アクセス解析
【落武者魂】 13 長距離自転車走参戦記

落武者魂

L  O  S  T     S  Q   U  A  D  R  O  N  .

カテゴリ

検索フォーム

13 長距離自転車走参戦記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シドニー!!!!?

DSC00218.jpg


 さて、1200kmの一方通行のブルベコースともなれば、スタートへどうやって戻るかというのもひとつの問題になる。もちろん日本からシドニーへ飛び、帰りはメルボルンから飛ぶことにすれば問題ないわけだ。けれど、僕はシドニーのホテルへ荷物をおいてきていたし観光もしたかったので、メルボルンから”自転車以外”の方法で帰ることにした。鉄道だ。オーストラリアの長距離列車XPTのシドニー-メルボルン路線(カントリーリンク線)。しかも寝台列車。

DSC00217.jpg
※メルボルン駅。世界的に有名な建築らしい。そして、これは近郊路線。

 メルボルンの駅は有名な建築物のひとつ。広大な波打つ天井が空高くに張られ、その下に多くのホームが並んでいる。その一番はじがXPTのホーム。一日二便が朝晩に出発し、約12時間をかけて両都市を結ぶ。日中を走る昼行便は、ずーっとひたすら荒野を眺め、夜行はひたすら真っ暗な荒野を眺めることができる。なんというか景色的には微妙な路線だが、旅客鉄道としては2011年のPBP後に乗ったパリ-ベニス便の100倍はコンフォータブルであった。

DSC00213.jpg
※ドアの横に荷室っぽいのがあったので自転車などをしまった。右下にあるホイールバッグと灰色のケースがそれ。なお、輪行袋不可。段ボール化。

 車両は1970年代にイギリスで製造されたもの。まだ樹脂よりも金属が幅を効かせていた時代。ステンレスの御殿のような趣がある。なお、自転車を持ち込むには箱(段ボール可)が必要。輪行袋でさえNGとされてしまうので注意。箱がないときは駅で買えるんじゃ・・・ないかな? どうかな?

 車両は二等車、一等車、一等寝台車に別れる。これに食堂車がついている。食堂車というか、売店車か。ちょっとしたスナックなどを購入可能だ。僕らはせっかくなので一等寝台車に乗った。この車両は10個ほどの個室が備えられたもので、個室一つにつき日中便は三名、夜行便は二名が割り当てられる。二つの個室につきひとつのシャワーブース兼洗面所がついているが、これはもうステンレスの工作に溢れた部屋でちょっと圧巻。狭いシャワーブースに洗面ボウル、便座、シャワー台が必要なときにだけ展開するように誂えられている。

DSC00212.jpg
※一等寝台。昼行モードは3人がけ。

DSC00223.jpg
※一等席。二等とどう違うか不明。

DSC00222.jpg
※食堂車・・・というか売店車。

5839325674_6c6863029d_z.jpg
※ユニットシャワールーム。上段が洗面台、下段がトイレ。下ヒンジの引き出し式。流すときは「戻す」とその傾きで流れる仕組み。二つの向かい合った個室の間にひとつ設置。

 搭乗すると車掌さんがチケットの確認とお泊りセットを持ってきてくれる。これには軽食や飲み物なども含まれており大変オトク。また、このときに朝食のメニューなんかも聞いてくれる。メインはサンドウィッチだったけど、それにつう副食や飲み物なんかを選択できる。

DSC00225.jpg
※一等寝台寝台モード

DSC01569.jpg
※乗客用お泊りセット

 また、ベッドをしつらえてくれるのも車掌さんだ。すぐに寝台状態になってしまうので、座席に座れるのは発車待ちの間だけと思って良いくらい。発車してしまうちまもなく日が落ちてしまうので、シャワーをあびて寝るくらいしかすることがない。そして、目が覚めればもうシドニー間近だ。
 シドニーの駅は、こちらはクラシカルで味わいがある。料金も一泊分のホテル代を考えれば、そう高くはない。ゴージャスな列車ではないけど、ちょっとだけ変わった旅を気軽に楽しめるだろう。

DSC00228.jpg
※シドニー駅!
スポンサーサイト

シドニー!!!!



 寝るときにはDNFルーザーズしかいなかった寝台部屋にもいつのまにかたくさんの参加者がつめこまれ、真っ暗ななか準備をする。まるで見えないうえに音も立てにくいとあって持ち物のを確認できず、いくつもの忘れ物をしてしまったが、それに気付いたのはずっと後のこと。ゴールしてからのことだ。朝5時頃に食堂へ行き、朝ご飯を食う。そして紅茶を飲んでいるとブルベカードも用意されていた。スタートのサインをもらって、さあ、行くか。SMA1200-mini 200kmブルベ。

 すでに明るくなって行く空の下、マンスフィールドを出発してからしばらくは、ゆるやかに下りながら(感じないほどの下りだけど)一直線に進んで行く。早朝のためにクルマ通りはほぼ皆無で気持ちのよいサイクリングだ。なんとなしに去年の北海道ヘルウィーク、600kmブルベで中標津からしばらくの道がこんなんだったかな、と思う。トンットンットンッという音が響いて来てなにかと思ったら、カンガルーとすれ違うところだった。初めて見る「生きた」カンガルー。野生のカンガルーだ。

