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【落武者魂】 2012年04月
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落武者魂

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米沢自転車旅行 一日目

 巷ではゴールデンウィークということなので、どこかへでかけようと思いました。
 実はこの週には「東北1700km」というイベント(600km、200km、200km、300km、400kmのブルベが連日開催される)があったのですが、個人的に日本海側の東北旅行がしたかったので、それには参加しませんでした。今思えば、参加しておけばよかったかなあと思うことしきり。

 さて、それはさておき。
 ゴールデンウィークの妻の予定の方は詰まっていて、僕自身はなんか放置状態。来るべき東北自転車旅行に向けて、練習旅行をしようと思い立ちました。600kmを40時間以内で走るとか、1200kmを3日半で走るとか、そういうのではなくって、夜はしっかり寝てちょっとは観光もして、着替えも持って……というようなツーリング。漆黒の空間を指さして「ほら、日本海だよ」とかいうのではない旅。

 さて、どこに行こうかと思った時、せっかくなので自転車で行ったことのない方角、かつ混んでなさそうなところ、ということで東北方面へ。東北1700kmのコースも見ていて、そちらの参加者が初日の仮眠場所にしそうな米沢がいいんじゃないかと決めました。このさい1700kmのコースを前日にトレースするのもいいかなと思ったんだけれども、それはやめて宇都宮から鬼怒川、南会津、会津若松と辿って米沢へ行くルート。210kmで2100メートルくらいの上昇量。
 あれ? 普通のブルベコースっぽい……。

 自転車は扱いの面倒な新鋭機(カルフィー・アドヴェンチャー)の投入をやめて、去年までの主力機ネオプリマート”鉄血長征号”を再就役。ブルベ向けの装備は全部取っ払っていたので、手元にある使っていないパーツで急遽ツーリング車に仕立て上げます。ハブダイナモ用のライトがついてないのに、ハブダイナモのホイールとか無駄に重い自転車が出来上がりました。



 ハンドルバーエンドのプラグも脱落しちゃってる……。

 とはいえ、鉄のフレームで鉄道輸送なんかも気軽。ペダルもLOOKからSPDにしたので、歩行も楽々ですよ。
 しかも、ライト兼用というMP3プレイヤーなんかもついているので、山間の長い長い田舎道も退屈しません。

 さて。
 当日は早朝に新幹線で宇都宮へ行くつもりが、一本早い埼京線に乗れたので、在来の宇都宮線でゆっくりと宇都宮まで輪行。実は前夜あまり寝れなかったので、この長い車中はずっとうつらうつら。でもしっかりとは寝付けない。七時前に宇都宮へついて、改札へ向かうと、ちょうど日光線が来ているとのアナウンス。せっかくなので初めの20kmほどをズルして今市駅まで行くことにします。



 今市駅前で自転車を組んで、ふとグローブが無いことに気づきます。
 あれれ?池袋駅で置いてきちゃったかな? 実は、家に置きっぱなしでした。

 まあ仕方ない。まずは鬼怒川温泉へ向けて走りますよ。



 ひとときの熱海よりは寂れてはいないようにも見えるけど、駅前は全部廃墟ホテルという鬼怒川温泉。
 通過します。ここから川治温泉、そして五十里ダムまでは今日一番きつい登り。



 それらを通り越して、五十里湖。
 会津西街道を北上します。この道はかなり交通量が少ないのですが、さすがゴールデンウィーク、それなりに自動車を見かけます。まあ、ほんとうに「それなり」ですが。この道沿いは、かなりの秘境。たしかイザベラ・バードも通った道のはず。かなりの秘境であるという描写だったはずです。東北側からも関東側からも、日本海側からも太平洋側からも山脈で隔絶された細長い谷間。静かな旅が続きます。



