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【落武者魂】 2011年05月

落武者魂

L  O  S  T     S  Q   U  A  D  R  O  N  .

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BRM507 アタック日本海 3

 PC3に到着する。でもまだ300kmにも到達していない。疲れてはいるけど・・・うーん、この疲れはなんというのか・・・疲れているというかだれているというか。だいたいですね、70km~170kmくらいの距離のころに楽しいひと時があって、それ以降はだいたい同じような疲れている状態が続くんです。だれてるだけ?いずれにしろ200kmも600kmも1000kmもそれ以上もおんなじような疲れがだらだら続いて、それに眠さが加わるかどうかの違いだけ。それも多少なりとも仮眠をいれれば路上でふらふらし続けるようなことにはなりません。というか、蛇行や転倒の恐れがある場合は速やかに走行を停止して仮眠するのが自転車でも自動車でも基本です。躊躇してはなりません。特に日本の道は道路わきがすぐに側溝だったりするので超キケン。ふとした判断力の低下で電信柱にど根性ガエルします。

 と、PC3で買い物をしているとなんだか外が騒がしい・・・って雨?本降りじゃんかよ・・・。天気予報では12時以降に数時間まとまった雨って感じだったのにかなり早まったもんだ。予定通りの運行なら、ほとんど降られずに長岡へ入れると思ったのになあ。畜生。しかたないのでレインジャケットとレインパンツ、シャワーキャップをヘルメットにかぶせて足は・・・トゥカバーで我慢しようか。走り出しても雨は強まるばかり。雨装備のおかげで足首以下以外は快適そのもの。蒸れそうだけど、あめのおかげで強制冷却されるので不快さはないのだ。



 日本海にでるけど・・・まっくらなので本当に日本海がそこにあるのかわからない。これではクルスク7や北の国から来た挑戦が上陸してきてもまったくわからないではないか。本当にそこに日本海はあるのか。せめて波音とも思うのだけど雨の音でかき消されてしまっている。雨は土砂降りとは言わないけど結構本降り。前走者の後ろに不注意に入ると後輪からのしぶきがきついことになるので、できるだけ避けるのだけど、なかなか難しい。いちばんの問題はブレーキだ。ブレーキを握ってもスイッとすすんでしまうのでヒヤリとすることがある。雨の中で走るのは恐れるものではないけれど、あまり人数が固まって走るのは避けたほうがよさそうだ。

 あと雨の中で嫌なのはサングラスにつく水滴。昼間だとまだいいんだけど、こういう暗闇の中だとちょっとした光も乱反射で視界を塞ぐ。なので結局はずしてしまうことに。裸眼は裸眼で辛いのだけど、見やすい。これで明日の朝は目が真っ赤になること確定だけどね。

 PC4はスタッフの方々のアドバイスもあったのでさっさと引き上げてその10kmほど先の長岡駅を目指す。少し雨も弱まっていたし、今のうちに・・・。駅の手前でマクドナルドをみつけたので晩飯を買い込み予約しておいたホテル向かう。幸いにもロビーに停めることができたので自転車については安心。部屋ではさっさとシャワーを浴びてごハンバーガーをたべて・・・3時間は寝ますよ。


※ハンバーガーを背中にいれると潰れます。しかも雨で濡れて・・・。

 結局4時間はしっかり寝た。体を軽くほぐし、昨晩受け取っておいた着替えバッグをあさって走りだす準備。汚れ物を着替えバックにしまって自宅へ送ってもらうのだ。超らくちん。健康ランドは結構うるさくって繊細な僕にではしっかり眠れないのよね。それに館内移動時間もかかるし。ホテルならそのあたりはすべて解決。ベッドで寝れたというこの幸せ!初めてのブルベは寝ることができなかった・・・。健康ランドで眠れぬ夜をすごしたこともあった・・・。PCに止めたクルマの中で仮眠したこともあった・・・。コヨーテの叫びが聞こえる路肩で眠ったことも・・・。それがいまやホテルに泊まってくつろぎブルベ・・・。どんどんストイックさが薄れていきます。

 4時半に近くのコンビニでたのしいなかまたちと集合。さて、おうちへ帰るよ。雨はすっかりあがって、今日は日差しが強くなりそうだ。「復興をめざして」という大きな看板があがっている建物がある。新潟県中越地震のことだ。あの地震も10年も前じゃない。あのときも原発全停止とかで停電するとかしないとかやってた。過去は忘れられるもの・・・



