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【落武者魂】 2011年09月

落武者魂

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欧州都市対抗バイクシェア大会

 パリのヴェリブで一躍有名になった都市共有自転車システム。パリの前にいくつかの街で社会実験をしていたことと、その後幾つかの都市に拡大していたことは知っていましたが、今回訪問した諸都市でもことごとく共有自転車が走り回っていました。Wikipediaで見てみるとワシントンDCからロンドン、スペインなど北米&欧州各国はもとよりオーストラリアや中国(大丈夫か)などへも導入されているとか。すさまじい広がり具合。まったく日本に伝わらない交通の現状がここに・・・。共有自転車システムは都市内の自動車交通削減を目指したものなのですが、疋田氏らがちょくちょく(こんなかんじで)述べているように解決になっていない点やシステムとして難しいところもあり、実際運用結果からも同様の指摘がでているようですが、それでも導入が進んでいるということはよくよく考えてみるべきポイントかと思います。

 さて、どう考えてみるかは読者諸賢にお任せするとしまして、見た感じで評価する都市対抗バイクシェアシステム大会のはじまりです!

パリ ヴェリブ-Velib
 グレーっぽい車体がシックで街に溶け込むパリのヴェリブ。街中300mごとだかに設けられたという自転車ステーションですが、見つけたいところには見つからずどうでもいい時にはたくさん見かけます。観光客にはちょっと厳しいけど、地図があるのかな。借り方はまず自転車ステーションに立っている情報ポストをみつけ一日券を購入します。購入にはクレジットカードが必須。一日券は1.7ユーロ(1weekは8ユーロ)。その後30分以上乗るごとに課金されますが30分までは常に無料。なので30分以内ごとに返却・借り出しを繰り返すとどこまでも無料になります。さて、1日券を購入するとキーナンバーをもらえるので、それを情報ステーションの反対側の操作盤で入力、借りたい自転車の番号を打ち込み、で自転車スタンドのロックが解除されます。あとは自転車スタンドのボタンを押すと自転車が外せます。



 ベリブ自転車はこのバイクシェアリングのために設計されたまさに専用車。ブレーキなど保安部品にはいたずらで手が加えにくいような部品が選ばれています。チェーン駆動で3段変速。ハブダイナモによりヘッドライトとリアライトが常に点灯します。またちょっとした所用の際に道端に停められるようチェーンロックも装備されています。ただ、その場合でも近くのステーションを探して止めたほうが30分ルール的にはトクかと。



 パリは比較的平坦な都市ですが、モンパルナスの丘とかというようにセーヌ川から数段の河岸段丘の街でもあります。そのため高いところにステーションもあるのですが、そういったステーションには自転車が「戻ってきません」。ベリブ自転車は軽くは無いので街中の坂を登って返却するような人はおらず、むしろ丘の上から下りたい人たちばかりなのですね。なので、ベリブではそういう標高の高い場所にあるステーションを「プラス」ステーションとしてそこに返却することにイニシアチブを与えるような仕組になっています。たしか無料時間を増やしてもらえるはず・・・。それでもやっぱり丘の上のステーションがガラガラでした・・・。


※自転車道っていってもこんなよ。

 パリ市はこのシステムを導入するのにあわせて自転車道を整備したそうです。たしかに自転車道、自転車レーンはありますが、石畳の古い町並みの限られた街路に首都としての交通量があるわけなんで、やっぱり気合一発で判断して走らないとならないことも多そうです。タイヤが太いおかげでロードよりは石畳でも乗り心地がよく、シャンゼリゼで観光トゥクトゥクのドラッグについて楽しめたりします。パリでベリブに乗ったのはそれほど長い時間ではありませんでしたが、街がすごく狭く感じましたし街路のカフェやショッピングを楽しむには非常に良いツールかと思いました。

リヨン ヴェロブ-Velov
 白と赤のおしゃれなヴェリブ・リヨン版。カラーリングが違うだけのようです。というか、たしかリヨンとマルセイユで社会実験したあとにパリへ導入したはず。この社会実験の結果よりパリでははるかに破損・盗難・投棄が多いとか問題になってた記憶があります。さて、リヨンはフランス第三の都市ですが欧州の都市が大抵そうであるようにコンパクト。特にこの街は旧市街地以外は平坦なところに作られているので街中でたくさん走っているヴェロブを見かけました。自転車の作りも借り出し貸し出しシステムも同じ・・・。古い市街の丘からはたくさんヴェロブが颯爽と「おりていく」姿が見られました。あっとういうまに丘の上のステーションは空になってしまうでしょう・・・。





 ※こんなふうにタイヤがパンクしたまま(いたずらで壊された?)放置されているっぽいのもみかけました。あとサドルを前後逆につけられたやつとか。

サンテティエンヌ ヴェリヴァー卜-Vélivert
 フランスで最初に自転車が製造された街、サンテティエンヌ。ということは今検索して知りました。この街を訪問する日本人はかなり少ないんじゃないかと思いますが、この街から少し離れたところにある村というか町フィルミニはちょっとばかし有名です。というのも建築家ル・コルビュジエがいくつかの建築物を残しているのがその町だからです。私もそういう理由でサンテティエンヌを通りました。さて、この少都市にも共有自転車が。けっこう丘だらけで平坦なんか見当たらない街なのに。フィルミニにも同じシステムが設置してありましたのでちょっと拝見・・・。



