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【落武者魂】 旅ゆく日々

落武者魂

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哲学堂再訪

 以前にレポートさせていただいた武蔵野の誇る哲学テーマパーク『哲学堂』。そこに再訪して来ました。というか、うちから自転車で五分くらいなのですけどね。そんなご近所をなんでわざわざ再訪などと銘打つかと言いますと、月に一回の建物内覧の日に訪問してみたからです。普段は形而の幕の内で隠された真実が、あらわになっているはずです。僕にもあなたにも、哲学の深淵がその姿を顕します。

 

 哲理門です。前回と違って、解説のプレートが置かれております。右側の説明は従前の通り、門の中に置かれているのはお寺と違って「幽霊」と「天狗」であり、形而上、形而下の不可知を象徴していると書かれています。その不可知なものを理によって解していくのが哲学であるという意味合いです。左側の説明板は、門にかけられた漢文の意味を記していました。その文を掲げた細長い板を聯(れん)と呼び、この聯は井上円了先生の筆によるものだとのこと。御存知の通り、井上円了先生は東洋大学の開祖。ちなみにこの聯に記されているのは要するに「門の中に置かれているのはお寺と違って「幽霊」と「天狗」であり、形而上、形而下の不可知を象徴している」ということでした。

 

 足を踏み入れると・・・もう春なのですね。梅が咲いています。
 哲学堂は、もともと和田山という地名でした。鎌倉時代の豪族である和田氏の館があった場所だからとのこと。もっとも、その痕跡はまったく発見されていません。という受け売り。まあたしかにこの場所は崖線の南端にあるので、南側に対する見晴らしは良かったんではないでしょうか。この和田山は現在は時空岡と呼ばれています(哲学堂的には)。

 

 入って左側に、宇宙館があります。前回は耐候パネルを貼っているだけのいいかがんな修復ではないか、などと書いてしまいましたが、どうやらそもそも壁がないのが本来の姿のようです。耐候パネルがいくつか外され、すだれが下がっていました。

 正方形の宇宙館に四十五度斜めに食い込んでいるような形で皇国殿が置かれています。この聖徳太子像はもともと外にあったものを移したものとのこと。宇宙館は講堂で、皇国殿が演台になっています。皇国の輝きで宇宙を満たそうとかそういうこととか。哲学堂は1944年に東京都から中野区に移管されたそうですが、戦後のGHQのバッシングとかなかったんでしょうか。京王帝都電鉄とかあるから、そんな小さいことは気にしなかったのかもしれません。



 幽霊梅。宇宙館のすぐ脇にあります。時空岡には天狗松というランドマーク的な松もあったそうなのですが、こちらはすでに枯死していて現存しません。



 宇宙館のてっぺんには烏帽子が置かれています。
 宇宙のてっぺんには皇威があるということです。たぶん。



 宇宙館の向かいにある絶対城の内部。絶対城の外観等は前回のレポートを見てください。一階は書架、二回は閲覧室になっていたようです。閲覧室とういっても畳が敷かれているだけでした。婦人読書室、という三畳の畳張りの間もありました。



 四聖堂。哲学堂の初めの地であり、もともとはこの建物こそが哲学堂だったそうです。この資生堂、ちがった、(しかし文字の変換のめんどくさいテーマパークだな、ここ)この四聖堂は東洋(釈迦・孔子)、西洋(ソクラテス・カント)の偉大な哲学者をリスペクトしています。



 天井から吊るされているのは四大哲学者の名前の額。聖孔、聖須(?)、聖釈、聖韓、と記されています。そしてさらに涅槃像まで。



 天狗松はこの六賢台の脇に立っていたと言います。かなり遠くからでも目立つ大松だったそうです。
 で、この六賢台も入って上ったのですが、ガラスが汚れていて展望も悪かったので次に行きます。



 ご存知、無尽蔵。倉です。ちょっとここで振り返ってみます。



 よい佇まいですね。



 無尽蔵へ戻ります。
 なんだかロボットの顔みたいな愛嬌のあるデザインじゃないですか?

