンジンとこちらの総合力とで、これだけの差。さすがに下りではブレーキ的に利があるので、僕らの方が先に行けますが……。と思っていたら、なんだか前輪の振れがひどくなってる。これは思い切ったダウンヒルも避けたほうがいいのかなあ。



 山道を抜けると広がる雪をかぶった連峰。これほどシーニックポイントなライドはあまり思い出せません。今年は寒さが長引いたのが良かったのかもね。



 折り返しは白馬のスキージャンプ場。
 ここで田中さん(夫)に「後ろの人が脚をはずしてる」と言うと「外されるとバランスが悪くなるんだよね~、って、脚外してたの?」と言う。気付いてなかったのか! 登りでさえ足を外してたというのに。人一人乗っけて気づきもせずあれだけの登りを行けるとは。まあ、脚をさぼらせていたのはちょっとだけだからなんでしょうが。
 なんやかんや言って、折り返し地点まで来ました。
 田中夫妻も心配していたような疲れはなさそうなので、このまま戻ります。当初は奥さんだけ海ノ口駅などから鉄道で帰るという予定もあったのですが(w

 

 登りに差し掛かると、なぜかスピードアップするタンデム。クライマーという人種は理解できません。



 青木湖、木崎湖とみっつの湖を眺めながら帰ります。このあたりから120kmコースの方々と入り混じるようになりました。たのしいサイクリングだけを堪能したいなら、この120kmもよいですね。



 火計……孔明の罠だ!!



 夕方から雨との予報。急に雲がわき出してきたので、速度をはやめて帰路を行こう。
 といいつつ、パン屋さんによったり、チェックポイントで休んだり。ジェラート食ったりソフトクリームくったりで結構のんびり。まあ、同じお金払ってるんだから長く楽しんだ方の勝ちだよね、こういうライドは。そんな感じで、結局最後まで僕らは雨にふられずにゴール。田中夫婦も、結局余裕の100miles完走でした。

 夫婦、カップルで楽しく長距離を走るならやっぱりタンデム。エンジンにはヒルクライマーがオススメです(w

 
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山形タンデム300kmブルベ

 さて、みちのく旅も417青葉200も書いてませんが、さくっと宮城300kmブルベのことを。

 それはひと月くらい前。5月半ばの予定を考えていた時のこと。
 今年はあまり長距離のライドに参加してないなあ、このままじゃ6月のCascadeが不安だと思っていて、千葉の400kmにエントリーをしようとしておりました。そんなとき、ふいに宮城のコースって山形よりを走ることが多いよなあと頭に浮かび、覗いてみるとルートラボのコース予定が掲載されています。どんなものかとリンクを踏んでみたら……。なんと300km全部山形県内。と、いうことはタンデム走行可。まだコースは決定ではないので、一応、主催の方に変更が、どの程度ありそうか問い合わせてみました。タンデムで走りたいんだけど……と。
 すると、変更があっても県外に出ることはないだろうという返信をいただいたので、さっそく細君に電話をして当日のスケジュールを確保。翌日は昼には東京にいなくてはならないとのことだけど、当日はOKらしい。ということで申し込み。

 コースを眺めてみると、山形県の内陸部、寒河江から新庄まで北上して、そこから最上川沿いに酒田の北を抜けて日本海へ。帰りは山形県の北側の山間部を抜けて戻ってくる感じ。変形8の字?っていうのかな。標高差的には行きはよいよい帰りは怖い系。でも全体で2000メートルも登らない比較的フラットなもの。

 前日に寒河江まで車で移動。スタート地点至近に宿をとって当日を待ちます。タンデムなので、18時間くらいかかることを覚悟。24時ゴールで、自転車をクルマに積み込み、東北道を郡山で降りて東洋健康センターで風呂&仮眠。翌日昼前に東京へ辿り着ければいいか、というスケジュール。家に帰るまでがブルベなのです。





 当日の朝は気温10度を下回って肌寒いくらい。防寒をしっかりしておくようにというコメントがあったので、念のため背中にモンベルゴアジャケットを背負っていくことにします。二人分。ただ、日光が直接あたっているところはかなり暖かい。天気予報は晴れ曇り。その割合は地域によってまちまちながら、雨の可能性はなさそう。もし、酒田の方で晴れてれば、鳥海山が素晴らしい姿を見せることでしょう。



 スタートを切ったのは、だいたい20人前後。寒河江からしばらくは平坦なのでタンデムらしく、さくさく進んでいきます。やがて日が昇ってきたら暑くなってくるので、自転車を脇に停めてウィンドブレーカーを脱ぎ、さらに進もうとしたところで前輪がバースト。思い切りバースト。タイヤが外れちゃって、びろーんとだらしなくはみ出たチューブはずっぱり裂けてます。