 福島県との境は峠となっていて、ある程度登ったらトンネルで越えます。
 あとは会津田島まで下るだけ。



 会津田島はこのエリアで一番の街。街の入口にあるいつものコンビニへよって、一休み。60km進みました。



 うーん、こんなペースで走っていたんではブルベみたいだ。コンビニ休憩だし。せっかくだから大内宿まで登ってみるかな、と思っていました。


 桜も綺麗だな、と思って後輪側変速器を操作した瞬間、カチン!という小さな音がして変速レバーがぶらぶらに。あっ!こ……これは……。あれだ。ワイヤー巻上げラチェットを固定する爪(針金の輪っかだけど)が折れたんだ!どうしようもないので、しばらく走り、路肩へ寄せて「会津若松の自転車屋情報求む」とツイートします。まあ、まず部品はないだろうし、あっても今日中に修理はしてもらえるかどうか。自分でやってもいいけど、結構時間掛かるんだよねえ。指が痛くなるし。

 ツイートして走りだす。大内宿案はキャンセル。会津若松までは下りだから、トップしかギアが入らなくてもなんとかなるぜ! とスピードに乗っけた瞬間に、後輪がバースト。なんかタイヤサイドが小さく裂けてるし。中の繊維がちぎれてるし。どうしよう。どうしようもないので、とりあえずチューブ交換。空気を入れてみると、チューブがはみ出してくるようなことはない。さすがアルトレモDD。とりあえずこれで行くぜ。もっかい同じ所にダメージ食ったり、時間がたったりしたらまずいだろうけど。



 ゴールデンウィークなのに、そんなに混んでない観光列車。
 まあ、明日からかな。今日は一日目で土曜日なので、トラックなんかも結構多い。



 塔のへつりなんかもパス。
 前の車についていたカーナビの音声認識は、目的地を発声すると、なぜか「塔のへつり」と認識しまくってたなあ。



 会津若松へはサイクリングロードを使います。
 しかし、ずっと北風なんだけど。ルート的には200km向かい風?
 畜生、明日の1700km組も苦しめ。



 ツイッターで教えてもらった自転車屋さんへ向けて彷徨います。
 今、会津若松は桜ざかり。でも気温は27度くらい。あちーよ。



 自転車屋さんへ到着するものの、やはり抜本的な解決は無し。
 ここまで走るまでに考えていたように、ワイヤーを引っ張って、ローギア側でリア変速器を固定します。
 フロント側の変速器は使えるから、ローとハイのみの二段変速。アウトランかよ。せめてターボアウトランになってくれ。



 今市市や足利市、それに会津若松なんかで時折見かける自転車レーン。この簡潔にして完全な解答が実はとっくに存在しているのに、どうしてへんてこ自転車レーンを作り続けているのだろう? つうか、亀戸の基地外自転車レーンなんか報道せずに、こういうのを知らしめろと、いつも思う。



 ここから米沢まで行くかなあ、それとも会津若松で一泊しようかなあ。
 でも、米沢からなら新幹線一本で帰れるじゃないか、などと悩み続ける。
 そうだ、さざえ堂に寄って行こう。観光してから米沢については考えようよ。

 また道に迷って、地元のお子さん連れママさん集団に道を聞いたりしながら飯盛山へ。



 げえ、これ登るのか……。



 ん? これは何?



 エスカーだ!



 登り切って奥へ歩くと、白虎隊自決の地へ。いや、さざえ堂に行きたいんだよね。
 なんか白虎隊にはシンパシー感じないんだ……。ごめんなさいね。



 エスカーの降り口近くの分かれ道からすぐ先にありました。



 そっちへ向かいます。
 ちなみにこのあたりから白虎隊はお城を見渡して、落城したんだと絶望したはず。



 会津のさざえ堂は二重らせんの構造になっている珍しい建築物。てっぺんで太鼓橋によって螺旋が繋げられていて、まっすぐ歩いて行くだけで、登って降りてくることができます。外観からもその特異な構造が見て取れるのは、此処くらいなもののようです。
 DNAがどうとか、ダ・ヴィンチがどうとかいう説明もあったけど、それは眉唾だな。さすがに。



 孤立した白虎隊が、連絡線を回復するために通った水道とのこと。向こうからやってきて、さざえ堂の脇を抜けて先ほどの高台へ至り、炎上する市街を見たのかな。

 よし、米沢へ行こう。最後まで諦めない。



 桜まつり。



 桜の綺麗な田舎道。

 しかし暑い暑い。まずいよ、水がない。店もない。
 お! 自販機だ!