 

 かつては円了先生の集めた、万国の物品が納められていたそうですが、現在ではそれらは区や大学などに寄贈されて空っぽです。変わりに哲学堂の歴史や、昔の写真などが展示されています。こういう写真を見ていると思うのですが、昔の日本は景色の見通しがいいですね。あまり木々が鬱蒼としておらず、ほどよく間引かれているようで。下草も刈り払われているので、欧州の景色のようにさえ見えます。どこかで現在の日本は足利時代以前なみに緑が濃いという報告も読みましたが、実際そうなのかもしれません。



 哲学堂の園内には梅園もあります。ちょうど梅の花が満開で綺麗でした。哲学の道を至れば、きっと華が咲く日だって有るに違いないのです。哲学堂の建設時にはこのあたりはひたすら森だったようです。田山花袋なんかの旅日誌を読んでも武蔵野は埼玉の方と違って原始の森のようだ、とまで言われています。それでも新興住宅地、あるいは都心からおいやられた工場なんかの立地する地として拓け、関東大震災を契機に宅地開発が一気に進んでいったそうです。そのころの住宅地や、工場はその多くが空襲で焼き払われました。
 それを思うと、この哲学堂が完全な姿で残ったというのは、やはり哲学の力は剣より強いことの証ではないでしょうか。ああ、僕も哲学の力でサクセスしたい。

※残念ながら今回は哲学ニャには出会えませんでした。
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秋のサイクリング その二

 秋のサイクリング第二弾は名栗湖方面でした。
 もう2ヶ月以上前なので、この写真を見て「行きたい!」と思っていくと寒くて死にます。



 青梅の成木地区。すばらしい銀杏です。ところで、いつも気になってたんだけどここはお寺の参道らしい。そこで歩いて行ってみました。その黄金色の絨毯が敷かれた細い道ですが・・・やたら滑るので怖い。



 こんな。青梅の文化財という三門です。地味ですが、かなり古い時代のものとのこと。もう少し成木を進んで、トンネルへの直登ルート手前で道をそれると、サイクリストのための休憩施設があります。そこで少し休みました。竹でくまれたバイクスタンドの向こうの小川が夏も秋も綺麗です。



 名栗湖は北側は綺麗な紅葉並木が。一周してみましたが、山に遮られて日の当たらない南側は寒いだけだった。




※南側。紅葉もほとんどありません。

 昼食後、竹寺へ。仁田山峠という誰も名前を知らない地味な峠へ向かいます。入り口でナルシマ軍団に混じってオダ埼ジャージをみかけたと思ったら、某氏でした。



 春には隠れ桜並木スポット、秋はすすきの原っぱです。原っぱというには斜度があるけど。




 このあたりが峠の鞍部かなあ。あんまりはっきりしたピークはありません。



 そして竹寺へ……。右側にある「竹寺500」。ここからが竹寺の本気です。



 登りきればここにも美しい紅葉が。



 自転車を置いて竹寺へ入ります。諸車進入禁止とあるのに自転車で入ってる人がいたけど、さすがにこの雰囲気は押せばいいってもんじゃないと思った。


 
 崩れかけ?の東屋も良い感じ。竹寺は精進料理などでも知られている場所で、人が全くいないということはほとんどありません。つっても5回目くらいか。



 お寺関係者の住居かなあ。右手は食事したり法事したりする広間のある建物があります。左手の茅葺の家は仏具とかお守りとか。



”寺”ですが、鳥居があります。ここは神仏混淆を保持した希少なお寺です。



 この先に本殿がありますが、今回はここで引き上げ。



 帰り道でも綺麗な紅葉を楽しみました。

 早く春が来ないかなあ。気温10度切ると動けない。

秋のサイクリング その一

 11月はFSAシリーズとして小さな秋を探しに行きました。
 まずは柳沢峠です。


※奥多摩湖

 柳沢峠は、奥多摩湖を越えて30kmくらい先にある峠。奥多摩湖から先はずっと多摩川の源流に沿って進みます。もともとは、ここには甲州裏街道が通っていました。ただ、往時は大菩薩峠という高所を越えていたのを、馬車道化を目指して柳沢峠周りへ再ルーティングしたとのこと。