 なんだこれ、なんか踏んだか? と見てみても、タイヤには傷なし。長いこと使っていたチューブは、摩耗によって薄くなってきていて気温が上がったことによる気圧の上昇に耐えられなかったのかな。28cのタイヤは、はめやすいのでパンクからの復旧もあっという間……と思ったら、ポンプにチューブのバルブが噛みこんでしまうトラブル。空気を入れても入れても外すときに、バルブごと抜けてしまう。何度かやって、ようやく空気を保ったままポンプを外すことに成功。一時は15kmでDNFかと……。原因がはっきりしないまま、残りのほとんどの距離をスペアチューブ一本で過ごすのは不安、でも止むなし。28cのチューブはクロスバイクと同じだろうから、アウトドア系の店や大きなショッピングセンターなら取り扱っているかもしれないと自分に言い聞かせます。

 そして、すっかり最後尾になってしまったけど気を取り直して再出発。今回のコースでは国道13号の交通量に注意とのこと。たしかに、そこは県東部を南北に貫く幹線なので、大型車も多くちょっと気を使います。でも、バイパス部分では雪捨てのため(?)に路肩が広いのと、ドライバーも大きく譲る人が多いので走りにくくはありません。もっとも、どうしても積雪で道路が傷んでいる部分が多いのと、雪の季節に積み上がった砂礫には注意が必要。



 他に今回独自の注意点は学校行事。各地で運動会が開かれていて、関係者らしき車両の渋滞があちこちに。それはいいんだけど、学校の運動会でも屋台とかが出てるのって、ちょっと面白かったですね。



 月山(の連なりだと思う)なんかを横目に眺めながら、最上川沿いに入っていきます。山形県は蛇行する最上川の流域をカバーしている県なので、何度も何度も最上川を渡ります。つうか橋が多いよね、とにかく。

 最上川沿いに入ると、一気に向かい風が強く。スノーガードの多い道ですが、広いので走りにくさは無し。でも、スノーガードのあるところでは、路面は特に悪くなります。あとはひたすら流量の多い、濁流の最上川を見ながら向かい風を耐え忍ぶのみ……。



 酒田の内陸部。風力発電の風車も林立しています。このあたりは日本海から吹き込んでくる風が名物。下り基調だったのだけど、時速20kmくらいを維持するのがやっと。タンデムなのに。速度をキープするために脚を止められない! ケツが痛くなる!



 これは庄内名物……というか東北地方には多いのですが、地吹雪ガード。左側が西、つまり日本海側です。右側にはこの設備はありません。つまり、ほぼ確実に西風は強いぞ、ということです。この写真からわかることはもうひとつ。曇っているので、鳥海山は見えないということ。がっくし。

 がっくししながら、PC2手前のちょっときつい丘を越えて日本海側へ。海岸沿いなので、日本海が一望……と思ったらちっとも見えない。これまたガッカリ。



 さて、ここまでで約140km。全体平均速22km/hくらいで走ってます。バーストで30分前後取られてしまったにしては、ありえないほどの好ペース。このままいけば、15時間台も見えてくる。ミートソーススパゲティを食べて出発。しばらくは折り返しルートですが、やがて真室川沿いに逸れていきます。そのまま渓谷を伝って上りが続きますが、激坂には至りません。道路は広くゆったりとした作りながら、交通量も無し。斜度は一番きつく5%くらいかなあ。標高も三百メートル半ばとさして高くは無いものの、ほぼ海面高度から登るので距離はありました。頂上は差首鍋(さすなべ)という地名。かつて差首鍋館という山城があったそう。どんな由来なんでしょうね「さすなべ」って。

 チェーンが落ちてしまうトラブルがありつつも、無事クリア。こういうトラブルにもずいぶん慣れてきました。ふたりで慌てず騒がず車体の安定を保てば、タンデムといえど簡単に落車することはありません。重量が重たい分、安定していると思うほど。パニクったりすると、転倒することもありますが、どちらかが落ち着いていれば、転倒するときも挙動はゆったりしている傾向があります。低速時の経験しかありませんが。



 さて、PC3はPC1のちょっと北側。そしてPC3から低い峠を越えてPC1を通過して南下します。ここは下り基調。というか、PC2を過ぎてから、基本追い風基調なのか、差首鍋の登坂もちょっと楽だったかも。この国道13号線も追い風にのって一気に距離を進めます。やがて往路から外れて最上への登り。



 景色は単調で、わざわざ停まるほどのことはないかなあ、とか、最上川の白糸の滝が一番のシーニックポイントだったねえ、なんて話していました。けど、こうやって撮影した風景を見ていると、どこも良い風景。そのせいで感性が麻痺していたのかな(w



