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【落武者魂】 13 PAP1200

落武者魂

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PAP1200 第四日 パースまで 約230km

 皆が起きていた。外も明るい。みんなは5時に起床、僕は5時半の予定。つまり僕はみんなより遅く起きあがればいいんだよな・・・しかし寒いな。寝袋を閉じ直そう。むにゃむにゃ・・・不思議な夢を見た・・・ボーラを履けば速く走れる! だから一旦家に帰ってボーラを履いてみた。よーし・・・そして気づいた。すでに7時をすぎていることを。って皆いない! 仮眠所のホールはすっかりがらんとしてるじゃないか! 飛び起きて準備。とりあえずドロップバッグになんでもかんでも突っ込む。置き忘れさえ無ければ、どうとでもなる。
 そして7時半にはPCを飛び出した。PCに残っているバイクは5台くらいだったか。ファイナルファイブだ。その一員にY氏もいるようだったが、大丈夫なのか。いや、落ち着け。こういう時こそトラブルが危険で危ない。まだクローズまで1時間半くらいあるんだ。深呼吸して、ゆっくりと。
 朝食代わりに食パンを二枚ひったくるようにして持ってきた。ちぎりつつちぎりつつモグモグ。

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※「あーん、遅刻遅刻! 初参加から寝坊ってヤバいよねー!」

 今日もアップダウンから始まるが、景色はかなり潤いある荒野といった感じだ。あまり荒れてない。主に牧場。潤いを感じるのは雨がぱらつくからかもしれない。ときどきサーッと降って止む。体が冷えるほど濡れることもないけど、これからの天気が気になる。基本的には晴れるみたいだけど。もうひとつ気になるのは風向き。今のところはやや向かい風だ。

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 オールバニから内陸に入ってからの牧場では、その多くで羊が飼育されている。昨日通過したカタニング周辺ではいくつか羊のセリがあることが告知されていたし、ワギンではでっかい羊のスタチューもあった。初日と二日目は牛が多かったが、ここにきて逆転した感じだ。
 ふと気づくとたっくさんの羊がこちらを見ていることに気づく。おやあ、と近づいたりすると一目散に逃げていく。好奇心などでこちらを見ているわけではなくって、警戒しているのだな。

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 ここまで来て問題が発生した。PCとしてポイントされている場所にPCが無い。PCの名称も具体的なものではない(おおきなくくりの地名のみ)ので、データが間違っているとかなりダメージがでかい・・・。コースデータを誤ったのか、それとも道を間違ったのか・・・。たしかに随分とGPSに表示されるPCまでの距離が短いと思ったんだよ。ここのPC間はまだ20km以上あるはず。分岐はほぼ一回のみ。20km行ってみてしまうか、その分岐に戻って後続を待つか・・・。
 後続の人数は少なくっていつ来るかわからないし、ウィリアムズでDNFしてしまっている可能性もある。不安を抱えて進むことにしよう。
 ちょうどこのあたりからハエが湧いてきた。どこからともなくぶんぶん回りを飛び始める。ウザい。野生動物の死体があるわけでもないのに。

 ほとんど車の通らない道だが、アップダウンは続く。やがてけっこう車通りがあってアップダウンが続く道へと合流した。それもやっかいだけど、ロードトレインが来るごとにハエが蹴散らされるのは良い。そうだ、何もかも良いということも、すべてが悪いということもないのだ。世界はバランスによってなりたっているのだなあ。
 そんな悟りを得ることなど出来るはずも無く、20kmほどイライラしながら走る。「この辺だぞ? 大丈夫か? もう戻れないぞ」と焦ってくる視界の隅に「AUDAX」と書かれた小さな看板が見えた。砂利道の入り口の地面に小さく置いてある看板だ。あぶなく通過するところだったよ、と思いつつ入っていくとオダックスオーストラリアトレーラーが設置されたPCだった。よかった、間違ってなかった。
 このPCはハエが多くて閉口だけど、藪でトイレをすませサンドウィッチをぱくつく。先客もいくらかいて、僕は随分と追い上げてきているようだ。よしよし、あと150kmくらい。

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 相変わらずの道を相変わらずのペースで走っていると、”英国オープンカーの集い”とすれ違う。MGとかジャガーE-TYPEとかカニ目とか、そういう奴ら。
 やがてアップダウンが終わり、ちょっとしたダウンヒル。とはいえ、このコースは最高でも300mちょっとなので、ほんとささやかなダウンヒルだ。
  PinjarraのPCは公園の中。小川を渡る細い小さな吊り橋を渡っていく。日本だと「自転車は不可」か「自転車は押しなさい」とか書かれているもんだけど、そんなものは無いし、誰も気にしない。
 それなのに、なんだか不安になる小市民。
 さて、残り85kmくらい。午後8時には到着できるだろう。
 