 さ・・・さすがフランス自転車発祥の地、サンテティエンヌ。シャフトドライブです。たしかにパリでチェーンが落ちて困っているベリブの人を見ましたから、これは良いかも。この自転車はシェアリングバイクとしては完成形とも思えます。素晴らしい。ブラーボ!小都市といえ首都(パリ)や大都市(リヨン)の追従に留まらないこの心意気。惚れた。



 さて、これを撮影しているのはフィルミニのコルビジェステーションなのですが、この町にはステーションがみっつ。ここと駅とその中間。一番標高的に上にあるのがここ。なので一台しかなく借りるのは諦めました・・・。ぜんぶ下に溜まっているんでしょうね・・・。



ミラノ バイクミー-BikeMi
 超お洒落シティミラノでも共有自転車が!シックなにくいヤツは、フランス諸都市のものとはちょっぴり雰囲気が違います。不思議なのはステーションのスタンド。前カゴのあたりにあるフックを引っ掛けるようになっています。ポール式のスタンドが嫌だったんだろうか?基本はシマノのネクサス・・・ベリブと同じ部品を使っていますが・・・いや、違うな。これもシャフトドライブです。かっこおい。さらにライトが縦二灯でちょっとかわいい。お洒落です。



 ここは平坦な都市で、かつステーションはドゥオモ周辺のフラットな商業・観光地域に多くなっているために利用者も多く見られました。見ているとほとんどの街路が石畳で、かつトラム(路面電車)の路線が縦横に走っている車道を走るのは怖そうなんですが、普通のおっちゃん姉ちゃんが気にせず走ってました。



 ミラノやリヨンはレンタカーを借りて走ってみましたが、東京のような町で運転に慣れているからかさほど怖いとは感じませんでした。フランス、イタリアというと街中ではクラクション鳴らしまくりのイメージでしたがそんなことはあまりなく、静かなもの。やはりパリ、ローマなんかの大都市と中小都市ではぜんぜん違うみたい。歩行者・自転車への自動車の道の譲りっぷりは(少なくともこのあたりの中小都市では)清々しい物がありました。ただ、つっこみは鋭い事が多いので「本当に横断歩道の前でとまんのかよ?」って感じることがあるけど。止まります。



 この街は観光・ショッピングで訪れる人には大きな街ではないので、地下鉄・トラムの整備もしっかりしていますが自転車の気軽さは光ります。webに一枚絵のステーション配置地図もあるので、利用されて見てはいかが?



ローマ バイクシェアリング
 ローマにも・・・あります。歩行者としてカフェの並ぶ狭い街路を歩いていてもなお、自動車の脅威にさらされてストレスたまりまくりのローマにも、あります。7つの丘に囲まれ、どこへいっても自動車にあふれた表通りか、路駐に埋め尽くされた裏道しか無いローマにも、あります。



 ローマのステーションはフォロ・ロマーノから北側・スペイン広場周辺に多くが設定されています。そう多くはありませんが、なにしろローマには広さに対して地下鉄が2系統しか無いなど不便な場所も多いので大活躍・・・してほしい。でも、とあるステーションでは借り出された自転車のスペースに駐車車両が並べられて(中で居眠りしてたり)いて事実上利用不能。さすがに”民度”という言葉が脳裏をよぎります・・・。



 ローマの共有自転車は・・・イタリアの首都の誇りにかけて・・・いや、かかっていないようでただのママチャリにステーションのスタンドへロックするためのフック部品が取り付けられているのみ。サンテティエンヌの完成形を見習うようにとは思いませんが、せめてベリブ程度の・・・。本当に普通のママチャリで、ブレーキなども普通。どうせ盗まれたり壊されたりするから安物にしておこうということ?それならそれで達観しているというか・・・。



ヴェネツィア バイクシェアリング
 ヴェネツィアの中でも「ベニスに死す」の舞台となった(見たことないけど)島は自動車が走れるのですが、ここには共有自転車もありました。内容はローマと同じ。ちょっと新しいだけ。ステーションの数も少なく、やる気ない。努力しなくても観光客が集まってきて金を落とす街なので、やる気がないのでしょうか。この二都市はほんと疲れたのでネガティブコメント(w




まとめ
 真面目にやっている街は、観光区域のみならず実際の住民が暮らす街区にたくさんの、むしろ観光区域よりも多くのステーションが設置されていました。また、ステーションの規模も巨大で高架下に百台規模のステーションがあるのもみかけました。郊外から市街の外側の駐車場に車を置いて繁華街までは共有自転車を使う、という使い方もされているようです。30分以内に返却すれば無料というシステムもあって、比較的気軽に利用されている市民の足にもなっているようです。