 もっと良い場面もあったのですが、撮影員がへぼで……。

 最上のPC4。残り距離は60kmくらい。最後に一番標高のある峠を越えます。その名も山刀刈峠。松尾芭蕉も難路と記している道です。これはやばそう。しかし、ここまでのペースも結構よくって、なんだか15時間以内のゴールもできる可能性アリ。こうなってくるとアサイチのバーストが恨めしいのです。なんとなれば、ゴール近くの温泉施設は午後9時までは入館できるからです。しかし、走り出す前は18時間(午前0時)ゴールと思っていたくせに、ちょっと調子がいいと午後9時ゴールを望むとは。人間の欲望は恐ろしい……。



 赤倉温泉を過ぎると、山刀刈峠。今回の最高標高……なんですが……さきほどのPCの標高がすでに結構高いので、その差は100メートル~150メートルくらい? あっさりトンネルで鞍部を抜けてしまいました。なんだか拍子抜け。

 そしてそこからは疾風怒濤の下り基調。追い風もあるのか、40km/h近い速度がキープできてしまいます。あれ? このままいくと午後9時どころか8時半にはついちゃうんじゃね? それどころか、もっといけんじゃね? そんな皮算用をしているうちに日没。やがて寒河江の町に再突入。



 バーストさえ無ければ十分に13時間台に入ったのに……という完走時間。ブルベのタイムはあまり意味ないと思っていても、これだけあっさりと戻ってこれると、なんだか欲が。これが人間の業か。
 けれどあれですね、ブルベは長く走っている人たちは強いですよ。長くってのは、競技時間ぎりぎりまで使って楽しんでいる人たち。やっぱり早く帰りたいもの。速く走るより、早く帰るという方が、僕にはモチベーションに影響します。

 参加者数がほどほどということで、変則的なペースの僕らは、後半ほぼ誰とも遭遇しませんでした。ただひとり、淡々と走っているという懐かしい感じ。あ、ひとりじゃなかったは。いや、まあタンデムはいいです。「羊羹!」といえば、羊羹がでてきますし、「ウィダー!」といえば、ウィダーが出てきます。ちゃんとキャップも開いてます。ごみ処理もやってくれます(僕の背中に突っ込まれるんだけど)。



 BRM519、気候にも恵まれ、大変楽しいブルベでした。ちょっと郊外へ出ると信号の数がググッと減るのと、交通量がなくなるのが本当にありがたい。純粋にタンデムライドを楽しめました。
 次回は米沢牛を食べて帰りたいので、また機会をとらえて。
 
 今回はゴールした後のドライブが一番つらかった。車内、疲労ですごく険悪だったし……。

ひとりみちのく旅。三日目 秋田から鰺ヶ沢

 いよいよ物語は東北の最北、青森県へ。日本海側に、もう都市といえるような場所はありません。秋田を出て、今日は龍飛岬の付け根、鰺ヶ沢までの約200km。今回の旅行で最長の行程です。まずは、日本で二番目に大きかった湖、八郎潟方面へ向かいます。



 秋田の街を通勤ラッシュの交通にもまれながら港へ。港付近の交通は、やっぱり殺伐としていますが、北側へでると道が広く、かつ北方へは交通量はやや少なめなので、ちょっと楽に。港のはしでは、海上保安庁の方々が朝礼をしていました。女性隊員がよく通る声で号令をかけています。よーし、俺も頑張るぞ。

 海岸沿いを北へ向かうバイパスは、特に問題も無いのですが、防砂林があって海は見えません。もったいないなあ。どうも防砂林の向こうに秋田男鹿自転車道なるものがあるようで、標識がでています。。そちらへ入って、日本海を見ながらのんびり走ろうかな……。



 ナニコレ?
 この先は走りやすくなるかな、と柵をくぐってみましたが、数百メートルおきに赤錆た鉄棒が道路を封鎖していたので断念。しかしこりゃいったいなんなんだ。そういや、海岸沿いの自転車道路っていくつかあるけど、どう考えてもメンテナンス困難なものばかり。バルーンタイヤのビーチクルーザーでも想定してるのかな?