 青い色調の世界の彩度があがりだすと、少しずつ風が吹いてくる。
「さすがに一日休んでるから脚が回ってるなー」とか思っていたら、オーストラリアトレインにぶち抜かれる。なんというか、倍違うよ、あれは。っていうかあのペースで4日目か。あのくらいのペースでも走りながら回復できるんだろうな、ああいう人たちは。食ってるものが違うってやつかね。


※サインボード。最終日はいくつかみかけた。ひっそりと慎ましく置かれている。

 そのうち単独で走っている別の参加者に追いついた。
 おまえどっから来た?
 日本だ。
 日本か。Tってやつにあったぜ。面白いやつだな。
「ところで眠そうだけど、大丈夫?」
「マンスフィールドで寝なかったんだ。そのときは眠く無かったんだが、いまは辛くなって来た」
 というわけで、しばらく彼の目覚ましを兼ねて並んでおしゃべりしながら走った。辛いとか、こんなに登るとは聞いてねえぞ、とかそういう話。あと死んでるカンガルーのこと。
 そのうち風が強くなり、彼は僕の後ろに回って風をやりすごそうとするが、ほどなく坂が始まってちぎれていった。

 ところで、このブルベは冗談なんだよな? 最後の200kmをルーザーでも楽しんでくれよな、ってことだよな。面倒だからPCのオープンクローズは1200kmとあわせてあるか、そもそも存在しないか、そんなとこだよな。ブルベカードちゃんと見てなかったけど・・・まさか・・・。もしや・・・。

 PC1はYEA。”イエー”と読む。ちなみに昨日乗ったクルマのボランティア用ドキュメントに「YOKOSO YEA E」というメモ書きがしてあった。ヨーコソ イエー エ。日本人にも発音しにくい・・・。 

 ここでブルベカードを広げてみると・・・ああ、なんてこと。オープンクローズはT+x:xx という表示で書いてある。Tはスタート時間。そして最後のゴールクローズを見ると、それはT+13:30。つまり普通の200kmブルベと同じ規格だ。このコースは220km弱。ブルベのルールでは「最低200km、1割の増加までは200kmブルベのコースとして適格」なはず。そしてその場合のクローズ時間は200kmブルベとかわらない。20km弱追加されたからといって制限時間はかわらない。なんという罠。トラップ。本来なら、ここは平均12km/hくらいで走ればクローズにはひっかからない。だが、SMA1200-miniでは15km/h以上で走らないとアウト。たった3km/hの違い。だが一日休んだとはいえ、そこまで540km/8000mを走って来たのだ。疲労は完全には抜けていない。

 YEAの町をでてメルボルンへ。この辺の幹線道路ではついに「メルボルンまでxxkm」の表示が出始めた。だが、僕らはその幹線道路で突っ切るわけではない。道はぶどう畑の丘陵へそれて、さらに余計な山並みへと切り込んでいく。高い木々による林に囲まれているというのが、ここまでの山道とは違っている。ずいぶん穏やかな景色になってきたが、登りは優しく無い。最後まで、最後まで苦しめる気か。

 森の中の村を乗り越えたら、林の中を下るワインディング。SMA1200で唯一の楽しい下り。途中でタイヤのサイドカットで停止している日本からの参加者をみつけて停止。ずいぶん昔からサドルバッグにつっこんであったタイアブートを進呈して、ヒールズビルへ向かう。癒しの村。だが、二人して走っていてPCを見落としたようだ。村を抜けてもPCが見つからない。近くを歩いている人に聞いて戻るも、やっぱりみつからず。村の奥へ入ってみるがわからず、その先で道路工事をしていた人に聞いて、さらに戻ることを知る。「アマチュア・レーシング・クラブ」という施設だから、てっきり小さなモーターサーキットかと思っていたが、実は馬場だった。道路からはPCは見えないけど、看板は置いてあったのでなんで見落としたのだろう。


※なんで見落としたんだろう。

 さて、ざっくり計算するとよほどのトラブルが無ければ完走は問題なさそうだ。12時間くらいかな。あれ? 200kmブルベって12時間半だっけ? 13時間半だっけ? いつもわかんなくなるんだよね。ヒールズビルを離れると、段々交通量が増えてくる。すぐに「段々」ではなくって「如実」に増えてきた。路肩は無いし、トラックはほとんど自転車を避けてくれない。すごいストレスフル。メルボルンの端っこにかかったようで、ファストフードの店がロードサイドに並んでいるのが見えた。さっそくマクドナルドへ入ってみる。
 オーストラリアのマクドナルドはなぜかマクドナルドとマックカフェのカウンターが別個にある。コーヒーなどはカフェでないと買えないそうだ。僕はとりあえず値段を見て「400円くらいの」チーズバーガーセットを、と頼んで400円(円換算)を払う。チーズバーガーだけが置かれる。おそるおそるメニューを確認すると、単品400円かよ。コーラをさらに頼むと400円を追加で取られた。チーズバーガーとコーラで800円・・・。


