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【落武者魂】 2010年04月

落武者魂

L  O  S  T     S  Q   U  A  D  R  O  N  .

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Fleche 新撰旅行団、生還す。

 沼津からは平坦な道に戻る。とはいえ油断はできない。実のところ、結構タイム的に押してきたようなのだ。宮ノ下では1時間半ほどの猶予があったのだけど、その後の登りの長さと下りでの速度の上がらなさは誤算。そしてこのあたりはまったく土地勘もない。このまま夜が明けていくと、眠気というものも運動能力をスポイルしていく。ということはやっぱり結構大変だ。



 千本松原の脇の東海道を走りながら夜が明けていく。車どおりはさすがに少ないけど、時折大型の保冷車らしきトラックが行き過ぎる。Pさんがまれにふと車体一台分横へ出るのは後方確認なのか疲れなのか。念のため車掌の僕がちょっと右へより後方からの車を牽制する位置に。Rさんは相変わらずの機関車ぶりを発揮して先頭を引いてくださっている。左手を見るとまさに千本松原といった感じでどこまでも砂地の上に松林が続いている。残念ながら角度的な問題なのか、距離的なのかすぐそこのはずの海が見えない。あるいは光の加減なのかもしれぬ。左に松原、前は一直線、右は時々車という状況が10キロほどにわたって続き、さすがに単調。その単調さは田子の浦で唐突に打ち切られるが、こんどは富士由比バイパスで規模拡大の上に再開することに。しかし、このあたりからは雲ひとつないといっていい空の下に白抜きで浮かび上がる雄大な富士の姿が。そして振り返ればまさに日が昇り始めようとしていた。





 富士由比バイパス周辺の自転車の走れる場所が心配なところだったのだけど、それは特に問題なくクリアすることができた。広い広い富士川を越えてバイパスを離れ、時間を確認すると22時間チェックを次のPCでできるかは微妙。安全策を打って、他のコンビニか、あるいは駅や公園の時計を撮影という手段にでるか・・・と考え始める。

 マシュー君が遅れる。足が痛いのかと聞きに行くと、薬が効いていればなんとかなるんだけど、眠気が・・・とのこと。ここは食いしばってくれマシュー。あと少しで22時間チェックをしてPCで休憩を入れるから。こっちが苦しいときは敵も苦しいんだ。ここを耐えれば、勝てる。

 もしもの時のために、街頭の時計などをチェックしながら走る。万が一どうしようもならないときは急いで戻って22時間、つまり午前6時の所在地証明のための撮影をするのだ。けれど次のチェックポイントも僕のGPSではすぐそこってでている。そうだよ・・・すぐそこ・・・。22時間に10分弱の余裕をもって由比のサークルKへ到着。いやあ、余裕というほどのものではないけど。誰もが安堵と疲労の混じったような雰囲気をかもし出している。かもし出していると言えば、フグジャケットの前を開くといい感じの汗臭さがかもし出されてくるので早く風呂に入りたい。朝飯を食い、しばらく休んでいると別のフレッシュチームが目の前の道を駆け抜けていった。静岡の一点にむけて各地から放たれたフレッシュチームという矢が、今まさに標的へ突っ込もうとしているんだなあ。



 由比からゴールの久能山東照宮下のコンビにまで残り役26キロ。時間は1時間半。よほど油断しなければ間違いのない距離と時間だ。由比からは東海道は自動車しか走れないので、その脇の太平洋自転車道を行くがこれがひどい代物。自転車道というか、廃道?1970年代には茨城あたりの海岸から太平洋沿いを大阪あたりまでつなぐ自動車道が計画されていたというが・・・やる気ねえだろ。砂はたまってるし廃材置き場になったりしてるぞ・・・。