 気を取り直して男鹿へ。今日はすぐに北風に変わるということで、できるかぎり今のうちに進んでおきたい。寄り道なんかしたくない。



 でも、いきなり寄り道。男鹿半島にある寒風山へ登ります。一週間前の東北1700でレポートに比べてもずいぶん緑豊かに。季節はあっという間に夏へ向かって進んでいるんだなと感じます。登っている途中で、有名なババヘラアイスを売っているパラソルを見かけるものの、こちらは崖の上、パラソルは崖の下という場所なので断念。うーん、あのババヘラアイスのパラソルの設置場所には、とても車通りがあるようには思えないのだけどなあ。
 ババヘラアイスってのは、秋田の名物(らしい)。道端でパラソルを立てた女性はアイスを売っているというもの。ババアがヘラでアイスをすくってくれるからババヘラというらしい。残念ながらここでしか見ることはできなかった。



 よし、寒風山登山の任務完了。400メートルもない低い山。でも日本海から吹き付ける寒風のせいか、あまり大きな木は無い。頂上付近はクレーターっぽくなってるので、たぶん火山だと思うんだよね。その土のせいも、妙に木が少ない理由なのかもしれません。さて、八郎潟へ下っていきますよ。



 八郎潟の西を貫くバイパス。寒風山を下ってからというもの、ついに恐れていた北風が。速度がのりません。ちょくちょく通る大型車が巻き起こす乱流で速度を乗せて頑張ります。ふと気づくと、ハブ軸に取り付けたライトのホルダーが壊れそう・・・・・・。いまならドライバーでネジを閉め直せば。とりあえず外しておこう。



 八郎潟を抜けたところで、牧場直営の食堂があったので、少し昼食には早いけどなだれ込みます。そして・・・・・・



 馬刺し!




 さくら肉焼肉定食!

 食べ終えて外に出ると、風はさらに強く。秋田青森の県境には能代という街があり「風の松原」なる公園があるとのこと。そのネーミングからして、このあたりの風の強さがわかろうというもの。
 さて、ロードサイドにワークマンがあったので立ち寄ります。立ち寄って、まずはグローブ探し。というのも、明日あさっては雨との予報。今日も平年より気温が低いみたい。このまま日が落ちると(まだずいぶん時間はあるけど)、冷え込みが厳しくなりそう。それなのに指ぬきグローブしか持っていない。なので、まずは風を遮る手袋を購入。それから安いレインパンツ。これは膝辺りから切り落として、ペダリングしやすいレインハーフパンツにしよう。それとスカルキャップ。寒い時は頭が冷えていたくなる。それを避けるために。

 どれもサイクリング専用品からすると桁ひとつふたつ分安い。すばらしい。

 能代を出ると、一気に白神の山々が海に迫り、平地はくびられて無くなる。平坦だった道も、アップダウンがはじまっていよいよなんだなという気持ちが盛り上がってくる。やっぱり新しく切り開かれた道は味気ないなあと、岩館という海岸の集落へ降りる道を行きます。そこは岩館という集落。遮るものがないせいで、向かい風はいよいよ厳しいけど雰囲気はいい。そう思っていたら、行き止まりのどん詰まりの道だとGPSが示す。仕方なく、引き返すと、ろくにこがずに30km/h近くまで速度が乗る。うーん……。



 国道へはやっぱりかなりの斜度の道を行かないとならない。岩館は崖下の集落なので、そこから上がる道は崖を縫うように敷かれているのです。国道の手前には五能線の岩館駅があって、ちょうど列車が行き過ぎるところでした。




 道の駅でトイレへ寄って、走りだすとすぐに県境。青森県。見渡す限り続く秘境感溢れる風景が、心を揺さぶります。もしかして、此処から先には人など居ないのではないだろうか。そう思わせさえする景色。僕は今、確かに最果てに向かっている。



 賽の河原なる地名があったので、脇道へそれましたが、どこかわからず。たぶん、この浜辺か、その奥の岬の岸壁にうがたれた洞穴のあたりじゃないかと思うのだけど。脇道は、小さな隧道を抜けて静かな集落に。そこでは、幼い兄妹が遊んでいました。

 しかし向かい風は続いて……。もっとも、これだけつづいていると、なんだかペースも落ちちゃってるので感覚が麻痺してきます。問題はGPSの電池がそろそろ切れそうなこと。別に電池があろうがなかろうが、ひたすら海岸沿いを行くだけなんだけど、やっぱりGPSの表示は救いになりますからね。どこかでコンビニでも、と思うのだけどなかなか無い。つうか、コンビニっていつから見てない?
 実は、今回の旅では銀行カードという存在がすっかり抜け落ちていて、現金を増やすことができないのです。普段、クレカと電子マネーに頼っていて問題なかったのでこんなことに。一日の食事と、緊急時の費用を考えるとあまり余裕が無い感じ。なので、できる限り電子マネーが使えるコンビニや、クレカの使える食堂を利用したい。……のですが、どんどんそんな文明的なものからは遠ざかっている感じ。