 一方で、やはり共有所有物に対する扱いはあまり良いとは言えずいたずらで壊されているものも見かけましたし、借りる人も壊れていないか確かめるのに蹴りを入れるなどという人も。あと気になるのは、やはりステーションの位置を知らないと不安になりますね、返却とか。停めるつもりできたらそこはいっぱいで入れないとかありますから。

 なお、日本でも札幌で本格導入されているようです。ポロクルというのだそうで。


 
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2011年のパリ・ブレスト・パリ。 おわっちゃう。

PC DREUX 残り距離 到着時間06:04 閉鎖時間06:42

 DREUXのPCはでっかい文化施設?体育館?のようなもの。ゲートにスタッフが立って来る参加者行く参加者を誘導している。しかし・・・すさまじい数のスタッフだなPBP。しかもこの数日間日夜を通してボランティアされているのだ。頭がさがるどころではない・・・。ブルベカードのチェックを終えてすぐのホールには無数のテーブルと椅子が並べられていた。その一番窓際(たぶん全ての壁際も)には仮眠する死体のようなブルベライダーたち。僕らもそこに混じって倒れこむ。アラームの設定は7時過ぎ。ここの閉鎖時間はとっくにすぎてしまう時刻だが、実は日の出が7時すぎなので其れに合わせたのだ。目が覚めればこの払暁ではなくって、明らかなまっさらの”朝”が訪れているはず。そうしたらきっと自分に目が覚めたと言い聞かせて走れるはず。さらに30分以上・・・1時間近い睡眠時間も得られるのだ・・・。


※たけさん登場

 コントロールの建物をでて入ってきたのとは違う方向へ誘導される。予想どおりすっかり朝の空。黄色がかった日の出の時間だ。僕らは同じ時間にまとまって出発した自転車集団について街を行く。DREUXの街はけっこうしっかりした街で、信号も交通量も多い。考えてみれば、今日は平日の朝。出勤の車がたくさん走る中をこれまた大量の疲れ果てた自転車乗りがのそのそといく。でも、其れを押しのけるような車はない(この前後のひとつきほどの滞在中を含めても、普通に走ってる自転車や、歩行者にクラクションをならしたり脇をかすめていく自動車はみかけなかった。たとえ自転車が車道の中央をたらたら走っていても、歩行者が赤信号をどうどうと渡っていても。しかも欧州たってラテンのフランスとイタリアだったのに)。ただ街には坂も多くって(このコースに坂の少ないところなんか無いけど)、街から出る頃にはやっぱり一人旅。広い・・・けど、茫漠たる広さでとは感じないような牧草地。ふときづくとたけさんやinainaさんがやってきては前方へ去っていく。



 もう彼らにとってはウィニングラン気分なのだけどうけど、僕らはおそらくまだ貯金マイナス。時間内に完走できる自信はあるけど確信は無い微妙な状態。後ろからものすごい勢いで男性二人乗りのタンデム自転車が追い抜いていった。あとで知ったことだが、この自転車のストーカー(後席)は白い杖をつく視覚障害者であった。たしかにタンデムなら多少の障害があっても問題無い。以前も別のイベントで片足の女性タンデムライダーをみかけたな。とか思っていたら、タンデムどころか片足のロードレーサーも70時間台で完走していたとか。いやもう、すごすぎる・・・。


※祝福・・・。

 ああ、もう残り少ないなあ・・・とか思い始めた頃になんかアップダウンが激しくなる。おいおい、マジかよって感じ。走っている間中ずっと、とくに終盤になってからは平均速度と到着予定時間を推論し続けているので、ここにきてのこのアップダウンはズシンと重い。心がバキッ!と折れたところで上りに入っても自転車が軽い。ついに細君が覚醒したようだ。ほとんど力を入れていないのにけっこうな坂をぐいぐい登っていく!もうこの坂はまかせた・・・!


※闇夜を救ってくれた白馬の騎士。リンダさん。

 残り10kmの看板。まだアップダウンが終わらない!でも、後ろからなんだか涙声が。なんでも「もう終わってしまうのだと感慨深い気分」「この痛みからついに解放されるかという思い」が渾然一体となって深く感じ入っているのだとか。こっちはようやっとタイムアウトしない目処も立ち、さっさとおわってくんねーかなとぶつぶつ呪詛をはきつづけている殺伐状態。最後の坂を登り終え、見知った景色が戻ってくると周りにイタリア・フランス連合が一緒になって走っていく。さらにリンダにもおいついてサン=カンタンの街へ入り、最後のロータリーへ!僕はここで細君に準備させていた動画撮影を開始させる(が失敗しやがった)。10時半ごろ、ゴールのゲートへ突入。ブラボーブラボーの観客の歓声に「ありがとう!」とでっかい日本語で応え、最後のコントロールへ入っていく。自転車の置き場所とコントロール受付の場所の把握で手間取りつつ、スタンプをもらったのは10時40分過ぎ。最終的な貯金時間はやっぱり1時間程度。ギリギリではないじゃんとも言われたけど、自分的にはかなり際どかった今回のブルベ。いくつかのちょっとしたIFで時間外になったかもしれない(あるいは別のIFでもっと余裕ができたかも知れないけど)。首の皮一枚をつなぎ続けたような気分・・・。