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 さすがにパースから100km圏内で高速道路(オーストラリアの高速道路は基本的に自転車走行可。初日に高速道路を横切るw箇所が何度かあった)近くとあって、Pinjarraは普通の街だ。昨日のカタニングの寂れてない版って感じ。と書かれてもわかりにくいと思うが・・・。
 その高速道路まで来ると、それをくぐって初日に通ったサイクリングロード。あとは自動車との事故の心配なくパースまで戻れるってわけだ。信号もな・・・ってこのコース、1200kmに信号っていくつあった? 覚えてるのは一箇所だけなんだけど? もしかしたら本当に一箇所しかなかったかもしれない。個人的には最小信号数だな、いままで走った1200kmの中で。

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 サイクリングロードに入ったら待望の追い風。脚がくるくる回る。乾燥したコッペパンをちぎりつつちぎりつつ走る。だんだんとすれ違うサイクリストが増えてくる。通勤サイクリストたちだ。背中にバックパックを背負い、TTバーを握ってものすごいスピードでやってくる。去年のメルボルンに比べるとずいぶん少ないけど、アスリート度はそのぶん上がってる感じ。
 網羅的な地図が見つからなかったのだけど、このサイクリングコースはパースとその周辺都市を単純につなぐだけでなく、住宅街それぞれへ網の目のように広がっている様子。ジャンクションにはそれぞれの行き先と距離が記された看板がかならずあって、まさに自転車用の高速道路網の様相を呈している。遂にGPSは1200kmの走行距離を示す。しかしまだ30km近く残っている。うーん、このおまけはいらない。ほんとにいらない。もうやめたい。うんざりだ。

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 夕暮れ、そして太陽が沈む頃にパースの街に入った。寝坊して2時間ほど遅れてしまったわけだけど、むしろ最高のタイミングで戻ってきたようだ。茜色から群青に移りゆく空に、摩天楼が煌めいている。そして軽く追い風。最高すぎる。いままでで一番素晴らしいゴールのタイミング。
 サウスパースのメインストリートを駆け上がり、最後の交差点(ここにも信号あった!)で止まると、ちょうどシャワーを浴びてリフレッシュしたシアトル軍団がバーへ繰り出しているところだった。「Hi Jun! コングラチュレーション!」とハイタッチしてくれる。うひゃー、すごいタイミングだは。よってたかって詳しくゴールの建物への道筋を説明してくれたり、ってそこに見えてるし、受付したんだからよく知っているんだけどw。

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 そう、ゴールは受付時にも使われたボーリング(日本のボーリングとは違う)倶楽部の建物。入ってゴール受付をすませる。最後のスタンプを押して、メダルをもらう。それとプラスチックのコイン二個。このコインでビールなどのドリンク二杯と引き換えられるらしい。サンドウィッチなどの軽食ももらえるので、ホールにはまだ大勢の参加者たちが歓談をしていた。
 ゴール受付のスタッフに「どうだった?」と聞かれたので「すごい幸せな気分だ。もう自転車に乗らなくていいからね」と答えると、笑ってくれた。

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※オダックス・オーストラリアの実務を一手に担うアリソンさん。問い合わせの対応から、スタッフの配置、実作業その他、どこにいても現れる……。
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PAP1200 第三日 ウィリアムズまで 約320km

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 オールバニの次のコントロールは「クラレンス山の記念碑」なるところ。参加者のしおりにはオープン-クローズの時刻が記されていたので、数キロしかないうえに頂上PCなのに? と思っていた。オールバニをぎりぎりで出たら確実にタイムアウトじゃん、と。実際には通過チェックのみ。ただ・・・平均斜度が10%以上で、最後の数百メートルは20%を超える(と後から聞いた)。その最後のセクションは舗装の色も変わっていたので躊躇無く自転車を飛び降り、押して歩いた。ここで脚を使うわけにはいかないのだ。

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 この記念碑はANZACのためのもの。ANZACとはオーストラリア・ニュージーランド連合部隊。第一次世界大戦に大英帝国の同盟国として欧州の戦線に送り込まれる連合部隊は、ここオールバニの泊地で集結して西へ向かったそうだ。当時のオールバニは西オーストラリア最大の港だったのだという。記念碑の上には助け合う両国の騎兵像があるそうだけど、真っ暗で何も見えなかった。
 しかしなんというか、このPCはここから朝日を見るためのものなのだろうけど、よほど遅れているか、脚が強さにまかせてゆったりスタートするかしないとただの暗いPC……。光のトンネルのごとく設置された街灯などがあって奇麗なところもあったけど。

