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【落武者魂】 2010年10月

落武者魂

L  O  S  T     S  Q   U  A  D  R  O  N  .

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アラフォーからのクロール-6

 ほぼ一ヶ月ぶりの水泳教室! なんと「昇級」していた(w

 三カ月おきに昇級とコーチのローテーションが行われるらしいのだけど、そのタイミングで昇級させてくれたらしい。ずっと休んでたのでどのタイミングかわからないけども・・・。これまでのクラスがとりあえず25m泳げるように、それぞれの泳法のベーシックを教えてもらうものだとすると、これからは泳げることが前提ということか。

 いきなり50mクロール・・・。もう体が忘れてしまっていてガッチガチの泳ぎ。おぼれているか泳いでいるかわからない状態に戻ってしまった。25mプールなので折り返しなのだけど、折り返してからはもうあっぷあっぷ状態。なんでみんなはあんなにスムーズというか疲れずに泳げるんだろう・・・。体が動きを覚えていないからぎこちないんだよな。・・・とコーチもみかねたのか力を抜くようにとか、息継ぎの際の首の上げ方など基本的なことをアドバイスしてくれる。

 片手ずつかくようにゆったり力を抜いて、という声をいただきようやくなにかを思い出す。これでようやく息を切らすことなく25mまでクロールでいけるようになった。フォームとかはまだまだだけど、これからは毎回通えるだろうから少しずつ改善されていくのではないだろうかと期待。

 途中、肩があがってませんがなにか痛みでも?五十肩とか・・・?と言われたけど、いや単に体が固いだけですた。まあ、非常に固いだけです。がっちんがっちん。バタフライなんかでもまともに肩あがらないものなあ・・・。継続は力になるだろうか。

 終わりに「今日は600m泳ぎました」と言われたけど、もすこし短い時間(1時間くらい)で細君は1000?1200mくらい泳いだといつも言っている。ちょっと現状ではかなわないなあ・・・。この倍の距離かあ。
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「The O.C.」 を見てめぐるチノ

「The O.C.」というドラマがあります。ちょっと前のアメリカの若者ドラマです。ビバリーヒルズ高校白書の流れをくむ(?)青春もの。タイトルの「O.C.」はオレンジカウンティー、つまりカルフォルニア州オレンジ郡のことで、舞台となるニューポートビーチ市がある地名です。ニューポートビーチは隣接するラグナビーチ、アーバインと共にオレンジ郡の中でも・・・というか全米レベルでも有数の超高級住宅地。そこに暮らすセレブな人々とその子供たち(高校?大学)、そしてそこに紛れ込んでしまった貧困層出身の主人公との物語。それがThe O.C.です。シーズン4で人気低迷により打ち切られましたが、シーズン3までは絶大な人気を誇り、海外でも結構知られています。実際、日本でもファンが多く、これを見てオレンジ郡へ留学してきたりしてきた人もいるとのこと。また聖地巡礼をしているサイトなんかもあります。もっとも撮影はオレンジ郡よりもロサンゼルス郡で行われていたようですが。

 その主人公の出身地がチノ市。ドラマの中では仮想階級の人々の街のように描かれ、主人公はなにかにつけてハイソな同級生たちから「チノ」と呼ばれて蔑視されます。またチノの南側にコロナ市があるのですがここ出身の登場人物も犯罪階級のように描かれていました。ちなみにこれらの町はインランド・エンパイア郡というエリアになります。オレンジ郡の東側(内陸側)にあって、実際のところ渋滞さえなければチノーニューポートビーチ間は1時間程度で移動できます。



 今回のアメリカ遠征中の中日頃に、そのチノへ訪れてみました。実際、そのチノとは不良のたまり場、北斗の拳の世界のような場所なのでしょうか・・・!?



 物語の中では出てくる人でてくる人、みなヤク中だったり車泥棒だったりするチノですが、訪れてみると・・・人をみかけるより牛ばかりという感じです。そして牛の香りがもわわっと鼻をつきます。そして牛も広大な草原に牛が散っているというよりは餌場に無数の牛が集まっている様子。



 あまり「ワルモノ」の町といった感じはしません。どちらかというとひたすら田舎・・・。古い民家なんかがある区域もそんなに鉄格子で覆われた感じではなくって、ただ古いだけです。いずれにしろ旅人には縁のない感じですが。



 実は以前に何度かこのあたりを自転車で走ったことがあります。Hemet Double CenturyやTour de Foothillなんかのコースになっていたからです。特に後者のイベントではこのあたりの繁華街を通るのですが・・・まあ、何のことはない普通の街でしたね・・・。



