寝る為に指定された部屋には誰もいなかった。その部屋にはみっつの二段ベッドがあって、タオル(シャワールームが別にある)とタオルケットがそれぞれに置かれていた。僕は2時起きという指定でこの部屋の番号をもらったのだけど、どうにも怪しい。本当に起こしに来るのだろうか。忘れられやしないだろうか・・・。
ブルベの仮眠で厄介なのは「眠れるかどうか」だ。直前まで運動をしていたり緊張状態にあったりするものだから、神経が昂っていて眠れないことも多々ある。これが精神的にきつい。それでも翌日はゴールだというならいい。この晩は1200kmブルベの一晩目で、翌日はもっともキツい日。そして睡眠可能時間は1時間しかない。さて、寝付けるか? 結果から言えば寝付けなかった。しかしいっくらゴロゴロ眠れん眠れんとうなっていても誰も起こしにこない。もしや、とiPhoneの電源を入れると、ホラ、1時間以上たってるじゃんね。「眠れなかった、という夢を見ていたんだ」と言い聞かせてのそのそと立ち上がり、出発の準備をする。日本人参加者のひとりが出発するところで、一緒にいくか、と聞かれたが紅茶を飲んでからと答える。
持っていたカップを半分ほど飲み干したところで片付けて出発・・・しようとしたら呼び止められる。ヘルメットのリアライトは点灯するのか、という。つけてみせようとすると、折悪しく電池が弱くなっていてあまり点灯しない。そもそも今回はヘルメットのライトは特に要求されていない。つうか僕以外はつけてもいない。だが、彼はライトがつかないのは困ったことだな、みたいな反応をする。困るのはこっちだよ。とにかく、どっかで電池買うから、ってことで話を付ける。電池買うよりライト外した方が話が楽そうだが。
そんなことで結構な時間をロス。やれやれと思いながら、GPSを頼りに走るといきなり道が無くなる。突き当たり。マジかよ? 困ったな。間違ったかなと思ってしばらく戻るが、やっぱりこの道しか無い。再び戻るとやっぱりつきあたり。うーん、この薮を抜けて行けば並走する大通りへ抜けられそうだが、抜けられるのか? よくわからない。仕方が無いので、住宅地を遠回りして行くことにする。
さらに時間をロスしたところで、GPSの電源が落ちる。再起動。電池はまだ残ってるはずなんだけど・・・やっぱり操作すると電源が落ちる。電池交換。やっぱり落ちる。しかたないので操作しないことにした。これははっきりとは分からないのだけど、OSMからエクスポートしたデータにどこか問題があるのだと思う。田舎道ではなんの問題も起こらなかったのだが、その後メルボルンの町中でも同じ症状が発生した。面倒なことだ。

深夜のキャンベラの街は静かだ。GPSには幾何学模様の道路が表示されているが、底を走るクルマは皆無と言っていい。首都キャンベラ。実はシドニーやメルボルンの10分の1の人口もいない都市だ。かつて両都市のいずれを首都にするかという争いがあったときに、決着がつかないのでその中間にあるここに首都を築いたという。オーストラリアの特別区であり、どの州にも属さない。オーストラリアもまた、連邦国家であって、ワシントンD.C.と同じく州政府によって左右されない独立した地位を持っている地域だ。

そのキャンベラを抜けるとすぐに荒野。夜明けが近づいている。寒い。冷え込む。ガクガクブルブル。あまりの寒さに道ばたに自転車をよせてしばし停車。体の芯に差し込むこの寒気は、気象的な寒さ以上に体内のエネルギーが不足していることを伝えてくる。朝飯食ってくるべきだったか。でも、これ以上遅れることはできないしな。そのうちにオーストラリアのライダーたちがびゅんびゅんと僕の脇を通り過ぎて行く。僕よりずっと速く仮眠所につき、僕より遅く起き上がった連中だ。速い。しかも半袖にレーパンだったりする。こっちはレインジャケットを着込んでみたというのに。
後ろから来た日本人参加者に声をかけられて、ようやく走り出す。思い切ってガクガクブルブル震えてみたら、これは発熱をもたらしたようでだんだんと暖かくなって来た。空は青いが霧が立ち上って来て体を冷やそうとしやがる。道はどこまでもまっすぐだ。キャンベラから次のPCであるクーマまでは約120km。その間に街はおろか村落すら存在しない。ほぼ補給は不可といっても大げさではないだろう。水さえも得られる場所は無い。