 水を売れよ!



 綺麗だなあ。1700km参加者はここを日没後に通過するはず。
 そんなの不健康だよ!



 とはいえ、僕にも日没が迫ってきています。
 これから山形県境の大峠なる峠を超えなくてはならないのに。

 大峠へ続く道は、広く新しいのだけど、トンネルだらけ。トンネルに入ると、他の車の音が大反響してすごい怖いんだよね。音圧だけでびっくりするくらい。すでに反射ベストをみにつけ、後方へのライトもバリバリつけてるけど、居眠りやらちょっとした見落としでいつかやられるんじゃないかとビクビクしながら登る。

 そして寒い。
 トンネルが冷風機のように感じる。
 グローブないし、半袖短パンだし。
 唯一の幸運は、この道の斜度はゆるくって、アウター(ハイ)側のギアでも登っていけること。



 頂上。
 なんかの冗談のようだ。
 さっきまで28度あったんだぞ?



 寒いよ寒いよ。


 雪解け水が気温の数値以上に空気を冷やしているみたい。
 ここにとどまっているのは危険だ。



 てっぺんのトンネルは4kmもある。幸い下り基調なので、あまり車に抜かれることはなかった。
 さすがに交通量はかなり減っている。




 なんで俺はグローブをおいてきてしまったんだ!
 

 下れば下るほど……寒い! 雪解け水が溢れんばかりの最上川が近づくと、ものすごい冷える。
 離れると少しだけ暖かい。それを繰り返しつつ、やがて米沢市街。駅まで行って、米沢牛を食えるところを探し迷う。



 米沢の味を堪能して、ホテルへ入ります。

 タイヤのアナを瞬間接着剤で埋めたり、お風呂で洗濯したり。乾くかなあ?

 それにしても、明日はどうしようかな。大峠を戻るつもりだったけど、あの4kmの登り基調になるトンネルを越えたくはないな。それも壊れた自転車でねえ。米沢には山形新幹線が来てるから、すぐに東京へ帰れる。荷物も重いし、それもありかなあ……。

 つづく。
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アタック日光&ビーフ400km

 青葉200kmと同じ週に400km。
 これで12週間12イベント(DNSで-1)の三ヶ月間が終わります。
 さて、

 アタック日光&ビーフ400km。前回はわざわざ来日して参加したのに僕にぶつかって落車し、腰を強打したマシュー君を連れて、タイムアウトぎりぎりでゴールした記憶があります。ただ、コース設定はきつくはないので、今回はあっさりかな? 雨さえなければ……。実際、ほとんど雨らしい雨はなかったので、あっさり風味で。

 スタートからしばらくは、人が多くてごちゃごちゃしちゃうから、ということで遅れてスタート。さらにトイレに行きたかったので、十分も走らないうちに、ひとりコンビニに突っ込んでトイレ休憩。完全な最後尾から走りだすも、やっぱり追いついちゃう。今回は「ゆかいな仲間たち」だけでも結構な人数になってしまうので、勝手きままに……と越谷あたりから前へ。はじめのPCまで110kmはど平坦。なんのためのディープリムかと前へ前へ。



 4人ほどで、それぞれ2~30kmずつくらい先頭をひいてPC1へ。



 そこから日光へ。一個だけ峠っぽい峠があって、あとはちまちま登り下り。



 山間の集落が綺麗。まだまだ日光あたりの緯度では梅や桜が盛り。



 その日光駅前には綺麗なホテルと、温泉施設ができてました。ちなみにこのJR日光駅はあまり使われませんが、大正時代の建築だったはず。



 前回は日光のPCを出たらもう日没近かったけど、今回はまだまだ。こっからはしばらく下り基調。



 桜も綺麗。写真はないけど妖しく浮かび上がる夜桜の下を疾走するような場面も、多々ありました。



 夜間走行はランドヌーリングの華。
 しかしどうして闇は人の心をネガティブにして、モチベーションを奪うのか。



 早くもなく、遅くもなく。あっさり風味でゴール。

 今回は気温5度前後まで下がったのに、スキンズの長袖インナーと半袖ジャージにウィンドブレーカーでしのぎ切りました。下はスキンズとぼろいモンベルの短パン。250km地点くらいから股間の靭帯が痛い痛いと思っていたら、股ずれだった。

