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【落武者魂】 09 長距離自転車走参戦記
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落武者魂

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09 長距離自転車走参戦記

今更シリーズ:Camino Real DC

※2009年の話

 Camino Real & Poker Run Double Centuryの素晴らしいところはなんといっても「家から近い」ことにあった。スタート地点であるインターステート5号線のSand Canyon出口は自宅から20分くらいのところ、超気軽に自走で行ける。前日に受付が会ったのだけど、これに自走で行ったら他のエントラントから「走るのは明日だぜ」とか言われてしまう。これがはじめてのCalifornia Triple Crownシリーズへの参戦なのだけど、参加人数はブルベより一桁多そうだ。

 さて当日。正式なスタート時間は午前6時15分。ただし14時間以上かかるとわかっているのなら5時半からもスタートできるという。ただしこの場合は14時間以内にゴールしてはならないという罰則付き。僕は迷うことなく正式スタート時間を選ぶ。もちろん、より多く眠れるからだ。14時間以内にゴールできるとは思っていない。スタートの1時間ちょっと前に起きて準備をし、家を出たときには真っ暗だったけど、スタートのころにはすっかり明るくなっていた。このところ天候が悪く、今日も晴れやかな朝ではない。スタートであるモーテルの玄関付近でスタッフからいくつかの説明。先日の雨で水没していた道路があったことや一部のわかりにくいエリアの説明のようだった。そして流れるようにスタート。

 しばらくは地元の街中を走る。アーバインからちょっとニューポートビーチよりへ向かい、それから南進してレイクフォレスト経由でダナポイント。ここらあたりは海へ面する丘陵地帯で、すぐに集団はばらけてしまった。大きな峠などはないのだけどアップダウンが続くのでペースを抑えて走る。あるところですぐ前を走っていた女性の自転車のチェーンがおかしくなったようだった。坂を登っている最中だったけど引き返し声をかける。どうやら大丈夫そうだ。変速の具合は良くないけどなんとかなると彼女はいう。そして「心配してくれてありがとう」と。今日もまたカルマを積んだようだ。

 ダナポイントのヨットハーバー沿いで水の補給を受ける。ここでは止まらずに進む人も多い。Pacific Coast Highwayへ入りサンクレメント。ここで何故か幹線道を外れ住宅街の道を右へ左へと縫って進む。そのままPCHへ行った方が楽そうだけど、おそらく前半のまだサイクリストが固まっている状態で市街地の2車線幹線道路を進ませたくないのだろう。ちなみに帰路はPCHそのままでこの街を抜ける設定だ。サンクレメントの町外れへでると旧PCHの遊歩道?になっている道へ落ちていく。ここではこの数ヶ月後に5本目のパンクで助けを叫ぶ僕の姿が見られるのだけど、それは別のお話。旧PCHの車道へ入り原発の脇を抜け、長い長いキャンプ場エリアを抜けると道はペンドルトン海兵隊基地へ入っていく。しまいには海兵隊基地へ入るかインターステート5号線の脇を走るかの選択になるのだが、このキューシートでは5号線へはいることを求めていた(スタッフによればどちらでもいいとのこと。ただ海兵隊基地経由は遠回り)

 5号線にはいるとちょうど良い速度の人たちのケツにくっつけたのとクルマの追い風効果により20kmほどを30分で走り切ることができた。ほぼ時速40kmを継続できたわけだけど、僕にはこれ以上は無理なのでオーシャンサイドの出口で彼らとはバイバイ。ほんとはこの先のサイクリングロードでも彼らについていければベストだったのだけど。サイクリングロードを抜けるとオーシャンサイドの内陸へと進んでいく。ここは基本的に登り基調。実はこのあたりはこの翌日にツールドカルフォルニアのコースとなっている場所。明日もくればランスを見ることができるのだ。そんなことを思いながらCP1へ到着。サブウェイのサンドイッチが配られていたのでコーラとともにゲット。周りを見ていると声をかけられた。2008年のブルベで顔を合わせた人たちのようだ。わざわざここへ来たってことは明日まで残ってランス見るの?と聞いたら「テレビで見ればいいじゃん」とのこと。まあ、たしかに。

 日中は暑い。半袖ジャージになっている人も少なくない。僕は相変わらず重装備なのでこの前半のヒルクライム区間はけっこうまいった。やがて登りが終わりさっきのサイクリングロードへと戻っていく。このサイクリングロードはかならず向かい風になるので嫌いなのだが、このときはシングル3台タンデム2台のグループにまざって後ろにくっつくことができたのでかなり楽をすることができた。タンデムの2台が風よけとなってくれたのだけど、あまりに前へでないシングル軍団に嫌気がさしたのか、タンデムのひとりが先行けサインとともに急減速。さらにその先にあったウォーターストップで完全に解散となった。