 長くゆるやかな登りがつづく。同行者のパンク修理待ちなどでゆったりとしたペース。日陰に入るとやたら寒い?雨が落ちてきたので雨装備にすると走りだしてすぐやんだりして笑われる。つうか寒いんだけど。ちょっと休憩しているとガクガク歯の根が合わないような震えが。超寒いよね?って同意者無し。
フロントバッグにたけのこの里(なんということだ!きのこの山がなかった!)をつっこんで走りながらぽりぽりと食べる。ふと手を突っ込むと無茶苦茶溶けてるじゃん!直射日光があたると一気に溶けちゃうのね、と思っていたがあとで気づいた。フロントタイヤがバッグの底をこすり続けているので摩擦熱で溶けたんだねえ・・・。



 苗場、三国と昨日の道を戻る。うーん、立ちこぎしてもなにしても心臓がバクバクする感じがしない。はぁはぁする感じもない。もう疲れちゃってるからかなあ・・・。ペースがあがらなくってもどかしい気持ち。だらだらと三国峠を越えると晴天。下れば下るほど気温があがっていく。関東平野に戻るとまたまた追い風の模様。まだ200kmくらいあるのかよ・・・と思うとモチベーションの維持が難しい。最後のPCのあたりからはちぎれて一人走る。



 連休の最後とあってかクルマがやたら多い。やる気もないし、クルマも多いしで最後の区間は途中から一人旅。寄居のあたりでこちらの速度を見誤ったであろうトラックが全然追いぬいていないのにこっちへぐいっと寄せてきて半分死ぬ。もう少しでグロ画像になるところ。そっからペースをあげてってゴールの見える橋のうえをかっこよく突っ走って・・・と思ったらゴール会場は橋の下だったので誰も見ていなかったのでした。



 そして翌日から39度の熱が・・・。

 お わ り
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新・哲学の源流をたどる妙正寺川の旅。

 書き上げたものが回線トラブルで消えてしまった・・・。気を取り直そう・・・。

 「哲学の庭」をでて「数理江」・・・じゃない、もう哲学堂ワールドを抜けたんだ・・・妙正寺川沿いに進みます。具体的には中野通りを渡るんですが、この中野通りを中野側から走ってくるとこのあたりでT字路となって突き当たります。そのとき前方に野方配水塔がそびえているのが見えます。戦前に建築された大型の建造物でただの住宅街となっている周りの風景からちょっと浮いた感じがして面白いのですが、現在では水道設備としてではなく非常時用の水タンクとしてりようされているとのこと。ここで中野通りを振り返ってみると・・・というか見えないのですが地図上では延長線上に荒玉水道道路が延びています。荒玉水道道路は二子玉川近くの多摩川岸にある砧浄水場から一直線に続く道で上水管に付帯する設備。そのため大型車の通行ができないなどの制限がありますが、とにかく一直線に環七・青梅街道の交差点近くまでつなぎます。東京西側は南北につなぐ交通が弱いので、こんな細い大型車通行不可の道でさえ交通量が多いのですが、環七や環八を走りたくない(普通走りたくない)自転車乗りはよく使うのではないでしょうか。私もちょくちょく使います。他に選択肢ないから。

 その水道道路が途切れても上水道はまっすぐ北北東に地下を貫き、ここ哲学堂近くの配水塔につながりさらにその先の大谷口配水塔まで接続していました。もともとは荒川と多摩川をつなぐ予定だったらしいのですが、それには至らなかったようです。なお、この道路近くの住民でも「水道道路」と言った場合には荒玉水道道路なのか玉川上水路跡地の水道道路なのか混乱があるので要注意です・・・。

 さて、野方配水塔ですが説明版によればグラマンの機銃掃射の痕跡があるということで中野区の平和史跡になっているのですが、最近の研究?で「どうもこの銃撃痕は塗りなおし補修の際にそれらしく作ったもの」という説がでていて区議会でも質問があがった模様。補修前の不鮮明な写真には痕跡がなく、また「地元の人の意見を聞いて『こんな感じだったらしい』と作った」という証言もあるらしいのですが、確証を至るにはえずに終わっている様子。戦時の話、ですらなく数十年前の平時の話でさえわからなくなってしまうというのは歴史の難しさと面白さを匂わせていますが、言った言わないにならないように議事録をとらない主義はやめろと思うのです。

 