 もうひとつの「ワルモノ」の町であるコロナなんかはもっと田舎で・・・。ワルモノもどこで集まればいいんだかってくらい何も無い町です。荒漠とした乾いた丘陵のあちこちに新興住宅エリアが点在しているような・・・。どちらも治安が良いか悪いかを考えるより、そもそも人がいないよ・・・と言った雰囲気。まあ、旅人の感想ですが。



 The O.C.というドラマに話を戻しましょう。若者層に絶大な人気を得たというこのドラマ、友人が貸してくれたので見たことがあります。残念ですが第一シーズンのみですが、かなりショッキングなものでした。毎回毎回想像の上・・・を行く大どんでん返しの連続。大どんでん返しといっても「おお!そうきたか!」っていうより「まさか・・・そんな・・・バカな!」って感じ。この「バカな!」は驚愕の表現ではなくって文字通りの「バカな!」ってことです。ちょっと通常の精神から生まれたとは思えないようなストーリー展開を見せます。



 全体を通したテーマ・・・はきっとあるんでしょうが、そんなことより毎回毎回思いついてしまったようなとってつけたようなストーリーが展開されます。登場人物それぞれの思惑、目的なんかもそんなものあるのか無いのかわからないほど支離滅裂。うん、こんなとき「ぐだぐだ」って言うんだな。僕がこの登場人物だったらとっくのとに精神崩壊するか首をくくるかカルト宗教にはまっちゃうよ、と思うようなシチュエーションばかり。



 でも登場人物に深みがあるとかそういう話でもないんです。むしろそれぞれすごく型にはまった典型的キャラクタ付がされてます。でも・・・なんというか・・・うーん、本音全開で動いているっていうか・・・本能全開?もしかするとみんなヒロポンきめてるんじゃないかっていうくらいのテンション。



 そういうキャラがひとり・・・せいぜい二人くらいで話を引っ掻き回すというのはなんとなくありうる気がするんですが、登場人物の大半がそういう動きをみせるので・・・目が離せません。というか目を覆いたくなる。



 もう設定がありえるとかありえないとかそういうレベルではありません。そしてどうでもいいんだけど、こんなの子供に見せていいの?って気持ちにすらなります。暴力的というか性的というか、そんなもの全部ひっくるめて・・・。そもそも実在する地名をもって蔑称にするってのもすごいですよね。漫才師が名古屋や千葉埼玉をネタにするのとレベルが違うですよ。「てめえ!このチノ野郎!」とか言われて暴力振るわれたり、仲間はずれにされるんですから。で、でも本当はじつは心優しい人たちの住む街だった!という描写ではなく、やっぱりそういわれてしまうのも仕方ないどうしようもない連中がクラス町って描かれます(w



 主人公が地元に戻れば古い仲間たちが車泥棒を持ちかけてくるし、母親はヤク中の愛人と一緒にどこかへ逃げ出しているし・・・。バイト先で出会った同郷(コロナ市ですが)ということで盛り上がった人間は友人をピストルで撃つし・・・。もうやりたい放題の描写。問題にならなったんでしょうか・・・。



 そんなドラマがなんでそんなに人気があったのかわかりませんが、たしかに独特の魅力はありました。何処にたどり着くのか見当もつかないし。ストーリーや登場人物の一貫性より話がショッキングであることを重視しているようですが、これはおそらくアメリカのTVドラマの環境が一因となっています。アメリカのTVドラマは少年週刊ジャンプと同じような人気重視システムで、人気がある限りどこまでも続いていくので、とにかく視聴率がとれるようショッキングな展開を毎話連続していかなくてはならないのだとのこと。



 実際のところ、The O.C.も第四シーズンの途中で打ち切られてしまいましたし、つい最近話題だったHEROも二部で打ち切られました。どこまで続くかわからず、どこで打ち切られるかわからぬシステムだと、とりあえず続けるためにショッキングな展開を繰り返すだけになってしまうのも仕方ないのかもしれません。全体を見通した話の作り方なんかできないんでしょうね。



 結局のところ、The O.C.というドラマの人気を支えていたのはこのストーリーというよりもむしろヒロインの人気だったとも言われます。ヒロインとその華麗なファッションが若者に魅力的だったとだと。また、高校・大学とストーリーが進展するにつれ、主要登場人物それぞれが別の道を歩んでしまい(行き当たりばったりストーリーだから・・・)、話がまとまりを欠いてしまったのもあってだんだんと人気が低下。ヒロインはさっさと「死亡」扱いで降板してしまったことからさらに人気が落ちて・・・・終了という流れのようです。



 いい大人がみるドラマではないかとも思いますが、すごく暇なときに見てみるとすごいショックを受けること間違いなしです。はじめの数話は「いかにも」なストーリーで普通なんですけどね。