2012年のナイスプレイスへ。 その三

 郡山の南に位置するPC2須賀川から、水戸の東にある那珂湊のPC3までの130km弱は、途中で食事休憩を入れることにしていた。この区間は福島県から茨城県への山間部を走るので、なかなか都合のよい休憩場所がない。常陸大宮にいくつかファミレスがあるのを調べていたので、そこまで行くことにしていたが、実に90km近くもある。それでもまあ、下り基調だし、と走りだした。



 走りだしてしばらく、強い追い風と一直線の道路のおかげで調子にのって飛び出して40km/hでクルクル回し続ける。特に息も上がらずこのペースを維持できる追い風の力ってすごい。12kmほどをあっという間に走りきって118号線へ。さらにゆるやかに道は登り続けていくけれど、速度に影響するようなものではない。やがて、日が落ちる頃に道も下りに転じた。
 それでも、ここまでのだらだら上りでずいぶん脚を食われてしまったメンバーもいるようだった。
 日が落ちる、それだけでもメンタルに与える影響は大きく、それがさらに肉体的ポテンシャルに及ぼすダメージは強い。さらに気温の低下。ここまでの走行距離だって、常識的に考えればありえないほど。これらが積み重なった疲労が、だんだんと表面化してくるころだ。



 東北最南端の駅「矢祭山」でトイレ休憩を入れた。もうずいぶんコンビニなんかを見かけてないな。商店すら稀だ。矢祭山駅の向かいには、ひなびたドライブインがあったのだけど、休憩している間に店を閉めてしまった。
 もう少し進むんで久々に見かけたコンビニでも休む。ここまで来ると、下り基調で速度は出ているんだけど、休憩もとっているので平均速度は思うほどには改善しない。少しづつ、疲労が見えてきたメンバーも出てきた。一旦、気分をリセットして脚を多めに休めるためにもここらで大休憩を入れたい。けれど、休憩の予定を入れている常陸大宮の境界標識がでてから、ずいぶんと長く走らされる。そういうのも、疲れがたまったメンバーには精神的に重くなってくるだろう。やがてみつけたココスへはいって、みんなでがっつり食事をした。僕はハンバーグとピザ。他のメンバーも思い思いにがっつりいく。
 事前の考えでは、ここでの仮眠もありうるかと思っていたけれど、まだ(到着時)九時にもなっていないし、どうもみんな眠くはなさそう。このあとのPC(40km先)の次のPC(その50km先)がミニストップということなので、そこまで行って仮眠となるか。ということは、だいたい午前二時くらいから少し休めるかな? そんなにスムーズにいくのかな?

 ココスから外へ出ると……寒いッ! 立っているだけだと震えが来る。
 これはまずいと、のこり40kmを下り基調と満腹に任せてペダルを踏み倒すことにする。程なくして那珂湊。海が近いはずなんだけど、夜中なのでよくわからない。次は霞ヶ浦沿いのミニストップ。午前二時くらいに到着すれば、一時間くらいの仮眠を入れよう。



 と思ったけど、結局到着は午前二時半くらいだったろうか。原因はまず、パンク。それから疲労によるスピードダウン。あとは、この区間は意外とアップダウンがあってミニビーフラインのようだったこと、などだろうか。この次のPCは20kmほどだったと思う。そしてそこには午前五時には到着しているべき。ということはこの時点で(休憩を考えずに)二時間半ほどある。さて、またここで考えるわけだ。この区間のペースがあまりよろしくなかった。この先のコースも似たようにアップダウンがあると、下手すれば平均20km/hのペースを守れるかさえ危うい。
 休むか……休まざるか……。