 哲学堂敷地をでたところから一歩も進んでいませんでしたが、中野通りを渡ると新しく作られた歩道が続いています。それほど長い距離ではなく、この写真の奥はもう公園になっています。戦争の歴史という話がでましたが、そこは沼袋江古田合戦場跡とされている場所です。石神井城か練馬城を発した豊島氏の軍勢がこのあたりで大田氏の軍勢に打ち破られたとのこと。江古田川と妙正寺川の合流地点であり、このあたり一帯の高台がおちこんでいるような場所でかつては湿地帯だったようです。こちらは600年ほど昔のことです。

 この公園を抜けるときれいな歩道はなくなり、コンクリ護岸された川の両側に一車線程度の車道が沿うようになります。もちろんサイクリングロードなんかではなくって、ただの住宅街。横切る道が結構多いので飛び出しなんかに注意しながら進まないとなりません。途中西武線の駅をかすめる場所があって、すこしだけ栄えていますがほんの少しだけなので気づかないかもしれません。ただ子供やママチャリが増えるので注意してください。



 沼袋をすぎたあたりには「平和の森公園」があります。戦争の次は平和です。さすが考えさせます妙正寺川。ここはもともと中野刑務所でした。思想犯が多く収められた監獄としても知られています。哲学者三木清もその一人。戦時下にここで死を迎えました。哲学の死です。平和の名の下にあるものを見つめなおせということなのでしょう。さすが考えさせます妙正寺川。



 案内板を見ると高台になっているところには野球場が。これが平和台球場です。もちろん。



 正直なところ、ただのお散歩状態なのでこうやって自らの士気を高めながら進んでいきます。すると環七にぶちあたってしまいました。途方にくれてしまうかもしれませんが、落ち着いて左右をみわたすと陸橋になっているので向こう側へわたることができるのです。そこから先はふたたび静かな住宅地です。

 のんびり陽光の下を進んでいるとやがて自分がどこにいるかわからなくなります。どこへ進んでも、どの路地を覗いても同じような風景です。だいたいこの多摩武蔵野方面というのは田山花袋に言わせれば原始の野の趣のある雑木林が果てしなく続くゆるやかな丘陵地帯でした。関東大震災前後に一気にスプロールしてしまったのでまともな道は少なく、土地区画もけっこう細切れ。閑静な住宅地が続くのですが、ときにそれは殺風景な街区のようにも感じられます。そんな思いは沼袋からずっと拝島のあたりまで続き、そのあまりの茫漠たる人工の荒野の中で立つ場所さえ見失うのです。すると・・・。



 なんとも味わいのあるビルヂングをみて自分の場所がはっきりわかりました。SAGINOMIYA(鷺ノ宮)だそうです。これはわかりやすい。そしてその向かいでは新しい団地が建築されていました。



 真新しい「団地」というほかありません。なんというか「かつてあった未来」感があふれています。新しいのですが、すでに過去というか。実に妙正寺川らしいたたずまい。さきほどの味わい深いビルヂングも、年数たっていそうな感じでしたが実は新築なのかもしれません。場所はわかっても、もはや古いも新しいもわからぬさまに。これは妙正寺川から何かが発せられてるに違いありません。

 

 古い団地の敷地内を進みます。本当に古いのだろうか。古戦場600年の歴史の前で古い新しいは意味をなすのか。そもそも数十年前のことさえ藪の中なのに・・・。この世界のあまりのあやふやさにどんどん不安になっていきます。何が真実なのか。変わらぬものはあるのか。この世界の根本原理は何なのか。どう考えても退屈な妙正寺川の旅も、あとから振り返るとすごく濃い気がしてきました。世界を知りたい。



 唐突に。あまりに唐突に啓示が示されました。頭の中に思いつくとか、声が聞こえてくるとかそういうレベルではありません。妙正寺川源流では啓示も重量感をもって現れます。宇宙も人間も素粒子なのです。哲学堂の時空岡(じくうこう)にあった宇宙館は単なる名前ではないのです。それは素粒子なのです。この石碑の上にある黒い玉子はいったいなんなのでしょうか。きっとブラックホールに違いありません。もう何を書いてもよさそうな気がしてきます。みんな一生懸命妙正寺川を歩きながら考えるべきです。そうしないとすぐ飽きちゃうから。

 