 ではでは。

=☆= Big Sur 600km全部盛り -3-

 VickieといっしょにVickie宅で休む。コーラやラザニア、ふかし芋なんかが用意されていた。ラザニアはちょうど最後。超おいしかったので間に合ってよかった。トイレや補給も済ましてすこし休む。この時点で僕らの後ろには3人しかはしっていないとのこと。ただ、全体的にペースは遅いらしい。さっきのクリスのようにBig Surあたりは観光気分で写真とりまくりという人が多いとのこと。確かに師匠であるクリスも途中であったときに「80kmで50枚以上写真とってるおー」って言ってたな。



 もう真っ暗になってしまった夜の下、僕らは走りだす。次のCPであるLompocまでは100kmくらい。あまり商業施設もない地域だ。そしてLompocからはLompoc loop。どこでどのくらい眠れるのか、それが問題。すでに時間的余裕は2時間くらいしかない。つうことは眠れてもせいぜい1時間か。十分とは言えない。まったく十分ではない。もう後ろの人なんか眠っちゃってるんだぞ・・・。

 このセクションはかなり辛かった。途中で補給をとったのかどうかさえ憶えていないくらい。後半になるにつれ、だんだんと寒くなる。Vickieが「残り距離、速度をあげるけどついてこれる?」と言うので「なんとかする」と答えて10マイルくらい速度を25km/hくらいに必死で維持。でもついにはちぎられた。マシュー君に「すまん、俺はあれについていけない」というと、彼は「気にするな。あの人は腕を折っててもはえーからね。僕も追いつけないし」とかいろいろと励ましてくれる。ありがたい、が正直眠い。眠すぎる。残念ながらタンデムの前の席は眠ってられない。それどころかうとうととしてバランスを崩したら、この重量級の車体を立て直せる自信が無い。そしてこんなところで事故を起こすわけにはいかない。寝台列車さくら号といえど、運転手は眠れないのです。こんな地平線まで街灯の無いような荒野、そしてこの12時を回った深夜、さらに携帯は圏外。いったいここで何か起こったらどうやって助かるというのだろう。サバイバル、生き残らなければ。この異国で。この異郷で。この辺境で。そしてまずなによりも。ついに長い長い登りの中でずっと考えていたことを口に出す。

「路肩で、5分、眠らせてくれ・・・」

 こうして深夜にアメリカの荒野のフリーウェイの路肩、広くなったところで一人横になることになった。遠くでコヨーテの吠える声が響き、ときおり通過するクルマののシャアアアアっていうタイアの擦過音が行き過ぎるのみ。全部着込んでいるおかげでそれほどは寒くないのが救いだ。寝転んでみれば眼前に空へ落っこちそうなほどの星空・・・一瞬で10分すぎた。目は覚めたのか?少なくともさっきまでの麻薬的な眠気ではなくなっているようだ。よろよろと立ち上がり、草むらにつっこんでいたさくら号を引っ張り出す。重くて倒しそう。もう何度が倒してしまっている・・・しょんぼり・・・。



 それからしばらくしてLompocへ到着した。下りでは突き刺すような寒さだったけど、止まっていれば大丈夫なくらい。気温が高くて助かったようだ。気温が高いといっても、すでに分厚いプレミアムウィンドブレイクジャケットまで着込んでいる。他の人も、それぞれに着込んでいるので、僕だけがおかしい訳ではないようだ。おそらく気温3?5度程度。さて、Motel6へ入り僕はチェックイン、マシュー君と細君はスタッフが抑えている部屋へ。僕もすぐにそこへ入って一心地つく。スタッフの方からスープをもらい体を温める。あとはトルティーヤチップス。ベーグルなども用意されているけど、まずは寝たほうがいいか。チェックインした部屋へ向かい、1時間ばかし眠ることにする。疲れているマシュー君とタンデム自転車を部屋に持ち込むかどうかで少し議論に。でもさすがに40kgくらいある自転車を階段で持ってくることは諦めたようだ。スタッフルームの前だもの、だれも盗まないよ、マシュー。さて、現時点で余裕時間は1時間ちょっと。午前3時におきよう、そしてすぐに出発だ、と僕は着替もせずベッドの上にタオルをしいてごろり。細君はシャワーをあびて着替えたようだったけどよくしらない。いずれにしろ、3人ともベッドの上で休むことができた・・・それがひとときであっても。