PC SAINT-QUENTIN-EN-YVELINES 残り距離0km 到着時間10:46 閉鎖時間11:30



 スタンプをおしてもらい、自転車をこのコントロールの敷地から出すための用紙をもらう。それからセンサー計測用のマグネットも記念にくれた。コントロールでいくつかの用事をすませ、ご飯はどうしようかなと思っていたらたけさんたちはここですませるとのこと。kazさんに教えてもらっていたクスクス屋さんにもう一回行ってみようかと思っていたけど、だらだらしてオダックス埼玉軍団の到着を見ていたらここで食べることになってしまった。でもまあ、あとで通りがかってみたらくだんのクスクス屋さんは昼間開いていなかったので丁度良かった。



 夜8時にまた会いましょう、という約束をかわしてベルサイユのホテルへ戻る。シャワーを浴びてちょっと横になるつもりが・・・ああ、目覚めたら午後11時。約束の時間はとっくに過ぎている!それにドロップバッグ回収はどうするのよ!?寝坊しましたごめんなさいメールを送りつつ、サン=カンタンのドロップバッグ回収ホテルへ向かう。タクシーの運ちゃんが「お前らPBP走ったの?どうだった?完走したのか!すげーな!」と言ってくれる。なんでPBP走ったとわかったんだろうか・・・。ホテルへ行きカウンターで「ドロップバッグを引き取りに来たんだけど・・・」とダメもとで聞いてみると、ついて来いとのこと。ホテルの会議室に連れて行かれる。会議室はあの独特のスメルが・・・床にはまだ回収されていないドロップバッグがたくさんあった。この中に・・・あの独特のスメルを放つ何かが入っているのだな・・・。とりあえず僕は自分のドロップバッグをチケットと引き換えに回収。待たせておたタクシーで帰る。タクシーの運ちゃんはメーターより安くしか請求しない。なんという親切・・・。

 タクシーを見送って、僕らは新たな問題の解決に入る。それは晩飯。もはやPBPを離れた僕らに食事を提供するものは何も無い。なんとか・・・開いているレストランを探さねば・・・。しかしとっくに午前1時を回ったベルサイユの町に開いている店はなく・・・。一時間ほど歩きまわって諦めてホテルへ戻る。ロビーにいたホテルのスタッフに「なにか食えるものないか?」とダメもとで聞いてみると「ルームサービスでとればいいじゃん」とのこと。ルームサービス!そんなゴージャスな考え浮かばなかったよ!さっそく部屋に戻ってメニューをみてみると、値段ははるがなんでもある・・・と思った。早速頼んでみたら・・・時間が時間なのでサラダしか無いとのこと・・・。でもチキンがのってるよ!と。とにかく何か食わないと死ぬのでそれでよしとしてこの日は終了・・・。僕達のPBPはようやく終わった。

 走っている間は、なんでこんなところを何度も走るもんかなとずっと思っていた。その気分や、同じような景色が繰り返されることの絶望感、眠気への恐れ、そういったものはなかなか伝わらない。問題は自分にも残らないことだ。終盤にいつものようにネガティブなことを言っている僕に誰かが言った。終わったら楽しい事しか残らないよ、と。そうしてゴールした後の僕は次回はどうやって走ろうか、とか考えてしまっているのだ。



 さて、その後、PBPより辛いイタリア寝台列車との戦いが待っているとはこの時はまだふたりは知らない。

2011年のパリ・ブレスト・パリ。 おさきまっくら。

PC MORTAGNE-AU-PERCHE 残り距離 到着時間00:25 閉鎖時間1:26

 さらにぐっと斜度があがるとその先がPC。MORTAGNE-AU-PERCHEは往路では単なる補給ポイントだったところ。ここまで来たんだと感慨深い。トイレへ走る細君を降ろして、自転車を置く場所を探す。タンデムを置くスペースはなかなか見つからず、建物のずっと裏手の壁に立てかけることに。戻ると彼女がすでに食事をプレートの上に置いて待っていてくれた。ここのミートソースはパスタも含めてけっこうおいしい。普通に食べてもおいしいくらいだったと思う。90時間クラスの日本人もけっこういて、誰々は見かけたか?とかどうなった?みたいな会話が少し。それから脚を椅子にのせて床に寝転び15分ほど・・・眠る。寝て起きるとたけさんがやってきてひとりでは夜は辛いので一緒に行こうと持ちかけられる。ここからは下り基調なので、タンデムも同じ様なペースで走れるはずという。まだ頭がはっきりしていなかったのと、細君をもう少し寝かせたかったこともあって「下り基調ならすぐ追いつくので、ちょっとしたら行きます」と答えた。そのつぎの瞬間の記憶ではもう目の前に誰もいない。本当にそんなことをしゃべっていたのだろうか。