「忘れられた未来」「終わってしまった希望」といった雰囲気の建物の前に放り出されました。最寄り駅や最寄交通機関なんかまったくない本当に静かな住宅街の真ん中にいきなりこの建物が現れます。人っ子一人いません。ぐるぐる見渡してもいきと死いけるものの姿はありません。泣きそうになりながらこの建物に入ると、4階ほどの高さをぶち抜く吹き抜けの広大なホールがありました。誰もいません。その高い高い天井から吊り下げられた大きな銀色のフーコーの振り子が静かにたたずんでいます。1mmたりとも動いていません。いったいいつからこの振り子は地球の自転を示すのをやめてしまったのでしょうか。



 中をうろつきます。なんだか理科準備室のようです。この巨大な建物そのものが巨大な理科準備室なのかもしれません。そういえばラベンダーの香りがしていた気がします。大きな気象観測装置や地震計測装置がありましたが機能しているかどうかは微妙です。剥製、地質試料、珍しい貝の展示がひとまとめ。いったいなんなの?何を伝えようというの?さらに混乱を呼ぶのはなぞの奇声。ホール全体に時々子供の奇声のような音が響きます。初めは小さい子が叫んでいるのかと思いましたが、そんな子はどこにも、周囲にもいません。だいたい命あるものがここには感じられない。静かなホールにtanasinnが広がっているのを感じます。

 それでも最上階まで上がりました。プラネタリウムです。誰もいません。奇声は続いています。


 
 真理の部屋が開かれました。世界の根源は素粒子であり、根本原則は大統一理論であると示されています。そしてそれらを見出すために人類に残された光であるチェレンコフ光を用いるのだと。哲理の果てに素粒子にたどり着きました。小柴先生はこのほとりを流れる妙正寺川の下流には哲理の城砦である哲学堂があることをご存知だったでしょうか。どちらももはや目に見えず実感しがたいことを具現化してみせる施設でした。妙正寺川だけで世界のすべてを見渡せます。セカイ系リバーと呼んでももはや過言ではないとさえいえます。

 あまり長居するとナゾの奇声に心が崩壊してニュートリノ放出を起こしてしまいそうです。いそいでこの科学の神殿を立ち去ることにしました。そのときにナゾの奇声の正体らしきものを見かけましたが、あまりに不気味な光景だったので今は記しません。あれほどなごやかな癒しを感じる怖い光景はその場にいなければ私の力ではお伝えできません・・・。



 妙正寺川の源流はこの池です。ここから湧き出す真理の流れがそのみなもとなのです。最近ではパワースポットとさえ呼ばれています。妙正寺川をめぐるたびであまりの疲労感に襲われたのでしばらくベンチで休みました。それからやおら自転車を漕ぎ出し早稲田通り経由であっという間に帰宅したのでした。

続・哲学の源流をたどる妙正寺川の旅。

 こうして哲学堂の哲理門から常識門まで一巡りし、哲学の徒たちが集う広場にもどってくると大哲学ニャを見つけました。おそらくはキュニコス派ですが、犬ではなさそうなので猫儒派のようです。私はせっかくなのでこの大哲学ニャに挨拶をさせていただき、何かお困りのことはないか、と聞いてみました。大哲学ニャは「そこに立たれると日陰ににゃるからどいてくれにゃいかにゃ?」と言われました。私はすぐに辞して「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」とつぶやきましニャ。



 さて、哲学堂のある時空岡(じくうこう)は妙正寺川・・・じゃなかった・・・えーと、哲学堂的には「数理江」沿いの高台にあり「数理江」にむかって断崖になっています。その断崖の下にも細長いスペースが数理江に沿ってありそこもまた哲学堂ワールドです。しかし哲学堂について書くと漢字変換がすごくめんどくさいな。それはさておき、その細長いスペースの両端には「唯心庭」と「唯物園」があり、それを「独断峡」がつないでいます。



 区立公園の案内板とは思えない独特の雰囲気をただよわせています。もともと哲学堂には77の名所があって、それぞれにこのような説明がなされていたようです。というかその説明をそのまま記載してるんでしょう。なお、77のうち二つの名所は文献喪失のために不明となっているそうです。


独断峡

 さて、時空岡のあるスペースとこの唯心・唯物のスペースとは断崖になっていると書きました。唯心・唯物、そして数理その他の学問の上に哲理の場があるというのが哲学堂が静かに訴えかけているテーマなのでしょう。この二つの場の間にはいくつかの小径が拓かれていました。それぞれもちろん名前があって西側から「感覚巒」「経験坂」「二元衛」「直覚径」「認識路」となっています。景色はこんな感じ。