 起きたのは結局3時半ごろ。スタッフルームへ行ってベーグルなんかをかじろうと思おうと、マシュー君がスタッフと深刻な顔でなにか話している。というか寒くて疲れて眠くて深刻な顔しかできないんだろう。スタッフの女性(この人が一番寝てないと思う)が「とにかく、Buelltonまで頑張って!」とか言ってる。考えて見れば次のBuelltonまでは30kmちょっとしかないのに実は既にここのクローズタイムを過ぎようとしている。Lompoc loopを回って次にここに戻ってくるまで約60km。正念場。このLoopはきついの?そうでもないの?と聞くと「多少アップダウンがあって、ひとつふたつちょっと長い上りがある程度」とのこと。「OK、7時前にはここにもどってこようぜ」と言って出発進行。

 ・・・。何だ急にこの向かい風は・・・。びゅーびゅー耳元で風切り音がするのですが・・・。まあ、なんとか速度を保ちながら・・・って保ってないな・・・。クローズ時間ぴったしだと計算して、次のPCまで時速15km/hを切らないようにして走ればタイムアップは無い。そう思ってはいたものの、メーターは非情な数字をたたき出し続けている。さらに速度が落ち・・・さらに・・・さらに・・・。そして登り。この上りに入ったところで山が風を遮ってくれたようで向かい風の影響は少なくなった。ありがたい。登りといっても斜度がきついわけでもないので、一漕ぎ一漕ぎを大事に進む。そういえば後ろの人の反応が薄いなあ。少し休憩とかいれちゃうとおしりが痛い痛いとうなってしまっていたのに。それどころか時々ペダリングがかっくんとなる。どうも眠りに落ちているらしい。そのくせ「スタンディング!」の掛け声であわせて立ちこぎはするし、それなりの出力は出続けているようだし。あとで聞くと「かっくん」とペダリングが止まることすら覚えていないとのことなので、もう無意識の中でペダルを回し、掛け声に”反射”して立ちこぎをする、そんな「シャカリキ」状態だったようだ。



 途中でクリスとその”怪しい関係”の女性ライダーと一緒になり、ちょっと会話したのだけどそれも憶えていないというから驚く。眠っているうちに600kmを走り終えられるんだったら、なんとうらやましいことか・・・。4台で5人になったグループはなんとかBuelltonに5時半ごろ到着。眠り狂四郎パワーでクローズまで30分まで貯金回復・・・。ホットチョコレートを飲んだりして休んでいると、さっき僕らをちぎっていったVickieが後ろから到着。ぼくらよりゆっくり寝てたんだろう。いずれにしろ、コース担当がまだいるってことは僕らの心を暖かくした。次のブロックはひたすら幹線道路を突き進むもので、やっぱりアップダウンはあったけど大声でいろんな歌を歌いながらクリア。夜が明けていく中をなんとかクローズ30分前にはLompocへもどることができた。一応、400km地点で27時間以内なので満足です・・・。


・右側の女性がKathy。まったく寝ることの出来ない過酷なボランティアの方です・・・。

 細君をしばらく寝かせ、ファミリーレストランで朝食をとったせいでLompocをでることができたのは8時半くらい。クローズから30分ビハインド(w もうどうしたらいいのか・・・。ファミレスで食ってる場合じゃなかったろって心のなかで罵りながら最後のロングヒルクライム。数十キロにわたってゆったり登っていくいやらしいセクション。ここでは本当に心折れまくり。バキバキと折れる心を一生懸命に拾って走る。後ろの席の人の弱音を聞くとこっちの心がもたないので、後ろの人が言う前に自分が泣き言を言い続けることで弱音を吐かせない。とにかくいわゆる「足が終わってる」状態だし、暑いし、日陰はまったく無いし・・・とにかく長い・・・。しかも時間も無い。・・・っと!、心がまたもげ落ちたので拾ってくっつける。時間が無いというのがこんなにも気持ちを弱らせるなんて!何度も何度も偽りのピークをすぎて・・・永久とも思える時間の後に・・・下りが始まった。時速75km/hオーバーで太平洋に向かってつっこむ大ダウンヒル大会!!!

 楽しい時間は常に一瞬でしかない。ダウンヒル直後のサービスエリアでトイレに入り・・・どうもここにいる自分たちも含めた数人が最後尾らしい。そして先頭はゴールしたとのこと。はええなあ・・・。





 まだタイムアップまで余裕はないけど、コース的にはもうきついところはない。海岸段丘を横切るゆるやかなアップダウンを波乗りのようにこなしていけばいいだけ。相変わらずペースが上がらないのでマシュー君には申し訳ないが、だらだらとしたペースでサンタバーバラのPC。ここのPCは「通り沿いのお店どこでもいいからレシートとってこい」というもの。ファストフードでハンバーガーを食ってレシートゲット。残り110km。タイムオーバーまで1時間弱の余裕まで回復。出発時には15分位の余裕まで後退・・・。