 再びオーシャンサイドへ入り5号線へ。正直けっこうヘタってきていた。そんなときにネバダだかから来ていた参加者グループに紛れ込むことができたので、そのペース(それほど速くは無かった)にあわせて5号線の出口まで。そこにCPが設けられていたので、長めの休憩を入れた。

 コースの全体像は8の字というか漫画にでてくるような「骨」型になっている。くびれた部分が5号線。その両端はサンクレメントとオーシャンサイドでその先は輪っかになっていた。行きはダナポイントから海沿いでサンクレメントへ入るのだけど、帰路はダナポイントの手前で内陸へ登り始める。そこでパンク。すぐに解決出来ると思ったのだけど、予備のチューブがショートバルブだったという思わぬ落とし穴にはまる。このようなことが無いように、このちょっと前からすべてのチューブはミドルの長さにしていたのだけど、予備チューブを交換していたかったようだ。CO2ボンベを無駄に使い切り、なんとか手押しポンプの口を押し付けるようにして空気を入れていく。かなりの時間がたちかなりの人数に抜かれていったが、なんとか走行できそうなくらいにはなった。

 このあたりは何の変哲もない郊外の市街地なのだけど、淡々と登り進めてトラビューコキャニオンロードへ入った途端、景色が一変する。そのころにはもうすっかり暗かったものの、街の灯は華やかだったのだけど、この道へ入ると真っ暗に。ライトを消すと自分の手さえ見えなくなりそうだ。しかも道も一気に狭くなり日本の峠道なみ。そこをジェットコースターのように右へ左へ下っていくと最後のCPへたどり着く。このCPではすっかり寒くなってしまった体を温めるべく(?)カップヌードルが次から次に作られて配られていた。ありがたいありがたい・・・。サムイの嫌い・・・。

 ちなみにこのCPの少し奥にあるトラビューコオークスステーキハウスというのはユニークなお店。ドレスコードに「ネクタイを外すこと。つけててもいいけど切っちゃうよ」とある。店に入ると壁に天井に気られたネクタイが埋め尽くすようにぶら下がっている。来店記念?なのだろう。ステーキもけっこう美味しいし、オススメ。安物のネクタイをして行ってみよう!

 さて、このCPをでる真っ暗な山道をひとり走ることに。途中、追い抜いていったクルマから罵声らしきものを浴びせられるも、何行ってるのかわからないのでムカつきもしない(幅寄せとかはしてこないし)。ちなみにアメリカ滞在中、ブルベとダブルセンチュリーとで7000kmほど走り4回ほど罵声らしきものを浴びせられた(だいたい若者4人乗り)けど物理的な迫害を受けたのはグミだかジェルだかを投げつけられた一度だけ。クルマで威圧してくるような事は無かった。もちろん、そういうのが無いわけではないらしく地元ブルベのメーリングリストでトレーニング中にアブないドライバーのクルマがあるので注意というのもあった。その返信に「そいつは有名なDQNで保護観察がどーのこーの」とかついてたのを読んでそのローカルさが面白かったが。

 さて、やっぱり一人でしかも真っ暗な道を走っているとどんどんペースが落ちていく。やがて二人組のサイクリストが来たので一緒に走らせてもらう。トラビューコからサンティアゴキャニオンに入るとそこはもう地元なので、これはどのくらいの登りなのか、残りどのくらいなのかを説明しながら走ることができた。通じていたかは知らないけど。

 やがて遠くに街の灯が見える郊外の道路へ出て、そのまま3人でゴール。14時間10分。おお、思ったより良いタイム。自走で帰宅して晩飯をくってぐっすりと寝た。特に特徴のないコース(地元だからね)だったけど、ほどよい疲労感を楽しめるライドであった。
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自転車の神様は甘くない Tour de Foothill

 今年前半のテンションはどこへ行ったのやら、の不調の後半。さらにここんところのダブルセンチュリー、ブルベを連続でDNF。このまま年を終えるのはあまりにも気分が悪い。何かをしっかり完走しておかないと、負け癖がついてしまう・・・。ということで去年も参加したTour de Foothillへタンデムでアサイン。距離は100km。もう落ちるところへ落ちてしまったのだから、ゼロからの積み直し。どうにもこうにも足首の靭帯(前距腓靭帯?)にGGR以来痛みが消えないので、それも後半の嫌な気分に繋がってるのだけど、ペダリングではそれほど痛みがあるわけでもないので大丈夫とする。いずれにしろ12月はまるまる休まないと駄目かな・・・。

 ぼやきはそれくらいにしておいて、Tour de Foothillは名前こそ威勢がいいのだけど、距離は説明した通り100km(50kmも選択できる)。総上昇は1000mと平凡で、コースも全体的に平凡なもの。ロサンゼルス内陸の郊外住宅地をくるりんと回る感じ。自宅からはクルマで1時間前後かな。7時スタートというので6時半には到着するように家を出発。気温はやや低めということなので、年のため長袖ジャージに防風ベストを着て。