 水が空っぽに。残り数十キロを水無しはちょっと辛いので、なけなしの現金を使って自販機で補給。その先に不老ふ死温泉があったけど、時間が遅いので通過……。もうちょっとペースよく走れば、入れたのになあ。ここ黄金崎の不老ふ死温泉の露天風呂は、すごくワイルドな場所にあります。ちょっと波があるとざんぶざんぶかかってしまうような。



 そういえば、この道は自転車で移動している人が多かった。多かったといっても数人ですが。
 青森に入る頃に、この度で唯一見かけたロードの人。それからこの写真を撮った頃に女の子が(となり町に遊びに行ってたのかな?)。それと夕方におばちゃんが。どれも町中ではないところを走っていました。おばちゃんは向こう側の車線から、手を振ってくれたよ。



 深浦。太宰治がその作品『津軽』で宿泊した旅館を改装した記念館……だと思います。もう閉館時間すぎてるので通過。



 五能線が脇をずっと通ってるのに、フォトジェニックな場所では全然列車が来てくれない。これは深浦の踏切。「リゾートしらかみ」だと思います。翌日は雨だし、これで秋田まで帰るという手もあるなあ。



 日暮れが近づいているなあ。暗くなる前に鰺ヶ沢へ着くんだろうか。鰺ヶ沢にコンビニとかあるのかな。



 青森に入ったあたりから、つまり何十キロも前から看板がでている千畳敷。よくある……といっては悪いけど、よくある「千畳敷」の岩場です。主だった岩にはそれぞれ名前がついていますが、急いで出立。



 鰺ヶ沢手前でサークルKを発見。電池や食量、水を買い込む。コンビニ袋をサドルバッグに括りつけ、すっかり貧乏旅行スタイルに。鰺ヶ沢は(深浦くらい)大きな街だけど、街の大きさの感覚も麻痺していたみたい。三浦半島の三崎みたいな雰囲気の街。まあ、漁港だからねえ。ホテルについたら、自転車を使われてない別館に置かせてもらえることになりました。ありがたい。さて、晩飯は……あれ? ついてないんだっけ。ということで向かいにある食堂へ。クレカは使えないけど仕方ない。ガリガリ食って、明日もう帰るかもしれない、帰ったら◯◯(家庭の事情)に間に合うかも、と家に電話。明日の予想最高気温は10度くらい。しかも雨の予報。

 ホテルはこの街で初めてエレベーターがついたというくらい古い建物。よく言えば古き良き時代をそのままに残しています。風呂は温泉。怖くなるくらい広い部屋で、早めの就寝。明日は……どうしようかな。もう、走るのやめようかな。

ひとりみちのく旅。二日目 庄内から秋田

2日目 湯野浜-秋田

 うしお荘には無料で使える全自動洗濯機があったので、前夜のうちに洗濯乾燥を済ませてしまった。すると、同じウェアを着ることができる。なんということか、着替えなんかいらないじゃないか。なんとウェアを着ている分を含めて3セットに、普段着を1セット持って走っている。まあ、洗濯できないということもありうるだろうから、予備のセットは必要だとしても、3セットはいらなかったかなあ。あと壊れてるっぽいACアダプタとかいらんもんが積み込まれてるなあ。まあ、いい。この先は長いし着替えは必要になるかもしれない。走行の振動でACアダプタも直るかもしれない。



 朝食をいただいて、8時ごろに宿を出る。通学の生徒に挨拶されたりしながら、庄内空港の方へ。すぐ脇を通っているのだけど空港は見えない。そういえば、山形県は山形空港と庄内空港という二つの空港を持つ珍しい県だなあ。空港の先は酒田。江戸時代頃までは北前船の経由港として、非常な繁栄を見せた街だ。現在は本間ゴルフとして知られるだけだけど、あの本間家の本拠地。本間家は「本間様にはなれなくても、せめてなりたや殿様に」と謳われたほどの栄華を誇った一族。その財力は庄内藩が維新よりかなり早い時期に洋式軍隊を整えることができた一因だろうし、戊辰戦争でも資材資金の供給源となったという。



 酒田から北上していくと、鳥海山が……見えないねえ。
 しかたがないので、鳥海山へ針路をとって登ることに。そう思って吹浦の町で国道7号バイパスを外れると、予想外の強烈な激坂を登らされるはめに。ちょうど向かいから保母さんに引率された幼稚園児たちがやってきて「Allez! Allez!」と声援をしかけてくれる。それに応えてバイパスを越え、鳥海山へのルートへ。県境まで18kmの表示がでた。