 清水から太平洋側の道へ。輝く陽光にキラキラと輝く太平洋は、昨日見た草木湖の輝きとは違ったダイナミックなものだ。見渡す限りの水平線・・・とか思っていたら他の四人からぐんぐん遅れ始めたので、最後の力を振り絞ってまわしなんとか車掌に戻ったところでゴールへ。まだまだ20分くらいの猶予時間が残っている。24時間めのレシートをここでもらえば終了なのだからとガリガリクンを買ってしばらく休む。見るとみなもアイスクリームを買ってる。天気は最高によくって、まだ8時前だというのに暑くなりそうな予感がしていた。






オマケ
・ゴールで見つけたニッコー


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Fleche 新撰旅行団、東京へ行く Gruppe Shinsen, Go Tokyo


渡良瀬CRを抜け


PC2では思わぬ応援を得て

 いままさに東京へ入る新撰旅行団の5人。PC3で僕はフグバッグにしまっていた長袖ジャージを取り出し羽織る。日陰に入るとちょっと冷える感じになってきた。とにかくここからは交通状況によく注意するように話をして都心へ。やっぱり東京の東側は走りにくい。殺伐とした雰囲気がみなを黙らせる。信号によるストップ&ゴーの連続はマシュー君にはかなりつらいようだ。あまりトルクをかけて痛みを引き出すことのないようにとするするっとした加速をしているようで、信号ごとに遅れをとってしまっている。それでもなんとか隅田川を越えて浅草へたどり着くと雰囲気が変わり、若干だけど走りやすくなる。大型車が減ったからだろうか。



 そのまま日本橋を渡り、銀座へ。ここでは歩行者天国のために裏の道をベンツやベントレーと張り合いながら進まざるを得ない。やがて歩行者天国が解除されたので、残りの銀座通りを無人の荒野を往くように突き進む。銀座とランドヌール、すばらしい取り合わせだ。虚飾の街よ見よ、この体ひとつで夜を徹して走りぬく阿呆どもたちを。





 新橋、品川、と抜けるころにメーターは200kmを示す。このあたりからPさんが前へ出たそうな気配。なんでも15号線は路面がよいから好きなのだという。また、このくらいの距離から調子がでてきたというので前衛を任せて車掌へ戻ることに。横浜はみなとみらいを通過、ここで進路を変えて上大岡へ向かう。上大岡周辺の道路が混雑的には最悪なはずだと思っていたが、まさしくそのとおりであった。そこを抜けるとだんだんと走りやすくなるが、だんだんと高度もあがる。それほどのものではないが、三浦半島の背骨を越えるあたりだ。このままいけば鎌倉で1時間半以上の余裕が得られるかなあと思っている矢先にパンク発生。結局鎌倉のPCへたどり着いたときには1時間の余裕しかなかったが、近くにあるデニーズで休むことにした。9時過ぎ。ここで座って晩飯を食いましょう。



 さとうノートでは鎌倉を10時にはでなくてはならない。食って飲んで9時半を回っていたが、多少の遅れは何とかなるでしょうということでちょっと目を閉じて休みましょうということにする。すごくうまくいけば、沼津かその先でファミレスを見つけ、夜明けを仮眠とともに迎えることができるかもしれない。けれど、このままいくとおそらく”誰も寝てはならぬ”ということになってしまうだろう・・・。



 結局10時をやや回ったところで鎌倉をでて湘南を一路小田原に。自分のライトの明かりを見つめているとほんの小さなものだけど雨が舞っているっぽい。あるいは海岸から漂ってきた潮の微小な波濤なのか。小田原についたのはちょうど12時。これは完全にさとうノートの通り。ここから箱根新道を登り始めることになる。今回の旅の中でもっとも心配していたのが箱根。まずその坂道としての強度。おそらく奥多摩周遊程度であろうが、すでに300kmを走り疲れの出ている新撰旅行団には楽なものではないだろう。次に寒さ。この日は結構天気がよかったので放射冷却の勢いも強いだろう。それでも朝の日光より寒くなるとは思えないが・・・。そしていわゆるローリング族。いまだにそういうのがいるかどうか知らないけど・・・と思ったらいた。深夜の温泉観光地をスキール音と排気音で切り裂くその集団が。僕らはその脇をえっちらおっちらと登る。向こうの阿呆どもとこっちの阿呆どもとの一番の違いは、向こうはぬくぬくとした暖かい部屋の中でちょっとしたミスでこっちを殺せるってことだな、とか思いながら。