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 日が昇ると暑くなってくる。スターリングランチ国立公園のPCは当初と場所が変わったとのことで迷う。キャンプ場に設置予定が、その数キロ先の道ばたの駐車場になっていた。トイレも日陰も無い。薮に入って用を足そうとするといきなり無数のハエとアブ?のお出迎え。超コワイ・・・。
 とはいえ、道中ではハエもカンガルーの死体も心配したようなことはなかった。初日の夜だけだったな、カンガルーの死体がごろってたのは。ハエもほとんどいないと言っていいだろう。去年に比べれば天国だ。シドニーメルボルンはトラウマ級だよ・・・。

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  次のPCまではずっと北風に悩まされる。ほとんど遮る樹木も無いので吹きさらしだ。そして路面は荒く手の痺れがきつい。足の親指がペンチでつぶされるように痛みだしたのもこのあたりだ。この痛みは久々だが、キツい。伊勢1000での手の痺れは収まって来たようで、やっぱ収まらない。こんなことしてちゃ当たり前だけど。先週からの風邪はこの日はほとんど咳き込むことは無かった。

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 Gnowangerup(ノワンギャラップ? 読めんw)のコントロールでお昼ご飯。西部劇にでてくるようなド田舎の街。スポーツ公園の建物でボランティアの方々が作った食事をとれる。ホールのはじっこでゴロゴロしてたい衝動に教われるが、それをふりきって出発。次はカタニングか。向かい風は相変わらずで、景色も相変わらず。鉄道の路線が加わったくらいか。一回の走っている列車は見なかったけど。途中に小さな停車場と町があった。だいたいこういう田舎町は人の気配が無いのだけど、その小さな町ではコースの脇に自動車のテールゲートに腰掛けた家族が手を振ってくれていた。なんか嬉しい。ただ、参加者もまばらに走っているから、よほど退屈なんじゃないかと思うけど。

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※PBPのオフィシャルのオートバイはロード系だけど、PAPではアメリカン系。

 ロードトレインについても記しておこう。オーストラリアでは鉄道の敷設がされていない地域が広くあり、そこではロードトレインというトラック輸送が行われている。簡単に言えば「列車のように荷台車を連ねたトラック」。ひどいところだと全長100m超におよぶこともあるらしい。PAPの間によく見かけたのは荷台車を2〜3台連ねたタイプ。3台ともなると吸引力はダイソンを上回るのでかなり危ない。
 牽引するトラックもかなり厳しいらしく、遠くから独特の加給音(スーパーチャージャーだと思う)が聞こえてくるので身構えることは出来る。オーストラリアの郊外の道路は対向二車線でも制限速度は110km/hだったりするので結構怖い。

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 カタニングは寂れた都会。都会といってもビルがあるわけではないけど。
 PCは公民館の前におかれた机と食事のつまれたテーブル。休んでけ休んでけ、コーラはいるか? サンドウィッチはどうだ? とかやたら親切にされる。なお、このイベント中、唯一のコーラをここで飲んだ。さらに付け加えると、このイベント中、現金は一切使わなかった。クレジットカードも。すべてPCで提供されるものでまかなえる。超オトク。

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 残るPCはふたつ。ワギンとウィリアムズ。どちらも宿泊可能なPCだが、より遠くのウィリアムズを仮眠所として選択してある。最終日を短くしたいのと、ワギンでは早くつきすぎて眠れない虞があるからだ。そのワギンまではリカンベントに乗った若いアジア人と一緒になった。登りではこちらが、下りでは向こうが速い。そしてここは下り基調のセクション。突き放されて真っ暗な道を進んでいると、彼が止まっている。どうしたの?と問うと「月を見たかい?」と。その指が指し示す方を見るとうっすらとした月。
「月食だよ」
 ああ、そうなのか。そういえば昨晩は月明かりがあったのに、今は真っ暗だ。
「月が隠れたから天の川も見えるよ」
 たしかに天の川まで見える。すごい。半径数十キロにわたって人工的な明かりのほとんどない荒野だ。満天に小さな星々が無数に、そして天の川がぼんやりとかすんで広がっている。月はまだ切れ味鋭く細い。しばし天を見上げながら走る。が、実はGPSの電池が無い。予備は使ってしまった。ドロップバッグには沢山あるのだが、なんで昨晩積み込まなかったかな。
 ここからしばらくは一本道のはず。GPSの電源を落として、遠ざかるリカのテールランプを必死で追う。