※ここは平坦ですよ。コース的には。
青空が招く放射冷却のせいでなかなかレインジャケットを脱ぐことが出来ない。けっこうな空気抵抗のはずだ。道は直線だが、どこまでもアップダウンが続いている。明るくなってくると幹線道路とあってクルマ通りが増えてくるが、路肩はあまり広く無いうえに、路側線の近くにキャットアイが埋め込んであるので困ったものだ。そして一番困るのは、死骸。無数の野生動物の死骸。カンガルーやウォンバット、その他有象無象の死骸が路肩に転がっている。さっき跳ねられたような新鮮なものもあれば、舗装のシミのようになっているものもある。当然、その途中の(中略)というようなことも。僕はグロ耐性が低いので、そのたんびに顔を背け、目を伏せて行く。だが気を抜いてはならない。背けた視線の先に別の死骸が転がっていることもあるし、目を伏せていて道を横切る腸を踏みそうになったこともあった。
さらに気温が上がってくると蠅が迎撃にあがってくる。オーストラリアには蠅が多いと聞いていたが、その理由は簡単だ。これだけ多くの野生動物の死体が転がっていれば、それは蠅も湧いてこようと言うもの。いくらでも湧いてくる。さらに死骸の匂い。全部盛りだぜ畜生。

※この人達までは間に合っただろう。電池とか律儀に探しに行かなければよかったよ。
そのうち腰に本格的な違和感が出てきた(先に言っておくと、レントゲン的には問題無かった)。ペースもあがらないし、このままでは次のPCでタイムアウトしてもおかしくない。うーん、この際タイムアウトしてリタイヤした方がいいのではないか。そんなことを思いながら、最後の丘陵を乗り越えると、マクドナルドなどの看板が見えた。おお、文明だ、シヴィライゼーションが見える。そこがクーマの街であった。ちょっとした商店街の奥にある公園がPC。自転車から降りるのがやっかいだ。サンドウィッチを食べたり、電池を探しに行ったり(無駄足であった)して無駄に時間を費やす。ここからは本当のワイルドネスエリア、山岳セクションだ。
街からいきなり長い直登。スタンディングで漕いでいたら違和感が怖くなってちょっと脚を着いて休む。臭い。ふと見ればカンガルーのでっかい腐乱死体。おいおい、まだ街から見える範囲だぜ・・・。のそのそと登坂し、幹線道路をはずれると地平線まで見渡せるような荒野が広がっていた。その奥の奥へ道は続いて行く。すでに時間の貯金は1時間あるかないか。このセクションは前半に登り続けて後半は下り基調だな、と思っていると初老のオーストラリア人ランドヌールに追いつかれた。フレデリックという彼としばし一緒に走る。63歳という彼は表情にも余裕があり、脚力も十分に余っているようだ。世間話が一段落したところで「どーしてこんなポジションで走ってるのさ? フレデリックさん、超強く見えるんだけど?」と聞いてみる。
「寝過ごしたからさ! ガッハッハ」とのこと。
クローズタイムが近いから、僕に構わず行った方がいいですよ、と言うと「何言ってるんだ、お前は20歳以上年下だろう。気合いが足りんぞ。いいか、こういうのはフィジカルじゃねーんだ、精神力だよ、精神力(後でも別の人から同じようなことを聞かされることになる)」
なんとか登り基調が終わり、下り基調(というか平坦というか)に。残っている脚を回して一気に加速して今日の二番目のPCヘ滑り込む。クローズタイムまで45分くらいだろうか。残念、まだ足切りは喰らえない。いくつかの家が固まって建つだけの町の中央の公園がここのPC。スタッフが出迎えてくれる。日本人参加者のI氏がいて、続けるかどうかを迷っていた。とりあえず僕は「行けるところまで行って、タイムアウトしたらやめちゃうかもです」と伝えた。I氏も「俺もやめてもいいんだけどなあ」と言ってPCを出て行く。
ここから先はひたすら登り、登り、下ってなお登り、そして山頂ゴールのPCで終わる。正直言って、この時点でこのPCにようやく到着しているような面子は、まず次のPCのクローズまでに到着するのは無理だろう。特に、この前のセクションで貯金を増やせなかったような体たらくではどうしようもない。とはいえ、チャレンジせずにやめてしまうのもどうかと思われる。諦めてもいいんだぜ、という雰囲気のスタッフに「無理は承知だけど、やるだけやってみたい」と伝える。万が一、億が一、次のPCへ許容時間内に辿り着けば、その次のPCは今日のオーバーナイトコントロール。600kmオーバー地点なので、制限時間もぐっと緩やかになる。しかもPC間で見れば下り基調だ。まあ、約900m(平均8%)下ってすぐに800m(平均8%以上)を登るという大イベントがあるんだけど。
PCから出発しようとしたところで、Y氏が走り込んで来た。まだクローズ前だ。というか、キャンベラで僕が出発するときにちょうど到着した直後のようだったので、そこでDNFしたとばかり思っていた。なんという不屈の精神。そのまま眠りもせずにここまで追い上げて来たのだろう。すさまじい執念だ。僕がI氏も今出て行ったばかりですよ、と告げるとY氏もすぐにPCを出て行く。恐るべき精神力。500kmで8000m近くを登り上げてなおも前進するその姿。全豪が打たれたに違いない。