 PC4は宮ノ下。富士屋ホテルのやや下にあるコンビニだ。ここまで登ると相当寒い。トイレへ行ったり、フリーペーパーをおなかに突っ込んだり。食欲は相変わらず少ない。マシュー君はなぜかアイスクリームを。Lさんまで・・・。いやもう気温0度くらいだと思うんですが・・・。Pさんは寒さと疲労にやられたのかちょっと顔色が悪い。もう少し行けば芦ノ湖へついてそっからは大きなダウンヒル。さっさとこんな場所からおさらばしようよ。

 「もう少し」では全然なかった。このPCは最後にショートカットを防ぐためにいれたのではっきりわかってなかったのだけど、登坂まだ半ばだったのだ。ローリング族がだんだんと増えていき、気温は下がっていく。-1度、-2度。救いはさすがに国道一号だけあって照明が明るいことだろうか。道路の照明と宿泊施設の照明と。かっとんで行くクルマを見ながら、80年代末からの自動車の高性能化と低廉化がたどり着いた先がこの光景ならば、たしかにその道はどこへも続くことはなく、誰も幸せにはしなかったんだなと感じてしまう。





 国道一号最高ポイントを越える。しんと静まり返った芦ノ湖湖畔へたどり着くと駅伝でおなじみのゲートを左折。もう一回小さなのぼりをへて沼津へのダウンヒル。これがもし陽光の元であればどんなに楽しいことだろうか。零下の気温で高度800メートルからのダウンヒルはただひたすらに「寒い」。Pさんは僕と同じで寒さに耐えがたいようでゆったりゆったりと降りている。車が迫ってくるのが厄介だけど、道幅もあるので危険を感じることはない。僕はGPSの表示を高度計にしてとにかくくだりが終わることを祈る。ある程度降りるとRさんらと道の広いところで集合して再スタート。すでに高度は半分を過ぎている。もう気温はプラスの範囲のはずですよ、とPさんに告げる。この気温になればフグジャケットは完璧にその仕事を果たし、むしろ暖かささえ感じるほどだ。そんなときに対向車線にブルベ的装備のサイクリストが登ってきているのを見てお互いに「がんばってくださー」と声を掛け合った・・・。って、こんな時間にこんな場所で・・・いったい何者?

つづく

Fleche 新撰旅行団、春をめぐる

 朝になって体調は戻ってきたようだった。といってもいつものような食欲もない。駅前で手頃な値段ということで選んだVIVAホテルだったけど、案外心地よい。朝食もしっかりしていて、自転車もホールに置かせてくれたし言うこと無し。部屋のトイレがウォシュレットじゃなかったことくらいかな。気温は思ったより低くない。天気も良い。あまり良いとそれはそれで困るかも知れないと思いつつ、自転車を引っ張って外へ。フグジャケットを来て走るほどの事はないな、とフグバッグにしまうことに。そんなことをしているとあっという間にスタート時間に近づいていることに気づいてJR日光駅へ急ぐ。先回りしたPさんが駅員と掛けあっていて8時の入場券が人数分揃った。記念撮影をしてから24時間の旅の始まり。クリートをペダルにガチっとはめて、行こうと叫んでぽたぽた行って・・・。