・サンタバーバラ


・サンタバーバラ

 110km。この道を通るのは何度目だろう。もうキューシートもGPSもいらない。あそこを右へ曲がり、緩やかに登り、下り、脇道に入り・・・と自動的に体が動いていく。Lompocのあたりでは細君が「もうやめたい」と言ってくれないかなあとか思っていたが「わざわざ海を越えてこのために来たんでしょうが」とたしなめられてよかった。風も背中を押してくれているようだ。勝てるのかこの勝負と聞かれれば「勝てる」と答えることができるだろう。道はVenturaへ入りOxnardで最後のPC。やっぱり残り時間は1時間弱のようだ。追い風でなければどうなっただろう・・・。




・RAAM・・・。



 単調だが懐かしく、そして別れ行く景色を走る。最後はおなじみのSanta Rosa Road。うんざりする長い登り。日はすっかり落ちて三度目の闇だ。この坂、20kmほど続く上に最後は10%くらいまで斜度があがる。日中に登るとものすごく乾きに飢える上に商店がまったく無いので水の入手もできない場所。むしろ日が陰ったこの時間でよかったかもしれない。ほぼ頂上の目印となる高校前を左折し、一番きつい登りに。そこを登りきれば・・・ダウンヒル。もう一回少しだけ登るが、これは最後だとわかっているので気持ちが全然違う。マシュー君のダンシングもなんだかノビノビした楽しげな感じに見える。メーターも600kmを超えた。あとは住宅地の間を抜ける道路を気持よく下り、そしてゴールのMoorparkにあるJones氏宅へ。ガレージの前ですでにゴールした人たちが歓談していたが、僕らを見て「おめでとう!」「よくやったな!」と声をかけてくれる。「裏庭で最後のチェックだ」と僕らは僕らの自転車を裏庭まで押していく。そこではピザパーティになっていて、そのテーブルへブルベカードを提出。ゴール時間は8時5分。39時間25分での完走。ブルベビギナーを後席に据えた鉄の塊のタンデム自転車「さくら号」を携え海をわたり、時差ボケに悩まされてろくに眠れないまま突入したBig Sur 600km。時間の余裕もなく、美しき地獄のBig Surを越えて闇夜の荒野の頂上に立ち、凍えながら星を眺め、酷暑の峠を涙ながらに越えてSanta barbaraに集う楽しげな人々の間を縫って走り、懐かしのMoorparkまで39時間25分。いらぬ苦労満載オプション全部盛りのぜいたくブルベ。





 もうここに来ることはなかなかあるまいなあ・・・と感慨にふけっている僕にPCH Randonneursの完走者から声がかけられる。
「日本じゃタンデム自転車のれないんだって?じゃあ、来年もこっち来てタンデムでPBPのクオリファイ取りゃいいじゃん」
 いやいやいや・・・。

おわり

=☆= Big Sur 600km全部盛り -2-



 深夜のSalinasの街を30名ほどのライダーたちが走りだす。アキレス腱を痛めていたのが不安だったし、そもそも600kmの長丁場だ・・・ということでウォーミングアップを心がける。心がけると言ってもタンデムは平地では速度を乗せやすい。出力に比して空気抵抗が小さいからだ。だから脚力のない人でも臆すること無くこういったライドに参加できるわけだ。・・・だが・・・先頭集団の速いこと速いこと。あっという間に消えていく赤い灯火たち。こんなにもあっさり離されるなんてちょっと驚き。でもさすがに参加人数が多いので(30人って数字はこちらでは多いのだ)、単独になることはない。それに今回は旅の仲間としてマシュー君が付き合ってくれた。彼は去年と今年のフレッシュを一緒に走った仲間。ようやく三十代になったばかりと、米国のランドナーとしては極めて若い(ちなみにアメリカブルベ団体"RUSA"の平均年齢は50歳を超える)。

 さて、真っ暗闇の中で空を仰げば満点の星空。大地は大きくうねる丘陵地帯。右手のこんもりした木々に覆われた丘のような場所は、かの有名なモーターレース・サーキットのラグナセカだ。ラグナセカの敷地を行き過ぎるとモントレー空港の方へ向かい、やがてきつめの低い峠をふたつほど越えて17マイルズドライブへ出る。ここはミスコースしやすい場所。とはいえ17マイルズドライブはほんのわずかだけで、ペブルビーチの波濤ともさようなら。太平洋湾岸道路へ出る。ここまでは結構快調。去年はさっきの峠のあたりですでに一人旅、しかもぜえぜえはあはあイッパイイッパイで走っていたけど、今年はあっさりと行けた。多少コースが変わっているからなのかどうか。標高的には新しいコースのほうが登っているはずだから、素直に「進歩」と思いたい。あるいはタンデム効果か。