 だけど、せっかくのミニストップ。
 みんなも休憩を期待しているはず。なにしろ外気温はとっくに氷点下。暖かい場所で休みたい。
 そこで到着直前に三時十五分までの休憩を宣言して店内に入る。
 椅子に座って食事を取り、おしゃべりなどでせっかくの仮眠時間をふいにしないようにとさっさと目を瞑る。
 特に眠かったつもりはなかったのだけど、けっこうサクッと眠りに落ちたようだ。



 携帯のアラームに起こされる。チームのみんなもそれぞれ軽く睡眠をとれたようだ。少なくとも休めただろう。とにかく本格的に眠くなる前に寝ておく。頭はすっきりするし、食事の消化時間にもなる。しばらくは脚が回るのではないか。コンビニから外へ出ると、いよいよ空気は冷えきっていて、ただでさえ寒がりの僕はハンドルをまっすぐ保持するのさえ辛い。蛇行するわけではなくって、ただガタガタと震えが伝わってしまうだけだけど。

 ほんのちょっとした下り坂が、体温を著しく奪い取る。寒い。泣きたい。
 利根川を渡るとそこは千葉。宮城から福島、茨城と駆け抜けてきて最後の県に入った。このまま利根川沿いを走り続ければいいだけ……。ちょっと田んぼの畦道なんかで道を迷いつつも、午前四時過ぎには最後のPCにたどり着いた。二十二時間目チェックまで少し間がある。と、見渡せばちょうど向かいにファミリーレストランのジョイフルがあった。ここでコーヒーでも飲んで体を暖めつつ、仮眠をとろうと提案する。もちろん、受け入れられた。



 三十分ほどの仮眠(先ほどの二十分程度の仮眠と会わせて五十分。けっこう仮眠をとれたほうだと思う)を開けて外へ出ると、すみれ色の空が近づいている。地平線がオレンジがかってきた。残り距離は28km。残り時間は二時間。寒さは相変わらずだけど、このまま日が上がってくれば体は温かく熱せられる。天気もいい。もはや何の懸念もない。さて、行きましょうかね。



 日の出が水面に映る。
 その太陽へ向かって走り続ける僕ら五人。
 それぞれがどんな思いを抱えて走っているのかは知らない。
 でも、きっともう楽しいだけだ。
 いや、僕はさっさと終わって欲しいといつも思っているけど。



 一晩走り続けてきた目には強すぎるほどの朝の陽光の中を、人通りのない道をうねるように走る。やがて唐突に銚子の市街へ入った。そのまま最終PCのセブンイレブンへ入る。ちょっとした脱力感。まだ三十分ほどタイムリミットには余裕があった。ハイチューを買ってレシートをゲット。すると、そこに今回は参加できなかった方々がお迎えということでやってきた。これはサプライズ。もうこれ以上フレッシュとして走る必要はないので、しばし歓談。それから集合場所である犬吠埼の旅館へ移動する。
 すでに、そしてこれからも続々と各地からのフレッシュチームが集まってくるナイスプレイスへ。



 ナイスなサイクリスト達と。

2012年のナイスプレイスへ。 その二

 眠れない……!?
 宿でシャワーを浴び、電灯を落としてベッドに丸まること一時間。
 ちっとも眠れない。なんかやたらと体が暑くて、汗がでるし。なんだこれは……緊張からだろうか?
 目がぱっちり冴えてしまって焦っていると、ふと気付いた。エアコンがマックス暖房になっている! あれ? 消したつもりだったのに、どうやら逆向きにダイアルをひねってしまっていたらしい。
 ようやくヒーターを消したが……やっぱり眠れない。目が冴えてしまって眠れない。水を飲んでみたりする。ああ、もっと豪胆ならぐーぐー眠れるのだろうになあ。神経が繊細だからなあ。困った……。