 また時間の貯金を失ってMORTAGNE-AU-PERCHEを出ると、多少休んだことと食べたこともあって気分は元気になっていた。この区間は下り基調・・・とはいってもそれは80kmくらい走る全体を見渡して、のことでミクロな目で見れば登りはいくらでもある。というか、前半はこれまでの悪夢を引きずるような登り。もうやけくそなので闇にむかって「さあ!いよいよおもしろくなってきた!」と叫んでみる。「パンの耳をもらいにいくぞ!」とか。

 道端では寝転べるスペースがあればどこにでもサイクリストたちが寝転んでいる。こんなところで寝転ぶならPCで寝てたほうがよかろうに。トイレもないし寒いし。LEDの青白いライトに照らされて見える彼らはもはや幽鬼のようだ。道の両端にそんな幽鬼がごろごろ・・・ここはインパールかフィリピンか。小さな眠っている街に入ると道が入り組むので妻と僕とのよっつの目を見開いて街角に貼られたコースガイドを探し、その矢印をみつけると「右!」「左!」と叫んで曲がっていく。ビーフラインのような上り下りを何回繰り返しただろうか。ついに本当の下り基調にまでやってきた。登りのきつさはなくなり速度が乗るが、後席の細君は急激な眠気に襲われたようでときどきガクッ!となるのがわかる。とにかく自転車から落車さえしなければ・・・自転車にしがみついていてくれればサン=カンタンまでは連れてってやれる。だからハンドルから手を離さないで!と祈る気持ち。そんな真っ暗闇の状況の中、後ろから声がかけられた。リンダ・ボットという日系のサイクリスト。以前、西海岸でブルベをやっていた時の知己だ。とはいえ、そんなによく話していたわけではないしあまり顔を合わせたこともなかったのでよくこの闇の中で僕らを見分けてくれたものだ。彼女は「なにかトラブルはないか?眠いの?カフェインタブレットあるわよ?」と話しかけてくる。細君が「目覚ましはまだ残っているんだけど、胃がつらくって・・・・」と言うと「なら、眠気覚ましにお話ししましょう」と。なんという親切。この殺伐とした闇夜に白馬の騎兵隊が現れた!という気分。

 共通の知人のことやらRAAMのこと、現況なんかをたどたどしくだけど会話する。下りっぽいところでは速度もでて路肩にたけさん?や数人の見知った顔が立っているのもみかけたがそのままいき過ぎてしまう。リンダは他の知り合いの様子をみに下がっていったりまた戻ってきたり。本当にありがたい。けど、どうやら細君の限界が近づいていた。とあるところで今までにないほどの「ガクッ!」がきた。これはもう無理と思わざるを得ない。気温が低いし、どうにも寝転べるような所がないけど・・・しかたない。リンダに「もう限界っぽい、ここまでありがとう。ちょっと寝かせてから行くよ」と告げる。そのまま脱落して自転車を町外れの民家?の壁沿いに。そして門柱の脇が風避けになっているからそこでエマージェンシーブランケットに包まって眠るように指示する。

 僕自身はそこまで眠くないのでタンデム自転車と共に風よけになるように門柱のそばに立つ。けっこう風あるなあ・・・。かなり寒いな・・・俺の体温が奪われちまうなあ・・・と・・・お!これって追い風じゃんか!と気づく。しかもゆるーいけど下り。今飛び出していかずにいついくんだっ!とうずうずうず。15分弱、なんとか耐えて「追い風なんだ!」と細君を追い立てて街の外れへ飛び出す。あとはガムシャラに漕いでいってDREUXのPCへ。

2011年のパリ・ブレスト・パリ。 つらいつらい。



 胸焼けをしていると僕は本当に何も食べなくなる。流動食のようなゼリーとかを流し込むくらいなのだけど、それすらもおっくう。細君も内臓が気持ち悪くなって苦しんでいたが、胃腸薬を飲んで多少持ち直したよう。それに彼女はとりあえず何か食う努力をしつづけていた。走りながらエナジージェルやその他の補給食を「食うか?食うか?食え、食え」と言ってくる。それが田舎のおばあちゃんが来客にいろんなお菓子をすすめるような感じで面白い。とにかく、半分くらいは「食わねえ」と答え、半分くらいはしぶしぶ食う。でもこうやって勧められて食うおかげで体力維持できるのだから、やはりこうやって走ることには強みがあるのだ。
 


PC VILLAINES-LA-JUHEL 残り距離221km 到着時間18:20 閉鎖時間19:42



 そんなこんなで比較的楽しくVILLAINES-LA-JUHELに到着。しかしながらこのPCもやたらめったら丘の上にあるので大変。街の狭い道をあっちへこっちへ折れて登ってたどり着く。PCでは往路と同じくひっきりなしに実況がなされていてまるでなんかのレースの1シーンみたい。しかしながら楽しかった割には前半の眠気と仮眠や休憩が尾を引いて猶予時間は前のPC到着時と同じ1時間20分。シャワーその他は諦めて、とりあえず飯だけ食いましょう。それからテーブルでうとうと・・・。軽く目を覚ますとRUSA前会長がいたのでドロップバッグの受け取り場所を聞く。PCのゲートを出たすぐ先らしい。そこまで移動して補給物資をタンデムに詰め込み先をいそぐ。ここからコースプロファイルが気になうるように。ここから次のPCまでおおざっぱに言うと大きくくだって、それからずっと登り続ける感じ。貯金はもらえるかな・・・?