※今は廃業している旅館。趣があるなあ。まさに湖を望む場所にあります。

 奥多摩湖は小河内村があった谷間をダムによってせき止めてできた人造湖。この時期は紅葉でとても混みます。


※湖岸はちょっと道が見通しが悪くて狭いのよね。丹波村まで我慢です。

 途中、丹波村を過ぎると秘境のようになっていきます。事実、この道沿いには丹波から先には主だった集落は無くひたすら深い谷を見下ろし、山肌を見上げて進みます。


※谷が深いので、日照も少ない。紅葉が稜線をかすめて入ってきた陽光に照らされて綺麗。



※いやもう、どこの東北だという感じ。でも都心から自転車でここまで5時間くらいかな。

 かつてこの道沿いには武田家の金鉱がありました。武田家滅亡の折りに、その秘密を守るため金鉱集落の花魁を谷底に落として殺したという伝説が残っています。その谷をおいらん淵といって、この道沿いで数少ない観光スポット兼心霊スポットだったのですが、道路の線形改善によってトンネルでパスするようになってしまいました。


※このトンネルの右側へおいらん淵がある。現在は車両通行止め。


※トンネルの向こうから。かなり厳しい場所を道が通っていることが切通のコンクリ吹付けからもわかる。おいらん淵あたりから、公式の多摩川源流は北へ分岐している。

 おいらん淵を越えたあたりから、一ノ瀬高原の集落へ向かう道がある。行ったことはないけど、ほとんど廃村なのだそうだ。


※今回の装備。自転車旅行ができるくらい(w


※この橋の向こうは旧道が続いているのだそうだ。


※多摩川もずいぶん狭くなったなあ。


※かなり上り詰めて、山の稜線が低くなってきた。午後三時半くらいだと思うけどすっかり夕日だなあ。


※すでに気温は10度を切っているだろう。斜度は緩いがとても長い上り道だ。


※多摩川よ・・・。景色はすっかり高原。多摩川源流は都心への水利確保のために保護された地域でもある。


※旅館。ぽつりと。


※峠の頂上近くから東京の方を振り返る。・・・東京方向とはとても思えない・・・。


※そして柳沢峠頂上の茶店から。

 柳沢峠頂上では気温は5度を超えるくらいだっただろうか。ここからは塩山まで長い下りだ。
 塩山まで下ったところで自転車をしまって特急で帰宅。やはり紅葉シーズンのせいか、(自転車を置くスペースの都合もあって)特急も座ることができず立ちっぱなし。

 なかなかよいFSAだった。

カスケイドのあと 5

 アフターカスケイドのツアーも終盤。サンフランシスコまでマシュー君の車に同乗させてもらう。ゴールデンゲートブリッジのところで、驚きの車線閉鎖があってビビったけど、彼の話によればここは交通量に応じて上下の車線数がやたら変化してその案内も無いので超怖いのだそうだ。たしかに怖かった。ちなみにサンフランシスコ・ランドナーズのスタート&ゴール地点はこのゴールデンゲートブリッジのたもとで、最後にちょっときつめの登りが続く(橋まで登るから)のが嫌らしいそうだ。

 サンフランシスコ空港近くのホテルで彼と別れ、僕はレンタカーを借りておいて一泊。翌日はサンフランシスコの南方、サンタクルーズのさらに郊外に一人でドライブ。自転車から取り外したGPSを頼りにカルフィーデザインの工房へ行くのだ。
 フリーウェイを走っていくと、クパチーノやパロアルトといったシリコンバレーの名所の名前が進路標識に現れる。そのまま通過して、小一時間ほど走るとサンタクルーズ、さらに田舎道を進むと・・・あれ? カルフィーデザインの工房どころか、ただのストロベリー農場しかないんだけど? キリスト教系の大学の敷地? よくわからずうろうろしつづけること30分ばかし。ついにカルフィーデザインのロゴが小さく貼られた建物を見つけた。なんというか、僕の親戚の鉄工所みたいな建物だ。