 これは直覚径。その案内板はこんな感じ。



「行けばよい」という表現が非常に心打ちます。唯心から論理域に一足飛びにショートカットするというなら、それは直感に頼るということだということでしょうか。 しかしそういう近道はのぞまない、自分はしっかりとした思考の積み重ねの上で哲理に至りたいのだという方も当然いらっしゃるでしょう。なので直覚径の隣には「認識路」が設けられています。



  その認識路の途中には思索をより深める哲学の徒のために小休止場があつらえられています。その名も「演繹観」。





 なぜパラソル型なんでしょうか。わかりません。なにかの駄洒落メタファーなのかもしれませんが浅学の身ゆえ思いつきません。他にもこういった小径として哲理に至るためには学問の経験が必要だという「経験坂」と、経験を得るためには耳目の感覚も重要なのだという「感覚巒」などもあり「なんでこんなただの石段に大仰な名前と意味づけをしなきゃならないんだ」とくらくらしてきます。

 

 くらくらしてきました。「哲学的名勝」だそうです。このときは気づきませんでしたが小さな花壇(草壇?)みたいなものがあって、それが唯物園だったようです。マップをみると上から見て古い字体の「物」の形に草が植えられてたみたい。唯物園のはしっこには神秘洞なるものが口をあけています。進化の源であり、進化について究めれば神秘に通ずとしてその名があるようです。かつては水が流れ出ていた(源)痕跡があります。でもいかんせん小さい・・・。しかし小さいなどという見かけではないのです、そこには深遠なる意味が隠されているに違いありません。



 唯物園には動物型の灯篭が置かれています。



「狸灯」というこれは人間の本性は狸のようなものであるけど、時には光放つこともあるということで腹部に行灯を仕込めるようになっています。いまでは灯火がともされることはなさそうです。人間に光あるものは失われてしまったのでしょう。



 唯心庭は池を中心としています。その池には「理性島」があり理性に至るための「概念橋」が渡されています。




 名前は立派ですが・・・いや、立派です。たぶん、昔は木の橋だったんだろうと思います。この唯心論的呼称をもつ諸部分が見られるこの庭にも灯篭がたっています。鬼灯です。



 人間の心にある鬼性にもなお、良心の輝きがあることを示しているとのこと。もはや使われなくなって久しいようです。人間に残された光はチェレンコフ光くらいなのでしょうか。この灯篭が立つ淵は倫理淵と呼ばれ池は心字池とされています。唯物園には「物」の形の花壇があり、唯心庭は「心」の形の池(水)になっているということになります。またそれぞれ東屋があって「主観亭」「客観蘆」と名づけられています。

 そろそろ哲学するのも疲れてきました。この自然豊かな小公園のあちこちに、というかあらゆる場所になんか大仰な名前がついていて落ち着けません・・・。ふと何にもない道を歩いていてもたとえば「学会津」なんて彫られた古い石碑が足元に立ってたり。説明もなかったりするので自分で考えなくてはなりません。なんという哲学さ。頭がしびれてきたので唯物園に戻り「観象梁」を渡って「数理江」の向こう岸へ渡ります。すると・・・。



 これは一体なんだ・・・!? えーと左端の人が「キリスト」、奥の人は「老子」と「釈迦」。右で臥せっている人は「アブラハム」だそうです。頭のでかい人は「エクナトン」さんだそうです。頭の奥がしびれてきました。まだ哲学堂ワールドは終わっていない様子。



 どんどん広がる哲学堂ワールド。ここは”哲学の庭”なんだそうです。新しくできた場所のよう。なんだろうこの感じ。どこからか哲学があふれ出しているとしか思えない。これは数理江・・・妙正寺川から流れ出ているのではないかと気づきました。次回は妙正寺川を辿り哲学の源流を探ります。この日記、「ロングライド」カテゴリなのにいまだほとんど自転車に乗っていません。実のところ、最後までろくな距離にはなりません。つうか三話まで読む人いるのかよ。