 さて、会場に到着するものの、去年と同じく駐車場は埋まってしまっているので、やはり去年と同じようにほんの少し離れた会社の駐車場へ置くことにする。誰も停めていなかったけれど、僕が停めるとあっという間に皆が続きすっかり駐車場は埋まってしまった。アメリカ人でも「あの人がやっているから・・・」という意識はあるんだなあ。でもまあ、別にこの駐車場は停めちゃいけないわけじゃないのだけどね。早速クルマから自転車を降ろそうと外へ出ると・・・寒い。キーンと冷え込みが! 気温は約6度。初秋装備じゃちょっと寒い。走り出せばちょうどいいんだろうけど、暖かい車内から出てくるとかなりきつく感じる。細君は気分悪くしてしまうものの、いつものことなので様子を見ながら準備をする(なんだかマラソンとかツーリングとかの寒い朝になると酷い吐き気がするんだそうで。どうにもならなないけど)。しかし、去年は寒かった記憶なんて無いけどなあ。天気も曇ってるし。まだ山火事が続いているようなので、その影響で日が翳っているのかね。地面が若干濡れていて、少し雨が降ったのかも。そういえば、周りの参加者のウェアも去年より厚着のよう。

 落ち着いたので、受付を済ませスタート地点へ。若干人が少なくなっているような気もするけど、それでも十分な参加人数。隣と前にタンデムの人たちがいて、横のタンデムはなんと5本もボトルを。三カ所もレストストップのある100kmライドで、しかもこの気温ならどう考えてもデッドウェイトだろう・・・。と思っていたら「君、Cool Breezeでも走ってただろう」と言われる。Cool Breezeは8月頃にベンチューラで開催される自転車イベント。僕らは200kmの部に参加したのだけど、200kmは僕らしかタンデムはいなかったのでどこかで話したわけではなく、どこかで僕らを見かけたらしい。まあ、タンデムも十分少ない上にアジア人だからな。来年も出るの?と聞かれたので「来年は日本に帰るんだ」と細君が答える。




-寒そう・・・。

 スタート前に懐かしいLiveSTRONGの黄色いバンドが配られ、合図とともにみんな腕を突き上げて欲しいとのこと。日本ではバンド「ブーム」として終わってしまったけど、別にブームのためにやっているわけじゃないんだよね、この黄色いバンドは。アームストロングの自伝を読む限り、人となりは好きになれないけど、活動を続けていることは素直に尊敬。日本のホワイトバンドはいったいどこへ行ったのか。世界から貧困は消えたのだろうか。

 スタートしてしばらくは街の大通りを数百のサイクリストが埋め尽くす。寒いうちは関節がこわばって、とくに足首がきしむので軽く軽く。そのうち体から発する熱で寒さも感じなくなって来たのでタンデムらしくぐいぐい加速。なにしろずーっと平坦な大通り一直線なので、こういうところはタンデム自転車は得意な場面。ああ、気持ちいいねえ自転車サイコー!



 そのうち農村ぽいエリアに入り、小さなアップダウンが繰り返されダンシングなんかも入れながら走る。今日は調子いいよ本当に、ヘメットダブルセンチュリーのときはダンシングもろくに出来なかったもんねえ、あれは長旅のあとだったからやっぱり無理だったんだよ、いやいや長い出張の直後に300kmブルベとか大丈夫だったぜ、とか会話しつつ短い急坂を立ちこごうとした瞬間、後ろの方でガリガリガチャン!という不穏な音が。なにか落ちた?でも普通に走れてる、ように思える。なんかしゃりしゃりいう?かな。坂の上の方で一旦とめてサドルに座りながら見ると、特に変わったことはないかな。そのまま登り切って広い通りに出たところでフロントディレイラーを変速しようとすると、変速しない。え?何?と停止して自転車から降りる。すると・・・フロントディレイラーが台座ごと下方にスライドしてしまっているようだ。しかもガイドプレートも歪んでいる。マジかよ、と考える。とりあえずフロントディレイラーを諦めてフロントの変速は諦めるか、手でかけ直すというのが思いつく。昔、糸魚川ファストランで変速機をぶっ壊したときと同じように。しかしまだ30kmくらいなのにこれか・・・。100kmでもDNFしかねないな。神も仏もありやしない。足を痛めつけ、心を砕き、自転車までを壊すとは。神なんかいない。悪いことは確率論なんか無視して重なッていくんだ。