 ワギンには8時半ごろ到着。ここもそれなりの規模の街らしい。実のところ、このあたりはパース-オーリバニの最短経路近辺なので、街道沿いならばちゃんとした街があるようだ。このPCで休憩はせずにトイレを済ませ、バナナを食ったらパンを握って出発。もう月食は完全に終わっていて満月(だと思う)があたりを照らしている。街灯と都市の明かりの中で暮らしているとわからないけど、満月の月明かりというのはとてもすごい。ライトを完全に消してしまっても問題なく走ることが出来る。木々や自分の影もはっきりわかるくらいに。

 12時ちょうどくらいにウィリアムズへ到着。貯金9時間。5時半に起きて6時過ぎにスタートすればいいかな。5時に起きるように申告している人が多いようだけど、そのラッシュが済んだくらいがちょうどいいかも。じゃ、そういうことで、とお願いして寝袋にくるまった。

PAP1200 第二日 オールバニまで 330km

 と、ここまで読まれた方はなんとなく感じられていると思うのだけど、話の山場みたいなものは無い。注目すべき名所や、不安高まる難所もない。退屈かと聞かれれば、たいていのロングライドは退屈なものだし、と答えるしかな。このコースを簡単に説明すれば、淡々と繰り返し続けるアップダウンをこなし続けるだけ。なんというか、あれだ。まるでPBPのコースのようだ。どこまでも続く丘陵を抜けてアップダウンがどこまでも続き、ただひたすらペダルを回し続ける。PBPの場合はPCごとの街がちょっとしたスパイス、気分転換になるが、PAPではいつのまにか移り変わっていく植生がそれにあたるだろうか。単純に”荒野”と書いているけど、森林地帯だったり、地平線の彼方まで見通せるようなところだったり、牧場だったりといろいろあるものだ。

 ナニャップを4時頃に出発。気温は6度と表示されていたが、上下ともにゴアのレインウェアを着込んでいるので寒くはない。徐々に夜が明けていくと、ここは森林を抜けていくルートだったことがわかる。広域農道ビーフラインのようだ。少しあたたかくなってきたところで雨具を脱ぐ。やがてペンドルトン(Pemdolton)の街についた。445km地点だ。
 ここでは朝食を食べていたシアトル軍団に合流。一緒にスタートするものの、バックパックを置き忘れていたことに気付いて引き返す。この気づいたポイントまでに10%近い登りが続いていたのでガックシ。しかも当然グループからは脱落ということになる。一人でペースを作るのは意外と厳しい。

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 シアトル軍団の走り方は、休憩後はしばらくウォーミングアップでペースがそこそこ緩い。だから追いつけるかも、と必死に追う。無理。そして足が売り切れ。ペースがガクンと落ちたところに「とても速くて、ゆっくりPCを出ても問題ないからゆっくり出てきた」現地集団がやってきたので「ついてかせて」とお願いしてくっついていく。なんとか千切れずにPCにたどり着くと、シアトル軍団が出ていこうとするところ。カップヌードルをかきこんでそれを追い上げる。なんとか追いついたが、もはや脚は回らず、やがて脱落。またもや一人旅。無駄に脚を使ってしまったけど、こういう目的がなければ一人でだれてもっとペースを落としてしまっていただろうから、プライマイゼロかな。

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 繰り返されるアップダウンが止まらない。アップのてっぺんにあがると、その次の次の次のアップダウンまで見通せるなんてザラ。コースプロフィール(断面図)で見ると、緩やかにいくつかアップダウンが連なってるな、という程度であっても、それらは実はさらに複数のアップダウンで構成されていて、それらも実は・・・というフラクタルアップダウン。どこをとって見ても同じようにアップダウンが繰り返される。アップダウンアップダウン、書き過ぎだ、と思われちゃうかもしれないけど、実際にはもっとたくさんアップダウンがあるのです。

 路面を評すのは難しい。轍などは皆無と言っていいい、ヒビや段差、継ぎ目なんかも無い。工事で掘り起こした跡も、たいていは奇麗にならされている。ほら、日本より路面よっぽどいいじゃん、と言えるかというとそうでもない。表面の粒度が荒いのだ。小石をアスファルトの上で突き固めたような感じ。走っていると細かい振動がずっと伝わってくる。大げさにいうとチェーンソーをずっと握ってるような。大げさだけど。
 おそらくロードトレインのような”超”重量貨物車を前提に敷設されているんだろうと思う。ちょうど大型車のタイヤが通る位置だけさらに目の荒い舗装になっているように見えることもあった。乗用車を運転していてもロードノイズはやかましいらしい。そんな路面だ。ただ、きれいな舗装のところはガラスのようにスムーズで、道路の用途によって舗装を変えているのかもしれない。