 おそるおそる入り口をくぐり、通りがかった人を捕まえてジェネラルマネージャのスティーブという人とアポイントがあると伝える。アポイントというか、この人に会いに行けと言われただけなんだけど。
 ほんの少し、事務室の前で待つと中華系のスティーブ氏がにこやかに現れた。やあ客人。はるばる遠方からよう来なすった、という感じ。ナイストゥミーチュウ、ミスタースティーブ。あなた方の自転車でカスケイドを走りきってきましたよ、と伝えると喜んでくれる。それはすばらしい、クレイグ(クレイグ・カルフィー氏のこと)もきっと喜ぶ。実は明日からクレイグはアフリカへ飛ぶので、準備に駆け回っているけど、会えると思うよ。まずは工場を見て回ろう。どこかにいるよ、と。
「あ、写真を撮ってもいいですか?」
「もちろん。何でも撮っていいよ」
「撮影してはいけないものとかあったら、言ってくださいね」
「そんなものは無いよ! さあ行こう」


※事務所前のテラス


※極初期に製作された一台。

 事務室の前は小さなテラスになっていて、カラフルな自転車が置かれている。それは初めて欧州圏外の人間でツールドフランスに勝利し、銃弾を受けるなどの事故にあいながら三度の優勝を果たしたアメリカ人、グレッグ・レモンの為に作られた一台だという。レモンはカルフィーのカーボンバイクをTDFに持ち込み、後にレモンのブランドとして販売もしていた。レモンの活躍は、カルフィー(当時はカーボンフレーム社)が一躍有名になった大きな契機だったらしい。
 ここにあるバイクをレモンが乗ったかはわからないけどね、とスティーブは言う。だけど、みてごらん。ほとんどバイクの作りは変わってないだろう? 僕らはバイクの形状デザインそのものを変えていくことには興味ないんだ。
 レモンも最近のインタビューで、今も昔もバイクそのものはそんなに変わってないんだ、とコメントしていたけど、同じような意味合いなのだろう。彼らは約三十年前から変わらず、フィン付きラグでカーボンパイプをつないだクラシカルなスタイルのバイクを作り続けている。ただ、素材は新しいものを試し続け、それは新しいカーボンパイプだったり、竹だったりする。
 竹、そう、カルフィーは最近ではバンブーバイクの方でよく知られるようになっている。


※こんなのがもう一台あった。

 工房へ降りていくと、謎のパイプ組の乗り物が二台、鎮座している。あれはいったい何ですか? と質問すると、近くで作業をしていた背の高い人がアルバムを片手にやってきた。
「それはグライダープレーンなんだ。車輪で走行もできるし、空を行くこともできる」
「二人乗り?」と聞いてみる。タンデム配置の座席がついている。
「いや、違うね」背の高い彼はバイク用のスーツケースを持ってきて、後部座席に投げ込んだ。
「こうやってどこへでも自転車を持ってくために使うんだ」
 ほんとかよ?
 しかし、どうみても素材はカーボンでは無さそうだし、エンジン付きだし、空も飛ぶし。自転車工房とはおおよそ関係の無さそうな機材。でも、ただモノを作るのが好きな人たちなんだな、ということだけは伝わってくる。そうじゃなきゃ、こんなけったいなものをでーんと置いとくことはできないだろう。



 その先にはフレームを組むためのブース。備え付けられた台にはすでにフレームが置かれている。この台に治具を配置して、ラグとパイプを接続していくんだと言う。カタログモデルであれば、できあいの治具、できあいのラグで作っていくのだけど、オーダーのフレームでは、そこも手作業で一品製作していくんだ、とスティーブがオーダーシートとあわせてそれを見せてくれる。
 そしてフレームの形になったら、上のオーブンを使って焼き上げるのだという。確かに、台の上には焼き肉屋の排気ファンのような形状のオーブンがぶら下がっている。