 だいたい標高1000メートル弱くらいかな?
 そう思って登っていると、霧が……強風が……。寒いッ! でも防寒具は無いッ! いや……かろうじてウィンドブレイクベストがあった。風がごうごうとうなると、体感温度が一気に下がる。できるだけ雪壁によったりして、少しでも風を避ける。



 ぐぉおッ! 雪の壁がッ! 強風がッ! なんだかわかんじきを履いて雪山へ分け入ろうという一団がいるのに、こっちは半袖半ジャージ。こういうキャラじゃないのにッ! しかも、どこもかしこも10%の標識。10%-250m間みたいな表示の標識、250mを走ると、10%-90m間、と続いていく。県境までの距離が書かれた看板が立っていたので、そこが鞍部だと思っていたら、そうではなかった。とっくに1000メートルはとっぱしているのに。実は、さらに県境から100メートルほど登ったところが鞍部。その先にビジターセンターなどがあって、食事ができそうだったけど体を冷やして下るのは不味そうな気がして下山を開始することにした。



 この下りもッ! 寒いッ! 死ぬッ! 死ぬぅ~ッと叫びながら下っていく。上りには2時間くらいかかったのに、下るのは30分くらい。あっという間に気温も上がって、ふたたび日本海沿いへ出る。象潟の道の駅があったので、食堂で海鮮丼を食べ一休み。

 国道7号線は日本海沿いをつなぐ幹線道路。新潟から秋田までの数少ない主要道ということもあって、交通量は決して少ないとはいえない。しかも港をつないでいるので大型車が多い。さすがに新潟港付近の恐怖の113号ほどではないけど、ストレスはある。コースは勝手気ままに決めることができるので、側道というか、旧道っぽいものがあると出来る限りそちらへそれるようにした。



 すると、たいていそこには静かな人気の少ない漁村が残っていて、ひなびた佇まいを感じながらのサイクリングができる。そんな物音のない町並みをしばらく走っていると、世界は全て死に絶えていて、今この世界で生きているのは自分だけというような気分にさえなるのだ。



 秋田まで10kmを切っているのに、ずっとそんな感じ。自転車的にはとてもうらやましい環境だ。僕の自宅からだと50km走っても、まだ住宅地が広がっているし、のんびり走れるようなところもロクに無いしねえ。それでも雄物川を越えると秋田の市街だ。秋田といえば岩明均の「雪の峠」。そう思いながらこの日の宿泊地へ。ホテルパールシティ秋田川反に到着でだいたい今日の走行距離は170km。まだ午後4時過ぎなので、チェックインしてから付近にあった旧秋田銀行の建物を見学したり、ステーキガストで一回目の夕食を摂ったりした。



 秋田のホテルを探している時に、やたら「川端から至近!」みたいな文句があったから、ビジネス街かと思ったら夜の街だった。夜の遊びには縁も無いので、暗くなる前に部屋に戻る。自転車はスタッフルームへしまってもらえた。コインランドリーがついていて、洗濯200円、乾燥100円だったかな。

 しばらくテレビを見て過ごす。ニュース番組は世田谷の民家火災なんかがトップニュース。天気予報も渋谷の天気から入る。別に秋田だけじゃなくって、どこでもそうなんだけど……それってどうなの?

 

ひとりみちのく旅。一日目 新潟から庄内

 父方の実家が山形県の庄内地方にあるので、子供の頃からたびたび訪れたことがあった。当時は国鉄の特急「いなほ」が上野から直通で走っていて、その車窓から眺めた景色のせいだろうか。日本海にはなにかしらの郷愁を強く感じるようだ。夏休みには由良という海辺の集落の民宿に長いこと宿泊して、毎日海へ通った。日本海の浜辺はどこも芋洗い状態になるということはなく、水は澄んでいて穏やか。残念ながら、泳ぎはさして上達しなかったけど。
 そうだ、あの頃は花火大会もやっていた。一発打ち上げるごとにスポンサーの紹介が続いて、なかなか次のが放たれない、そんなのんびりしたやつだ。最後は沖合に浮かぶ白山島へ伸びる橋を使ったナイアガラの滝花火で締めくくるのだったのだけど、今はもうやっていない。その白山島が花火の音響の衝撃で崩壊の可能性がでたからだとか。

 冬の日本海は、もちろんまったく違う。
 荒れた日には、ダムのように高い防波堤でさえ、近寄るのは危険なくらい。あんな状況で、由良の集落はどうなっていたのか、何をして暮らしているのか、いまでも不思議だ。
 さすがに、そんな場所には用事は無くって、たいがいスキーに行ってたけど(こちらも上達しなかった。だいたいにおいてスポーツは苦手だな)。