※・・・その手に持つものは・・・。そんなもの持ってよく走れる・・・。





 街から出ると「英語は話せるかしら?」と声をかけられる。オレゴンから参加しているという女性の参加者だ。おお、おれたちの自転車もオレゴンの会社の製品ですよ!というと「知ってる知ってる」と。彼女はかつて愛媛県で英語の教師をしていたということで、かなりわかりやすい英語を話してくれて、なおかつ僕らの酷い英語を聞き返しもせずに聞きとってくれる。なんだか英語がペラペラ喋れているような錯覚!さらに話を続けていると、彼女はなんとチームアストロゲン(女性用サイクルウェアの通販サイト)のオーナーだというではないか。女性サイクリストとしてどこのお店に行っても女性用グッズを置いてないことに困って始めたのだそうだ。へーへーと話しているうちに大きな下り坂が見えてきた。すると彼女は「先に行きなさいな。のぼりになっておいついたらまた会いましょう」と。さすがよくわかってらっしゃる。お言葉に甘えて下りへ向けて勢いをつけて・・・GO!


チームアストロゲンのオーナーさんだそうです。

 意外と下り基調が長く、かなりの距離を進むことができたように感じる。下りの底からいくつかの登り返しを経ていると、途中で追い抜いた老齢のフランス人ライダーがやってきて「あのマダムからだ」と名刺をくれる。さらに「ワシも昔タンデムではしっておってなー」みたいなことを話しかけてくるのだけど、完全フランス語なのでまるでわからない。少しだけまったく通じない会話を楽しんでその男性は去っていった。かなり高齢そうに見えたけど強いなあ・・・という感じ。



 黄昏時に長い一直線の登りを行く。このあたりからたくさんのロードレーサーの小集団が増えてきた。だいたい一般車両90時間の部に参加して85~90時間で完走するもっとも数の多いあたりに飲み込まれているのだろう。さすがにロードの参加者も疲労が蓄積されてきたようで、登りだというのに僕らが追い抜くことさえある。台湾の小グループは往路から何度追い抜き追い抜かされを繰り返してきただろう。RUSA前会長や、さきほどの女性サイクリストも僕らを追い抜いて行ったり、立ち止まっているところを追い抜いたり。丘陵の稜線を行くように道が続き、紺色の空と黒い地面の間の地平線まで点々と赤い灯火が見える。綺麗で幻想的だが、あそこまで行かねばならぬのかと心に重いものも感じた。パリは?パリの灯は?パリの周りには空を照らすような都市は無いの?もうそろそろ終わってくれ!


※右下が僕の体。その輪郭線は僕の自転車のライトの明かりがもれでてるんですね。ダイアモンド富士みたいに。その向こうは他の参加者。たぶん。

 終わらないやめられないのがPBP。残り距離が30kmくらいから全然減らないような気がする。というか本気で増えたようにも感じた。何かを勘違いしたのだろう。そうはわかっていても「さっき残り20kmだったはず!30km以上も残っているのはGPSのルート計算ミスだ」とイライラしはじめる。しかも気温も急激に落ち始め、寒くて眠い。途中で停まって上着を羽織る。登ったり降りたりを繰り返しているけどちっともあたりの様子がわからない。そのうちGPSの画面に環状道路が映る。どうも街?そろそろPC?と、急に街に入る。古い感じの小さな町。橙色の灯火で照らされた街路を抜けるとあたりにいたサイクリストたちが数を減らす。どうも開いているバルなどへ飛び込んでいっているようだ。あと20kmくらい・・・休憩には微妙な距離。もとよりそんな時間は無いので、街から脱出するために登り始めると、子供たちが何か叫びながら並走してくる。いたずら?と思うが何かを細君に渡したよう。ナニ渡されたの?と聞くと「シュガーシュガーって角砂糖をくれた」。疑ってすまんよフランスの子供たち。ほんとうはこのために持ってきているおみやげを渡したかった・・・。とりあえず角砂糖は確実に受け取ったぞ。もぐもぐ・・・。うまー。

 ふたたびあたりに参加者たちが増えてきた。しかし、やっぱり終わらない。ところどころに私設エイドとそこに集う人たちをみかけるが、このへんはそんなに人家があるのか?自転車のイルミネーションを掲げた家があった。行きにもあったな!と言うと、後席から「いくつもあった」と。つうことは進んでいる証にはならない・・・。とにかく辛い辛い・・・。ここは辛いということしか思い出せない。