 しばらくは登りが続く。奥日光と足尾の分岐で日足トンネルの方へ左折し、さらに登る。登坂車線やら9%やら。トンネルのちょっと手前に旧道入り口の広いところがあったので、一旦停止して下り装備および灯火の点灯、そして下りは気を付けるようにと言う話をする。しかしやっぱりマシュー君はトルクを強くかけるのはきついっぽいなあ。トンネルでは女性陣を先にいかせ、僕とRさんで後方を守る。なにせ日足トンネルは3kmにも及ぶ大トンネル、本当はこの上の旧道を越えたいのだけど、最短距離をすすむというルールがあるのでそれも難しい。まだ凍結もある時期の休日ということもあるのか、恐れていたほどは交通量は無いがそれでもトラックなどが追い越していく度に緊張がはしる。後ろから轟音が聞こえてきたら大きく手を振って存在をアピール。2kmほどでトンネル内の傾斜が下りに転じ、速度が乗りやすくなってくる。このトンネル内のポイントか、箱根かが今回のコースの最高高度地点。兎にも角にも下りになればこっちのもの、もうこのフレッシュ、完走はもらったも同然!と叫ぶ。勝った!



 トンネルを抜ける。斜度もそこそこで、操縦不安定になるほどの速度にまでは達しそうも無く安心する。コーナーも足尾と日光をつなぐ幹線国道らしく、それほどきつくない。気持ちの良い下りは足尾に到達すると一段落。段階的に下っていくようないわゆる下り基調へとなる。草木湖へ近づくにつれ空は晴れ渡り、青空に満開の桜が映える。草木湖は眩く青い新緑と散り始めの桜に囲まれ、その水面はガラスの破片をばらまいたようにキラキラと輝いていた。冷たい空気を切り裂いて下る背中には暖かく陽の光があたって心地よい。満開の桜はやがて桜吹雪となり、そして葉桜となった。昨日の日光はまるで真冬のようであったのに、ここではすっかり春が満ちている。







 桐生駅近くのPC1に到着したのは11時頃だっただろうか。ここで自作キューシートに記した「さとうノート」を見ると、さとうスケジュールから1時間弱の猶予があるということになっている。さとうスケジュールは「この数字でいければなんとかなるかもしれない」というもので、つまり最低限の進行状況予定ということになる。日光からほとんど下りだったはずなのに、それほどの猶予時間が稼げなかったのは残念。意外と風が巻いていて向かい風も少なくなかったのと、日足トンネルまでの登りが厳しかったのか。そして最大の問題は、やっぱり食欲が無いということ・・・。



 桐生からは渡良瀬川サイクリングロードを走る。ここは素晴らしい追い風に恵まれて夢の時速40km巡航さえできてしまうほど。走りやすいサイクリングロードではあるけど、やっぱりところどころつながりがわかりにくいところがあり、迷う。シクロクロス紛いのことをせざるを得ないこともあったり。しかしいい天気だなあ、これだけ晴れちゃうと太平洋高気圧の発達が早まっちゃうんじゃないか?とおそれていると向かい風とサイクリングロードの工事中と言う二重苦に遭遇。サイクリングロードの回り道と言うことで大きく道を離れることになり、さらにマシュー君が痛みに耐えかねて遅れ始める。まだ100kmも走ってないぞ、マシュー。「すぐそこに駅があるぞ、どうするマシュー」と聞くが「まだ続けられる」とのこと。どこかで判断しなくてはならない場面が来るかも知れないと思いつつも、PC2へ到着したのは午後1時ごろ? ありがたいことにPiさん夫妻が応援のために待っていてくれた。しかもカステラとフルーツを携えて。普段ならはしゃいでばりばりくってしまうところなのだけど、やっぱり体調が優れずランチとして購入したパスタも食べきれずカステラも少ししか食べられない。カステラ大好きなのに・・・。こういうときはフルーツを、と思うもどうしても食が進まない。本当に申し訳ない・・・。





 Piさんのご主人に風向きを聞くと、今日は風向きがくるくる変わっている人のこと。たしかにそのとおりだった。普通は、この時期は赤城颪が東京方面へ吹くのだけど、ちょっと微妙とのこと。うーん、やっぱりそうかあ。これはあまりタイムを稼げないかもなあ。