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 太陽が天頂から傾き、やや翳りがでてくるころ、デンマークという地域に入った。このような小規模自治体はShireで表現されるようだった。Welcome to Shire of Denmark!、のように。かの赤表紙本に敬意を表して庄と訳したい。つまり、ここは「デンマーク庄」だ。
 ずっと無人の森の中を走っていたけど、ようやく人家がぽつりぽつり。人家というより、工場(きわめて小規模な)などが点在しているらしい。作っているのはケーキやアイスクリームなどが多い。なるほど、デンマークとはデンマーク移民なのだろうな。
※なお、到達したのはデンマーク人らしいが、移民したのかどうかわからない。

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 夕焼けのころにデンマークに設置されたPCへ。600kmを突破。このまま順等にいけば22時過ぎには今晩の宿泊地オールバニへ入れる。手持ちの補給食をざっと鑑みるに、ここでゆっくり食事する必要は無さそうだ。バナナを食べてさくっと出る。すぐに陽が落ちた。テンションも落ちた。だんだんペースが落ちていく。なにもかもが落ちていく。

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 多少、雲は出ているものの、木々の影や地平線は見てとれる。街灯なんかどこにもないのに、と思っていたが、満月にちかい月齢のおかげで月明かりがある。ほとんど一直線と言っていいだろう二車線の幹線道路を黙々と走る。ときどき追いぬかれ、追いぬくことはない。GPSが表示する距離計だけが、進捗を実感できる唯一の指標だ。

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 GPSの電池交換なんかでリフレッシュしつつ(しかし真っ暗なのでそれも一苦労)、ようやくオールバニの街へ。意外としっかりした街で、明るい時間に来ることが出来たならだいぶ印象が違ったんではという感じ。PCの合宿所はだいぶ登った場所にあり、しかも住宅街の奥まったところ。この街は海に面した一面以外は険しい山に囲まれているので、平坦な港の一部以外はどこへ向かってもけっこうな坂だ。そんなわけで10%を上回る坂を登らされるのだけど、PCの場所が見つからず無駄ヒルクライムをしてしまう。それでもようやく、なんとか22時過ぎに到着し、受付でブルベカードにチェックをしてもらう。部屋は早く到着した人は個室、僕らくらいの到着だと四人部屋。そしてもっと遅い人は廊下に雑魚寝だったそうだ。なんという格差社会。実はここは「しおり」では個室だとの事だったので、四人部屋になってしまってちょっと残念。でも、仕方ないね。
 食事・シャワー・睡眠・朝食のルーチンをこなして、翌朝は4時ごろに出発予定だ。残りは500km強。

PAP1200 第一日 ナニャップまで 360km


 初日は海岸に沿ってパースから南下し、夕暮れごろから内陸へ入ってナニャップという場所でオーバーナイトコントロールに入る。オーバーナイトコントロール、つまり仮眠所は今回は5箇所が指定されている。ただし、一晩目と三晩目は二つのうちから選択するというやり方。初日の晩の場合は約365kmのナニャップ(Nannup)か約445kmのペンバートン(Pemberton)の二択。どちらにドロップバッグを持ってきてもらうかを事前に決めておかなくてはならない。
 そしてシドニー・メルボルンと同様に、一人につきひとつのドロップバッグを次の仮眠所へ運んでくれるという方法だ。あんまり早く次の仮眠所へ到着してもドロップバッグが到着していないという可能性もある。ま、よっぽど速い人だけの問題だけど。更に言うと、今回はすべてのPCが有人なのだけど、有人化される時間がPCのオープン時間とは別に設定されている。オープン(ブルベでは制限時間より”早く”PCに到着しても認められない)時間より遅くとも、有人化されていない時間があるというわけ。もちろん、コンビニなんて施設は数百キロ四方には存在しないどころか人さえどこにいるのかわからないような場所なので、レシートや地元の人によるサインによるチェックもできないので、写真をとって証明するらしい。
 けれども、この西オーストラリアでPCでのサポート無しのロングライドをしようとすれば、受付におかれていたような5リットルやそれ以上の水を搭載し、食料もテンコ盛りしたバイクでないと生命維持が危険でアブない。だが、そんな自転車では、サポートがPCを開設する以前の到着は難しいだろう・・・。つまりそんな心配はほとんどないということだ。実際、仮眠所への到着時間はまばらでも、翌朝の再スタート時間はほとんど3時間くらいの間に収まっていた。