※オーダーシート


※カタログ通りのサイズなら、この治具を使用する、だったかな。特別なオーダーがあれば手作業になる。


※組み付けて、上からオーブンが降りてくるんだと思う。


※ラグ。これがドラゴンフライのラグつってたかな。


※いろんなラグ。


※工具


  
 二台ある台の向こうには、既成のラグが部位と角度別にたくさんぶら下がっている。工具の下がっている壁の一角には、小さなフレームが。工員の一人が子供用にと作ったフレームだとのこと。



 カーボンが巻かれたボビン。こうしてみると、とてもあの強靱なフレームになるとは思えないようなカーボンの紐。そして麻布も。この麻布はバンブーバイクのラグをつなぐのに使われるものだ。麻紐でしばって、樹脂で固める。カーボンバイクもあの台で作ってオーブンで焼くのだろうか? それは聞き忘れた。


※こっちは麻。



 こちらは仕上げのブース。ちょうどカーボンフレームとバンブーバイクが一台づつ作業されていた。その向かいにはカルフィー製品のひとつ、ポジションだし用機材。フレーム製作のための測定機材だ。そしてカーボン・リカンベントのフレームもあった。これはOEMでどこぞのリカンベントブランドに卸しているんだと聞いた。なんでも作るのね。


※ポジション出しの機材。


※一見、なんだかわからないけどリカンベントのフレームだそうだ。

 仕上げブースの奥にはクオリティ管理のおじさんが。とっつきにくそうな雰囲気がしてたんだけど、話し始めると言葉数は少ないながらよく笑う。いくつもぶら下げられたカーボンタンデムのフレームが、まるでロッキーの映画で大型冷蔵庫にぶら下げられていた牛(だったかな)のようだ。ちなみにカルフィーの最軽量のパイプを用いたタンデムは完成車重量で十kgほど……。お値段は普通のロードバイクの二倍強。まあ、普通ってどんなだって言われそうだけど。


※品質管理のおじさんの写真が無い。とりあえずつるされたタンデム。



 こちらはリペアルーム。カーボンバイクの修理修復は現在のカルフィーをささえる事業のひとつ。どんなブランドのバイクでも修復を受ける。現在のカルフィーのビジネスの一翼を担っている事業だと言うことだ。


※クレイグ・カルフィー氏とワタシ。

 クレイグ氏にも会えた。日本では自転車ツーリングが流行っているのか? と聞かれたが、なんとも答えがたく、言葉を濁してしまったけど、たぶん、言葉がよくわからなくて変な答えになっているように思われたに違いない。でも、実際「自転車ツーリングが流行っているのか?」って、どうなんだろう。特に流行ってないよねえ。


※スティーブ氏とワタシ。

 しかしこのクレイグ氏、工場見学をしているとあちこちで見かける。なんか箱詰めしているなと思うと、塗装前の表面処理ブースで作業していたり、フレームを組む窯のところにいたり。ぜったい通信簿に「落ち着きがない」と書かれていそうな人だ。


※表面処理ブース。カーボンの粉が舞っているので、マスクとゴーグルが必須。奥にクレイグさんがいます。


※竹で作られた運搬自転車用のキャリア。
 
 工場の奥はバンブーバイク部門。バンブーバイクは、はじめは冗談で作り、その反響から第三世界への技術支援を行っている。フレームは竹で、ラグ部分は麻紐を樹脂で固めたもの。これで作られたものを、先進国にはロードレーサーや、MTBのようなスポーツバイクとして出荷している。でも、現地ではまだまだ実用車の需要が高いので、竹フレームの実用車もちゃんと作られている。ここでも、荷台まで竹の物資運搬用のバンブーバイクの設計図やら、塩ビパイプで作られた治具やらが置かれていた。竹のフロントフォークの試作品などもあって、いろいろ試しているようだ。
 ちなみにこのフレームに使われている竹は、当初は日本のもの、後に台湾のものを使用していたのだけど、現在はアフリカ現地で栽培しているものなのだそうだ。