 困りながらも、なんとか4時間弱は眠ったはず。フレッシュ走行は完徹覚悟なので、ちょっと不安だけれども。
 スタート地点のミニストップまでゆっくり移動して、朝ごはんを食べながらしばらく時間をつぶす。天気予報は曇り・晴れを告げていたけれども、空は暗く雪がちらついている。日本海側は降雪しているというから、上空の風にのってここまで飛ばされている程度だろうと思うことにする。
 天気予報によれば、すぐに日が差すはず。そうすれば体感的には暖かくなる。だが夜半はかなり冷え込む模様だ……。おそらくこのライドの最低気温は茨城と千葉の間で迎える。それも氷点下は覚悟。



 七時となった。メンバーがそれぞれコンビニのレシートをもらい、店を出る。店員さんに記念撮影などを撮ってもらってから、ゆったりとスタート。週末の朝七時とはいえ、東北の大都市である仙台の交通量は少なくない。だけど、交通量より面倒なのは信号の数だ。都市圏での信号ストップは平均速度を著しく低下させる。90年代だっただろうか、東京23区内の自”動”車の平均速度は13km/hでしかないという資料を見たことがある。フレッシュの走行距離を360kmに設定した時、指定される平均速度は15km/h。つまり都市圏だけをコースにした場合、走っているだけでタイムアウトしかねない……。



 仙台の都市圏は、けして小さなものではないけど、やがて果てが来た。信号待ちがなくなるだけで、平均速度はどんどんと上がっていく。気持ち的にもずいぶんと楽だ。そのかわり雪が降ってきた。それもしっかりと。幸い、地面に積もっていくような雪ではないけれど、路面はすっかり濡れてしまった。天気予報は……こんなことは教えてくれなかった……。まったく……雪だなんて……なんて……楽しいんだろう! 背中のずんだも、天からの保冷剤があれば大丈夫! AJ千葉の方々にも安心して食してもらえるはず。やっぱ日ごろの行ないが良いと面白いことがあるなあ。



 阿武隈渓谷に入って行く頃には雪もすっかり止んで、むしろ晴れてきて暑いほど。背負ったずんだまんじゅうが傷んじゃうのでは……。というほどの気温にはならないけど。車通りはすくなく景色も悪くない。健全なサイクリングっぽく五人でさくさくと進む。…とパンク。皆で自転車を停めてパンク修理を待っていると、だんだんと空が曇ってきて気温が下がっていく。そして雪……。なんで雪が降るかなあ……。



 多少のトラブルはあったものの、PC1までの70kmを休憩なしで走りきった。雪はこのあたりでは降っていなかったのか、すでに路面が乾いたのか。降ったり止んだり。僕はコンビニパスタを食い、次のPCまでのエネルギーを蓄える。これまた70kmくらいあるのだ。ちなみにPC2からPC3までは120km以上もある。

 安達太良山や智恵子の生家などの観光名所に後ろ髪引かれながらスルーして、福島から郡山へ。福島近辺まではとてもマナーの良かった交通状況が、時刻のせいもあるんだろうけど急激に悪化していくのを感じる。国道4号の側道に当たるはずなんだけど、なんでこんなに車が多いんだろう。郡山周辺では、さらにトラックが多く厄介だ。こういうときは、あまりまとまって走ることに固執すると危険なので、一番後ろを少し離れて走る。信号や車の右左折待ちなんかで突き放されてしまうこともあるけど、無理はしない。


 
 それと雪。
 大粒の、いわゆるボタ雪がどかどか降ってきた。みるみるうちに、体中に降り積もっていくほど。アイウェアにも雪がはりついて視界をすぐに塞いでしまうので、雪で掻き払わないとならない。
 雪で良かった、雨ならすぐ濡れてしまうからな、と思っていたが、体に降り積もる雪はやがて体温で溶けて浸透してきてしまう事に気づいた。あわてて振り払う。地面もさぁっと白く染められていくけど、路面に積もるほどじゃないと信じる。