 すると、スタート地点で前横にいたタンデムの人たちが現れて「大丈夫か」と聞いてくる。正直に「大丈夫じゃなさそう。フロントディレイラーがね・・・」とやっていると、彼らも自転車を置いて変速機をグイグイとひっぱりあげようとする。台座を緩め、ワイヤーを外し、総掛かりで。さらにSAG(サービスアンドギア)車までやってきて、大手術だなと言ってくる。確かにフロントディレイラーだけが問題なのではなかった。チェーンも半ばぶち切れそうになっていて、あるチェーンのコマは片側だけのプレートだけでかろうじて繋がっているのみ。よかった、ダンシング中に切れなくって・・・。二人分の体重と脚力をこめた立ち漕ぎ中に切れていたら、酷い落車になっていただろう・・・。彼らは手を真っ黒にしながら僕の自転車を直してくれる。なおすったって、元通りになるわけはなくフロントの変速は限定的なものに。限定的っていっても、歪んだプレート、歪んでしまった台座、歪んでしまった変速機である程度は変速できるのだからありがたいというほか無い。僕のタンデム「さくら号」はフロントトリプルなのだけど、そのうち一番内側が使えなくなってしまった。一カ所だけ大きな坂があるけど、なんとかなるだろう。足首への負担がでかくなったことは、今日以降の問題になるだろうけど。

  彼らが来るまでは、最悪は3連続DNFかとも思っていたがなんとか心を完走側に引き止めることが出来た。もしここで、あるいはこれが原因でリタイヤしていたらなかなか立ち直れず、来シーズンへ突入するところだった。10kmほど進むと休憩所。水を足し、マフィンを食って再スタート。片足のタンデムライダーの女性をみたものの、自転車に乗っているところは見かけることが出来なかった。そういえばマラソンでも片足の人は結構みかける。そうだ、どんなどんなことにでも立ち向かうことができるはず。ようは気持ちの置きようだ。信じればなんでもできる。強く信じれば、明日にでもサマージャンボ宝くじが当たるはず!本当に、強く願えば!

サマージャンボ





 さくさくさくっと走って、このライド最大のクライムポイントへさしかかる。さっきの故障を知っているサポートの人が「グランニーギア(フロントの最小ギア)が使えないんだろう?大丈夫か?」と聞いて来たので「練習に丁度いいぜベイベー」と答えておく。たしかに厳しい場面は数度あったものの、なんとか立ち漕ぎでクリアできる範疇。むしろ、最近は29Tに頼り過ぎで坂をしっかり上ることを怠っていたのでちょうどいい考え直しの機会となったくらい。



 坂を上り切ると給水があったが、それはパス。このあと下り切るとすぐに次の休憩所だし。実際にはその休憩所もほとんど長居することは無くゴールまで走る。長い長い直線はタンデムの持ち味発揮でシングルライダーたちをごぼう抜きできるものの、信号ストップがあると加速が悪い僕らのタンデムは一気に追い越される側に回ることに。それでもなんとかお昼ちょっと前にゴール。去年はメキシカンだったが今年はイタリアンの給食。残念ながらアイスクリームの配給が無くなっているところに不況を感じるが、そもそも寒くて食う気はしなかった。最後に助けてくれた人たちに挨拶すると、次回の参加イベントの話になりどうやら2月のエルカミノリアル&ポーカーライド(320km)で顔を合わせることができるようだった。そのときを楽しみにしながら、今日の日はお別れ。危うかったけど、楽しい一日であった。

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後日談

 400km地点までのタイムではいつもと変わらない(僕だけ遅く到着だけど)のに、なんで11人ものリタイアがでたのかがGoogle Groupで話題に。「結構寒かったよね?」と聞いたら、地元の人に「いつもあんなもん。来月からが本当に冷え込む」とのこと。じゃあ、やっぱり送迎トラックの準備を見てしまったからだと思うなあ。

 とりあえず自転車をばらす。ヘッド周りのグリスを拭き取ると下側の上側(ワン?)にベアリングの痕がはっきりついている。くぼみというべきかな。諦めて予備のヘッドセットを持って近所の自転車屋へあずけることに。ヘッドの調整に関してはいつか見せてもらうことにしよう。組み直し方が悪かったかなあ・・・。いまのままじゃ、ランドナーのフォーク抜き輪行もできないよ・・・。