 PC2を辞して渡良瀬遊水地をめぐり関宿を経て江戸川サイクリングロードへ抜ける。どうやら追い風っぽい雰囲気で幸先がいい。しかし渡良瀬川サイクリングロードもここも、利用者が少ないなあ。多摩サイは大混雑だそうだけど、少しこっちへ回ってくればいいのにな。とはいえここも僕が初めて走った数年前から比べれば20倍くらいになっているようだ。あのときは一人しかすれ違わなかったような気がする。今日は20人くらいとすれ違った。風は思い切り押してくれる程ではないけど、抵抗を感じずぐんぐん行ける感じ。申し訳ないけど先頭をRさんに任せ、僕はマシューの様子を見る度に車掌へ回る。痛み止めが聞いている間は調子がいいようだ。このサイクリングロードは切り抜けられるだろう。そのあとのストップ&ゴー地獄と箱根越えは不安だけど、それはそのときに考えよう。そんなことを考えながら走っている途中、Lさんのボトルケージが脱落するというトラブルがあり、そのためにツール缶を僕の開いているボトルケージに差すことに。さらにフグバイクは重くなった・・・。





つづく

Fleche 新撰旅"行"団の戦い。 その一

 今年の頭に急に帰国することになったときに2009年のフレッシュを共に走った友人、マシュー君から「(司法試験の終わる)3月になったらまたブルベを一緒に走れると楽しみにしてたのに残念。もし日本で面白そうなブルベがあったら教えてくれ」とメールをもらった。「4月にフレッシュがあるよ」と返信すると「わかった。行く」とのこと。はい、ひとりめは決まり。

※2009年のフレッシュについては「http://terrazilongestmarch.blog63.fc2.com/blog-category-28.html」こちら。フレッシュについてもこちら。

 残り三名はいろいろあった結果次のように・・・。

Pさん
富士山に近づくと、富士山は見えなくなり天候が悪化するという特殊能力の持ち主。最近体調不良も懸念されるも、この前の週に400kmブルベを完走。

Rさん
鍛え上げた楕円ピストン脚力でチームの牽引を期待される頼れる男。機関車役はお任せだ!

Lさん
ブルベ未体験。200kmも夜間走行も未経験。しかし安定した走りは誰もが認めるところ。

マシュー君
アメリカから来る自転車バカ。ここ半年以上自転車に乗っていなかったのにいきなり参入。直前に落車して膝と肩と肘をはらしたまま痛み止めを大量服用でアタックだ。

さとう
ふがいないチームリーダー。コース設定などを実施。この列車の車掌なので前を走れない。秘密だが本当はアソス戦隊フグレンジャーのフグレッド。

 コースは日光から足利まで足尾経由で下り、その後サイクリングロードをつないで葛飾。都心を抜けて横浜、鎌倉で湘南ルートに入り箱根を越えて静岡入り。距離390km、獲得高度は2500m。ものすごく平坦で箱根だけが試練・・・のように思えた。これだけ平坦だとむしろ風が不安。サイクリングロードをつなぐと言うことはもし向かい風ならそれと真っ向勝負ということになるわけだ。この時期の風向きを調べたものの、赤城颪と呼ばれる北風になるのか、太平洋高気圧が発展して南風が吹くのかは五分五分。コースを提出してからもしばらくは思い悩む日々。向かい風、東京-横浜の交通事情・・・。フラットなら速度を稼げるかなと思ったけど、向かい風で都内の信号ラッシュ交通渋滞を考えればそれは決して楽観視できないのではないか、390kmという距離をメンツやトラブルなどを勘案して割っていくと、そう楽ではないスケジュールも見えてきた。箱根から先は土地勘も無い。静岡の東海道はバイパスだらけで自転車が走りにくいというから、ここは行ったところ勝負のアドリブばかりになるだろう・・・。