※バンブーバイク用の治具も現地で手に入りやすい(のだと思う)塩ビパイプで作れるようにしている。たしかそんな説明だった気がする(メモしておけばよかった)。


※竹フロントフォーク。昔の試作品。ラグやフレームの補強にカーボンを使っている。また、オーダー次第で竹を使う部位、カーボンを使う部位などは自由だそうだ。どこぞの雑誌編集者(アメリカのね)がオーダーしているという、カーボンバックの竹MTBを見せてもらった。

入り口近くに置かれているのは、従業員の人たちの自転車らしい。自転車通勤もいるのだろうか? あまり近くには人家は無さそうなんだけど。中にはこんな「流木バイク」もある。流木フレーム。もうなんでもありなんだな。



 お昼休みになると、工員は自転車に乗って付近をライド……ではなくって、工房前の広場でサッカーに明け暮れる。GMのスティーブ氏に昼食に行こうと誘われて中華を食べに行った。ただの旅行者なのにここまでしてもらえるとは……。



 都合、3〜4時間ほど滞在させてもらった。なんというか、たしかにオープンで気さくな工房。天気が良ければ海も綺麗に見えるんだろうな、と思いながら工房を後にした。


※ファクトリー全景

 その後、SF近郊で活躍されているKさんに蟹ディナーをごちそうになった上、夜景観光まで案内していただくなど、望外のありがたいひとときを過ごさせていただいた。長かったカスケイドの旅もようやく終了。しばらく自転車はお預けだ。


※ツイン・ピークスからの夜景。あの映画とは関係ない。

おまけ


※カルフィー工房内のドアの飾り。チタンの板。よく見ると、エンドやらを打ちぬいた残りを使っている。


※レンタカーのトランクの内側についてたタグ。もし、トランクに閉じ込められても、これをひっぱれば内側から開くよ、というもの。子供がいたづらして閉じ込められたりしたとき、あるいは拉致されたときに。


※ショッピングカート用のエスカレーター。これがあればレジをフロアごとに設置しなくてすむね! 初めて見た。SF空港近くのTARGETにて。


※空港施設をつなぐ新交通システム。路線があったら乗ってみる。

カスケイドのあと 4

 エバーグリーン航空博物館を出てからオレゴン州中央を南下します。おっと、エバーグリーン航空博物館の建物の上にはジャンボ機が飾られているのですが、これはダイハード2で利用されたものらしいです。どうでもいいですね。

 この日の目的地のもうひとつはオレゴン州中部の都市、ユージーンの郊外にある自転車メーカーCO-MOTION CYCLESを訪問すること。コモーションはタンデムをメインとするメーカーで、僕が持っていてサイクリングやPBPでも使った自転車もそこで作られました。

 場所はかなり辺鄙なところで……一応工業団地地域なのかな。
 あたりには何もありません。



 写真向かって左側がファクトリーです。この玄関は営業オフィスってところかな。入ってみると、ちょっとしたショールームになっていました。



 コモーションは主にクロモリ、フラッグシップモデルをアルミとしています。ロードレーサーもありますが、どちらかというとツアラーやシクロクロスなイメージ。



 最近、彼らが一押しのローロフ14段内装変速機付きのカーボンベルト仕様のモデルがありました。実は、僕の例の新車もこの仕様で考えていたこともありました。なにしろ注油という作業からほぼ解放されちゃいますからね。でも、結局躊躇しちゃいましたが。実際、どんなものなのか、試乗させてもらいました。

 で、感想としてはやめといてよかったかな、と。変速の感覚が馴染めませんでした。といってもちょっとだけの試乗なんで仕方ないけど。どうも、ママチャリの内装変速のようなヌタヌタ感が……うーん、って感じで。でも、重さとか抵抗とかは気にならなかったかな。シマノのアルフィーネがドロップハンドル用のSTIレバーかつ電動ってのを作ってるみたいなので、そちらに期待です。