 さて、そんなわけで自転車である程度の距離が走れるようになったとき、是非に走ってみたいと頭に浮かんだのは日本海絡みのコース。自転車旅行のノウハウも無く、スケジュールも組めなかったからなかなか行けずにいるうちに、ブルベにはまり、今度は距離感が崩壊してしまってかえって走れなくなる。2009年には東北一周1000kmなるブルベが開催されたけど、その頃は海外で暮らしていたから参加できず。
 そんなこんなで、いつものように腰を重く過ごしていたのだけど、ようやく一念発起。PBPが終わってから行こうと心の底で決めた。2012年には1700kmの東北連続ブルベがアナウンスされたのだけど、やはりこの旅は自分の私的な体験たるべきと思ったし、走りたい場所もあったのでエントリーしなかった(すごく楽しそうだったので、ちょっと残念)。


1日目:新潟-湯野浜温泉(鶴岡市)



 前置きはこのあたりで打ち切ろう。
 池袋から始発を乗り継いで新潟駅に到着したのは8時過ぎ。天下のデローザ・ネオプリマートに荷物をしこたま積み込んで全重量で20kgくらい。もはやロードレーサーの軽快さなんていうのは無い。空気抵抗もでかいし。でも、これしか旅行向きの自転車がないからいいんだ! おれには、これしかないんだ! だから、これがいちばんいいんだ!!

 コンビニで朝食をすませ、県道3号を東へ。新潟港から国道113号に。これは日本海沿いを通る道なのだけど……ものすごく危ない。休祝日など大型車の通行が減る時ならば、快走できるかもしれないのだけど、この日は辛かった。古い規格の対面2車線、しかも大重量車両の轍がしっかりと残り、車線の左端はアスファルトがめくれまくっている。それでも、そこを走るしか無い。ガードレールがないのは幸いだけど、そのかわり草むらの中に排水溝なんかがかくれている。ほんの30センチほどの、ぐちゃぐちゃの舗装の上を綱渡りのように走り、脇をかすめる自動車の風圧にさえ怯えながら走る、そんな道だ。途中でハンドルにつけているライトの取付部が振動で破断して吹き飛んだ。まあ、このライトのブラケットは作りがちゃちかったから仕方ない分もあるけど。
 さらに悪いことには、この道に入ると脱出路も無い。
 もし、新潟から日本海沿いを北上するルートを考えている方は、悪いことは言わないから内陸を並走するルートを探していくか、村上まで輪行したほうがいい。


※唯一、ここを通る意味があるとすれば岩船沖油ガス田の海上プラットフォームを見ることができるということだろうか。でも多分、瀬波温泉からも見えるし、そこまでして見るほどのものでもないし……。


 
 荒川を越えるあたりから状況は改善していく。国道を離れて瀬波温泉入り口のコンビニで早めの昼飯。毎食コンビニ食じゃ、ブルベと変わらないじゃん、とひとり思う。瀬波温泉の旅館街を抜けて羽越本線沿いに国道345号に入ると、交通量は激減する。ほとんど車が無いといっていいくらいに。
 さあ、笹川流れへ向けて……と斜度のある坂を登り切りながら、こんなに荷物が必要かなあ、自宅へ帰る前にいくらか荷物を送り返そう、とか考える。さて、その荷物はどの袋に入れてくか、というところまで考えて気付いた。バックパックを背負ってないぞ? そのままUターン。さきほどのコンビニまで10kmほど戻る。往復で20kmのロスだよ……。



 笹川流れは山形県と新潟県の間の日本海沿いに続く景勝地。非常な交通難地で、昭和四十年代にいたっても、手堀で一車線分ぎりぎりの隧道を掘っていたような場所だ。江戸時代には松島と男鹿の景観を併せ持つとも謳われたと石碑にあった。海へつきだした岩山を避けるためにトンネルが多いが、交通量がほんとうに少ないので、特に気にならない。現在のトンネルの脇には、小さな岩肌を剥きだしたままの小さな隧道(”隧道”という表記がふさわしい気がする)が顔をだしていたりする。丸太を組んで補強をしているそんな廃隧道が、僕が子供の頃は現役であったのかと思うと驚きだ。もしかしたら「いなほ」の車窓からその現役の姿を見ていたのだろうか。



 このあたりには、小さな入り江にほんとに小さな集落があるくらい。その中でも唯一といっていいくらいの漁港があったので降りていく。観光汽船がでている港だ。干物を売っているお店があって「おつまみセット」なる干物を炭火で焼いたものをいただき、さらにおみやげがわりに干物をいくらか自宅へ送ってもらうことにした。