だが、僕が出発してしばらく走ると、そこにはついにスタッフカーの誘惑に捕まったY氏の姿。スタッフは「お前も載せてってやるぞ」と僕も誘惑してくるが、それをふりきって進む。もはや登坂は押して歩くがごとくの速度しかでない。蠅がたかる。おい、お前らは死体にたかるもんだろうが。俺はまだ死んでねーぞ。死骸の方へいけや。手でカンガルーの死骸の方へ払うものの、干涸びたそれには興味は無いと見えていつまでもつきまとってくる。たぶん、発汗する水分へ誘引されるんだろう。
いくらか進むと、こんどはI氏がスタッフカーに捕まっていた。こんどは救急車だ。オフィシャルが手配している救急車の一台が、様子を見てI氏を止めたのだろう。僕も載せられそうだったが、先へ進む。日陰もろくにない山道でオーストラリアの太陽にあぶられながら進むこと一時間ほど。コーナーの先に三たびスタッフカーが現れた。
「どうよ? まだ続けるかい?」
まだ全体平均はかろうじて15km/hを保っていた。けれどももう、三度目の正直と言うことだろう。
「わかった。abandonする」
スタッフが自転車をキャリアに積み込む間、蠅がどんどん湧いて来ていた。
けれども、俺は死んでないとはもう言えなかった。
頭の中で謎の中国人の宣告が聞こえたような気がした。
「死亡確認」

※ドナドナされてく僕のカルフィー。隠れていてよく見えないけど、青いカバーのかかっているのは自転車を6台くらい固定して輸送できるトレーラー。よくできてる。
スタッフカーの中では数人のDNF者が寝ていた。僕は特に眠く無かったので、他のスタッフとちょこちょことおしゃべり。死んだカンガルーばっかで生きてるのを見たことないんだけど、とか、コーラ一本で400円ってどういうことよ、とか。ときに他の参加者をみかけると、スタッフ同士で「まだペダリングに力があるな」とか話している。もっとも「あれは厳しそうだな」という話になったところで、もうこのクルマには乗せるところはないのだ(つまり、誰かひとり僕の前にDNFしていれば、僕はDNF「できなかった」ことになる)。
スタッフの女性が読んでいるドキュメントをちらりと見ると、コースの危険箇所などが箇条書きにしてあるっぽかった。特に前述した900m下って800m登る谷間には、日没後には入らせない方がいいようなことが書かれていたようだ。もっとも、PCのクローズ間際までに到着すれば、なんとか完全に暗くなる前に下りの大半を終わらせることが出来たはずだ。
その谷間は、なんというか、うーん、松姫峠の小菅側と言った感じだろうか。狭めの道路幅にそれなりの斜度と左右へのワインディングが続く。カンガルーの飛び出しも珍しく無いらしい(カンガルーは早朝と夕方に活発に活動するので、その時間帯にオートバイに乗るのはかなり危険なんだそうだ)。谷底はこれまでにこのコース上では見たことの無い、良い感じの渓流が流れていたが、自力では時間的にそれを見ることは出来なかったろう。

※PCの受付。後ろのボードに各ライダーの走行状況が記載されている。
その日のオーバーナイトコントロール、ローレルヒルには午後7時くらいに到着した。まだ半分くらいのライダーしか到着していないようだ。というかもう半分くらい到着しているのか。ここの合宿所は、かつて囚人教育キャンプだったのだという。まあ、逃げ場はないからなあ。
「明日からまた走ればいいよ」と言われていたので午前4時に起きることにして、夕食などを取り、Y氏と同じ部屋で寝た。
おやすみ、オーストラリア。