 カーメルの街をかすめて南下する。カーメルはアーティストの街として知られ(西海岸にはそんな街が多いけど)、住所は通りの名前までしか無い。地番が無いというのかな?だから郵便は建物までたどり着けないので、住民は皆郵便局まで取りに行くシステム。なんでこんなアホなと思うけど、アーティスト的な反骨精神から当局に住所を明かさないという決まりになったのだという。自らの主張のためには多少の不便は当然のものとするというその心は清々しい。





 だんだんと夜が明けて来る。去年は雲がかかっていたので、それが朝日を受けて紫に輝き、まさに如来が降りてきたかのように神々しい有様であったが、今年はまったく雲がないのであっさりしたものだ。それでもなお、明るくなってくるとこの断崖の最中をはしるこの景色は実に凄まじく見える。人間の定住を許さぬような険しい地形。そこをナイフで一閃したように白くPacific Coast Highwayがつづいている。右手にも左手にも断崖。道はそこにはりつく桟道のようにめぐり、登ったり下ったりを繰り返す様子はローラーコースターのよう。とある長い下りのさなか、チェーンが暴れるような音がしているなあと思っていたら後席からパンクしているのではないかと指摘が。入江になっている道の登り返しの前でマシューに呼びかけて自転車を止め、確かめると果たしてパンクであった。チューブ交換をして空気をいれるが、なんかの景品でもらったフレームポンプはしっかり空気が入りきらないような感じ。二人乗って荷物付きで100kgを超える車重をこれで耐えられるのか不安だなあ。でもひとりで僕ら二人分と同じくらいの体重の人もいるのだから大丈夫だろう。というかそれよりも、さっきまでその荷重で60m/hくらいで下ってたけど、あとから思えば怖くなる。





 長い上りのほぼてっぺんがPC2(スタートがPC1)。80kmくらい進んで貯金は1時間だ。やばいというほどではないけど十分にたまってもいないというところ。ここで小型フロアポンプみたいな形のポンプを借りて9barまでタイヤの気圧を上げる。なんとかなりそうだ。まだようやくBig Surに入ったばかり、これから100km近くアップダウンの繰り返しを続けていかないとならない・・・。





 見るもの全てが美しい。そんな景色を「楽しめる」のはほんのわずか。ほとんどの時間はそんな景色の中を「苦しんでいる」。うねりゆくダウンヒルで海からつきでた100mほどの小さな島の上に建てられた灯台を見る。あるいは海面から遥かな高みに登って松島のような島々を見下ろす。ときには1930年代に架橋された巨大な橋を渡り、ちいさな入江にそそぐ滝を望む。・・・でもほとんどの時間は暑さに耐えながら斜度のある坂を登るばかり・・・。時速5kmという表示もすっかり慣れてしまった。



 PC3は道路の反対側にあるドライブイン施設。スタッフが水とスナックを用意してくれているが、ちょっと休みたいのでレストランに入ってぶあついハンバーガーを食う。その間に結構な人数に追いぬかれていく。まだ追い抜かれるだけのポジションで走っているという意味で考えよう。店をでたのはクローズ時間まで30分弱のころ。このコースだからここまで貯金がかせげないのはわかるけど、このままでは眠る時間がないぞ・・・。

 PC3からしばらくすると、大きな登り。これさえ終われば一段落するはず・・・。日が高く登っている上に西海岸は日差しの強さでは定評のある土地なので、かなり体感気温はあがっている。簡単に言えば、超暑い。なんとか登り切って下ると、すぐに左うちももに衝撃と痛みが。いや、マジで痛いんですが。・・・ってすごい痛いよ!頭上に*耐え難い痛みだ!*って表示されるくらい痛い。ちょうど右手にリゾート施設が見えたので「そこへはいらせてくれ!」とマシュー君へ叫ぶ。果たしてそこのトイレで確認するとなんか2mmほどの穴?と周囲に盛り上がりが(三日後には直径30ck高さ数センチに腫れ上がりました。場所が場所だけに写真をお見せできません・・・)。蜂・・・かな。ちょっと休憩。そこにコース担当のVickieのリカンベントが。そういや去年はPCがさっきのところに設定されていなかったから、ここで水補給をしたんだっけなあ。Vickieや他のライダーもいたぞ。みなリタイヤしたが・・・。いまはそのときより1時間程度遅れているようだ。まあ、食事したからな・・・。