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※受付で見たリカ。大陸横断するものだそうだ。

 さて、ドロップバッグとオーバーナイトコントロールの話はこんなところにしておこう。パースを出た僕らはすぐにサイクリングロードに入る。自動車一車線分を上下線にわけた一般的な幅の自転車道が延々続く。これは近隣住宅地などをつなぐ自転車用通勤幹線でもあるようだ。並走する通勤列車路線の駅には「RIDE2WORK」つまり自転車で通勤しよう、というポスターも貼ってあった。これは自転車で駅へ来て、通勤列車に乗ろうという意味だと思うが。

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 初めの15㎞ほどは地元クラブのサイクリストが先導についているらしいが、よくわからない。というか速度差でグループがどんどんぶちきれていく。前のグループに追いつこうとしてもひとりでは速度が維持できないので結局後続集団に吸収されたり。いつものシアトル軍団の青いジャージが見えたので、そのあたりを走ることにする。とても良いペースで非常に助かる。

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 PC1へはあっという間についた。水辺に面した公園に設営されたPCでは、サンドウィッチやバナナなどを補給できる。だいたいどこのPCでも同じだったが、このサンドウィッチなどはスタッフの方々が早朝深夜から毎日毎日用意しているものだ。

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※TTバイクの人もいた。シンガポールからの参加者だったかな。

 さて、ここからしばらくも平坦なはず。ペースを安定化するためにも、どこかのグループにくっついて行った方がよさそうだ。とはいえ、黙ってくっつくのも感じ悪いかもしれない。そこで、シアトル軍団のマークに「ついていけるとこまで、グループに混ぜて」と一声かけておいた。彼らはほどほどのペースで走り、個々のPCではそこそこ、夜はゆっくり休むという走り方をする。だいたい制限時間の8〜9割を使って走るやり方を実践しているのでとても走りやすい・・・のだけど、そのほどほどのペースが平坦だろうと山岳だろうと一定というところが強い。最初から最後まで、コースがキツかろうがそうでなかろうが、まったくペースが変わらないのだ。

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 コースは相変わらず西海岸沿いをすすんでいるのだけど、ずっと海岸べりというわけではない。街と街の間は内陸にはいる。西オーストラリアは地球上でも人口密度の低い地域のひとつとされていて、まともな街などないだろうと思っていたが、海岸にそった街は点在していて、しかも高級住宅地というか別荘地のような感じだ。過ごしやすい地中海性気候にオーシャンビューのおかげだろうか。
 内陸に入ると風景は一変する。平野というか荒野というか。かつて金鉱をもとめてやってきた人々が作った街と鉄道の痕跡があるのみ。次のPCはそんなところだった。道路の舗装さえまともではなく、しばらく非舗装がつづいてたりさえする。とはいえ、オーストラリアで続く好景気のおかげか、そういった非舗装路の先には真新しい舗装がしかれていたり。

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 お昼ご飯は海岸沿いにあるBunburyという街。サーファー、ライフセーバーのための施設に設置されたPCで。ここには厨房があって、参加者は手書きのメニューに書かれた品を選んで頼むことが出来る。各種サンドウィッチやラザニア、オムレツなどだ。こういった食事が用意されるPCはオーバーナイトコントロールを含めていくつかあって、ボランティアスタッフの方々が寝る間もなく(ほんの2〜3時間しか寝ずにやっているらしい。走るより大変!)働いている。もちろん(参加費に含まれているわけだが)無料だ。シアトル軍団のビンセントをして「オダックス・オーストラリアは最高のホスピタリティだぜハーハー!」と言わせるだけある。

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 さて、ここまでで約200km経過。そして8時間台という200kmブルベとしても好タイム。このペースは危うい。危ういが、その次のPCまでシアトル軍団に食らいついて行くことが出来た。そして西海岸最後のPCとなるBusselton Foreshoreから先の100kmは無補給でナニャップへ向かうことになる。しかも内陸へ向かうので、ほんとの無補給地帯だ。コンビニも、自販機も、助けを請う民家も、なにもない。

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 まだ結構な人数が揃って走っている。このグループはシアトル軍団を中心に15~6人はいるだろう。二列になって先頭交代をしながら走り続ける。そろそろ先頭に回るのがきつくなってきた。だけど、他のメンバーは力強い。うらやましいな、その耐久力。太陽が沈み、ウィンドブレーカーを着込む。この夜はもっとも寒くなるそうだ。予想最低気温は5度。日中とは20度を上回る温度差がある。