※メルボルンに入ろうというあたり。このあたりから交通量が増えてくる。

 チーズバーガーを食べながら一息ついていると、ふと虚しくなってもくる。うーん、1200km走るためにきたというのに、200km走れるって喜んでたら駄目だよなあ。もう少し悔しく思わないといけないんじゃないだろうか。でも、圧倒的に走力不足だったから悔しさもなあ。ああ、でもこれが悔しいって気持ちなのかもしれない。

 町に入るとなぜか坂はよりきつくなり、その脇をトラックその他がゴンゴン突っ走ってくるという恐怖のシチュエーション。イメージで言えば、サンフランシスコ並みの坂に都内甲州街道なみの交通量。辛い辛い。こんな状況で自転車なんか走れるのかよ(退勤時間前後のせいもあったかも)・・・と思っていると、町の中に進むにつれ自転車通勤者みたいなのが増えてくる。だがこんどは路面電車のレールも増えてくる。雨もパラパラ落ちて来た。信号も多いし、道も分かりにくい。わかりにくいのでGPSの地図サイズを変更すると電源が落ちる症状がでる。やっぱなんかデータに問題あるんだろうな。キャンベラのときと同じで、データ量が多いと何か問題が入り込んじゃうんだろう。

 公園内のサイクリングロードに入るべきところを通過してちょっと迷う。サイクリングロードっても、遊歩道みたいなものだ。夜間は閉鎖されるそうで、ギリギリゴールを目指していた人たち(およびスタッフ)はずいぶん混乱したそうだ。さて、最後の退勤ラッシュの大渋滞の道から、川沿いに建設されたサイクリングロードへ入る。ものすごい数のツーキニスト。しかもやたら速い。そんなに広くは無いのだけど、追い越しをしかけてくる人は少なく無いから要注意。さらに道が閉鎖されてるっなんで? 道を間違えた? と思ったら、船着き場の出口にサイクリングロードがかかっていて、そこが可動橋になっているようだ。ちょうどボートを出しているところのようで、随分と待たされる。対岸を見てみると退勤ツーキニストたちが大渋滞を起こしている。


※1


※2


※3 左下にいるブルーシートをかぶった人は釣り人。

 雨は小降りだけど、段々強くなって来た。町中の大渋滞にもまれながらゴールの公園へ。ツーキニストトレインにくっついて渋滞を切り抜け、湖畔へ出る。建物がどれだかわかんなくって困ったけど、なんとかヨットクラブに到着。ブルベカードを提出。約12時間でゴール。
 やれやれ、もう走らなくていいんだ。


※ツーキニスト逃げ集団。



 ヨットクラブの二階はパーティ会場になっていて、すでにゴールした人たちと、ボランティアスタッフの人たちが歓談していた。というか、本当にボランティアスタッフの人たちなんだろうか。ずいぶんと人数がいるんだけど。適当に参加者へのインタビューがあったり、パース・アルバニー・パースへのお誘いがあったり。10時頃になってお開きになったので、ジャンボタクシーを呼んでもらってホテルへ帰った。シドニーのタクシー料金よりずいぶん安かった気がするけど、なんでだろうか。



 駅前のホテルもビジネス向けだからかシドニーより広くて安い。朝食はちょっと高いみたいだったから、明日の朝はどこか散歩がてら喫茶店を見つけて摂ろうか。とりあえず今はおやすみメルボルン。


特別編につづく

シドニー!!!

 午前4時に起きて用意をした。まだ外は暗いが1時間も経たないうちに明るくなるだろう。こちらは日本で言う5月くらいなので日が長いのだ。食堂で食事をしながら、スタッフに「ところで、自転車に乗らずにメルボルンへ到達する方法はないかな?」と尋ねる。だって昨日、精魂尽き果ててリタイヤを余儀なくされたのに、今日になって急に走れるわけなくね? とかなめたことを考え始めてしまったのだ。
 もっとも、公共交通機関の疎な国なので、誰もはっきりとした答えを持たなかったのだけど、結局「っていうか、ドロップバッグとか運んでるトラックに自転車載っけてってやるんだから、それでいいんじゃねえの? 明日から走ればいいじゃん」っていう話になる。すでに心は折れているので、それなら助かるなあという気持ちでスタッフの撤収までだらだら過ごすことにした。

※ちなみに後で調査したところ、ローレルヒルまで長距離バスが来ているようなので、それに載っけてどこかの駅へ行きメルボルンまで行くことは出来るようだ。また、鉄道に自転車を乗せる場合は「箱」が必要で袋ではダメらしい。実際にシドニーへ帰る便でダメだと言われたようだ。バスに乗せることが出来るかどうかもイマイチ不明。たぶん箱に入れれば荷物室に入れてもらえると思うだのけど。いずれにしろオーストラリアブルベでのDNFはかなり厄介そうだ(というか日本が帰還しやすいだけか)。長距離鉄道もバスも1日一便かそこらだろう。