哲学の源流をたどる妙正寺川の旅。

 ようやく謎の奇病から脱したようです。そう思って本屋へ行くために自転車に乗ると・・・足のつけ根?が痛い!ビギギギギッ!って痛い!痛すぎてどうしようもないので、近くの信号にも到達せずに家に帰って泣きました。それから数日がたち・・・やっぱりロードでどっか走ってくる、ようなことはできなそう。もともとの身体的スペックがへぼいからね、すぐ壊れちゃうんだよね。それはわかっていてもできてたことができなくなるってのは悔しいわけです。辛いわけです。僕はもっと出来る子のハズだもの・・・。でも出来ない現実。挫折です。AAで表記するとorz。

 こういうときは自分を見つめ直すよいチャンス。閉めきった薄暗い部屋の中でひとり想に耽っていると、うーん天気よさそうだなあ。気温はほどよく風もなく雨もふらず。サイクリングには最高の気候だけど・・・。とか薄暗い部屋で思うとやっぱり陰鬱な気分になってしまいます。しかたない。せめて家から出ようよ、と小径車を持ち出しふらふらと外へ。やっぱりいい天気だなあ。いい天気の下で自分を見つめ直すような場所はないかなあ・・・あった!あったじゃないか!


哲学堂



 その名も哲学堂。20世紀初頭に大哲学者井上円了先生が造園された哲学の場。哲学のテーマパーク。村上春樹著の「アフターダーク」にもその名(だけ)が登場する超有名スポットです。現在でも世界中から哲学徒が集まり議論を積み重ねている(はず)のあの哲学堂。ぎこぎこと痛くないように自転車をこいで行ってみます。哲学堂は新青梅街道と中野通りのぶつかるあたりにあるのですが、それらに面する場所はテニスコートや野球場(アニメ版「時をかける少女」の野球場です)なんかになっているので、一見公営運動公園。しかしその奥にわけいっていくと”真理界””哲学関”とほられた二本の石柱が。この先は真理を追求する哲学の場だという結界をずしんと感じます。

 

 正門は「哲理門」。向かって右には天狗、左には幽霊の木像が納められていて別名を「妖怪門」と。天狗を物質の、幽霊を精神の、それぞれの不可解の象徴としているのだそうです。なんというか、いきなりハイクオリティですががんばってついてきてください。

 

 入って左手にこんな看板が。神道、儒道、仏道の碩学をたたえた展望台があるとのこと。


三学亭


 そこからの景色。あんがいコンパクトなテーマパークです。左手から降りて時計回りに回ってみましょう。


 いきなりキマシタ。宇宙友の会、じゃなかった、宇宙館。宇宙のものが展示してある、わけではありません。哲学とは宇宙の真理を学ぶものであり、その講義講演を行う場として設けられたものだそうです。正方形の建物の角が入り口というのはおもしろい形。とんがった角2面に扉が付いています。中は見えないのですが、皇国殿なる本殿がもうけられているとのこと。ちなみにここにある建物はどれも100年ほど経っている貴重な名建築物なのですが、補修というか保存がちょっといい加減のような・・・。外壁はモルタルパネル(社名入り)をはっつけてあるだけのように見えるんだけど・・・。まあ、見た目ではなくもっと奥深いところをみつめろということでしょうか。

 その裏には「理外門」なる場が設けられています。それは哲学を学び尽くした後にその理の外にも別の理があることに気づくであろうということだそうです。そこには小さな橋がかかりその名は「理想橋」。こんな橋です。



 理想橋(りそうきょう)を名乗るにはあまりにつつましい・・・しかし理想郷とはそんなところにあるのかもしれません。この先はツツジ園になっていますが、まだ哲学を究めていないので戻ります。理外門の脇には白い建物があり、その名を「絶對城」。万巻の書を読み尽くせば絶對の妙境にたどり着くはずであるということで、つまりは図書館です。なあんだ、図書館かよ、と思ってしまいますが人類の歴史において図書館とは非常に重い意味を持つものでありました。シヴィライゼーションではアレクサンドロスの図書館を建造すると自動的に新技術を二つ入手できてしまうというほどの威力でそれを再現していたことを思い出される方も多いかと思います。それを思えば「絶對城」という名も理解できようというもの。かつてはてっぺんに展望台があったらしいのですが、写真をみるかぎり手すりがあるだけのようでした。

 
絶對城




 中央に座するのは四聖堂。孔子、釈迦、ソクラテス、カントを祀ってあります。これが哲学堂最古の建造物なんだそうです。ありがたいありがたい。


 井上円了先生。全国津々浦々に講演に赴き、謝礼や寄付など全私財をなげうってここを作られたそうです。先生はこの公園のある丘を「時空岡(じくうこう)」と名付けられ哲学の時空間を見出されたとのこと。