 風も強く、まるで吹雪だ。
 地吹雪。
 いきなり現れた地吹雪は、いきなり終わる。
 雲が割れて日が差し、こんどはじめにゃ路面からもうもうと湯気が沸き立つ。
 なんという天気なんだ。
 背負ったずんだまんじゅうの包み紙が、ちょっとよれてしまった……。
 なんとか無事にお届けできるといいけど。



 PC2は須賀川のミニストップ。ここまでは雪やなんかがあっても、あっさりと進んでこれたわけだ。だいたい追い風に押されてきているし、郡山近辺以外は走り易かった。特に厳しいアップダウンも無かった。というわけで、メンバーの誰にも疲労の色は感じられない。このままいければ、十分な仮眠時間を得ることができる。ちゃんと仮眠を取ることが出来れば、走行中の睡魔のような危険は避ける事ができる。チーム名の「誰も寝てはならぬ」は、走行中の居眠りをしてはならぬということであって、仮眠はしっかりと取るつもりだ。
 通常、400kmくらいの距離ならば睡眠のための休憩は必要ない。けれども、個人差もあるし体調にもよる。眠くなるかどうかはパンクのような不確定要素でもあって、フレッシュでは発生確率は五倍となる。さらにフレッシュでは24時間を用いて走らなくてはならないという縛りもある。400kmブルベなら、眠くなる前に努力して走り切るという選択肢もあるが、フレッシュでは努力しようがしまいが、距離ではなく時間がゴールの条件。
 僕らのように脚力や経験がバラバラのチームは、誰かが眠くなることを見越して組み立てていくほうがいい。そして、腹がへる前に食べるように、眠くなる前に仮眠を取る。
 そのためにも、だいたい夕方くらいからは仮眠時間と仮眠場所の算段をつけはじめる。


 
 フレッシュにおいて重要なのは22時間目と24時間目の時刻と場所。22時間目は時刻と場所の両方が要求される。さらに、そこからの2時間に25kmを移動することがルールとされている。たいていのチームは22時間目と24時間目の想定距離付近にPCを設置して、そこでのレシートなどをそれぞれの所在証明としている。
 でも、予定よりも多く進んでいる場合や、進めていない場合も、なんらかの手段で所在証明すればそれは認められる。このことは22時間目ではともかく、24時間目では忘れられがちだ。最終PCに早くたどり着いてしまったら、さらに先へ進んでもいいのだ。もし、万が一24時間目で所在証明がとれなくても、最終PCまでの距離は証明できる。
 今回は追い風とメンバーの頑張りのお陰で意外と距離が伸びていたので、提出していた最終PCから、さらに集合場所の犬吠埼まで走り切るという方向性も検討していた。まあ、そんなにうまくいかないのがフレッシュでもあるのだけど。

 もう時間を気にしながらブルベを走ることは滅多に無くなってしまった。前回のフレッシュのころ、もう二年前だけど、そのころはルートを見ながらアップダウンを勘案してPCへの到着時間予想などを事前にまとめていた。今ではそういうことはまずしない。なので、今回のフレッシュではどれだけ手持ち時間があって、どれだけ現時点で余裕があるのか、パッと把握できない。
 ものすごく余裕がある気がするし、実はそれほどでもない気もするし。
 睡眠や夜間のパフォーマンスダウン、機材トラブルなどの要因と、走行距離延伸の可能性。
 さらにゴール後の荷物受け取りが午前8時以降なのに、荷物受け取り場所近くの健康ランドの閉館時間が午前8時とかぶっていること。ゴール後に、どうやれば無駄な時間を過ごさずに入浴と宴会前の仮眠をこなせるか、なども懸念もぐるぐると脳内をめぐる。

 だけど、結局は「下手な考え休むに似たり」。行ってみてから考えよう。

 つづく

2012年のナイスプレイスへ。 その一

 2012AJフレッシュの主催団体はAJ千葉。なので最終目的地は場所は千葉の銚子です。おっと、フレッシュっていうのは---まあ、これを読んでいる人はほぼ誰もが知っている通りだけど---5台までの自転車で編成されたチームが各地から同じ集合地点目指し、24時間を走行するというもの。コースは自ら作成して申請し、その距離は360km以上であることが定められています。まあ、他の細かいルールなどは公式サイトなどを見ていただくことにして。