 ドロップバッグのトラックに自転車を積み込むのだが、どうやるのかなと思ったらドロップバッグの山の上に自転車を置いてくだけだった。スタッフが豪快にドロップバッグの山を踏みしめて登り、自転車をぐいっと押し込む感じ。ああ、こりゃ飛行機に積み込む荷物なんかボロボロに壊れるはずだよ。そんなの全然気にしないって言うのが常識なのだもの。



 人間はボランティアスタッフのおばさんのクルマで移動。このかたは参加者ポールの奥さんで、シドニーから800kmのところからポールのサポートを兼ねてボランティアをしているようだ。つまり片道2000km運転するわけ。独りで。で、帰りはポールを乗せてクルマで帰るわけでトータル4000kmかよ。実のところ、彼女はすっかり疲れているようで運転を代わって欲しいとしきりにぼやいていた。でも免許も保険も無いからなあ。申し訳なし。
 幸いだったのは、この人は大阪で英語の教師をやっていたとのことで、僕の拙い英会話能力でもつきあってもらえた。それでいくらかお手伝いもしたのだけど、面倒なので割愛。


※巨大なユーカリの木が倒れている。ダウンヒルのコーナーの先。陽が落ちるとかなり危険だ。そして電話も通じない。深夜、この下りでウォンバットと衝突した参加者は、何時間も倒れたままでたまたま通りかかったクルマに救出された。なにしろ連絡手段が無いから。ちなみに倒木は国立公園へ連絡して撤去されたようだ。

 ヒュームレイクで他の参加者を見送り、乗せてもらうクルマが変わってマンスフィールド方面へ向かう。途中、倒木をみつけてどかそうと試みたり、道に迷ったりしながらその日の宿泊地へ。まだ午後6時くらいだったと思うのだけど、すでに10台以上のバイクが到着していた。半日で340km/4000mを越えて来るのね、フツーに。この時点で、他の日本人参加者の状況は不明。晩飯を食っていると、主催スタッフがやってきた。
「おいお前ら、明日の朝ブルベカードやるからな」
 なに言ってるんだこのオヤジは、と思っていたら、参加申込書(兼権利放棄書)が渡された。Audax Australiaの書類だ。そのイベント名の欄にオヤジがこう書き込む。
”SMA1200-mini 200km。”
 なるほど、最後の200km(正確には220km弱)を200kmブルベに見立てて走ってみろということか。なるほど、それは面白い趣向だ。あの高地で蠅にたかられて死体になってしまったと思っていたが、実は生きていたとは。そうじゃないかとは思っていたが・・・。


※超速い人たち。左の黒いシャツの人も参加者。くつろぎモードに着替えてる。

 つづく。

シドニー!!

 寝る為に指定された部屋には誰もいなかった。その部屋にはみっつの二段ベッドがあって、タオル(シャワールームが別にある)とタオルケットがそれぞれに置かれていた。僕は2時起きという指定でこの部屋の番号をもらったのだけど、どうにも怪しい。本当に起こしに来るのだろうか。忘れられやしないだろうか・・・。
 ブルベの仮眠で厄介なのは「眠れるかどうか」だ。直前まで運動をしていたり緊張状態にあったりするものだから、神経が昂っていて眠れないことも多々ある。これが精神的にきつい。それでも翌日はゴールだというならいい。この晩は1200kmブルベの一晩目で、翌日はもっともキツい日。そして睡眠可能時間は1時間しかない。さて、寝付けるか? 結果から言えば寝付けなかった。しかしいっくらゴロゴロ眠れん眠れんとうなっていても誰も起こしにこない。もしや、とiPhoneの電源を入れると、ホラ、1時間以上たってるじゃんね。「眠れなかった、という夢を見ていたんだ」と言い聞かせてのそのそと立ち上がり、出発の準備をする。日本人参加者のひとりが出発するところで、一緒にいくか、と聞かれたが紅茶を飲んでからと答える。
 持っていたカップを半分ほど飲み干したところで片付けて出発・・・しようとしたら呼び止められる。ヘルメットのリアライトは点灯するのか、という。つけてみせようとすると、折悪しく電池が弱くなっていてあまり点灯しない。そもそも今回はヘルメットのライトは特に要求されていない。つうか僕以外はつけてもいない。だが、彼はライトがつかないのは困ったことだな、みたいな反応をする。困るのはこっちだよ。とにかく、どっかで電池買うから、ってことで話を付ける。電池買うよりライト外した方が話が楽そうだが。
 そんなことで結構な時間をロス。やれやれと思いながら、GPSを頼りに走るといきなり道が無くなる。突き当たり。マジかよ? 困ったな。間違ったかなと思ってしばらく戻るが、やっぱりこの道しか無い。再び戻るとやっぱりつきあたり。うーん、この薮を抜けて行けば並走する大通りへ抜けられそうだが、抜けられるのか? よくわからない。仕方が無いので、住宅地を遠回りして行くことにする。
 さらに時間をロスしたところで、GPSの電源が落ちる。再起動。電池はまだ残ってるはずなんだけど・・・やっぱり操作すると電源が落ちる。電池交換。やっぱり落ちる。しかたないので操作しないことにした。これははっきりとは分からないのだけど、OSMからエクスポートしたデータにどこか問題があるのだと思う。田舎道ではなんの問題も起こらなかったのだが、その後メルボルンの町中でも同じ症状が発生した。面倒なことだ。