つづく

2011年のパリ・ブレスト・パリ。 ねむいねむい。

PC TINTENIAC 残り距離363km 到着時間7:55 閉鎖時間08:17

 なんとかタイムアップせずに滑り込んだ。これからはPCでタイムアウトまで休憩し、次のPCまでに同じくらいの休憩時間を稼げればいいとする。完全に事前の予定を破棄。ここまでの走行距離867km。中途半端な距離だ・・・。TINTENIACではチェックを受けてトイレを・・・と入りこんだ人気のない廊下にトイレがなく、そのまましゃがみこんでしばし眠った。僕も細君も胸焼けが辛いということもあったので食事はしない。まだ積み込んだ補給食が残っているからなんとかなる。僕は体内の脂肪を燃焼させる着火剤としてのすこしばかりの糖分さえあればかなりの距離が走れると思っているし、極端なことを言えば、案外食べなくても走れるものだと思っている。というか、胃腸が疲労?で悪くなると食べないで走り続けられるようになるという感じ。でも、やっぱりなんらかのエネルギーは必要。そこでPBPの途中ではっ安価で、カフェなどで容易に手に入り、エネルギー化が高く味が安定していてしかも胸焼けに影響しない食料の存在に気づく。まさにPCにあるレストランの列でそれを見出した。それは砂糖。コーヒー、紅茶用に置いてある角砂糖やスティックシュガー、あれを並んでいる最中や食事中にポイポイと食べたり飲み込んだり。もう頭が考えるより前に手が出ている状態。ふとインシュリンショックなる言葉が頭をよぎったけど、コーラ飲んだって同じことだろう。飯が食えないんなら、砂糖を飲み込めばいいじゃない・・・。



 明るくなるとすっかりすばらしい天気。暖かくって眠くなりそうだ。とあるゆるい上り坂を登っていたら脇道から子牛を載せたトラックがでてきて前へ走っていった。そこで湧き上がるドナドナの歌。思い切り二人で歌い終えると、並走していたおっさんサイクリストが拍手をしながら去っていった。満足。他には・・・だいたい景色は同じだし起こっている事象も同じだし・・・というか思い出せません。帰路は全体的に思い出せないせいで「すごく短かった」気がするほど。FOUGERESに入って行くと急に坂がきつくなり交通量も増加。この街はちょっと険しい丘陵に作られた城塞のようで、城壁が残り街の中心を囲んでいた。ゆっくり立ちこぎでなんとか這い上がり、コントロールへ到着。往路ではコントロールのはるか手前で自転車を停めて失敗したので、今度はコントロール近くで駐輪する。ここのコントロールはWiFiスポットになっていてWEPコードが掲げられているのだけど、かなり長くって入力する気になれない。一応、iPod padを持っているんだけどね。そのままコントロールの建物に入り、チェックをもらう。


※城壁の町、フールージュ


※城壁の町、フールージュ2

PC FOUGERES 残り距離309km 到着時間11:14 閉鎖時間12:34



 PCごとに一時間ほど貯金が作れるようだ。それにしてもTINTENIACとFOUGERESは50kmちょっとしかないので、ここで時間が稼げたということは、この間のコースがいかに走りやすかったを示している。でも、どんな道だったかはやっぱり思い出せない。正直なところ、ドナドナの歌はこのPCの前だったか後だったかわからないのだ。同じ景色同じアップダウン同じペース。記憶がだんだんと混沌としはじめた。でもまあ、このPCに入る頃からはちょっとよく覚えている。心もしっかりしていたので、このあたりでしっかりご飯をたべようとPCのInfoスタッフに近くのレストラン情報を聞く。これが失敗で結構な時間のロス。しかもろくな情報も無く・・・。ちょっと目が覚めてきていて余裕な気分になっていたのが失敗だった。仕方ないのでPC付随のレストランで食べましょうと自転車をレストラン近くの駐輪場へ動かしていると、車検日に出あったタンデム車乗りの女性が芝生の上で座り込んでいた。同じメーカーの同じような仕様(前後のシンクロにチェーンではなくカーボンベルトを使っている)なのでよく覚えていたのだ。でも、彼女らは僕らよりかなり速かったはずなのでどうしたのかと聞いてみると、どうも仲間内の誰かがトラブルなのでそれにつきあっているらしい。とりあえずお互いの健闘を祈ってお別れ。


※まあ、おいしいおいしいってことはないさね。


※なんかよたってる?

 レストランではzuccha氏と一緒になる。正直言ってぜんぜん美味しくない食事なのだけど、彼はガシガシ食う・・・。すごい。ここまで食えなければあの脚力は得られないのか・・・。しかしながらzuccha氏は眠い眠い病らしいので、先に行かせてもらうことにした。次のPCまで行けば1000kmを突破するし、さらに予備のドロップバッグも配置している。もし十分な時間があればシャワーを浴びて着替えられるようにと、それに補給食。本当は体をきれいにして着替えて仮眠したいところだけど、そこまでの余裕が作れるかどうか・・・。正直なところ着替えさえもできないだろうと思っていた(今までブルベで三回の着替えをしたことはない)。