 チームの構成員はいろいろすったもんだの挙句女性2名、男性3名。普段まったく接点の無い面々です。スタート場所で初めて顔をみるというレベル。そういうのもまたよし。走力なども揃ってないのはマチガイなし。共通する話題は、これから走るフレッシュだけ。果たしてこれからどんな悲喜こもごもの24時間が楽しめ(苦しめ)るのでしょうか?

 と、前口上は2010年のブログ記事のコピペで作りました。
 さて、フレッシュ(Fleche)と普段のブルベとの大きな違いは二つだと思っています。ひとつはチームで走らなくてはならないということ。最大五台まで参加できて、三台がゴールすればチームとしての完走が認められます。もし三台以上がリタイヤしてしまったら、走りきった人も認定はされません。チーム員に重大な機材トラブルなり、疲労などによる脱落があった時、チームとしての完走を目指すのか、あるいは全員でDNFしてしまうのも止むなしと考えるのか。基本的には単独走であり、すべての問題を自分自身で解決することが求められるブルベとは違ったシチュエーションが発生しうるのです。
 フレッシュは開催が極めて少なく、それでいてR5000というACPブルベの称号を得るために必要な条件となっているので、チームや参加者によっては完走は重い意味を持つこともあります。全員でDNFや、あるいは切り捨てていくという判断は、なかなか難しいこともあるでしょう。



 もうひとつの違いは、コースを参加者自身が設定できるということです。 600kmに及ぶ記録的なコースを設定するチームがあれば、観覧車巡りなどグルメや観光などをテーマにするチームあり。周回や単方向など。個性あふれるコースが考えられていきます。
 それぞれを主催者がチェックはするのですが、そのコースに関する責任を持つのはあくまで参加者自身。コース作りは楽しくもありますが、ちゃんと考えれば考えるほど、実は大変。ブルベ開催者の苦労の3%くらいを感じることができます。

 私達のチームが今回準備したコースは宮城県の仙台から千葉県の銚子まで、まさしく矢(Fleche)のように突き進む南下一直線の設定。370km弱の距離はあるけど、アップダウンはかなり抑えられているので、厳しくはないはず。ただし、この季節の風は読みにくい。もし北風ならばずっと追い風だけど、南風が吹けば全行程を向かい風と戦うことになる。そうなると風を遮るものの少ない平坦なルートなだけに、過酷さはぐっと増す。
 でもこればっかりは直前になってみなければわからない……。

 フレッシュの開催日の数日前には「台風並み」の爆弾低気圧がやってきて、南からの暴風を列島にたたきつけていきました。ガクブルしながら当日の風向き予報を待つと……北西の風っぽい。天気は曇りか晴れ。ここ4週間にわたってエントリーしていたブルベすべてで雨にふられてきたけれど、ついに運が向いて来ました。準備を整え、前日に新幹線で仙台入り。


※写真はイメージ


 ここでようやく、初めて顔を合わせる我がフレッシュチーム「誰も寝てはならぬ」のメンバーたち。それぞれ職場や家庭へのおみやげを買ったりしているので、僕も AJ千葉のスタッフの方々へ、ずんだまんじゅうを所望。これを背負って走ることにします。AJ千葉の方々は甘いもの好きのハズ。ずんだ好きのはず。ああ、これは必ずお届けしないといけません。
 その後、仙台名物の牛たんを楽しみながら、ビールを飲み交わすチーム「誰も寝てはならぬ」。ブルベカードもここで配って記入してもらい、準備は完了。翌日のライドについて語り合いました。
 翌日は朝六時半にスタート地点として設定したミニストップで待ち合わせとして解散。それぞれの宿へ。ついに待ちに待ったフレッシュが始まります。


※いっしょに行こうな! 調子よく(銚子だけに)