[LA600km 1017 RUSA]第三話

 ああ、少しだけ大事なことを忘れていた。木曜日の天気予報ではこの週末は気温20度くらいということになっていて、夜間に峠を登るので思い切ってウィンタージャケットを持って来ていた。ただベースメントはいつも通り、半袖ジャージを略することにして昼間の暑さに対処、という感じ。昼間は背中に背負ったキャメルバッに冬装備をつっこんでおく。・・・と暑い・・・。陽が昇って来たらぐんぐん気温が上昇、どう考えたって20度とかじゃあない。つうか曇りのはずだったよね?追いついて来たライダーに「天気予報じゃ曇りだっていってたのにー」というと「そーそー、気温5度以下も覚悟してたんだけど、木曜”夜”の天気でがらりと変わって一部じゃ100度(30度を遥かに超える)もありうるってよー」とのこと。なんだそりゃあ。ついにダブルボトルの水を全て飲み干し、立ち止まってジャージを脱いでスキンズだけに。もじもじくんそのものの姿に変身・・・。下着で走ってるみたいな気分だ。休憩地点で「お前真っ黒い格好だけどどうなのよ?」とリカンベント乗りに言われる。「死にそう」と返す。彼はそのあと上半身裸になってルートへ復帰していった。

 さすがに小さいキャメルバッグには脱いだ冬物長袖ジャージは入らないのだけど、なんというのかバッグのベルトにくくりつけるようにしてクリア。昔の兵隊の背嚢みたいな感じになってしまっている。問題なのは大量の汗がお尻のシャーミークリーム(自転車用パンツのパッドとお尻の間の潤滑クリーム)を流してしまっていて、さらに水で濡れたパッドのせいでお尻の穴と毛がこすれて痛くなって来ていること。ジャーミークリームをけちったのが悪かったか。今回はシャーミークリームを持っていたのでトイレのたびに塗り直しでクリア。つうか、座り方がおかしいんだな、そこはパッドにあたらないはず。うーん、しばらくちゃんと乗ってなかったからなあ・・・。

 しかし自転車でバッグを背負うのってものすごく否定されることが多いけど、ウェアをいくつかつっこんどく程度なら特に問題は無いと思いますよ。登坂が続くと少し肩がこるなあとも思うけど、搭載量を欲張らなければ大丈夫。かと。




 さて、グレッグが戻ってこない。ようやく戻って来たら「胃が痛いんだ」と。僕も良くなりますよだいたい400kmくらいから。でも今回はまったくその予兆がないなあ。いいことだと内心で。リサがグレッグに「ジュンも一緒に走ってくれるって」と伝えると「ありがたい!でも少し待ってくれる?」はいはい、もちろん。

 そのまま彼は床に寝転がってしまう。どうも体調が悪いようだ。どういった類いの体調の悪さかはわからない。僕も相当お腹が悪くなることにかけては知っているので、その類いならトイレを恐れつつも走ることはできるだろうと思う。彼はこのブルベを主催しているPCHランドナーズの会長で、ベテラン。速さはないものの、淡々とペースを守ってクリアしている。一般参加者と走るときには後方をまとめて走っていることが多い。彼らと走ればペースを整えられるし、多分仮眠も考えがあるだろう。これは助かるし、闇の中をお互い単独で走るのは辛いから。

 結局、前に出発した人たちの1時間遅れで僕らもスタート。今思えば少し横になってうつらうつらしておけばよかったなあ。もう外はすっかり暗くなっていた。彼らのタンデムは初めのうちこそゆったりだったものの、だんだんと調子が乗ってき30km/h弱で安定する。なんだ、これなら大丈夫だろうと併走。登りではさすがに待たなきゃならないけど、下りでは見失うほどの差がついてしまう。いずれにしろ、このあたりは前回の300ブルベと同じルートなので気が楽だ。

 見るからにつらそうだったグレッグも、落ち着いてきたようなので(英語スキル的に)がんばって世間話をしたり。これならつらい夜もだいぶ楽になるなあ。

 待ったり待ったり待ってもらったりしながらも、悪くないペースで「ここより先80km商店なし」のマクドナルドへ。9時くらい。次のコントロールはインフォコントロール、その先が80キロ先のブルトンという町で、そこには4時55分までに到着すればいい。200メートルと500メートルのヒルクライムを含む田舎道の山岳というのが悪いニュースだが、なんやかんや言って7時間ほどあるというのは良い情報。ブルトンには仮眠所が設置されているというので2時間以上休んでもCPのクローズタイム前にリスタートできるかも。そっからがんばればCarpentiliaの町まで100キロも走ればバイクショップがある。うまく行けへっどを調製してもらう時間もとれるかもしれない。


いい自転車に乗ってるな!?ドナルドよお!?  !?