 

 この赤い建物は「六賢臺」。東洋の大賢人6人を祀っています。中は三階建てになっているとのこと。なんというか普通です(?)。普通ですが、この建物が一番目立つ建物でもあります。朱色が若葉に映えて綺麗。

 その向かいにも白い建物が。なんか全ての出入口や窓をふさがれて単なる倉庫のようにも見えますが・・・。



 まあ、倉庫なんですが。その名を「無盡蔵」。もちろん「むじんぞう」と読みます。すばらしいこのセンス。脳の奥がぴりぴりしびれちゃいます。名付け親はやっぱりミスターでしょうか?

 その脇にあるのは「常識門」。正門である「哲理門」に対し、裏口というか勝手口として機能していたようです。また、普段は一般の観覧希望者はこの門から入っていたとのこと。



 で、この門の脇にある垣根は「一元牆(いちげんしょう)」といって世間の多元的見解と哲学の一元的見解の境界をしめしているとのこと。ただの垣根にしか見えませんか?哲学が足りないからです。



 常識門から入ったすぐ脇、無尽蔵の反対側には髑髏庵と鬼神窟という建物が並んでいます。そのふたつの建物は復活廊という廊下でつながっていますので、ひとつの建物のようにも見えます。かつて髑髏庵には骸骨がぶら下げられていたそうです。それは俗世間の塵に怪我された精神がここに入ることで死んだのだということを示し、復活廊を通じて哲学的再生を得るというストーリーです。有名テーマパークで言えばイッツ・ア・スモールワールドみたいなものでしょうか。

 なんだか眠くなってきました。哲学の本を読むと眠くなるというのは古今東西の人々が知る人類普遍の真理の一つなのですが、哲学について記していても眠くなるようです。これは新たな発見ではないでしょうか?しかしこれについていかに記したいと思っても眠くなってしまうので、完成することはありません・・・。これは肉体上の限界です。しかし、実のところ哲学堂の話はまだまだ続くのです。ここまではまだ哲学堂の「普通のアトラクション」を紹介したにすぎないのですよ。此処から先、どんどんミスター的、針小棒大的な哲学堂ワールドが広がっていきます。形而上に広がり形而下に狭まるという感じでしょうか。そしてその源流に迫るレポの続き、お待ちください。

BRM507 アタック日本海 2

 ※まだ走り出してもいなかった。

 車検をしてスタートしようとするも、雨が降り出していたのでいったん自転車を端に寄せて背中のザックを下ろしてレインウェアをまとうことにする。上を着て・・・うーんけっこう降ってるなあ・・・ということでレインパンツも。とかやっていたら見知った顔はすでにいなくなっていた・・・。一人スタート。30分ほどすると雨も当たらなくなり、段々群れてきたし、振り返ると集団が長く続いていたのでサインを出して端に寄せて停止。ひとりレインウェアを脱ぐ作業へ移る。ようやっと越生か。宇宙友の会を越えて北上し、淡々と市街地を進む。まだ朝早くって交通量が少ないのだろうけど、かといって軽快に走れるような感じでもなく、帰路はきっと込んでるのだろうなとか考え始めてすでに気分が落ち込む。さて、ひとつめのPCまでは100km無いくらいの距離だったよな、腹減ったけどどうしようかな?とか思っていたらポンチャンとしぃちゃんがコンビニでくつろいでいたのでそちらへ。軽く挨拶してでていったら二人ともやってきたので3人列車で進む。運転手はしぃちゃんだ。そしてそのままPC1へ。ここのコンビニは非常にランドヌールに親切なところで、テーブルやいす、ドリンクなどの差し入れまでしてくれていた。心が温かくなる。そういえば、始めて糸魚川ファストランを走ったときに、冷え切った体で転がり込んだコンビニの店長が「東京から糸魚川!すごいすごい」とおでんやら何やらをくださったことがあった。やはりとてもうれしかった。僕もチャレンジする人に温かい人でありたいな。

 さて、とにかく初めの100km弱は終了。ここまでは語ることも特に無いという感じ。ここからは三国峠越えということだ。うわさには聞いたことがある三国峠。すごく狭く長いトンネルで自転車で駆け抜けるにはあまりに怖い・・・という話をよく効いたり読んだりした。なので個人的にはまったく行く気はしなかったのだけど・・・。行って、見てみるしかないな。