 250mほどから海面高度まで一気に下ります。そこから有名観光地、市民ケーンのモデルでおなじみ新聞王ハーストの居城、ハーストキャッスルをこえてサーファーのメッカのひとつMorro Bayまではかなりフラット。ロードバイク、タンデム、リカンベントの3両列車で進行。なかなか不思議な光景だ。追い風を受けて快調にも思えるが、後ろの席の細君がおしりの痛みをしきりに訴え始めているのが気がかり。まだ200kmにもなってないころから痛いとなると・・・。おしりの痛みだけは蓄積されるものだからなあ・・・と胸に重いものが。さらにハーストキャッスルを越えてMorro Bayに近づいていくと眠気も訴え始める。というか、うつらうつらしながら漕いでいるようだ。水もとぼしくなってきていたのでVickieにどこかで水が手に入らないかと相談。Cayucosという街でPCHを一旦おりて補給してくれることに。

 Cayucosは小さな浜辺の街。大通り一本の左右にかわいい感じの商店がならんでいる。中心の交差点のGSにはいって休憩。細君をベンチで寝かせ、そのあいだに時間をかせぎながら補給。マシュー君がチョコレートドリンクを買ったりアイスクリームを食ってたりでゆったり休めた。つうかマシュー、おまえチョコレートドリンクをボトルに入れてるよなあ。ってもう10本以上のんでんのか!あほか!

 ものすごいアホがもうひとり。起き上がると「こんなダウンタウンにいつのまについたの?」「赤い花がたくさんある道を走ってた」などとおかしなことを言い出す人が。なんだよ赤い花のたくさんある道って。頭の中彼岸花だらけってことか。畜生、ね・・・寝てただろう・・・と言うと「寝ていたわけではない。ただ、めをつむると違う景色が見える」とのこと。ちょ・・・ま・・・。まだお天道様も登っている時間なのになんなんだこのテンションの低さは。そして後席は眠ってても問題ないというのがタンデムの利点だな、たぶん。



 しばし休憩し、寝台列車さくら号出発進行。Morro Bayを過ぎると道は内陸へ入っていく。Big SurのPCHは2車線だったけど、このあたりでは4車線の非常に広い道路。地域交通がガンガンすっとばしていく。Morro BayにはMorro Rockという溶岩ドームがつきでていることに由来する。そして内陸へ向かうPCH沿いに大小様々な10以上の溶岩ドームが並んでいる。これもプレートテクトニクスの結果の地形。道は緩やかに上下するが、登りの速度がでなくなってきている・・・。まだ200kmちょっと程度なのに全体平均速度が芳しくない・・・。





 なんとか休憩で後ろの人の目が覚めたっぽく、PC4であるVickie宅へ到着したのは午後7時半くらい。DNFだった前回よりすでに1時間は遅れてしまっている。これはまったくよろしくない・・・よろしくないよ・・・。家の近くで師匠と呼んでいるクリス・ハンソンとすれ違った。彼は非常に強いライダーなのだけど、今回は若い女性を伴って走っているのでゆっくりだ。その女性は友人、とのことだけど、僕の細君は「怪しい雰囲気」と疑っている(w 確かにいろいろ非常に親密っぽいが’(w

 つづく

=☆= Big Sur 600km全部盛り -1-

 2008年にブルベの世界に片足をつっこんでからいままで、思えばまさに「いろいろあった」日々でした。環境に振り回され、状況に棹さし、それでもなお自転車にのることだけは続いています。僕は自転車にのるのが好きなんでしょうか?どうなんでしょうね?そうでもない気もするときがあります。早起きしたくないしなあ。走りだしてしまえば楽しいのだけど、走っているうちに嫌気がさしたり。さて、2010年の自分にとってのブルベシーズンが終わります。この3年、どんな天の采配なのか日米のブルベをかけもちで走ってきました。日本の政権交代以降のゆらぐ日米同盟の背景があっても、なお両国の架け橋たらんとしてこの過酷なスポーツに挑むその姿に誰もが目頭を熱くしたといいます。まさにこれは「全米が泣いた」というレベル。僕もなんども泣きそうでした。もう走りたくない、走りたくない、つらいつらいと。



 2010 PCH Randonneurs主催 BigSur600km。これが2010年の僕のブルベの総決算。この1年、このブルベのことばかり考えていた気がします。薪に伏し、肝を嘗めるがごとくの気持ちでこの日を待ち、本当はものすごくメンド臭かったけど周囲に行くよ行くよといいまくって退けない状況を作り・・・そしていまは抜け殻のような気持ち。苦節40時間、それでもなお走り抜けて参りました、さあ自分語りしていただきましょう、「BigSur600km」!