 ところがグレッグはマクドナルドのプラスチックのベンチで倒れたまま動かない。リサもいくらか食べるとテーブルにつっぷして仮眠。僕も背もたれによっかかって目をつむるものの、眠るには至らない。残り時間とコースを考え続けてしまう。

 ようやく10時半をまわって動きが。グレッグがものすごく寒いと言い出す。いや、たしかに僕は冬装備だし、あなたは薄着だけど・・・そこまで寒くは無いよなあ。明らかに彼の目の下が青い。遠回しにリタイヤをほのめかすが、そのつもりはないかのよう。あるいは僕が一緒にいるから悪いと思っているのかもしれない。そうだったら悪いことしたな・・・。いずれにしろ、ブルトンまで行けばいろんな選択肢があるよ、と自転車を準備。もうタイムアップを考えないとならない時間になってきたし。

 ややあって、しかしまだマクドナルドの店先。彼はもううずくまってしまって動けない。もう続行は無理なのは誰の目にも明らか。リサが「You had better go」と僕に。いや、僕も付き添いますと言うのも彼らの負担になるだろうと、一人での出発を決意する。辛い。あそこでどうやって助けを求めるのか、自分があの立場なら途方にくれてしまうところ。電話は・・・彼らの電話はつながるだろうか。僕の電話は電波がとれなかった。店の人に電話を借りることはできるだろうが、少なくとも僕がブルトンにたどり着ければ状況を報告できる。しかし同時にもとより一人で走っておけば2?3時間は余裕ができてたなというセルフィッシュな思いも。一緒に走ったことにまったく悔いはないけど。

 しかし、こうなってくると俄然足が回るようになってくる。なんだか高揚してきたほど。歌を歌い、ケイデンスをあげて真っ暗闇っをつっきっていく。もはや楽しいとまで言えた。なんというこのわくわく感。峠もその調子であっさりと突破。インフォコントロールまで全体平均速度を回復し、つまりタイムリミットまでの余裕も増やせた。ここらで320キロ、20時間ほど。つまり300キロなら20時間を切っているわけで、十分まにあう。月曜日のことを考えなければ。

 その次のルートで快進撃も終わる。一番辛いセクションと見込んでいたところだ。おそらく腹が減っているんだと思うが、なぜだか補給食に手がでない。長い登りが続く。1台の車がすれ違い際に僕に道を聞く。知るもんか。しかしよく彼も12時頃に半径20キロはろくな集落もないような場所を走っているサイクリストなんかに声をかけるものだ。つうか、乗せてってくれ・・・。

 前を走るライダーとは3時間ほどの差があるはずだというのも気を重くさせる。でもこの500メートルの峠を越えればあとはダウンヒルで次の有人CPへ行けるはず。2時半くらいかな。と、思うものの闇が心をさいなむ。長く緩い登りが続く。なかなか高度があがらないのがいやな感じだ。と、残り1キロを切ったところで残り高度が100メートルほど。やっぱなにか腹に入れておくべきだったと29Tを使って10%超えの坂としばし格闘。街灯が少ないというか皆無なので、流れ星がキラリ・・・というよりギラリと流れるのが見える。オリオン座も美しい、ふと見上げると満天の星空だ。他のグループがここらで寝転がって星空を眺めたというのを後ほど聞くことになったが、そうするだけの勝ちはある。

 登り終えてさてさあ下ろうと思うが、路面が思ったよりひどい。見通しも悪く20キロ以上は出せない。ちょっと不安になって自転車を止め、ハンドルを揺するとやっぱりひどい。ヘッドセットのボルト?が手でゆるむ。ベアリングまで見えてしまう。深いため息。自転車にまたがったまましばしハンドルにつっぷして目を閉じる。こりゃだめかもなあ。

 さらに残念ながらダウンヒルは期待していたようなものではなかった。少し下って、少し登っての繰り返し。ときどき走りながら手でヘッドを締める。ようやくブルトンまで下ってきたらなぜだか恐ろしく寒い。高度は下がっているのになんだこれは。なんとかブルトンのモーテル6へ到着。午前3時半前。CPになっている213号室へ入り、ヘッドの調子が悪いんだけど工具借りれますか?と言う。工具はあるわよ、その前に寝る?食べる?とスタッフのキャシーが聞いてくるので「とりあえず寝る」と床に倒れる。グレッグたちが体調不良で前の補給地点で止まってることを告げる。それはすでに伝わっていて、なんらかの解決が行われていたようだった。ほっとしつつとりあえずうつらつら。部屋に出入りする人たちもいるので寝た実感は無いけどいつの間にか5時20分頃になっていた。ここのクローズに対し40分ほどのビハインド。工具箱を見せてもらうが、レンチがかろうじて一個だけ。締めてもやはりうまくいかぬ。あーもう、だめだ。いろいろ思いはあるものの、なにより走る気がぜんぜん無い。しばし自転車を見下ろし、それから彼女に振り返って「DNFします」と告げた。



 それからベッドに倒れて目を瞑るとこんどはすっかりと眠れた。2時間ほどで目を覚まし、あまりに臭いので顔を洗う。着替えをここへ送っておけば良かったのだけど、ゴールまでほぼ休まず走りきるつもりでいたので荷物は全部向こうだ。幸いにもクリートカバーだけはある。ふとメンバー表をみるとDNFがやたら多く見える・・・ってなんですでに10人も死んでるのよ? 朝飯を食べながら聞くと、どうもあのイヤなセクションとイヤな寒気のあとにモーテルで休んでいるうちにリタイヤを決めてしまった人が多いようだ。特に部屋をとっていて着替えも送っていたらもうだめ。なにしろ、ブルトンでやめると巨大なスタッフカーが待っているというのが最悪。