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 途中にシークレットコントロールが設置されていた。ジュースや果物が用意されている。しかしまあ、周りにホントなんにも無いところで、コントロールを設置するのも大変そうだ。そして参加者を待つのはとても心細いだろう。しかもトイレも無い。もはや脱帽するしかない。さっさとジュースだけ飲んで出発するも、このあたりからアップダウンが続いていて、だんだんグループから遅れをとるようになる。やがて、ついて行けなくなり、脱落した他の人たちもバラバラになり一人旅。真っ暗闇の中に数回、カンガルーの死体があるのに気づく。ハエは夜だし、気温も低いのででてきてはいないようだが、もしかすると明日から去年の死骸&腐臭&ハエ地獄にお見舞いされるんじゃないかと不安になってくる。

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 空気が冷たい。道の先に小さな集落の灯火。まだ午後10時を少し回っただけだというのに、静まり返った小さな町。日本でも田舎町はそんなものか、と思いながらナニャップ(Nannup)のPCへ向かう。このPCは僕が一晩めの仮眠所として選んだPCだ。シアトル軍団はさらに80km以上先のペンバートン(Pemberton)まで向かうといっていたな。たしかにペンバートンまで走っても午前2~3時には到着できるだろう。そしてそこのタイムアウトは午前9時。ま、ここナニャップでも、6時間くらいは余裕で休憩できる。365km地点で貯金を残しつつ6時間休める。十分じゃないかな。むしろ十分すぎる。

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 シャワーは建物にふたつと外に移動式がいくつか。移動式に気づかず建物内のを使った。これは正解で、寒さに震えること無くシャワー&着替えができた。逆に建物内のものに気づかず、寒い外でシャワーを待つ人たちもいたようだ。仮眠所は体育館(だと思われる)で、マットだけ並べられている。そこに持参した寝袋を置くという形だ。スタッフの人に2時半に起こしてくれるよう頼む。起きないようなら蹴って、と。こういうときに緊張と疲れから眠れないということがあってそれが不安だったが、耳栓のおかげもあってかすぐにね つくことg で   k tあ

PAP1200 はじまりのこと

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 話は5年前に戻る。2009年の夏。場所はカルフォルニア州デイビス。Gold Rush Randonnee 1200kmの終了後のランチパーティ。僕はその前年にブルベを始めて、この年には一通りのカテゴリを完走することができた。だから「これで足を洗えるな」と安堵していた。1000kmとか1200kmとか、そういうライドは一生に一度とかそういう挑戦だ。普通、そう考えるんじゃないかな? 自転車ばっかり乗ってられない。
 よく晴れた日で、テラスにいた誰もの表情もまた晴れやかだった。解放感にすっきりとした気分で座っていると、たしか姉御っぽい感じだったからオードリーだったと思うが、話しかけてきた。
「ところでJunよ、次の1200は何を走るんだい?」
 それは衝撃だった。次の1200km? 1200ってそうそう走るものなのか? 1200kmは行き着く先だと思ったら違ったらしいということに気づいてしまった。ここが入り口の扉だったのか。とんでもないところに辿り着いてしまったのかもしれない。
 特にそんなこと考えていないと告げると、彼女は話を継いだ。私はPerth-Albany-Perth(PAP)へ出るんだ、と。オーストラリアの彼方で行われるロングライド。

 それからというもの具体的なことは考えていなかったけれども、その単語だけは頭のどこかにひっかかっていた。ピー、エー、ピーせんにひゃく。そして2013年にオーストラリアのSydney-Melborne Alpine1200を失敗した後のパーティで渡されたチラシが、僕にそれを具体化させるチャンスを与えた。それはPAP1200の開催を案内するチラシで「ぜひ来てね!」とスタッフの方々が勧誘してまわっていたのだ。
 だから、カスケイドなんかも一緒にはしったアメリカ人の友人、マシュー君が「今年は何か長距離走るの?」と聞いて来たときに「PAPはどうかな?」と返信した。彼自身からもPAPの単語を聞いたことがあった気がしていたからだ。もちろん「それやってみよう」ということになった。ふたりでホテルの部屋をシェアすることにして飛行機の到着日時なんかを打ち合わせているうちに、マシュー君は暴走車にはねられてこの世を去る。

 そんなわけで、しばらく放置していたのだけど、そろそろちゃんと考えなきゃと航空券の手配などをすませたのは出発までひと月ほど前。コースデータを作ったりしながら伊勢1000kmを走る。PAPの二週間前にわざわざ1000kmブルベを走ったのは、三日以上連続して走るという感覚を取り戻すため。600kmなどの二日間に渡るライドと、それ以上のライドとの一番大きな差、というかポイントは距離の数字ではなくって、何日かかるか、だと思っている。明日で終わる、と明日でも終わらない、というのは気分的にはかなり違ってくる。僕はメンタルに左右されるので、気分のアップダウンはそのまま走力のポテンシャルに関わってくる。中だるみが酷くなるということだ。
 メンタルどころか、フィジカルなスペックでもあまり自慢できない自分だけに、伊勢1000での後遺症はいくらか不安の種となった。風邪をひいて少し寝込むわ、足首を痛めるわ、手の痺れは取れないわ、など。