 深夜のキャンベラの街は静かだ。GPSには幾何学模様の道路が表示されているが、底を走るクルマは皆無と言っていい。首都キャンベラ。実はシドニーやメルボルンの10分の1の人口もいない都市だ。かつて両都市のいずれを首都にするかという争いがあったときに、決着がつかないのでその中間にあるここに首都を築いたという。オーストラリアの特別区であり、どの州にも属さない。オーストラリアもまた、連邦国家であって、ワシントンD.C.と同じく州政府によって左右されない独立した地位を持っている地域だ。



 そのキャンベラを抜けるとすぐに荒野。夜明けが近づいている。寒い。冷え込む。ガクガクブルブル。あまりの寒さに道ばたに自転車をよせてしばし停車。体の芯に差し込むこの寒気は、気象的な寒さ以上に体内のエネルギーが不足していることを伝えてくる。朝飯食ってくるべきだったか。でも、これ以上遅れることはできないしな。そのうちにオーストラリアのライダーたちがびゅんびゅんと僕の脇を通り過ぎて行く。僕よりずっと速く仮眠所につき、僕より遅く起き上がった連中だ。速い。しかも半袖にレーパンだったりする。こっちはレインジャケットを着込んでみたというのに。

 後ろから来た日本人参加者に声をかけられて、ようやく走り出す。思い切ってガクガクブルブル震えてみたら、これは発熱をもたらしたようでだんだんと暖かくなって来た。空は青いが霧が立ち上って来て体を冷やそうとしやがる。道はどこまでもまっすぐだ。キャンベラから次のPCであるクーマまでは約120km。その間に街はおろか村落すら存在しない。ほぼ補給は不可といっても大げさではないだろう。水さえも得られる場所は無い。


※ここは平坦ですよ。コース的には。

 青空が招く放射冷却のせいでなかなかレインジャケットを脱ぐことが出来ない。けっこうな空気抵抗のはずだ。道は直線だが、どこまでもアップダウンが続いている。明るくなってくると幹線道路とあってクルマ通りが増えてくるが、路肩はあまり広く無いうえに、路側線の近くにキャットアイが埋め込んであるので困ったものだ。そして一番困るのは、死骸。無数の野生動物の死骸。カンガルーやウォンバット、その他有象無象の死骸が路肩に転がっている。さっき跳ねられたような新鮮なものもあれば、舗装のシミのようになっているものもある。当然、その途中の(中略)というようなことも。僕はグロ耐性が低いので、そのたんびに顔を背け、目を伏せて行く。だが気を抜いてはならない。背けた視線の先に別の死骸が転がっていることもあるし、目を伏せていて道を横切る腸を踏みそうになったこともあった。

 さらに気温が上がってくると蠅が迎撃にあがってくる。オーストラリアには蠅が多いと聞いていたが、その理由は簡単だ。これだけ多くの野生動物の死体が転がっていれば、それは蠅も湧いてこようと言うもの。いくらでも湧いてくる。さらに死骸の匂い。全部盛りだぜ畜生。


※この人達までは間に合っただろう。電池とか律儀に探しに行かなければよかったよ。

 そのうち腰に本格的な違和感が出てきた(先に言っておくと、レントゲン的には問題無かった)。ペースもあがらないし、このままでは次のPCでタイムアウトしてもおかしくない。うーん、この際タイムアウトしてリタイヤした方がいいのではないか。そんなことを思いながら、最後の丘陵を乗り越えると、マクドナルドなどの看板が見えた。おお、文明だ、シヴィライゼーションが見える。そこがクーマの街であった。ちょっとした商店街の奥にある公園がPC。自転車から降りるのがやっかいだ。サンドウィッチを食べたり、電池を探しに行ったり(無駄足であった)して無駄に時間を費やす。ここからは本当のワイルドネスエリア、山岳セクションだ。

 街からいきなり長い直登。スタンディングで漕いでいたら違和感が怖くなってちょっと脚を着いて休む。臭い。ふと見ればカンガルーのでっかい腐乱死体。おいおい、まだ街から見える範囲だぜ・・・。のそのそと登坂し、幹線道路をはずれると地平線まで見渡せるような荒野が広がっていた。その奥の奥へ道は続いて行く。すでに時間の貯金は1時間あるかないか。このセクションは前半に登り続けて後半は下り基調だな、と思っていると初老のオーストラリア人ランドヌールに追いつかれた。フレデリックという彼としばし一緒に走る。63歳という彼は表情にも余裕があり、脚力も十分に余っているようだ。世間話が一段落したところで「どーしてこんなポジションで走ってるのさ? フレデリックさん、超強く見えるんだけど?」と聞いてみる。
「寝過ごしたからさ! ガッハッハ」とのこと。
 クローズタイムが近いから、僕に構わず行った方がいいですよ、と言うと「何言ってるんだ、お前は20歳以上年下だろう。気合いが足りんぞ。いいか、こういうのはフィジカルじゃねーんだ、精神力だよ、精神力(後でも別の人から同じようなことを聞かされることになる)」
 なんとか登り基調が終わり、下り基調(というか平坦というか)に。残っている脚を回して一気に加速して今日の二番目のPCヘ滑り込む。クローズタイムまで45分くらいだろうか。残念、まだ足切りは喰らえない。いくつかの家が固まって建つだけの町の中央の公園がここのPC。スタッフが出迎えてくれる。日本人参加者のI氏がいて、続けるかどうかを迷っていた。とりあえず僕は「行けるところまで行って、タイムアウトしたらやめちゃうかもです」と伝えた。I氏も「俺もやめてもいいんだけどなあ」と言ってPCを出て行く。