※天気はいいぞー

 気温が急激にあがって・・・眠い!日がさんさんと照ってあまりの良いお天気に芝生の上で寝転んでいるライダーをところどころで見かけた。そんなときに「びでおー!」と陽気な声が後ろから飛んでくる。振り返ればシャイだ。ピストで参加しているクレイジーな西海岸からの参加者。そのときの動画を見ると・・・意外と元気そうにみえるな・・・。けっこう速度もでてそうだ。撮影後、ピストはどうよ?って聞くと「下りが死ねる」とシンプルなお答え。たしかにこのあと僕等を置き去りにして視界から消え去るものの、その先の下り坂でものすごい勢いで後ろへ消えていった・・・。長い下り坂の途中、黒板型の看板に「CAFE」の文字。細君がトイレに行きたがっていたので下り坂の中の街に停まる。その「CAFE YOKOSO」はお店ではなくって、沿線住民が応援で出してる無料カフェ。



 倉庫を利用した休憩所で家族総出でお手伝いという感じ。仮眠用のマットがいくつも並んでいて寝込んでいる人もいるようだ。なんというホスピタリティ。でも、ここ自体にトイレはなくって数百メートル歩いたところにある公園のトイレを使ってくれとのこと。細君のトイレを待つ間、ジュースをもらったり手作りお菓子を食べたり。御礼に「必勝日の丸鉢巻」をプレゼントし、リンゴをもらって出発した。その先の街ではクレープ屋さんがクレープを配っていて対価は「あとから写真を送ってくれ」というらしい。とても有名なポイントで今までに送られたたくさんの写真が貼られていたそうなのだけど、知らなかったのでタンデムであっという間に下って行ってしまった・・・。

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さっきの動画
※意外と元気にさくさく走っているように見えるな。

 それにしても眠い・・・。ついに眠ることを決意。普通の道の工場脇の芝生のようなところに立つ看板の影で寝ることにする。自転車は看板に立てかけて。車通りも少なくないところだけど、これ以上眠くなると良くない。携帯電話のタイマーを15分にかけて倒れこむとすぐに寝付いたようだ・・・。そして「なにしてんのこんなところで」の声に起こされる。zuccha氏がやってきていた。それから先は下りと平地で僕らのタンデムが風除けになり、登りでzuccha氏に押してもらうという不思議な列車を組んで進んだ。しかしPBPだけで約1000km、其れ以前の欧州自転車旅行もあったのに、なんでこの人はタンデムを”押して”楽しそうに坂を上がれるのか・・・。



 ところで、やっぱり終盤になってきて疲労を強く感じる。いっつもタンデムだと走り始めの頃とその後との疲労のギャップが強く感じられるのだけど、それはやっぱりスキルの問題なのではないかと考え始める。二人合わせての出力があるのがタンデムの魅力なのだけど、二人は二人であって単純な足し算はできないのではないかと。二人のペダリングがシンクロするのあたって、相殺されてしまっているパワーも確実にあるはず。V6エンジンを二つ並べたからって、生来からのV12エンジンに匹敵するわけではないという感じ?特にパワーが必要になる登りでガクッと落ち込んじゃうのはそんなわけかな。立ちこぎなんかもそうだ。立ちこぎすること自体に難しさはない。ないけど、ぶれずに立ちこぎするのはかなり難しい。二人で立ちこぎしているとバイクの振り幅・振り周期なんかがそれぞれ違うので、しまいには前後で逆に振ってるんじゃないかと思うくらい。これは効率が悪い・・・。



 そしてそんな非効率な立ちこぎをしていると、一気に心拍はあがるわ膝上が笑い出すわで超大変。さらに悪いことにはトルクだけはあるもんだから連続してたちこいでいると、前に走っている走者にあっという間に追いついてしまったりしてブレーキ掛ける必要すらあったり。坂の途中で減速して車間を保って・・・と思うと息が上がって膝が笑っているので速度も保てない。また疲労もあるので立ちこぎをひとつの坂で何度もできない・・・なにしろもともとの脚力がないのだし。そんな具合にスキル不足と脚力不足のダブルダメージを痛感していたこの終盤、新たな技を編み出す・・・。その名は「ジューイチ」。普段の立ちこぎは1サイクル10回として、だいたい2サイクル、20回で終了して休憩する。しかし、もう2サイクルもこぐと疲れはててしまうしあるいは加速しすぎて車間がとれなくなってしまう。そこで1サイクルごとに「立ちこぎの姿勢のママちょっと”けのび”をして休み、速度が落ちない間に次の1サイクルを行う」ことにした。しかも10回ではなく、ペダリング11回として左右の脚のバランスも取るという寸法。なのでジューイチなのだ。



 この戦いの中、疲弊の極みにあって生み出された新必殺技”獣威血”。走りながら説明し、やってみると悪くない。はじめこそついつい10回でペダリングをやめてしまって混乱したり、とっちらかったりしたが、慣れてくると”けのび”しても速度が急激に落ちない程度の坂なら立ちこぎを続けて乗り越えたり、ロードのグループにくっついてちぎられずに登り切れたりと確実にペースが上がった。最終的にこの技によって稼げた時間は決して少なくはないはず・・・。脚力も体力もないのだもの、必死に考えてやれることはなんでもやっていくしかない。胸焼けがすれば角砂糖を食いまくり、立ちこぎの方法を考え、歌を歌いしりとりを続けて眠気をさます。実に楽しい。



つづく