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準備その他

 Big Sur 600kmのコースはサンフランシスコの南方の町Salinasからロサンゼルス北の町Moorparkまでの一本道。去年のコースとほんの少し変わっているのは大きな山を迂回するようになっていたりすること。特徴的なのは350km地点から410kmまでくるんと小さなループを描くこと。このループはLompocというPCを起点終点としていることから「Lompoc loop」と皆呼んでいた。おそらくはここを越えられればこのゲームはクリアできるに違いない・・・。


Lompoc loopまで


Lompoc loopから

 Salinasまではレンタカーで向かう。Salinasのハーツのレンタカー事務所は午後6時頃にしまってしまうのだけど、自動車の返却は24時間うけつけてくれる。だからレンタカーで宿泊施設ーーースタート地点がSalinasのRAMADAというモーテルなので便利ーーーへ向かい、荷物一式降ろした後にクルマを返却というのはあまり心配しなくて良い。ただ事務所からモーテルまで10km近くあるのでタクシーを呼んでもらう。ちなみに去年はアムトラックで輪行した。今回の参加者もいろんなところ(フロリダなど遠くの州からも!)からいろんな手段で集まってきていた。Salinasの駅も近いし、ローカルな空港もあるので便利な場所ではあるのだ。それでも、なかにはすでに1000km近くを自走してきているクレイジーガイも・・・。


・コース担当のVickieさん


・日本から持ってった。でかいよなあ。

 なお、RAMADAの近くにはレストランは一軒しかない。クラシカルなアメリカンレストランなのだけど、味は悪くなかった。治安は良くない街なのだそうで夜歩きは避けるべきとのこと。まあ、そもそも朝早いのでさっさと寝たいんですけどね。

 安宿RAMADAで朝を迎える・・・。というかまだ深夜なのだけど。スタート時間は4時半。ようやく4時過ぎからRAMADAの駐車場に人が集まりだす。僕らも白い自転車を部屋から引き出して・・・。そう、「僕ら」。今回のこのBig Sur 600kmにはわざわざタンデム自転車を持ってきたのだ。去年、このコースを走って「こりゃタンデムにはむかねーな」と思っていたのにもかかわらず!栗家し繰り返しのアップダウンに「もっと軽い自転車がいい!」と思っていたのに、よりによってキャリア付きスチールのタンデム自転車!しかしあれから一年、僕は強くなったはず!だから、きっと大丈夫!他にもっといい自転車があるんならなんでこんなとこまでやってきたんだ!それに、いまここに僕にはタンデムしかないんだ!だからこれが一番いい自転車なんだ!

 嗚呼、タンデム!つまり二人乗りなわけです。僕以外にもうひとり搭乗員がいるわけです。というわけで我が細君の登場です。いやがっているのをなだめすかし引っ張ってきました。自転車の経歴はいつまでたっても浅く、ひと月に一回乗るか乗らないか、そして長距離の経験は今年は200kmまで。過去にタンデムで300kmと360kmも走っていますがそれも遠い日の思い出。いまだに変速のやり方をちゃんと覚えてないし、驚いたのはスポーツ自転車のチェーンは汚れないと先月まで思っていたこと(そりゃオレが清掃をやってんだよ)。そんな人が後席に座ります。そしてそれなのにいきなり600km。でもきっと大丈夫、大丈夫だよう・・・。だってもうここまで来ちゃったんだから・・・

 ドロップバッグをスタッフに渡す。バッグにはLompocでの着替や痛み止め、補給食などを入れる。他にタンデム自転車「さくら号」のキャリアに取り付けたトランクバッグに薬と防寒装備をつっこんである。キャリアによる荷物積載の容易さがさくら号のよいところ。この週末の気温はやや高めということだけど(30度くらいになるだろう)、夜間は冷え込むに違いない。だから分厚いウィンドブレイクジャケットを用意。新聞紙も用意しておく。新聞紙を腹に入れると風よけになり、さらに汗も吸い取ってくれるのでいろいろと捗るのだ。そしてLompoc loopはきっと漆黒の世界でなおかつ寒冷なライディングになる。そこが山場か・・・。




・なんかかっこいい

 ブリーフィングはあっさりと。あまり早く走るとPC1に指定されたお店は開いてないので、少し待つことになるよ、とかそんな感じ。英語力の問題であまり聞き取れないけどスルー力を発揮して気にしない。ブリーフィングを担当するのはコース担当のVickieという女性。かなり強いライダーなのだけど、半年くらいまえに大落車して腕をぼこぼこに折ったりしたとのことで、最近ようやく自転車に復帰してきたらしい。「ここにボルト、ここにスチール、ここに・・・」と補強材が入った腕を受付の時に見せてくれた。その腕では上体を支えられないとのことで、今回はリカンベントでの参加。なので後半のコースの山が削られたという噂(w

 見渡せばリカンベントでの参加者はけっこう多い。けれども、いくつか持たせてもらったら驚くほど軽い。僕が普段使うスチールのバイクより全然軽いのでむかつく。タンデムは僕らだけ。タンデム・日本人ってだけで受けるのでなんだか満足です。



 それではさて、行くとしますか・・・。

 続く
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