 ここから先はひたすら登り、登り、下ってなお登り、そして山頂ゴールのPCで終わる。正直言って、この時点でこのPCにようやく到着しているような面子は、まず次のPCのクローズまでに到着するのは無理だろう。特に、この前のセクションで貯金を増やせなかったような体たらくではどうしようもない。とはいえ、チャレンジせずにやめてしまうのもどうかと思われる。諦めてもいいんだぜ、という雰囲気のスタッフに「無理は承知だけど、やるだけやってみたい」と伝える。万が一、億が一、次のPCへ許容時間内に辿り着けば、その次のPCは今日のオーバーナイトコントロール。600kmオーバー地点なので、制限時間もぐっと緩やかになる。しかもPC間で見れば下り基調だ。まあ、約900m(平均8%)下ってすぐに800m(平均8%以上)を登るという大イベントがあるんだけど。

 PCから出発しようとしたところで、Y氏が走り込んで来た。まだクローズ前だ。というか、キャンベラで僕が出発するときにちょうど到着した直後のようだったので、そこでDNFしたとばかり思っていた。なんという不屈の精神。そのまま眠りもせずにここまで追い上げて来たのだろう。すさまじい執念だ。僕がI氏も今出て行ったばかりですよ、と告げるとY氏もすぐにPCを出て行く。恐るべき精神力。500kmで8000m近くを登り上げてなおも前進するその姿。全豪が打たれたに違いない。



 だが、僕が出発してしばらく走ると、そこにはついにスタッフカーの誘惑に捕まったY氏の姿。スタッフは「お前も載せてってやるぞ」と僕も誘惑してくるが、それをふりきって進む。もはや登坂は押して歩くがごとくの速度しかでない。蠅がたかる。おい、お前らは死体にたかるもんだろうが。俺はまだ死んでねーぞ。死骸の方へいけや。手でカンガルーの死骸の方へ払うものの、干涸びたそれには興味は無いと見えていつまでもつきまとってくる。たぶん、発汗する水分へ誘引されるんだろう。

 いくらか進むと、こんどはI氏がスタッフカーに捕まっていた。こんどは救急車だ。オフィシャルが手配している救急車の一台が、様子を見てI氏を止めたのだろう。僕も載せられそうだったが、先へ進む。日陰もろくにない山道でオーストラリアの太陽にあぶられながら進むこと一時間ほど。コーナーの先に三たびスタッフカーが現れた。
「どうよ? まだ続けるかい?」
 まだ全体平均はかろうじて15km/hを保っていた。けれどももう、三度目の正直と言うことだろう。
「わかった。abandonする」
 スタッフが自転車をキャリアに積み込む間、蠅がどんどん湧いて来ていた。
 けれども、俺は死んでないとはもう言えなかった。
 頭の中で謎の中国人の宣告が聞こえたような気がした。
「死亡確認」


※ドナドナされてく僕のカルフィー。隠れていてよく見えないけど、青いカバーのかかっているのは自転車を6台くらい固定して輸送できるトレーラー。よくできてる。

 スタッフカーの中では数人のDNF者が寝ていた。僕は特に眠く無かったので、他のスタッフとちょこちょことおしゃべり。死んだカンガルーばっかで生きてるのを見たことないんだけど、とか、コーラ一本で400円ってどういうことよ、とか。ときに他の参加者をみかけると、スタッフ同士で「まだペダリングに力があるな」とか話している。もっとも「あれは厳しそうだな」という話になったところで、もうこのクルマには乗せるところはないのだ(つまり、誰かひとり僕の前にDNFしていれば、僕はDNF「できなかった」ことになる)。
 スタッフの女性が読んでいるドキュメントをちらりと見ると、コースの危険箇所などが箇条書きにしてあるっぽかった。特に前述した900m下って800m登る谷間には、日没後には入らせない方がいいようなことが書かれていたようだ。もっとも、PCのクローズ間際までに到着すれば、なんとか完全に暗くなる前に下りの大半を終わらせることが出来たはずだ。

 その谷間は、なんというか、うーん、松姫峠の小菅側と言った感じだろうか。狭めの道路幅にそれなりの斜度と左右へのワインディングが続く。カンガルーの飛び出しも珍しく無いらしい(カンガルーは早朝と夕方に活発に活動するので、その時間帯にオートバイに乗るのはかなり危険なんだそうだ)。谷底はこれまでにこのコース上では見たことの無い、良い感じの渓流が流れていたが、自力では時間的にそれを見ることは出来なかったろう。


※PCの受付。後ろのボードに各ライダーの走行状況が記載されている。

 その日のオーバーナイトコントロール、ローレルヒルには午後7時くらいに到着した。まだ半分くらいのライダーしか到着していないようだ。というかもう半分くらい到着しているのか。ここの合宿所は、かつて囚人教育キャンプだったのだという。まあ、逃げ場はないからなあ。
「明日からまた走ればいいよ」と言われていたので午前4時に起きることにして、夕食などを取り、Y氏と同じ部屋で寝た。

 おやすみ、オーストラリア。

シドニー!