 それでも先頭は26時間でゴール。コース設定者でリカンベントの彼は、途中途中でコースの注意点を携帯メールで発信しながらのゴール。次は例のクリス・ハンソンだったようだ。まだ結果はみていないけど完走者が50%を切ってるという妙に完走率の低いブルベとなった。ブルトンを出発できれば、ほぼ完走できたようだった。やっぱり悔しいね。

[LA600km 1017 RUSA]第二話

 闇は心を蝕みます。沈黙のまま集団が進んでいきますが、単独になったら辛いだろうなー。日本の闇とは何かが違うように感じるのは、やっぱり自分が異郷にある人だからでしょうか。闇が僕を拒絶しているようにも思えて来ます。そしてこういう無駄なことばかり心に浮かんでくるから嫌なんだよね。とはいえこの季節だと12時間くらいは闇の中を走らないとなりませんから、心を強くもたないと。

 霧もでてきた。いきなり何も見えなくなる。なんでみんな速度を落とさないでいけるんだろう?路面もひどくてディスクホイールを履いているエリックのリカンベントの近くにいるとガンガンと音が。自分自身も何度が穴に突っ込んで、ハンドルが前に下がってしまいました。いきなりこれか。しかもケアレスミスでライトの充電がカラになってしまっていることが発覚。3灯つけているので1灯なくてもいいのだけど、念のためにC2.1Eは残しておいて乾電池ライトで走る。周りはなんだか知らないけど、超強力なライトばかり。C2.1が弱く見えるもの・・・。

 霧が濃くなってのダウンヒル。怖くてついていけない。ちょっとぼんやりすると上下感覚が麻痺してしまうから。この何も見えなさをカメラに収めようとしたらカメラが無いとあわてる。路面が悪くて跳ね回っているのでどこかでふっとんだのか。さっきはGPSも台座からふっとんでいったものなあ。カメラが無いとかなりしょんぼり。ちょっとトラブル多すぎ・・・。CP1でライトは見つかったのだけど(バッグの中がぐちゃぐちゃになって奥に落ち込んでた)気分はかなりナーバス。自分でグリスアップしたヘッドセットも大丈夫かねえ(大丈夫じゃなかったわけです)。

 モントレーの近辺ではすでに一人旅。80km地点のCP1までは単独になりたくなかったなあ。多分自分の前に10人くらい、後方に8人くらい(全部で20人か19人だと思う)。いきなりアップダウンがあったからジョーンズ夫妻のタンデムなんかは遅れてしまったようだ。一緒に走りましょうと言っておいたのに、悪いことしたな、とか思いつつ有名観光道路17milesドライブを数百メートルだけ走って太平洋岸自動車道(PCH)へ出る。キューシートに「ここから40km補給不可」とあったけど、まだ暗くダブルボトルも半分以上残っているのでCP1まで直行することにする。あとで「80km補給不可」という荒野の山岳があるのだけど大丈夫かなあ、トイレ的に。

 右足は足のアーチを支えるテーピング、踵からアキレス腱を支えるテーピングもしてみて、クリートも前日にずらしてみたのが正解だったのか、思ったより問題無い。でもあまりトルクをかけずくるくるだらだら走ることにする。アップダウンが続いてペースがあがらないけど、悪くならなければ問題無いだろう。うーん、これは行けるかも。若干の追い風もあって心が乗ってくる。だんだんと空が茜色に。茜色の夜明けが近づいてると口ずさみながら走る。いや、これがまた素晴らしい光景。紫雲がたなびき、うっすらと明けていく荘厳な海岸線。なんという美しさ。今俺は仏陀に祝福されてここにあるのだ

 でもカメラは無い。なので記憶だけにとどめるしかない。ずっと変わりゆく空の色を眺めつつ第一CP Big Sur General shopのあるあたりに到着・・・するけど無いなあ。Big Surはキャンプ施設とかそういう感じのホテルとかが点在しているエリア。キューシートの距離あたりには何もなかったので1マイル程もどったところの店の人に「この紙に書いてあるここって、これ?」と聞くと「3マイル先だぜ」とのこと。やれやれ。停車のついでに、下がってしまったハンドルの角度を直す。しかしまあ、随分下がったもんだ。ハンドルを揺すってみたりするが、まあ大丈夫っぽい。