 さてさらに南下します。さすがアメリカでかい。カルフォルニアに戻るまでにすでに三日かかっています。行きは何も見ず、インターステートハイウェイで一気にいきましたので、なんとか二日でつきましたが、帰りくらいはゆったりと……旧街道を行きます。カルフォルニア州に入ったら海岸沿いのパシフィック・コースト・ハイウェイへ。ほとんどが細い二車線のこの道は、うねうねと曲がりくねり、アップダウンを繰り返してサンディエゴへつながります。しかし、この州の境あたりでは、車に乗っていても道が悪いのを感じます。けど、有数のサイクリングコースでもあるので、たくさんの自転車旅行者を見かけます。老若男女、荷物をたくさん積んだクロスバイクが多いですね。

 海へ降りていく道路を走りながら、同行(というか車をずっと運転してくれている)のマシュー君が、このあたりの説明をしてくれます。つっても、観光とか歴史とかの話じゃなくって、マフィアっぽい系の話。山の中を進んでいるのですが、ほとんど街も無いこのあたりでは警察力もあまり及んでいないので、道から離れた森の奥では各種犯罪的な方々が、犯罪的な物資の生産や栽培に励んでいるのだとのこと。時々、警察が入っていくのだけど、どちらも重武装していてなかなか大変なんだとか。もっとも、こんな山奥だけじゃなくって都市近郊のいわゆる里山っぽいようなところでも、そういう場所はあってハイキングルートから見えるところにブービートラップとかしかけてあってビビったよー、という話をしてくれました。
 まあ、治安が悪くなった、といってもやっぱりレベルが違うようです。そのレベルも場所によって全く違っていて、治安の良い所は日本の田舎なみに適当にやっていても問題ありません。でも、一方で重武装のマフィアと治安機構が対峙しているところもあったり。まあ、そういう輩がいるから一般市民にも武装が必要なのだ、というのも説得力はあるのでしょう。すでにそこにある脅威だから、あいつらの銃を降ろさせなければ、俺たちの銃もおろせねえっていうレザボアドッグス理論。



 さて、見えない海岸沿いには、ところどころ街が点在してます。
 ここはヒッピーの街、ここは超ハイソなペンションの村、と説明してくれます。やがてひとつの街につきました。その日の目的のひとつ、ユーリカの街です。



 古き良き時代の雰囲気がよく残されています。



 このあたり、写真に写っている範囲はヒストリカル・ディストリクト、つまり歴史風致地区となっていて、こういう建物が保存されているようです。おみやげ屋もありますが、あまり地域の品物はなかったですね。で、写真に写ってない範囲。ほんの一ブロック離れただけで、街の雰囲気がガラリと変わります。大きな街ではないのですが、なんというかスラム臭が漂います。ホームレスっぽいような身なりの人たちがうろうろと。かつては木材の積出港として栄えたようなのですが、現在の産業はマシュー君に言わせれば「麻薬」。山の中で栽培をしたり製造をした麻薬をこの街でさばいているとか、そんな感じらしい。このあたりは(州都)サクラメントや、(経済上の中心)サンフランシスコからも離れているから、役人たちはどうなっていても気にしないんだ、と彼は言いました。



 アメリカ的スケールで考えれば、そう遠くはないはずなんですが、比較的交通が不便な地域なのでそう言われれば、そうかなと思わされる雰囲気はある街です。まあ、ヒッピータウンに高級リゾート、麻薬の街がかわるがわる現れるのはちょっとおもしろいですが。

※ついでに言えば、ユーリカは意外と最近まで中国人排斥をしていた街です。

 ユーリカを訪れたこの日は、更になんかしてフォートブラッグという街まで行きます。
 そこはサンフランシスコランドナーズと、デイビスバイククラブ、それぞれが開催するブルベで度々折り返し地点になっている街だとのこと。なお、フォートブラッグは岩手県に大槌町と昔からの姉妹都市で、いろいろと人的交流があったとのこと。というのもマシュー君から聞きました(w

 大槌町はシーシェパードの活動拠点のひとつで、震災時に町民がシーシェパードのメンバーを救出した記事がありましたが、その後シーシェパードはフォートブラッグに対して直ちに姉妹都市をやめるよう通告しているのは、さっき知りました。すごいな、パタゴニア。

 さて、次回はこのシリーズ最終話。サンフランシスコ……の話はほとんどありません。
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