※いろんな干物を薦められるので、結局おつまみセットよりたくさん食べることができたりする(w


※遊覧船もある。源義経の逃走経路だったとされる海岸で、遊覧船から義経が見た景色が紹介される。

 やがて勝木という集落で、この難地から逃げていた国道7号へ合流する。つまり笹川流れも、もう終わりってことだなあ。でもすぐに国道7号を離れ内陸方向へ。県境は雷峠という道を行くつもりなのだ。新潟の県道52号を登って行くと、日本国まで~kmという表示が見られる。なんだそりゃ? という感じだけど、この県境には日本国という名の山があるのだ。標高555メートルというから、ピクニック感覚でも登れる山だけど、名前が名前なので「日本国征服登山」などが行われている。その登山口には明治以来の町並みの残る小俣の集落がある。



 その東側にある雷(いかづち)の集落をすぎると、道は更に狭くなり斜度もあがる。それでもさほど登ることもないうちに峠のてっぺん、雷峠だ。日本海から東へ続いてきた道はここで途絶え、山形側へ北上する道か、ふたたび日本海へ戻る道しかない。この道は出羽街道に由来する道で、新潟の村上から庄内の鶴岡へ山間をほそぼそと貫いていくルートなのだ。この街道を櫛の軸と見立てれば、そこから櫛の歯のように日本海へ降りていく道のみがある。東側へ進むことはできない。



 さて、雷峠を山形側へ降りていくと、関川の集落へと至る。ここで庄内平野へ降りていく道と日本海へ戻る道に沸かれるのだけど、少しうろつくことにした。ここには古代布のひとつであるシナ布が織られていて、その技法を保存する施設があるのだ。そこでもキーホルダーなどの土産を買い、戊辰戦争の記念碑の残る神社へ。
 ここ関川は戊辰戦争での本州側最後の戦闘が行われたところとのこと。あまり知られてはいないけど、戊辰戦争の際に幕府側として中心のひとつとなった庄内藩は、会津藩と違って連戦戦勝を続け、討伐軍を撃破して秋田藩の多くを逆に占領するにまで至った。新政府軍が唯一庄内藩の領土へ侵入を成功させたのは、ここ関川の集落のみ。その戦火によって、この集落は長いこと貧窮を極めたことが記されていた。

 新潟側の小俣集落が「明治以来の建物」が集まっているのは、維新の際に焼き払われて再建されたから。もしかすると、このあたりで「前の戦争」つったら戊辰戦争なんではないかというくらい、その痕跡はチラリチラリと見ることができる。

 さて、再び日本海側へ降りた。そこは鼠ヶ関といって、白河の関と同じく東北への入り口。そし源義経の勧進帳の舞台であったともされる場所。今ではマリーナなんかもあってこのあたりでは大きな街区。おいしい寿司屋もあるんだけど、今回はパス。うどん屋併設?のファミマで少し休んでから北上する。

 あつみ温泉を超えた先が由良の海岸。湯野浜方面はがけ崩れで通行止めなる恐ろしい看板がたっているけど、自転車は行けるんじゃないかな、と海岸沿いへ降りていく。ちなみに、由良へ降りていかず、丘を越えて行くと庄内平野に達する。庄内藩の中心、鶴ヶ岡城も遠くはない。藤沢周平の小説のモデルともなっている町だ。


※この後ろの橋が、かつて花火大会でナイアガラの滝を吊るしていたもの。その奥は「東北の江ノ島」白山島。

 この分なら旅館の部屋から夕日が沈むのを見ることができるんじゃないかな、とか思って走る。車通りも少ないながらあるので、もしかしたら通れるんじゃないか? としばらく走ったところで、ジョギングしている人たちが居たので「人は通れますよね?」と聞くと、「全部崩れ落ちてるから無理じゃないかな?」と。マジで?



 Uターンして国道へ戻る。また10km程のロス。初めの日だし、走り初めが遅いから距離短めにしたつもりだったのに、いきなり190km。ブルベと変わらん……。小さな山を越えて、クラゲで有名な加茂水族館をかすめて湯野浜温泉。庄内交通湯野浜線の駅跡を活かした足湯広場を抜けて本日の宿、うしお荘へ到着。なんとか暗くなる前に着いた。


※とはいえ、袋小路ではなくって油戸の集落からの脱出路もあったみたい。そしたら無理に国道へ戻る必要なかったなあ。

 宿ではお風呂をもらって、お食事。部屋に持ってきていただくが、なんでも料理長がかつて自転車乗りだったということで一品サービス。ローストビーフがついてきた。全部きれいにいただくと、さすがに満腹。無料で使える全自動洗濯機で今日一日のウェアを丸洗いすると、少しテレビを見てから寝ることにした。明日は秋田まで。週間天気予報はあまり良いニュースを伝えてこないけれど、大丈夫かな……。