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 そのころになって、ようやく主催者から参加者への「PAPのしおり」がダウンロード配布される。詳細なルートの説明やコントロールごとに提供されるサービスについて、ドロップバッグや様々な注意喚起がなされているもの。野生動物にたいする警告は去年のカンガルー、ウォンバットの死体ごろごろや、無数の蠅、動物に激突して一晩救出を待っていた話などを思い出させ、トレーラートラックについての記述ではマシュー君の死を思い出させて気分が落ち込む。行きたくないとさえ。
 一方で、去年、辛かった補給についてはこのコースでは平均70~80kmほどごとにPCがあることを思えばそう不安になる必要は無さそうだ。気温も、最低10度以下(実際には5度くらいまで下がった)、最高25度くらいに収まりそう。季節的には雨は降らないわけでは無さそうだが、地中海性気候というのであがれば乾きやすいはず。もっとも乾燥した気候というのは慣れてないのでこれはこれですぐに肌寒くなったりして難しいのだけど。

 自転車の入ったスーツケースを空港へ宅配で送り、自分はバスで。飛行機はシンガポール航空なので乗り換えは当然シンガポール。成田からのパース直行便はすでに無くなってしまっていて、こんなところでも日本のプレゼンス低下を感じさせる。それはさておき、羽田の国際線ターミナルは妙に立派ね。10年くらい前は田舎の役所みたいな建物だったと思うんだけど。

 うんざりする長距離フライトに耐えてパースへ。意外と美しい都市だ。世界でもっとも美しい都市のひとつに数えられているらしい。そしてもっとも孤立した都市とも。

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 宿泊先はペニンシュラ・リバーサイド・アパートメント。ホテルというよりは、なんというんだろう、ウィークリーマンション? とホテルの間みたいな感じ。受付などは夜間は閉まってしまう。チェックインなどそしていると、この宿を紹介してくれたアメリカのブルベ団体(RUSA)の人たちと会う。たどたどしく挨拶してスーパーへ行き、食料などを購入。しかしオーストラリアの物価は高い……。スーパーの入り口に自転車ジャージをきている人たちがいたので「そのジャージ、PBPですよね? PAP走る人たちですか?」と聞いてみると、そうだ、とのこと。そしてこの後に近くのバーで参加者が集うらしいので行ってみることに。

 なんかパーティみたいなのがあるかと思ったら、ただ集まって適当に酒を飲んでくっちゃべるだけの集まり。始まりも終わりも特に無い。欧米クオリティ。ちなみにこの前前夜パーティに始まって、受付時ランチ、ゴール時パーティ、ゴール翌日朝食会、がオフィシャルから呼びかけられてたけど、受付・ゴールはテキトーに来てテキトーに解散だし、前前夜と朝食会は店の予約も無く、やっぱりテキトーに集まってテキトーに終わる。朝食会なんか、集合場所のお店が混んでるから隣の店になったし。
 さて、この立ち飲みバーでは、いろんな人から「どこから来たんだ」「がんばろうな」みたいな話をされる。特に英語ができるわけでもないので、かなり辛いw そのうち日本人の参加者そろって晩飯を食おうということに。

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 翌日はお昼前から車検。けっこう強い雨が降ったりする不安定な天気でずぶぬれになるが、空気は乾燥しているのでさっくり乾いた。車検では日本とほぼ同じチェックをされるだけなのだけど、オダックス・オーストラリアでは後方に反射板をつけること、テールライトとフロントライトは二個というルールがある。普段からそういう装備なので問題無し。届け先(今回は一晩めと三晩目の仮眠所はそれぞれ二カ所から選ぶことが出来る)を指定したドロップバッグを預けうろうろする。バーベキュースタイルでサンドウィッチが配られたりしながらしばし時間を過ごしたり、オダックス・オーストラリアの人たちとカフェに行ったりしながらその日を過ごした。

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 そして当日の朝を迎える。
 午前5時のスタートにむけてホテルを出る。気温は13度ほどだったか。肌寒い。
 すでに多くの参加者が川辺の公園に集まっていた。高揚感とも不安とも着かない感情が胸につっかえるようだ。オーストラリア国旗が掲げられている。脚立の上に主催者が立ち、ちょっとしたブリーフィング。ほんとうにちょっとしたもので「気をつけて行ってね! けがしないでね!」くらいのもの。そして闇の中、カウントダウンを待って100余名のランドヌールたちは走り始めた。
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