 コンビニでたらたらトイレとか行っていたらたのしいなかまたちにおいてかれる。ぽぽぽぽーんと飛び出ていったけど、すでに地の果てまでその姿は見えず、やむなくたんたんと走っていたら小さな峠でその姿をみかけた。わが鉄血長征号には29Tの大口径リアスプロケットが装備されているのでその火力で三国街道を粉砕、前進。みんなでいったん集まろうという話だったらしいコンビニも余裕でぶっちぎって三国峠を上り続けた。三国峠の特徴は・・・特になく、それほど一応幹線国道だけあって斜度もきつくないし道幅も余裕がある。恐れていた交通量もかなり少なくって拍子抜け。これなら奥多摩湖へ登るほうが大変なくらいだ。上のほうへ上がってくるとスノーシェッドがあったりしてそこはかとなく走りにくい・・・いや、それほどでもないなあ。という感じでたらたらやってても登れる山。峠そのものは悪名高き三国峠トンネルをくぐる。確かに長く狭いトンネルで路面も良くは無い。けどやはり拍子抜け。去年春にフレッシュのコースとして通った日足トンネル(日光-足尾間)のトンネルの方がはるかに長く、そして交通量がやばかった。でも、トンネルでリスクおうなんて馬鹿馬鹿しいので拍子抜けでいいのです。





 三国峠を抜けると・・・おお、苗場!大学生のときに一回だけ来たことあるなー。ああ、プリンスの脇のあのへんの民宿泊まったんじゃないかなー。さすがにスキーはやってないのかな?雪はちょこちょこ残ってるね。その後もあんまりスキーをやって無いから詳しくないのだけどいくつかのスキー場を抜けて走る。天気もよくなってきて暑いくらい。基本的に下り基調はいいんだけど、トンネルの路面が劇的に悪く狭く怖い。長くは無いのが救いだ(短くもない)。たしかにこの路面ではちょっと間違うと路面の穴にはじかれて落車のキケンがある。悪ければそのまま後続のトラックにプチっということも・・・いやいやそれは考えまい・・・。そこまでいかずとも、振動で部品が飛んでったり、パンクとかしかねない。と思っていたら一緒に走っていた仲間たちにそういったトラブル発生。しばしの休憩になるものの、ダウンヒルの遅い連中(僕とか)は先に次のPCへ向かおうとなる。塩沢石打?をすぎてしばらくは国道17号に沿って下るだけ。しかも追い風じゃないか!



 という感じで三国峠を挟んだ120kmほどを無補給無給水で走破。のぼりで気温が低かったおかげであまり水をのまなかったらしい。最後にはすっからかんだったけど。水を飲まないのはよくないんだけどね。

 PC2でみんなと合流して再出発。・・・・・・どんなとこだったかよく覚えて無いな・・・。やがて小さな峠にさしかかった。峠そのものは問題なかったのだけど、なんか・・・寒い。寒すぎる。ガタガタ震えがきた。どうにもこうにもなくなってレインジャケットを着込む。するとすぐに頂上じゃないか。そのトンネルを抜けるともっと雪景色。そしてダウンヒル。これはジャケットを着込んだオレ勝利、と思ったら、なんだか蒸し暑い。どんどん北上しているのに不思議なものだ。





 日が落ちる。ペースは悪くない。まったく予定通りの運行といった感じだ。このままいけば長岡に今日中に到着できるだろう。うまくいけば5時間休憩もできるくらい。600kmブルベといえど、4~5時間もホテルで休めるとなると単なる二泊ツーリングと変わりない(と思い込むのが大事)。はじめは寝ずに一人で走ったなあ・・・。モーテルで雑魚寝、車中仮眠、荒野の路肩寝、健康ランド寝、ときてついにホテル自室寝の時代になった。日本の宅配という強力なロジスティクスとビジネスホテルとのコラボは、僕の600kmブルベ観にコペルニクス的大転換をもたらした。もはやフグバッグは必要ないのか・・・そう思わせるほどの。



 雪国特有の雁木づくりの商店街を駆け抜け、僕らは走る。やがて日が落ち、PC3へ到着するまでに暗い遠の空がでちかっちかっと光る。それは遠雷。でもまだ、その不穏な雰囲気は僕にはわかっていなかった。街灯に照らされた住宅街を走りながら「ここが多摩地区だって言われてもわかんねーよなー」とかくだらないことを重いながら僕は走っていた。
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