 オーストラリアは良いところで、シドニーのセントラル駅からでっかいスーツケースを二個、引きずっていたら5分の間に二回も歩道の段差の引き上げを手伝ってもらえた。なんという親切さ。けれども、このままでは1km先のホテルへ行くのに何人の手をわずらわせることになるかわからないので、タクシーを止めて乗って行くことに。
 この二日後、シドニーからメルボルンまでの1200kmを走る為にこの街に来ていた。初の南半球、豪州遠征。もう夏と聞いていたのだけど、やはり天候不順で意外と寒い。日によっては最高気温が30度を越えることもあるし、20度を割ることもあるという。メルボルンはシドニーより南にあって、つまりより気温は低い。南なのに。その間にはキャンベラという首都があってそこが第一日目の仮眠所となる。その翌日はオーストラリアのアルパインを越え、3日目はメルボルン側の高地、最終日はメルボルン郊外から市街へ向かうことになる。そのため、名称はシドニー・メルボルン アルパイン1200km。累積標高は15700mともされる(知らなかった。ウカツ!)サイクリスト耐久テストだ。

 ルートは一方通行。基本的に向かい風を受け続けることになるという。実際、前回の開催ではキャンベラからクーマまで120kmの直線区間が強風の嵐となって参加者を痛めつけたという。このイベントの少し面白いところは、1dayから4dayまでの四日間の区間に区切られ、それぞれオーバーナイトコントロールが設けられているのだけど、その日の午後4時以降にならないとドロップバッグは届かないということになっていること。もちろん、通常のRMルール通りに走っても良いのだけど、その場合はドロップバッグの恩恵を受けることが出来ない。ついでに言えばゴールも最終日の午後4時にならないとオープンしないとされているので、あまり速く走っても意味が無いということだ。
 ・・・まあ、速く走ることが出来る人間にとっては、ということだけど。



 車検はスタート前日にも行われる。シドニーのダウンタウンにある自転車ショップ裏手で行われた。主に灯火のチェック。オダックス・オーストラリアは普通の灯火にくわえて後ろにリフレクターの装備も義務づけている。チェックが終わったらブルベカードなどをもらってドロップバッグを預けて終了。他の参加者とちょっと挨拶したりする。
 それにしてもスタートまではどうしてもナーバスになる。空輸するためにばらして組み直した自転車がおかしくなっていないか、装備は忘れてないか、天候はどうなるのか、眠れるのか、それから先月のぎっくり腰はどの程度治っているのか、あるいは影響して来るのか、風向きは、気温は、ああ不安だらけ。不安だらけのまま、当日の朝を迎えた。本降りの雨・・・。



 着替えたり朝食を飲み込んでいたりするうちに雨は小降りとなった。
 ホテルを出てジョージア通りを北上してスタート地点へ向かう。ハーバーブリッジのたもとにある小さな公園には、すでにランドヌールたちが集まっていた。雲が低く立ちこめていて薄暗く、対岸のオペラハウスもあまり映えない。ブルベカードにサインをもらい、記念撮影を終えるとスタートになった。だらだらとしたスタート。しばらくはシドニー中心部なので、信号や交通があって速度も出ない。どちらかというと市街観光サイクリングと行った感じだ。



 1日目のコースプロファイルは序盤は低地。中盤から標高700mくらいまであがって小さなアップダウンを繰り返し最後に少し下ってキャンベラの街に入る。累積標高は4300m。330kmくらいで。なんかおかしい。最高標高は700mくらいだし、大きな登りってそれだけだよな? そっからアップダウンをくりかえすったってそんなにいくもんじゃないだろ。まあ、とりあえずシドニー近辺の低地で時間を稼ぎたいな。信号が多くって面倒だけど。

 まもなく低地で時間を稼ぐどころではないことに気付く。とにかくアップダウンが続く。街の郊外くらいは平坦になっているだろうと思ってたのだけど甘かった。シドニーというのは地図を見ていただくとわかるのだけど、込み入った地形に海が入り込んで湾を作っている。この込み入った地形は海が入り込んでいないところにだって延々続いているのだ。ちょっとしたリアス地形が海岸から内陸までずっとってこと。
 オーストラリアはもともとあった大陸に東側からでっかい島がどかーんとぶつかって現在のようになったということで、ぶつかってきたあたりの地形はそれで隆起したりしてアルプス的な地形を作り上げたのだそうだ。だから、平坦なんてないのだ・・・。