 次のライダーがやってきたので「ここじゃないよ」と言う。「え、そうなの?」といいつつかれも確認。先に出て行った。少しあとを着いていく。しかし行っても行っても当該の店は無い。かなり登ったところで彼は停まり「もしかして通り過ぎちゃったかなあ」と。いやー見てないぜーというと彼はCPの店へ電話をかける。どうもこの山をさらに登ったところにあるようだと確認がとれる。ほっとした。

CP1ではレシートを受け取るために朝ご飯を購入。ブレックファーストブリトー。けっこう大きい。そして熱い。なかなか食えない・・・。しばらくふたりでもぐもぐしていると、リカンベントの二人が到着。さらにジョーンズ夫妻のタンデム。初手から結構遅れちゃってるね、という会話をして僕らは出発。たしかに80kmを5時間近くかけてしまっている。おかしいなあ、そんなにまでスローペースだった記憶も無いのだけどなあ。



 登りあれば下り有り。でも平坦がちっとも存在しない。伊豆みたいな感じかな?延々とそれが続く。CP2までは100km近くあるのだけど、後半は補給できないので補給地点がキューシートに紹介されていた。しかしリカンベントやタンデムには過酷な道じゃないかね、これは。













 いやー景色だけは本当にすばらしいなー。でも飽きた。飽きた頃に補給地点へ到着。ダレダレ状態の人たちがくつろいでる。



 やたらでかいツナサンドイッチをゆったり食う。なぜだか結構みんなゆったり休むんだよねえ。だいたいこのころで8時間経過かな。このペースだと寝なくても36時間くらいかなあ・・・。みんな景色がいいからまったりなのかな?とか思っていたが、このころ既に先頭は200km突破していたはず。うーむ。



 ようやくアップダウンが緩くなる。追い風も復活、期待していた程ではないけど平均速度が30km前後まで復活する。リカンベントの人たちも楽しそう。しかしこのカーボンリカンベント、僕の鉄血長征号より全然軽いのです・・・。





 モロベイへ到着。たしかサーフィンなんかで有名。湾の中央にモロロックという岩があります。強烈な向かい風が続いて僕はスローダウン。しかし、なんか有名なコーヒー屋なのか、皆がそこでくつろいでいる間にごぼう抜きです。どうも視界に全員が入らないくらいの5名程のゆるーやかーな集団?が形成されているような模様。モロベイの先の街のラルフズというスーパーマーケットがCP3。200kmくらいだったかな。はじめの160kmで2000メートル以上登ったねえ、みたいな話をした記憶があります。今回は一応7000メートル超とアナウンスされてるからねえ、というような会話。SD1000が初めの600kmで9000メートルくらいあったから、なんとかなるだろうと思っていたけど、僕自身は月曜の朝から外せない用事があるんだよな・・・と嫌な気分。翌日どうとでもなるのだったら、走行終了後、バタンキューしてそれからゆっくり帰ってもいいんだけどねえ。

 ふと自転車を前後にゆすると・・・ガタガタ・・・というかがっこんがっこんしている。ヘッド周りにあふれたグリスがてんこもり・・・。さらに暗い気分。手でまわせるところまで締め込んでみるが、どうにもなるまい。

 走り出すとリカンベントチームが「あと少しでビッキーの家だぜ」と言って追い抜いていく。足首を労って追わない。ビッキーは参加者の独りで、この「ゆるやかな集団」になぜかまじっている。なぜか、っていうのは彼女は恐ろしく速いライダーのひとり。こないだの300kmブルベの後半を用事があるから問いって150kmを3時間ちょっとで帰ろうとしだしたほど。さすがに周りが着いていけず諦めてたけど。彼女の家がCPになっていて、食事なんかも用意されているはず。さらに工具だってあるだろう。そこまで行けばなんとかなるかな。

 

 モンキーレンチが一本のみ。うーん、とりあえずこれでやってみるしかないな。でも工具がちゃんと揃っていても出来なかったのだから、どうにかなるものでもないだろう。とにかく残り距離をごまかし走れればいいのだけど、と締め込む。作業が終わってからブルベカードにサインをもらう。予想していた最低の時間にはまだ間に合っている。こっから先が本当の山岳だけど、まだ大丈夫っぽい。豆料理と吹かし芋を食う。30分程で出発する人にあわせて出ようとするとジョーンズ夫妻のタンデムが到着。お、遅れを回復しているみたい。グレッグはあたふたとトイレへ。リサ・ジョーンズが「15分で出るわ、遅れを取り戻したい」と話しているので「僕も一緒に行くよ」と、彼らを待つことにする。ちょうど陽が沈んでしまったところ最後方を一台で走るのは不安だろうし、遅れがちな僕も12時間の闇を独りでくぐり抜けるのはあまりに辛い。

 でも、グレッグ・ジョーンズはいくらまってもトイレからでてこなかった。

 つづく(明日書きます)