 1週間前の埼玉400kmでPさんとマシュー君と共に完走。しかしそこでマシュー君が僕にからんで落車、最後の70kmくらいはママチャリなみの速度で走ることになる。その後も痛みは引かないようだけど「無理はするなよ、ギリギリまで諦めるという決断はできるんだぞ」というと「わかった。でも、僕はフレッシュを走るために来たんだ。走らなければ何しに来たのかわからないじゃないか」と。近所の整形外科でレントゲンで診察してもらい「あまり無理はしないように」という言葉とともに痛み止めをもらう。さらに埼玉400kmではその寒さに驚愕。薄着しか持ってきていないマシュー君は顔を真っ青にしてガクガク震えているほど。でもまあ、走りきれた。日光と箱根、どちらが寒いだろうか。

 PさんとRさんはそれほど心配することはないだろう。Rさんは全く心配する必要は無い(w Lさんは大丈夫だろうか。200kmを越えて300kmとかになってきて夜通し走るとなってくるとやはり簡単とは言えないし、今回はいきなり400km近くだ。おしりの痛みもでるかもしれないからシャモアクリームをまるごと持っていこう。寒さ対策も万全でないかもしれないから、ネックウォーマーとヘッドウォーマーの予備を持っていくことにする。さらに万が一のための輪行袋もエマージェンシーではなく通常のものを、そして万が一のためにエマージェンシーシートも。さらに悪天候で汚れた自転車をゴールで磨き上げるためにフクピカ、その他工具・・・。なんだか自転車が重いよ。20kgは無いけど17kgにはなってしまった。なんというか僕自身が大丈夫なのだろうか。
 
 前日に日光入り。雨天寒天。夕方になると低気圧の日に高高度の場所に来たからだろうか、高山病のような頭痛がしてくる。食欲もでない。なんとか晩飯を食べるが、少食のPさんさえペロリと平らげたチャーハンを半分ちょっとしか食えない。皆は元気そうだ。Lさんが直前に「とりあえず」250kmを夜間走行込みで走ってきたと言う。ならば大丈夫だろう。というかとりあえず走ってくるってすごいなあ・・・。雨もやんできた。明日の朝までずれこまぬといいけど・・・。

 しかし俺、大丈夫なのか?

つづく

セラ アナトミカ。

 トム・ミルトンの訃報が届く。西海岸では有数の長距離サイクリストの一人で、年間に10を越えるダブルセンチュリーを走り、多数のブルベをPBPを含むいくつもの1200kmライドを完走してきた。彼はセラ・アナトミカというサドルを開発販売する会社の代表でもあり、僕もそのサドルを使っている。このサドルがなければ今では600kmとかを走る気はしない。もしであっていなければ、1000や1200に参加しようという気すらしなかったろう。

 2009年のLA200k。向かい風にヘタれていた僕の脇を「がんばれよ」と走り抜けていったのが彼だった。彼が引っ張ってきた列車に乗って、ようやく一息つけた僕は彼の自転車が「竹(カルフィー・バンブー)」であることに気づいて「それってどうなの?」と訊いた。「最高の素材だよ、竹は。カーボンやチタンよりもね」という会話をしたあとに、クリスが彼に僕(さとう)は日本から来てるんだよ、とかいう話をしていたことを今でも思い出せる。

 その後、セラアナトミカのサドルを購入するがその時点ではその関係を知らず、SD400kの時にマイクが「その会社のトムってのがこないだ走ってたよ」と言うのを聞いて、それに気づいた。その後、このサドルの有用性に感動して感謝のメールを送ろうと思っていたが、そのままにしていた。残念なことに。

 彼は昨日、デビルマウンテンダブル・センチュリーで倒れたと言う。知り合いの一人がその場にいたようで救急が来たものの、長く苦しむことは無く逝った(私はめをつむっていたけど)とのこと。悲しいできことだけど、素晴らしい天気のもと、多くの友人たちに囲まれていたことは救いだったのではと彼女は伝えていた。