 舗装は意外と良くてあまり良く無い。
 何を言っているか分からないと思うけど、一般的に「路面が悪い」で想起されるような穴やヒビはそんなに厳しく無い。しかし、舗装面そのものが荒くって走行抵抗が大きいようだ。そのせいで脚を止めると速度の低下が大きく感じる。交通マナーはあまり良く無く、日本と大差ない。スレスレをかすめて行くドライバーも少なく無く、とりあえず威嚇するためクラクションをならしてくる輩もいる。しかも制限速度が一般道でも100km/hだったりするのでやっかいだ。さらに言うと、道幅もそれほど広くは無い。



 いろいろ不安を抱えながらスタートから120kmほどのポイントにあるPC1へ到着。小さな公園の奥でスタッフがサンドイッチやスープを用意してくれていた。ここまでは強く雨も降ることは無く、気温もそこそこ。あまり時間を稼ぐことは出来なかったが、飯はしっかり食べて再スタート。

 ルートは幹線をしばし離れ、しばし雑木林の中を走る。すでに前後の参加者はまばらになっていた。もうちょっと言うと、ほとんどのサイクリストははるか前方に去ってしまったようだ。小さなアップダウンを繰り返しながらちょっとした街を抜ける頃に雨が本降りとなったのでレインウェアを着込む。1時間ほど降り続いただろうか。止んだところで脱ぐ。しばらくすると高速道路の路側帯へルートは誘導された。アメリカのフリーウェイも自転車通行可部分があるが、オーストラリアでは高速道路を自転車が原則走行可能なのだそうだ。そのまま走り続け、PC2はなんとサービスエリアのレストラン。なんとも変な感じだ。



 日本からの参加者の多くが顔を合わせるが、実はすでにほとんどの参加者は去ってしまっている。時間の貯金も増えていない。明日が一番厳しいセクションだということを考えれば、今夜のオーバーナイトコントロールは最低でもクローズ1時間前には出ておくべきだ。そして晩飯やシャワー、睡眠などを考えると・・・不安になってくるな。まあ、出来ることを頑張ろうよ。



 いよいよルートは荒野に入って行く。荒野と牧場とが入り交じったような感じだ。大きな登りは無いのだけど、数十メートルの急な登坂が繰り返されるような道が続く。登って下って、でも次の登りまで勢いをつけて行くようなことはできないような道。日本で言えば広域農道的な道の作り。自動車が効率よく最短距離で進めるように設計されているので、多少の斜度は気にされていないのだろう。だが、自転車にはひとつひとつがボディブロウのように効いて来るのだ。
 救いは交通量が激減したこと。信号はまったく無いこと。
 PC3の手前で日本人先頭グループから脱落。やや遅れてPCヘ到着。このPCのあるTaragoは人口300人程度の村落。荒野の中の中継地で駅があるらしい。その村落の公園にPCが設置されていた。日没直後でまだうっすらと明かりはあったが、気温は下がっていてスタッフの方々はダウンジャケットを着込んでいた。僕は紅茶とサンドウィッチをもらってトイレに行ってここを発つ。すぐに真っ暗になった。首都キャンベラから70kmも離れていないのに、この寂しさはなんだろうと思っていたが、東京だって中心から70kmも離れれば奥多摩だものな。

 前にも後ろにもランドヌールの姿は見えない。行き交うクルマもまれだ。そのまれなクルマの一台が並走しながら声をかけてきた。スタッフのクルマかと思ったが、そうではないようだ。
「コレは何? なんかのチャリティーなの?」
 と年配の女性の声。
 なんと答えたものかと逡巡したが「チャリティじゃないです。ただの自転車イベントですよ」とだけ答えた。
 まあ、見りゃ分かるよな、そんなの。
「そうなの、がんばって!」
 そう言って去って行くクルマの先に久々の集落があったが、ルートはその手前でそれて今日もっともきつく長い峠へ入る。
 ここでちょっと腰の張りが気になったもので、中腹でちょっとストレッチをしたりした。腰痛ビギナーなので、案配がよくわからないのだ。10%ちょっとで100m〜200mくらい登る感じだったろうか。そこからは下り基調。しかしいつになっても首都らしい雰囲気にならないのだけど。

 道はいつのまにか高速道路になっていたが、交通量はほとんどない。静かだ。いくつかのインターチェンジをすぎるとようやく大通りが交差するようになってきた。GPSの表示でもキャンベラの市街に入って来たようだ。ただ、土地区画の整備だけして開発の進んでいない新興住宅地域のような雰囲気だ。やがて住宅地域の中へ分け入って行き、GPS的にはすでにキャンベラのPCなのだけど、暗いせいか見つからず少し焦る。少し戻ってYMCAの入り口を見つけた。スタッフに迎えられてホールへ入る。時刻は午前0時を回ったところ。クローズまで4時間。330km走って4時間しか貯金が出来なかった。あるいはここで食事だけして再スタートという選択もあったかもしれない。けれど、1200kmブルベの初めての夜でそれを選択する勇気は僕には無かった。食事をしてシャワーを浴びて少し寝よう。
 2時まで寝て、3時には出発しよう。

 おやすみなさい。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。